Sightsong

自縄自縛日記

『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』

2013-01-31 12:19:32 | 環境・自然

NNNドキュメント'13」枠で放送された『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013/1/27放送)を観る。

活断層が近傍に発見された原子力発電所の事例が、いくつか紹介されている。なぜ活断層が重要かといえば、物理的なずれによって、その上にある設備が「ギロチン破断」を起こしてしまうからだ。典型的には、1基の原発に5万本・延べ100kmもの配管があるという。勿論、それに加え、地震動そのものによる施設のダメージがある。福島第一原発においても、津波が来る前に、既に物理的な衝撃によって機能を停止していたのだという報道がなされた。

ところで、活断層というものはたまたま「見えた」ものに過ぎず、そのため、活断層が「ない」ところでも大地震は起きる。活断層は勿論危険であり、さらに、活断層かどうかに話が矮小化されることは、地震についても、原発についても、危険である。(島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』 >> リンク

米国カリフォルニア州・ボデガヘッド原発では、1963年、原子炉を収納しようとして掘っていた穴の底に小さな断層が見つかり、建設が中止された。40万~4万年前に1度だけ、しかもわずか40cmずれただけの小さな断層である。しかし、近くには、巨大なサンアンドレアス断層が走っている。ここでは、1994年のノースフィールド地震など繰り返し大地震が起きている(高速道路が倒壊した写真はまだ記憶に新しい)。

米国カリフォルニア州・フンボルトベイ原発は、1963年に稼働開始した(出力65MWと小さい)。稼働中に断層が発見され、市民団体は稼働停止を求めてヘリウム風船を飛ばしたりしていた。風船の中には切手付きの葉書が封入され、放射性物質の伝播を調べようとしたのだという。それでもしばらくは運用していたが、1979年のスリーマイル島原発事故を契機となった。大規模な耐震補強が迫られ、電力会社PG & Eは、経済的にもたないとして1983年に廃炉を決定した。

米国カリフォルニア州・ディアブローキャニオン原発。やはり電力会社PG & Eが運用する、1,100MW×2と本格的なものである。この近くでも、1972年に断層が発見されたが、対照的に、大規模予算での改修を選んだ。全電源が停止しても問題ないよう冷却水プールを炉心より高台に起き、また、放射性廃棄物の乾式キャスクも高台へと運んだ。

ドイツ・グライフスヴァルト原発は、東西ドイツ統一の直後に、廃炉プロセスを開始した。既に廃炉会社が契約し、「Learning by doing」によって、設備の切断、除染、最終廃棄物化を進めている。除染の様子は凄まじい。放射性レベルの低いものであれば高圧水、それ以上であれば鉄粉を吹きつけて表面を削ったり、電気分解によって表面を溶かしたり。さらに、放射性レベルが高く、また切断に多額の費用を要する圧力容器などは、50年間をめどに、まずは中間貯蔵施設に運び込んで保管している。

これら全6基の廃炉総コストは、約5,000億円ほどだという。一方、日本において唯一廃炉プロセスを完了した原発は、東海村の小規模(12.5MW)の試験炉だけに過ぎない。これとても、250億円・15年間(1981~96年)を要している。また、商用発電を行う日本初の原発・東海第一原発は、現在、廃炉が進められている(>> リンク)。

グライフスヴァルトでは、原発跡地近傍の工業団地にエネルギー産業が集まり、港湾など原発時代のインフラを活かし、例えば巨大な洋上風力の設備生産などを行っているという(北海などでは洋上風力を本格化)。廃炉会社もそのひとつとして位置づけられる。グライフスヴァルトのケーニヒ市長は、廃炉ビジネスのノウハウを輸出可能だとさえ発言しているのである。

日本では、再生可能エネルギー時代はまだ本格化前であり、また、今後、稼働中の原子炉をどのように扱うかによって時期がずれるものの、確実に大規模な廃炉時代が到来する。危険やリスクを強引に乗り越えようとするよりも、再生可能エネルギーや廃炉での産業振興を目指すほうが、現実的な選択肢のはずだという思いを強くする。

●参照(原子力)
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
前田哲男『フクシマと沖縄』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』
纐纈あや『祝の島』

●NNNドキュメント
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


ブッチ・モリス『Dust to Dust』

2013-01-31 08:10:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブッチ・モリス(Lawrence D. "Butch" Morris)の訃報。まずは、棚から『Dust to Dust』(New World Records、1991年)を取り出して聴く。

Vickey Bodner (English Horn)
Jean-Paul Bourelly (g)
Brian Carrott (vib)
Andrew Cyrille (ds)
J.A. Deane (tb, electronics)
Marty Ehrlich (cl)
Janet Grice (basoon)
Wayne Horvitz (kb, electronics)
Jason Hwang (vl)
Myra Melford (p)
Zeena Parkins (harp)
John Purcell (ob)
Lawrence D. "Butch" Morris (conductor)

ブッチ・モリスはトランペットの演奏ではなく、グループの音楽全体を統率している。普通の指揮ではなく、いわゆる「コンダクション」。即興音楽家に対して演奏の指令を与える方法であり、ジョン・ゾーンの「コブラ」とも似たようなものだろうか。両方とも実際に観たことはないので、実感はない。渋さ知らズの「ダンドリ」よりもゲーム的であろうとは思うのだが。

方法はともあれ、この音楽から得られる印象は、確かに、ビッグバンドとも、集団即興とも、明らかに異なるものだ。メンバーは一騎当千の即興音楽家ばかり、彼ら・彼女らのソロや伴奏がふわりと受け渡され、現れては消える感覚は奇妙に感じられる。

マイラ・メルフォードのピアノも、ジャン・ポール・ブレリーのギターも、アンドリュー・シリルのドラムスも、マーティ・アーリックのクラも、ブライアン・キャロットのヴァイブも、ジーナ・パーキンスのハープも、耳を澄ましてじっくりと聴くほど、美味しい個性が聴こえてくる。

演る方、観る方ともにどんな感覚だったのだろう。