岡田温司『黙示録―イメージの源泉』(岩波新書、2014年)を読む。
『ヨハネの黙示録』は、紀元1世紀後半、つまりイエスの死後100年に満たない時期に書かれた預言書であり、新約聖書の正典である。ここには、「七つの封印」をはじめとして、暗号のようなメッセージや謎めいた語り口とともに、おどろおどろしいイメージが書かれている。
本書は、ここに展開されているコードが、現代にいたるまで、その後の西洋史に大きな影響を与えたとする。著者が引用するジャック・デリダの発言がある。『死を与える』においてキリスト教の理不尽な深淵を示したデリダらしい言葉ではあるが、実際にその通りなのだろう。
「黙示録的なものは、あらゆる言説の、あらゆる経験そのものの、あらゆる刻印もしくはあらゆる痕跡の超越論的条件ではないでしょうか?」
本書を読むと、<終末思想>そのものというよりも、<敵>(アンチキリストや大淫婦)をつくりだす発想様式が、宗教や戦争の大きな駆動力となりえた(なりえている)ということが納得できる。キリスト教はイスラム教を、カトリックはプロテスタントを、プロテスタントはローマ教会を、<敵>と見立てた。それは、さまざまに変奏される物語やイメージとセットであった。
それも、『黙示録』を出発点として無数の者たちによって描き出されたヴィジョンが、決して単純なものではなく、謎と矛盾を内包さざるを得ないものであったからである。ダンテ『神曲』(13-14世紀)も、フリッツ・ラング『メトロポリス』(1926年)も、スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』(1963年)も、これらの系譜のなかにある。
●参照
長谷川修一『旧約聖書の謎』
長谷川修一『聖書考古学 遺跡が語る史実』
ハル・ハートリー『ブック・オブ・ライフ』
ジャック・デリダ『死を与える』 他者とは、応答とは