Sightsong

自縄自縛日記

1988年、ベルリンのセシル・テイラー

2012-04-07 16:24:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

1988年の6月から7月にかけて、セシル・テイラーはベルリンに滞在し、多くのライヴをこなしている。そのときの記録が、FMPレーベルから出ている10枚組CD『Cecil Taylor in Berlin '88』である(>> リンク)。これが世に出たころ、ディスクユニオンの壁に飾られているのを見ては、ああ欲しいなあ、高いなあ、などと思い続けていた。そのうちに姿を消してしまい、結局手元にあるのは、バラで購入した2枚のみだ。実はまだ欲しい。

■ セシル・テイラー+トリスタン・ホンジンガー+エヴァン・パーカー『The Hearth』

Cecil Taylor (p)
Tristan Honsinger (cello)
Evan Parker (ts)

約1時間のインプロヴィゼーション一本勝負。テイラーの煌めくピアノの中を、ではなく、テイラーのピアノ、ホンジンガーのチェロ、パーカーのテナーサックスの三者が押したり引いたり、絡んだり離れたりして、実にカラフルで有機的な音空間を形成する。パーカーの唯一無二のサックスはもとより、ホンジンガーの精力的なアルコも様子を見るようなピチカートも素晴らしい。

■ セシル・テイラー+デレク・ベイリー『Pleistozaen mit Wasser』

Cecil Taylor (p)
Derek Bailey (g)

30分前後の2セッションから成る。第一セッションでは、ベイリーのアコースティック・ギターが響く中、おそらくはダンスしたり、詩を詠んだり、ピアノの弦を弾いているのだろう、テイラーの動く様子が伝わってくる。こればかりは実際のパフォーマンスを観てみたいところだ。映像は残されていないのだろうか?

そして第二セッションでは、遂に椅子に座ったテイラーと、エレキギターを弾くベイリーとが最強のインタラクションを見せる。それにしても、ベイリーの音色の多彩さには改めて驚かされる。ギターソロ演奏とはまるで異なるのだ。生前に一度も生の演奏に接することができなかったのは残念でしかたがない。最後のチャンスは新宿ピットインでのライヴで、大友良英とのデュオ、吉沢元治とのデュオの2日分を予約して期待していたのだが、本人の体調不良で来日中止となってしまったのだった。

今月には久しぶりにセシル・テイラーが来日する。前回はいろいろあって観に行かなかったので、わたしにとっては、2004年にベルギーのアントワープにおいて、トニー・オクスレーとのデュオを観て以来7、8年ぶりだ。そのときも終電でブリュッセルまで戻らなければならず、演奏を最後まで見届けることができなかった。ひたすら楽しみである。


セシル・テイラーとトニー・オクスレー、アントワープ(2004年) Leica M3, Summitar 50mm/f2.0, スペリア1600

●参照
ドミニク・デュヴァル+セシル・テイラー『The Last Dance』、ドミニク・デュヴァル+ジミー・ハルペリン『Monk Dreams』
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット
イマジン・ザ・サウンド(セシル・テイラーの映像)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)(ホンジンガー登場)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)(ホンジンガー登場)
ICPオーケストラ(2006年、ホンジンガー登場)
ネッド・ローゼンバーグの音って無機質だよな(エヴァン・パーカーとのデュオ)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(エヴァン・パーカーとのデュオ)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(エヴァン・パーカー参加)
シュリッペンバッハ・トリオの新作、『黄金はあなたが見つけるところだ』(エヴァン・パーカー参加)
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る
デレク・ベイリーvs.サンプリング音源
田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』
トニー・ウィリアムス+デレク・ベイリー+ビル・ラズウェル『アルカーナ』
デレク・ベイリー『Standards』


内田康夫『藍色回廊殺人事件』 吉野川第十堰と可動堰

2012-04-07 15:33:13 | 中国・四国

内田康夫『藍色回廊殺人事件』(光文社文庫、原著1998年)を読む。

もともと「浅見光彦シリーズ」にあまり興味のないわたしが読んだのはこれでやっと3冊。姫野雅義『第十堰日誌』(七つ森書館、2012年)において、吉野川第十堰の撤去と可動堰の建設という問題を題材としていると知ったからだ。ここで可動堰建設反対が多数を占める結果となった住民投票(2000年)の前、おそらくは地元で問題がもっとも顕在化していた時期に書かれている。

雑誌ライターの仕事で吉野川や四国八十八ヵ所を取材しているうち、浅見光彦は、時効目前の殺人事件に遭遇する。それを調べているうち、被害者のひとりが、可動堰建設を強く推進する地元土建会社にあって、それが吉野川の治水・利水に必要だとする根拠のデータ捏造に気付いたため殺されたのだということに気付く。地元利権を代表する政治家、激しく建設に反対する住民、土建会社に天下りした中央官僚など、いかにも存在しそうな人物たちが登場して面白い。

また、フィクションではあっても、吉野川をめぐる治水・利水の歴史がさらってあり、これもなるほどと思わせる。江戸時代(約260年前)に造られた第十堰だったが、明治政府がオランダから技術者ヨハネス・デ・レーケを招聘したところから河川の悪しき近代化の歴史がはじまる(デ・レーケは、日本の河川を見て「川ではない、滝だ」という名言を吐いた人物)。デ・レーケは内務省に第十堰の撤去を提案し、それがいつか可動堰に姿を変え、工事のオカネをめぐる欲望と利権の流れとして生き続けてきた、ということである。

そうか、吉野川の南岸に徳島本線と国道ができたために、北岸の発展が停滞し、古い街並みが残っているのか。まだ見ぬ吉野川第十堰、祖谷の渓谷、藍染など、ぜひいつか足を運んでみたいところだ。何しろわたしは四国には数えるほど、しかも北の2県(香川、愛媛)にしか行ったことがない。

「「堰」というから、浅見はふつうの堰堤を想像していたのだが、イメージがまるで違う。長さ百メートルほどの「鬼の洗濯板」のようなものが川幅いっぱいに広がった、途方もないスケールの堰である。堰の上の藍色に湛えられた水が溢れだし、わずかに傾斜した「洗濯板」が七、八段つづく上を清冽な瀬となって、白いしぶきを上げながら流れ落ちる。堰のあちこちにはシラサギが佇んで、魚を狙っているらしい。のどかで壮大な眺めだ。」

●参照
姫野雅義『第十堰日誌』 吉野川可動堰阻止の記録
内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』 寿島=祝島、大網町=上関町
日韓NGO湿地フォーラム(2010年)(吉野川の報告)
川で遊ぶ、川を守る~日本と韓国の水辺環境(吉野川の報告)
抒情溢れる鉄道映像『小島駅』(吉野川沿いの徳島本線)