Sightsong

自縄自縛日記

姫野雅義『第十堰日誌』 吉野川可動堰阻止の記録

2012-04-01 10:47:29 | 環境・自然

姫野雅義『第十堰日誌』(七つ森書館、2012年)を読む。「第十堰」とは、「四国三郎」こと吉野川に約260年前に設置された石積みの堰であり、第十という地に作られたことから命名されている。決して十番目の堰ということではない。河川環境に融和したものであるにも関わらず、また、治水上問題ないにも関わらず、その代わりに可動堰が建設されようとしてきた。本書は、それを阻止してきた力の一端を担った人による記録である。なお著者は、2010年に川での事故により亡くなっている。

八ッ場ダム川辺川ダムに象徴されるように、土木建設を実施するだけのために、自然環境の破壊を顧みず、治水・利水上必要なのだとの虚構を作りあげたダム堰の計画例は多い。長良川河口堰など、実施強行された挙句に案の定の悪影響を出している例も多い(これにより、ゴーサインを出した当時の社会党は存在意義を失った)。

この吉野川可動堰も、「同様に、必要なく、ろくでもない計画であることが見え見えながら、止まらない公共工事」であった。本書を読めば、計画のデタラメさや、それでも進めようとする国家の姿がどうしようもなく見えてくる。悪影響は「作文」により隠し、水位計算などの根拠は都合のよい見せ方や改竄を行い、地元の政治家と利用し合い、民主主義とは正反対の行動を繰り返している、のである。

本来、著者が指摘するように、日本の河川行政は変ってきており、そのまま正しい方向に導かれるべきものであった。明治初期においては、河川の洪水については、一定程度溢れることを認める考え方だった。それが明治15年頃を境に、土地の工業利用を重視したために溢れることを許さないものに変っていく。高度経済成長期になり、1964年に河川法が全面改正され、それまでの治水に利水という大きな目的が加わる。そうして日本中の河川環境は大きく破壊されていった。1997年、新河川法は河川事業に環境保全を義務付ける。しかし、この「開発中心型」から「環境保全型」へのパラダイム転換は、うまくなされない。著者らが主導した徳島市の住民投票(2000年)では、可動堰建設に9割の反対という結果が出た。まさに河川との付き合いという文脈において、マイルストーンとして記録され、記憶されるべきものだったのである。

この前後、地元首長の選挙結果は、必ずしも住民投票(民意)を反映したものとはなっていない。この点は、原発(三重県海山町、山口県上関町)についてであれ、米軍基地(沖縄県名護市、山口県岩国市)についてであれ、全国的に見られる現象である。従って、政治家の常套句である「選挙で民意を問う」というあり方も、そもそも間違いなのではないか、と考えられるべきだ。

ところで、この問題をテーマにした内田康夫『藍色回廊殺人事件』という小説があるという。上関の原発についての『赤い雲伝説殺人事件』(>> リンク)といい、やるなあ内田康夫。読んでみないと。

●参照
日韓NGO湿地フォーラム(2010年)(吉野川の報告)
川で遊ぶ、川を守る~日本と韓国の水辺環境(吉野川の報告)
抒情溢れる鉄道映像『小島駅』(吉野川沿いの徳島本線)
今井一『「原発」国民投票』
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2)(新潟県巻町の原発住民投票)
八ッ場 長すぎる翻弄』
八ッ場ダムのオカネ
八ッ場ダムのオカネ(2) 『SPA!』の特集
『けーし風』2008.12 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い(奥間ダム)
ダムの映像(1) 佐久間ダム、宮ヶ瀬ダム
ダムの映像(2) 黒部ダム
天野礼子『ダムと日本』とダム萌え写真集
ジュゴンのレッドデータブック入り、「首都圏の水があぶない」
小田ひで次『ミヨリの森』3部作(ダム建設への反対)
『ミヨリの森』、絶滅危惧種、それから絶滅しない類の人間(ダム建設への反対)


ドーハの蔡國強「saraab」展

2012-04-01 02:47:46 | アート・映画

カタールドーハでちょっと空いた時間に、マターフ(アラブ近代美術館)に足を運び、蔡國強(ツァイ・グォチャン)の新作展「saraab」を観た。先月、やはりドーハで開かれている村上隆の個展会場で、若い男女の学生たちに、是非行くべきだと勧められていたものだ。「saraab」とは「mirage」の意味であるという。

近未来都市ドーハとはいえ、車で20分も走ると空地だらけだ。その砂っぽい場所に、蔡國強の名前が書かれたフェンスが現れると、さすがに非現実感がある。マターフは小奇麗な美術館だった。

扉を押して入ると、そこには数々の文字が彫られた岩。そしてギャラリー内はフォギーで、大きなプールに朽ちかけた木の舟が浮かべてある。蔡の生まれた福建省泉州の港から運んできたものであり、大きなテーマは、蔡にとってのペルシャ湾・ドーハへの旅なのだった。次の部屋には、巨大な古地図様のドローイングがあり、泉州からドーハへの海上の道が描かれている。船乗りたちにとっての道標たる星座模様は、火薬により、焦げている。


「Endless」


「Route」

蔡・ミーツ・アラブ。火薬の焦げにより出現するモスクや、ラクダと隼とが飛翔するインスタレーション、そして圧巻は、焦げたセラミックである。蔡の故郷の近くで採取された中国の土によるセラミックと、中国発祥の火薬との相互作用は、これまで考えつきもしなかったものであり、蔡はこれを「fragile」であるとしている。まさに火の芸術家・蔡の面目躍如といったところか。


「Mosque」


「Flying Together」


「Fragile」

アラブ世界の馬を自身が撮ったフィルムも面白いが、まだ、蔡のフィルムをどう捉えていいのかわからない。それよりも、その次にある「99の馬」という作品はイマジネーションが素晴らしい。墨の馬、焦げる馬、金の飛ぶ馬による陰が、巨大な作品内に同居している。


「Ninety-Nine Horses」

2階では、蔡のこれまでの歩みを紹介している。なかでも火薬を使ったパフォーマンスは圧倒的であり、2008年に原爆ドームの脇で黒い花火を打ち上げたプロジェクト「黒い花火:広島のためのプロジェクト」の映像も観ることができた。

一方、北京五輪開会式において空に浮かび上がった巨大な足跡(張芸謀が演出)の映像を改めて観ていると、複雑な気分にとらわれてくる。勿論作品は素晴らしく、昔から観る者を畏怖させるような力を持つ。しかし、資本を引き連れてではないと成り立たない種類のインスタレーションやパフォーマンス、国家のお墨付きの芸術、それを直視しなければならぬということだ。同じ時期にドーハで開かれている村上隆の個展といい、金持ち国家の姿を如実にあらわしている芸術の受容ではないか、と思ってしまう。

ミュージアムショップには、ロモのトイカメラのコーナーがあり、何と蔡國強オリジナルの「Diana」まで売られていた。巨大資本や権力をバックにした芸術、さらには流通に乗る形での商品化。これは何のためのものなのか。


「Fragile」の火薬使用映像


広島での「黒い花火:広島のためのプロジェクト」の映像


蔡オリジナルの「Diana」

●参照
燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
ドーハの村上隆展とイスラム芸術博物館