初台から六本木に移転したワコウ・ワークス・オブ・アートに足を運んだ。ワコウ恒例のゲルハルト・リヒター新作展、これは観ないわけにはいかない。
作品群『アブダラ』は、ガラスの裏側にラッカーで彩色したものだ。相変わらず、観た途端に眼が貼り付き、動悸を覚える。溶剤で溶かして流し込んだ痕跡なのか、デカルコマニーとも違う。中には、リヒター独自の「横塗り」を発見した作品もあり嬉しい。これを何と表現すべきか、生命というには有機的な原初からかけ離れすぎている。アートによってのみアートを語るとしか言いようがない。
ワコウでは、同時にサイ・トゥオンブリーの作品群『チューリップ』を展示している。近寄った結果のアウトフォーカスのチューリップ。抽象表現主義の画家だったはずのトゥオンブリーがこのように変貌していたとは知らなかった。しかし、何の感慨も覚えない。
ついでに、同じビルの中に入っている(やはり渋谷から移転したばかりの)Zen Foto Galleryで、『Nirvana』と題された二人展を覗く。ティム・ポーターはバンコクにある医療機関で、ホルマリン漬けされた奇形嬰児の写真を記録している。複雑な思いを観る者に抱かせる、しかし、何だというのか。これを作品化するほどお前は強靭で達観しているというのか。これは置いておいて、もうひとつのシリーズ、マニット・スリワニチプーンの『Masters』という写真群は良かった。バンコクの仏具店、その奥に、過去の伝説的な仏教僧たちのレプリカが置いてあり、この写真家は驚愕したという。そして、仏教や即物化に焦点を合わせずに距離感を保つためか、アウトフォーカスでの写真を撮っている。
オオタファインアーツでは、バングラデシュのアーティスト、フィロズ・マハムドの個展を開いている。ムガル帝国時代のイギリス東インド会社との争いを描いた作品群は模式的であまり感じるところがなかったが、インスタレーションは面白かった。何機もの戦闘機が吊り下げてあり、表面には小豆、レンズ豆、緑豆、粟などがびっちり色分けして貼り付けてある。メッセージは単純だ、しかし、やはり現代美術のひとつの大きな要素は軽い思いつきと哄笑にある。