エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』(2010年)を観る。原題は『Standing Army』、すなわち常備軍のことであり、この存在が軍産複合体という産業・政治構造を絶えず形成し続けている、というわけだ。
沖縄の普天間、辺野古、高江。英米が手を握って島民全員(!)を追い出したディエゴ・ガルシア。イタリアにある世界遺産の街、ビチェンツァ。コソボのボンドスティール。
改めて驚かされるのは、常駐する米軍内部とその地とのあまりにも大きい温度差だ。故郷を追われて英国やモーリシャス(マダガスカルの東に浮かぶ島)で暮らす人びとの怒りとは対照的に、米軍内部では、米兵向けに、サンゴ礁からなるこの島を、リゾート的な場所だと軍内部で宣伝するヴィデオを作成している。コソボでは、基地内の映画館やゲームセンター(ゲリラ戦の!)などレクリエーション施設を紹介したあと、米兵は、これは正義のため将来のためなのだと哀しくなるほどよどみなく述べる。故アレン・ネルソン氏は、自らの沖縄駐留時の体験から、戦闘の専門集団たる米兵にとって地元民は影のようなもの、考えていることは酒と女と喧嘩だけだと断言する。
このことは、沖縄のフェンスを上空から俯瞰した映像で実感される。人間の眼の高さからのフェンスは、既に風景と化している。
一方、この理不尽な暴力に抗う人びとがいる。辺野古では東恩納琢磨氏が、高江では伊佐真次氏らが登場し、なぜ抵抗するのか、どこに理があるのかを説く。勿論、その真っ当な姿は、いかにも立派な正論らしきことを恥かしげもなく述べるヒラリー・クリントンや基地の米兵に比べるまでもない。
映画には、チャルマーズ・ジョンソンやノーム・チョムスキーらも登場し、アメリカという帝国が如何に異常であり、ソ連崩壊後に敵を生み出し続けてきたかを指摘する。そして、湾岸戦争(1991年)、ユーゴ内戦(1991-2000年)、アフガン戦争(2001年)、イラク戦争(2003年)など大きな戦争の後には、必ず、周辺地域において基地は増殖しているのだという。
常に戦争ごっこと戦争を行い続けなければアメリカ帝国は存続できず、日本はその一端を担っている。メッセージは極めてシンプルであり、かつ正鵠を射ているのだ。
ジュゴンの見える丘から大浦湾の方向を眺める(2007年) Pentax LX、FA★24mmF2.0、Provia 400X、DP
●参照
○辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
○由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
○久江雅彦『日本の国防』
○久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
○『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
○終戦の日に、『基地815』
○『基地はいらない、どこにも』
○前泊博盛『沖縄と米軍基地』
○屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
○渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6)
○押しつけられた常識を覆す
○『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
○大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
○鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
○アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
○二度目の辺野古
○2010年8月、高江
○高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
○高江・辺野古訪問記(1) 高江
○沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
○ヘリパッドいらない東京集会
○今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
○今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
○ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』