クロード・B・ルヴァンソン『チベット ―危機に瀕する民族の歴史と争点』(文庫クセジュ、原著2008年)を読む。
汪暉『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』(>> リンク)において、チベットは明らかに独特な扱われ方であった。ざっくり言えば、現在特別な視線を集めるチベットなる存在は、欧米からのオリエンタリズム的な幻視の産物に過ぎず、また、中国によるチベット支配の批判は、ボーダーにより地理的に確定させた欧米流ネイションの考え方に毒されたものである、といったようなものであった。返す刀で、汪は、中国によるルーズな支配を肯定的に評価する。まるで、天下概念や和諧社会のヴィジョンだけは理想的なものであり続けるのだ、というように。
1911-51年、事実上チベットの独立。中国建国の翌1950年、中国がチベットに武力侵入。1951年、事実上の併合。1959年、ダライ・ラマ14世亡命。明らかにチベットは、汪の妄想とは別の位置に置かれている。
本書は、チベットの歴史をかいつまんで説明している。しかし、まるで無意味なレトリック満載の「ニューズウィーク」のような冗長なまとまりない文章、生硬な翻訳、良い本とはとても言えない。通史を読むなら別の本の方がすぐれているに違いない。
それは置いておくとして、なるほどと思わされる事実が列挙してあることは確かだ。中国支配に抗わせるためにCIAがチベット人志願者を訓練したこと。インドが首尾一貫しない態度を取り続けたことが、問題の一因であること。巨大ダムの計画。中国語教育の重視などの同化政策。チベットのみならず、ラダック、ネパール、シッキム、ブータン、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州をも「中国の5本の指」と毛沢東により表現されたように、チベットのみを特異点として捉えるべきではないこと。
●参照
○汪暉『世界史のなかの中国』
○加々美光行『中国の民族問題』
○L・ヤーコブソン+D・ノックス『中国の新しい対外政策』
○チベット仏教寺院、雍和宮(北京)
○ポール・ハンター『バレット モンク』