Sightsong

自縄自縛日記

上野英信『追われゆく坑夫たち』

2012-04-20 00:31:07 | 九州

上野英信『追われゆく坑夫たち』(岩波新書、1960年)を読む。

上野英信は山口県生まれ、戦争からの復員後に大学を中退し、九州で炭鉱労働者となり、このルポを書きあげた。

日本の経済成長を支えた「黒いダイヤ」こと石炭は、炭鉱労働者たちの存在なくしては、生産されなかった。引揚者や失業者のプールとして1948年に46万人を数えた炭鉱労働者は、その後、1950年代に炭鉱失業者と化していった。しかし、景気の良い時期であれ悪い時期であれ、炭鉱労働者は、人間としてではなく、次々に使い潰す生産力として扱われる存在だった。本書は、これがまさに棄民政策であり、石炭産業とヤクザと警察がそれを支えていたことを、恐るべき実態によって示している。

いくつもの炭鉱は、それぞれが外部からは見えざる専制的帝国であった。雇われたが最後、借金を背負わされ、賃金は支払われず、「ケツを割る」すなわち辞めようとしようものなら、ヤクザや警察と結託したボスによって、文字通り半死半生の目に遭わされる。落盤や爆発事故は日常茶飯事、場合によっては違法行為を隠すために、潜っている者がいるときにでも爆破して生き埋めにする。地下の労働は酷いものだが、もはや他の仕事にも就けず、ミニ専制君主たちの奴隷として、人間としての機能を失うまで働くこととなる。そして、ある者はアキレス腱を、ある者は腰を、ある者は正気を破壊され、そのままポイと棄てられてしまう。

「およそ「意欲」だとか「欲望」だとかという名をもって呼ばれるものの一切が、それこそ粉微塵に破壊されつくしているのだ。苛烈きわまりない地底の「奴隷労働」は彼らのもてるかぎりの財産と健康と生活を収奪し去ったばかりではなく、彼らの人間としての微かな欲望のすべてを残酷無懃にたたきつぶしてしまったのだ。」

このルポに記録されている実態は凄まじく、驚愕させられる。ようやく、山本作兵衛が炭鉱労働の膨大な体験手記を残すことを妻に止められたことの背景が分かった気がする。「人に迷惑がかかるから」という理由だが、そこには、言葉に絶するほどの過酷な搾取や、殺しても構わぬほどの暴力などのタブーが満載であったに違いないのである。

これは大変な記録である。自分もわかったつもりでいて、まったくわかってはいなかった。是非読んでほしい。

ヤマからヤマへと渡り続ける数十万人の炭鉱労働者の姿は、現在8万人といわれる原発ジプシーの姿に重ね合わさってくる。

●参照
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
樋口健二写真展『原発崩壊』
森崎東『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』