金平茂紀・永田浩三・水島宏明・五十嵐仁『テレビはなぜおかしくなったのか <原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題>報道をめぐって』(高文研、2013年)を読む。
「テレビがおかしい」ことは、もはや誰の目にも明らかになっている。と、言いたいところだが、決して「誰の目にも明らか」では、ない。むしろ、逆に、影響を受ける人の数はどんどん増えてきているように思える。極端に言えば「洗脳装置」である。
本質的な問題は回避し、イメージだけでものを語り、反中・反韓を煽り、特定の人物を血祭りにする。実社会もそのような姿になっていることは、テレビの影響を抜きにしては考えられない。もちろん自分も無縁ではない。生活保護を巡る芸人へのバッシングについては、当初「そうだそうだ」と思い込んでおり、後でテレビ以外により提示される視点によって、はじめてそれがいかにアンバランスであったか気付いたのだから。
本書では、4氏がそれぞれの経験をもとに、「テレビがおかしい」ことの実状と原因を探っている。それらはサプライズではない。しかし、事実であるだけに、本当に、本当に怖ろしい。
原発事故の際、なぜ事実が隠蔽され、大丈夫だと視聴者に刷り込む報道ばかりがなされたのか。なぜ脱原発や反基地や慰安婦についての報道はほとんどなされないのか(これらがわかるのは現場においてであり、あるいはネットを通じてである)。なぜ尖閣問題では「いきり立つ中国」ばかりが喧伝され、その歴史的な分析や、発端となった石原都知事(当時)の狙いが報道されないのか。
各氏の話によれば、その原因は、報道側の知的退行であり、「官尊民卑」であり、権威主義であり(「先生」への依拠が重要であり、実状はさほど重要でない)、組織の論理であり、政治家や企業トップからの圧力でもあるという。多角的な視点を持ち、良心的な報道をしようとする人びとは、圧力をかけられたり、飛ばされたりして、身動きが取れなくなっている。そしてその結果、「とりあえず抑える」だけの中途半端なものができあがり、権威迎合と弱者抑圧の世界を見せられるわけである。
まずは必読である。
●参照
○永田浩三さん講演会「3・11までなぜ書けなかったのか メディアの責任とフクシマ原発事故」
○『これでいいのか福島原発事故報道』
○安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』
○安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』第2弾、安世鴻×鄭南求×李康澤
○新藤健一編『検証・ニコン慰安婦写真展中止事件』
○『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
○高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント