NHK Eテレの『日本人は何を考えてきたのか』枠で放送された、『大本教 民衆は何を求めたのか』を観た。(2013/1/6)
江戸末期から明治初期にかけて勃興したいくつもの民衆宗教。この中で、大本教は、時代の要請として拡がっていく。番組では、その歴史的な意味を提示していた。
ひとつは、明治の近代国家作りへのアンチテーゼ。人間主義とは対極にある弱肉強食的な世界への傾倒に抗するものとして、貧困の底にあった出口なおが、筆先という強烈な言葉をぶつけたわけである。
近代国家にビルトインされた国家神道と、大本があるべき世界として掲げた神国の道との間には、必然的に「ずれ」が生じた。これは国家にとって非常に都合が悪い。大本の求心力が強かっただけに、弾圧に結びついた。出口なおは、アマテラスの天岩戸の物語を悪いものだと断じる。アマノウズメが天岩戸の前で踊り、アマテラスを騙すことによって引っ張りだしたとすることを、要は「ウソ」により開けた世界だとしたのである。これは驚くべき指摘だ。
そして、世界平和を謳う上でのネーションの否定。勿論、日本がそれを率いることだとすることで、結果的に、日本のアジア侵略を側面支援することとなった。
大本教を、近代と民衆という観点のなかに位置づけることは、とても興味深い観点だった。