新崎盛暉『沖縄現代史』(岩波新書、2005年)を再読する。
改めて、様々な発見があった。
本土から沖縄へのしわ寄せ
●言うまでもない、天皇からマッカーサーに伝えられた天皇メッセージ(1947年)。「アメリカが、日本に主権を残し租借する形で、25年ないしそれ50年、あるいはそれ以上、沖縄を支配することは、アメリカ・日本両国の利益になる」
●岸・アイゼンハワー会談(1957年)により、日本国民の反米感情を鎮めるため、日本から地上戦闘部隊(とりわけ海兵隊)が撤退し、沖縄に移駐した。安保条約成立(1952年)から改定(1960年)までに、日本本土の米軍基地は4分の1に減少し、その一方、沖縄の米軍基地は2倍に増えた。
●沖縄返還(1972年)をはさむ数年間で、日本本土の米軍基地は3分の1に減少したが、沖縄の米軍基地は数%しか減らなかった。那覇空港に置かれていた海軍機P3の移駐先について、佐藤政権・福田外相は、米国に対し、岩国や三沢に移駐されれば政治問題を引き起こすため、沖縄の別の基地に移駐するよう要請した(1972年)。
沖縄における抵抗とそれに対する圧力
●沖縄戦における日本軍の行動を追及しようとするのは、1970年代に日本政府が自衛隊の沖縄配備をごり押ししようとしはじめる時からである。
●沖縄返還(1972年)を境に、各組織が本土とつながれ、現地の闘争の空洞化・地域共闘の困難化を生んだ。
●自衛隊の必要性を認める者が年々増えた。その理由として、自衛隊基地が米軍基地に比べて目立たないこと、自衛隊員が制服で街中を闊歩するのを意識的に避けてきた(公然化するのは90年代末から)こと、不発弾処理・急患輸送など民生協力に熱心なことが挙げられる。しかし、時折、根強い反自衛隊感情が表面化した。
●1985年調査では、沖縄の「日の丸」掲揚率は小学校6.9%、中学校6.6%、高校ゼロ、そして「君が代」斉唱はすべてゼロだった。沖縄返還時のシンボルとしての「日の丸」が、もはや疑問の対象となっていた。1987年海邦国体に向け、文部省(当時)の通知をもとに、沖縄県の保守政党や教育行政担当者は狂奔し、抵抗する者に陰険な圧力をかけた。その結果、「日の丸」掲揚率は全国平均を追いぬいた。戦後日本が40年かけて作り出した状況を、沖縄の地域権力者は、わずか2年足らずで作りあげたことになる。例外が、卒業生の拒否であった(ドキュメンタリー映画『ゆんたんざ沖縄』で描かれている)。またこの流れの中で、知花昌一氏が「日の丸」を焼いた。
日米安保再編と基地機能強化
●二国間の安全保障体制のみならず、周辺事態への対応を含めた体制への転換は、1995-96年の「日米安保再定義」の中で出てきたように思われがちだが、実は、政府による米軍基地強制使用の裁決申請理由(1991年)のなかに既にあらわれている。
「日米安保体制は、わが国を含むアジア・太平洋の平和と安全にとって不可欠な枠組として機能してきており、また、駐留軍は、日米安保条約に基づき、我が国の安全に寄与し、・・・」
●基地の移設は基地の強化をもたらす。このことは、辺野古新基地の問題が「普天間移設」というオブラートに包んで語られることと無関係ではない。
●米軍用地特措法の適用(1982年)は、本土では、立川基地の拡張などに使われたことはあったが、休眠状態にあった。20年ぶりの沖縄での適用は、保守県政の誕生によって容易になっていた。
●著者は大田県政の一貫性のなさ、時に毅然としなかった態度に対して非常に厳しい。
本書は、韓国語と中国語にも訳されている。それを記念して開かれたシンポジウム(2010年)の記録が、 『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄大学地域研究所ブックレット)として出されている。
中国、台湾、韓国からのパネリストの発言を追っていくと、新しい視点を見出すことができる。
そのひとつは、沖縄という場所での支配と抵抗のあり方が、まだ東アジアで共有されるには至っていないこと。
また、東アジアでの支配と抵抗の歴史をつないでいくべきだという考え。例えば、普天間基地に民間人が立ち入ることができなくなり、遺骨がそのままになっているということと、韓国の済州島四・三事件(1948年)での遺骨がやはり空港の下に眠っていることとの共通点。 沖縄戦(1945年)、台湾の二・二八事件(1947年)、朝鮮戦争(1950年-)などを位置づけた歴史観の形成。
ネイションと地域という問題。台湾は、日中国交正常化(1972年)や、韓国・中国国交正常化(1992年)をもって、相手国にとって国家から地域に変ったという視点がある。また、八重山と台湾が近いのに直接の行き来が難しいという問題もある。国家レベルでの交渉や軋轢ではなく、地域や人のリンクを強化していこうというビジョンである。(例えば、最近の日中問題のなか、民間交流は続けていくべきだという掛け声だけはあるが、さてそれをどうするのかという具体的な視点は、それを謳う者には乏しい。)
示唆に富む2冊の本。よくわかっているという人にもそうでないという人にも読んでほしい。
●参照
○新崎盛暉氏の講演(2007年)
○新崎盛暉『沖縄からの問い』
○高野孟『沖縄に海兵隊はいらない!』
○前泊博盛『沖縄と米軍基地』
○屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
○渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
○エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
○宮城康博・屋良朝博『普天間を封鎖した4日間』
○由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
○久江雅彦『日本の国防』
○久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
○『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
○ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』
○終戦の日に、『基地815』
○『基地はいらない、どこにも』
○知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』
○鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
○アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
○10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会(オスプレイ阻止)
○オスプレイの危険性(2)
○オスプレイの危険性
○6.15沖縄意見広告運動報告集会
○オスプレイの模型
○60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
○辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
○2010年12月のシンポジウム「沖縄は、どこへ向かうのか」
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6)
○『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
○大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
○二度目の辺野古
○2010年8月、高江
○高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
○高江・辺野古訪問記(1) 高江
○沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
○ヘリパッドいらない東京集会
○今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
○今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
○「やんばるの森を守ろう!米軍ヘリパッド建設を止めよう!!」集会