Sightsong

自縄自縛日記

セシル・テイラー『The Tree of Life』

2012-04-14 10:50:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

セシル・テイラー来日中止の報。アントワープで2004年、トニー・オクスレーとのデュオを観て以来だと楽しみにしていただけに残念至極である。

ブルーノート東京からのメールには、「アーティスト都合」だと書いてあるだけ。デレク・ベイリーも、スティーヴ・レイシーも、ドロシー・ドネガンも、足を運ぼうと思っていたら突然の来日中止になり、それが最後の機会になってしまったことを思い出す。いやいや縁起でもない、体調が理由でないのを願うのみだ。

そんなわけで、『The Tree of Life』(FMP、1991年録音)を聴く。

ベルリンで行われたソロピアノのコンサートである。なかでも、45分ほどの「Period 2」が白眉。不穏なテーマフレーズを提示し、そこからギラギラと内面反射するクリスタルを思わせる展開を見せては、フレーズに戻っていく。時に静寂とも感じられる時間が訪れ、とてもスリリングでさえある。煌めき、暴力的かつ静謐という相反する矛盾の共存、解体と再構築、何ものかの記憶をたぐり寄せつつ時間を操るセシル・テイラーのピアノを表現することは難しい。何を言おうと、ただの賛辞になってしまう。

このコンサートは、セシル・テイラーによるベルリンへの「ダンケ・シェーン」であった。米国で演奏する機会も意欲も乏しかったテイラーに、自分の世界を表現する契機を与えた場が、1988年のベルリンであり、FMPレーベルからのまとまった作品群となった(>> リンク)。それから数年後のパフォーマンスである。

本CDの解説を書いているマネージャによると、1988年にトニー・オクスレーという存在を見出して以降、テイラーの音は明らかに「欧州」サウンドにシフトしたという。テイラーはテイラー、それを意識したことはなかったが、あらためて、『Unit Structures』(Blue Note、1966年録音)と聴き比べてみると、納得できる点もある。過去の録音に感じられるのは、確かに、米国のジャズという重力場であるように思える。

●参照
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
ドミニク・デュヴァル+セシル・テイラー『The Last Dance』、ドミニク・デュヴァル+ジミー・ハルペリン『Monk Dreams』
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット
イマジン・ザ・サウンド(セシル・テイラーの映像)


マヤ・デレン『Divine Horsemen』

2012-04-14 00:52:54 | 中南米

マヤ・デレンハイチを訪れて撮ったドキュメンタリーフィルム、『Divine Horsemen』(1947-51年)を観る。

1時間弱の異様なフィルムである。ブードゥー教の祭祀は、それが非日常なのか日常なのかすら判らなくなってくる。定型が無いというのか、あり得ない動きでの踊りが続いていく。しかも彼らは、普通の延長として神と交感し、神と一体化し、白目を剥いている、としか思えない。

様々な神が登場する。中には、アーヴィング・ペン『ダオメ』において記録したレグバ神も紹介される。ペンが訪れたのはアフリカのダオメ共和国(現在のベニン)であったが、この地からハイチに奴隷が送られていたのである。勿論、ブードゥーも同時に海を渡った。

底知れないユーモアもある。巨大な顔の張りぼてをかぶった人びとがねり歩く様子を見ていると、自分の立脚点が何やら危くなってくる。凄まじい魔力なのだ。マヤ・デレンは実験映画作家として有名な存在ではあるが、生贄の儀式をスローモーションで撮っているところに「らしさ」を感じた以外には、連続性は感じられない。マヤ・デレンもこれに魅せられて通い、作家性を発揮する以上に呑みこまれてしまったということなのだろうか。

そして、延々と続くポリリズムのドラミングは陶酔を誘う。ナレーションでは、これがジャズにも影響を与えたとしている。

フィルムの最後には、ジョナス・メカスへの謝辞の文字を見ることができる。メカスがこのフィルムについて何を考えているかと思い、『メカスの映画日記』を開いてみたが、言及はなかった。そういえば、四方田犬彦『星とともに走る』(>> リンク)に、メカスからマヤ・デレンの研究書を貰う場面があった。

●参照
「まなざし」とアーヴィング・ペン『ダオメ』