Sightsong

自縄自縛日記

ジャン・ルノワール『自由への闘い』

2013-01-14 22:16:39 | ヨーロッパ

ジャン・ルノワール『自由への闘い』(1943年)は、ルノワールが米国に亡命していたときの作品のひとつである。

ヨーロッパのとある国。ナチス・ドイツに占領され、為政者はドイツにおもねり、協力者のみが生き延びていける状況。息苦しい、密告社会である。その理屈は、抵抗するよりも、支配権力に寄り添って、自らの安全や社会の安定を得たほうが現実的だというものだった。しかし、抵抗する者はいた。抵抗が人間の権利だとして。

明らかに、ルノワールは、ナチス・ドイツに協力した母国フランスのヴィシー政権を意識したのだろう。ヴィシー政権下ではユダヤ人が抑圧されたが、映画でも、小学校でユダヤ人の少年をみんなで寄ってたかって虐めるシーンがある。まさに、映画でのハイライトたるチャールズ・ロートンの演説にあるように、「敵は各自の心にある」のであった。

プロパガンダ映画だとも言うことができるかもしれないが、組織的なアピールではなく、異国にあってルノワールが希求する祖国奪還を直接的に訴えた映画なのだと考えるべきなのだろう。

それにしても、チャールズ・ロートンは癖があって良い俳優である。ビリー・ワイルダー『情婦』では、法を武器として闘う弁護士を演じたのだったが、ここでは、逆に、法の精神のもと弁論を許された被告を演じているのが興味深い。

●参照
ジャン・ルノワール『浜辺の女』


ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』

2013-01-14 15:48:10 | ヨーロッパ

ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(新潮社、原著2011年)を読む。

バーンズ最新の長編小説。『Pulse』は同時期の短編集である(>> リンク)。

老人の歳に達した主人公は、若いころからの人生を振り返る。青春時代。仲間たち。性の抑圧。とびきり優秀な転校生。恋人との出逢いと別れ。裏切り。その後の結婚と離婚。

記憶は、自然の摂理により、改変され、どこかに引き込み、再編集される。記憶を語る者も、膨大で、かつ不確かで、姿を変え続ける怪物的な存在と一緒に生きていかなければならない。それはあまりにも哀しい。そして、バーンズの語りは、哲学的であったり、警句的であったり、諦念的であったり、出鱈目であったりする。

わたしはまだ老年でも何でもないが、この差し迫る迫力にはたじろいでしまう。よほどの若者でない限り、この本を読む者は、自らを主人公に投影してしまうのではないか。

紛れもなく傑作。それゆえに、立ち止まって自らの記憶のために身動きが取れなくなるような時間が欲しくない人は、読まない方がよい。(本当である。現にわたしも絶望感に近い気持ちで動けなくなった。)

ところで、テムズ川のテート・モダンの前に架けられた歩道橋は、新設当時、すぐに揺れてしまい、「ぐらぐら橋」と呼ばれたのだという。よく覚えているが、わたしが歩いたときには揺れた記憶などない。調べてみると、この正式には「Millennium Bridge」という橋は、確かに、2000年に開通し、「Wobbly Bridge」とのニックネームが付けられ、すぐに閉鎖、2002年に再開通したらしい。今度、ロンドン帰りの人にでも試しに訊いてみるか。

●参照
ジュリアン・バーンズ『Pulse』


武重邦夫・近藤正典『父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯』

2013-01-14 10:01:41 | アート・映画

記者のDさんに誘われ、東京都写真美術館で、武重邦夫・近藤正典『父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯』(2012年)を観る。

反逆と破天荒の日本画家・中村正義が生きた足跡を、娘の倫子さんが追ったドキュメンタリーである。

正義は、豊橋市のこんにゃく問屋に生まれた病弱な少年。絵を好み、絵の学校に入ろうとするが、中卒資格がないため断念する。戦後まもなく、中村岳陵に師事し、めきめきと頭角をあらわす。若くして日展で入賞、日展審査員も務めるが、あまりにも封建的な日本画会に見切りをつけて脱会。当時のアート界を揺るがす事件であった。その後の正義は、岳陵ら日本画界から活動の場を制限されつつも、日本画の枠を大きく超えた作品を創り続けた。

わたしが知る正義は、小林正樹『怪談』(>> リンク)に使われた「源平合戦絵巻」(東京都近代美術館蔵)であり、その映画も戸田重昌の担当した美術のひとつの材料としてみていた程度だ。ところが、これは正義が世に出したアートのひとつの通過点に過ぎないものだった。

日展に入選しはじめた初期の作品は、繊細な線と淡い色を使ったものだった。日本画の伝統を引き継いでいるとも言える。洋画家・松本竣介の世界にも共通するような、弱く抒情的な作品世界であった。

しかし、殻を力ずくで剥ぎ取って以降の正義の作品は凄まじい。どぎつい原色も多用し、さまざまなマチエールを前面に押し出したそれらは、土俗的でもあり、同時にモダンでもあった。もはや誰にも似ていないという意味では、天才の所業である。

映画の中で、水上勉が正義に寄せた文章が紹介される。「あの澄んだ眼は尋常ではない」と。「魔の岸」を視ているに違いない、と。まさに彼岸も、「魔の岸」も、地の底も、人の心の奥底も、透徹した眼で見抜いたうえで創りだされた作品群であったのだと思わされる。

既成の日本画界に闘いを挑み、日展に「東京展」をぶつけ、また締めだされていたはずの百貨店においても個展を開いてみせる。三越銀座店で展示された作品の数々には驚かされる。それは、彼岸も此岸も重なっているような、あまりにもクリアな風景画だった。どきりとさせられる世界の転換だった。

すばらしいドキュメンタリーである。川崎の美術館にも足を運んでみたい。

終わってから、Dさんたち数人と、恵比寿の鳥料理の店「N.Park」(>> リンク)で夕食。シンプルなから揚げも、凝ったおつまみもあって、いい店だった。話が楽しすぎて、東西線の終電に乗り遅れてしまった。

●参照
小林正樹『切腹』、『怪談』


朝鮮族の交流会

2013-01-14 01:27:40 | 韓国・朝鮮

土曜日に、誘われて、日本で働く朝鮮族のビジネス交流会に参加した。

いろいろと刺激もあり、愉快な会だった。なかでも新鮮な発見は、①生きていく活力のようなものが旺盛、②その場では自分は「少数民族」だった、③みんなそれなりに「脱北者」を見聞きした経験があった、④北朝鮮の拉致問題ばかりが歪にクローズアップされて以降、差別が激しくなった、⑤「通名」の使用もそれと無縁ではなかった。

自分も頑張らないとね。