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自縄自縛日記

太田昌国の世界 その28「「従軍慰安婦」論議の中の頽廃」

2014-09-27 09:01:08 | 政治

駒込の東京琉球館で、太田昌国の世界「「従軍慰安婦」論議の中の頽廃」と題した氏のトークがあった。

1時間半ほどの話の内容は以下のようなもの。(※当方の解釈による文章)

朝日新聞が従軍慰安婦に関する「吉田証言」を取り消す記事を掲載してからというもの、政権や右派新聞、週刊誌による朝日バッシングが激しく繰り広げられている。テレビのニュース番組などは見るにたえないものになっている。驚くべき低水準の言論が横行しているわけである(それを言論と呼ぶならば)。
○この背景にはメディアの売れ行きという理由もあるだろう。しかし、従軍慰安婦問題が再度浮上してきた1991-92年頃とは流通規模が異なる。当時、一部の極端な右派雑誌(『諸君!』、『正論』)が論理も倫理もない言説を流しはじめたのだった。小林よしのりの出現もあった。これらが、一部の人の心をとらえてしまった。
○その後、『諸君!』は姿を消したものの、右派雑誌は今も存在し、これが一部の言論ではなくなった。
○戦時中から、従軍慰安婦の存在は文学にも描かれ、戦争に駆り出された者たちの経験でもあった。しかし、残念ながら、これが民衆の集団的記憶にならなかった。
○1991年に、金学順さんがもと「慰安婦」だと名乗り出た。1992年には、『諸君!』誌上で、松本健一と岸田秀とによる対談が組まれ、この時点において、侵略戦争と植民地主義支配の問題を問うことのない言説が出現していたということができる。
○これは、現在の言論状況にもつながっている。「従軍慰安婦」を否定したい者たちの中には、これを「左翼による策動」だと言う者がいる。まるで、背後に何かがいるととらえ、人間が主体的な行動を取るということに思いが及ばないのである。
ソ連崩壊(1991年)などによる東西冷戦構造の崩壊により、かくされていた矛盾が噴き出てきた。韓国では軍事政権が終わり(~1993年)、ようやく自由にものが言えるようになった。なお、1965年の日韓基本条約では、個人請求権に何の配慮もなされておらず、また、軍事政権下で個人が提訴するなどありえないことだった。
○したがって、「いまさら」の問題ではないし、1991年頃に突然あらわれた問題でもない。公式謝罪などの問題解決がなされていないため、「いまなお」の問題であり続けている。
○社会主義の失敗による理想主義の敗北もあるだろう。これが、一部の人々をむき出しの現実主義に居直らせることになった。また、その人たちは、反北朝鮮、反中、嫌韓に容易に乗り移った。
○2002年の日朝首脳会談(小泉、金正日)による、拉致問題の「浮上」があった。このとき、人々は、植民地支配・侵略戦争を行った相手への贖罪意識から免れ、被害者として批判してよいのだという態度変更を行った。もちろん、個人として拉致問題は切実な問題であることは言うまでもないが、これを社会全体に敷衍することは間違っていた。
○この後現在に至るまでの12年間、日朝間の懸案事項は拉致問題のみだとさえ、捉えられてきた。本来、植民地支配・侵略戦争という歴史を踏まえた解決と国交正常化こそがあるべき姿だった。小泉政権がその方針を進めていたなら、現政権下の惨状はなかっただろう。ヘイトスピーチなどもその延長線上にある。
○「吉田証言」は、1990年代前半から半ばにおいては、既に信用できないものだということが明らかになっていた。したがって、その後の議論や歴史的な検証においては、誰も「吉田証言」に依拠してこなかった。
○「従軍慰安婦」問題の本質は、ひとつの証言によって左右されるようなものではなく、日本軍の責任において管理し、軍人を「慰安」するために設けられたものだということであり、そのことがすなわち強制性である。日本軍は、明文化した軍命によって「従軍慰安婦」制度を管理していたわけではないし、万が一そのようなものがあっても、その証拠書類は撤退時・敗戦時に滅却されることとなっていた。
○現在、下劣な言論(言論ともいえないようなもの)が、社会を覆い尽くしている。右派メディアは、本来求められる「論理や倫理の高みを目指す」あり方ではなく、どれだけ下品なことばで朝日を叩くかに熱中し、ついでに「従軍慰安婦」問題を「無かったこと」にしようとしている。

終わってから、東京琉球館の島袋さんによる料理を食べながら交流会。 

●参照
太田昌国の世界 その24「ゲバラを21世紀的現実の中に据える」
太田昌国の世界 その15「60年安保闘争後の沖縄とヤマト」
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
太田昌国『「拉致」異論』
太田昌国『暴力批判論』
『情況』の、「中南米の現在」特集