Sightsong

自縄自縛日記

桜井国俊さん講演会「日本の未来を奪う辺野古違法アセス」

2015-01-12 23:06:10 | 沖縄

法政大学に足を運び、桜井国俊さん(沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人)の講演会「日本の未来を奪う辺野古違法アセス」を聴講した(2015/1/12)。講演の主旨は、辺野古新基地の環境アセスの違法性、それを見逃すことにより日本の環境アセス制度が死んでしまうことの2点であるとされた。

なお、桜井さんは、「普天間移設」という言葉を使わなかった。それはおそらく、危険な普天間基地の撤去と辺野古新基地の建設とのパッケージを敢えて前提としていないからではないかと思えた(それは歪な政治合意に過ぎない)。

※文責は当方にあります

○ベトナム戦争当時の1966年、辺野古に、アメリカ海兵隊による飛行場と海軍による軍港とが計画された。仮に施政権返還前の当時に建設されていたら、当然それはアメリカのおカネによるものであった。今回は日本も少なからず負担し、また、作る者(日本)と使う者(アメリカ)とが異なるという違いがある。
○アセスはそもそも、地元も含めて事業の必要性について合意がなされている場合に、環境についての配慮も検討することが目的である。しかし、沖縄では、一貫して反対してきている。
○アセス法では、方法書(調査の方法を定める)→ 準備書(評価の一次的な結果を示す)→ 評価書(修正後、評価の結果を示す)の順を踏むと定められている。しかし、辺野古においては、方法書の前に大掛かりな環境現況調査が実施された。また、方法書には、オスプレイのことや設備の詳細など、重要なことが記載されておらず、後で修正された(後出しジャンケン、意見陳述権の侵害)。方法書・評価書ともに、市民の意見を聞こうという意思が極めて薄い方法で公告・縦覧がなされた。
○「後出しジャンケン」の中身には、辺野古弾薬庫を有効活用するための弾薬搭載エリアや軍港化も含まれている。オスプレイの配備については、1996年SACO合意段階でその意図が示されていたはずのものである(公然の秘密)。
○評価書の県への強行提出(2011年末)は、アセス法改正(2012/4/1)によって知事が環境大臣の助言を聞かなければならない事態を避けるためでもあっただろう。
○評価書に対する知事意見(まだ仲井眞知事は反対の立場であった)、そのバックアップをした県の環境影響評価審査会、有識者意見すべて、アセスの結果について極めて厳しい評価をくだした(2012年末)。また、公有水面埋立法に基づく埋立承認申請に対し、名護市長および県の環境生活部は、やはり承認不可という意見を出した。しかし、知事は態度を変更し、それらの評価や意見を顧みず承認してしまった(2013年末)。
○調査自体も、ジュゴンの棲息状況を把握するために適切なものであったとは言えない。ジュゴンを追い出して、いないことにされた可能性もある。
○むしろ、沖縄に3頭棲息するジュゴンの1頭が、辺野古の海草を求めてやってきているのが実状。また、3頭の個体に対する「害を低減」するのではなく、将来世代のジュゴン個体群の維持を主眼に置くべきである。
○したがって、民主的なプロセス、科学的な適用手法の両面において最悪のアセスであったということができる。
○公有水面埋立法での前知事の承認過程で法的な瑕疵があれば「取り消し」、そうでなくても反対の民意が示されているという理由で「撤回」ができるはずである。

続いて、原科幸彦さん(千葉商科大学教授)が登壇した。原科さんは、『環境アセスメントとは何か』という良書を書いた第一人者である。

○環境基本法(1993年)に基づくものとして制定された環境アセス法だが、その法制化の段階で、本来の主旨からずれていった。最大の問題は、対象とする事業を限られた巨大事業だけにしてしまったことであった。
○したがって、日本のアセス実施件数は年間70件程度であり、アメリカの年間6-8万件、中国の年間数十万件に遠く及ばない。事業検討の初期段階での簡易アセス導入、それによる市民との情報共有、アセスにかかわる事業者の知見蓄積などが必要なはずである。実際に、中国でも、市民の声が大きくなる「しみ出し効果」が見られている。
○また、専門家としての倫理が不可欠である。
○事業実施を大前提とした形だけの応答は、本来の姿とは正反対である。辺野古の場合、使う主体がアメリカということも影響しているのではないか。

会場からはさまざまな意見が出た。以下、大事な論点。

○アセスの対象から「上物」を排除することはおかしい。基地建設だけが対象ではなく、それによって使うオスプレイの飛行影響なども事業とセットである。
○沖縄の外において、埋立用の土砂を採取し運搬することになる(沖縄で採取されている土砂の19年分の量)。「土砂の採取業者がそれぞれアセスを行うべき」となっているが、これは明らかにおかしいことだ。

●参照
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出(2011年末)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(2)(2010年、法政大学、桜井氏講演)
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見(4)(2009年、準備書)
問題だらけの辺野古のアセスが「追加・修正」を施して次に進もうとしている(2008年、方法書の修正)
辺野古アセス「方法書」への意見集(2007年)
島袋純さん講演会「"アイデンティティ"をめぐる戦い―沖縄知事選とその後の展望―」(前回の法政大学講演)


ウィレム・デ・クーニング展@ブリヂストン美術館

2015-01-12 21:20:54 | 北米

会期末になってしまい、慌てて、ブリヂストン美術館に足を運び、ウィレム・デ・クーニング展を観る。

オランダ生まれだが、アメリカに渡って活動し、抽象表現主義の代表的な画家のひとりだとされる。

わたし自身がはじめてデ・クーニングのことを意識した直後に亡くなってしまい(1997年)、ちょうど東京都現代美術館で開かれていた「20世紀絵画の新大陸 ニューヨーク・スクール」展において、絵の横のプレートに没年が書き込んでなかったことを覚えている。そのときの印象は、「汚い」に尽きた。

今日の印象もさほどは変わらない。ただ、たまたま隣にいた女性二人組が、絵を指さして「このピンク色なんか綺麗」とコメントしていたのが聞こえた。実はそれにも共感する。女性の裸体、しかも美醜も何もあったものではない抽象化を経た色の塊である。脂肪のようにも見える。リアルを遥かに通過したリアルであるようにも見える。汚くて同時に綺麗、このような画家は他にはいなかった。

ところで、常設展でふと思ったこと。

●ザオ・ウーキーは、ターナーを意識したことがあっただろうか。
●ゲルハルト・リヒターが、白髪一雄(とくに「観音普陀落浄土」)を観たことはあっただろうか。


ミラン・クンデラ『冗談』

2015-01-12 01:02:55 | ヨーロッパ

チェコ出身の作家ミラン・クンデラ『冗談』(原著1967年)が、なんと、岩波文庫から新訳として出された。

これまでのみすず書房版(改訂版)は1991年にチェコで出版されたものを底本としているが、岩波文庫版は、クンデラ本人が全面的にチェックした1985年のフランス語版を底本としている。プラハの春(1968年)の後のソ連軍侵攻以降、クンデラの作品は母国において発禁となり、本人はフランスに移住するのだが、そのフランス語への訳出時に少なからず改悪がなされた。今回の底本は、それを含め、クンデラ自身が冗長な箇所を削ったりもしたものだという。したがって、これがクンデラの望む版だということができる。

それにしても、最近の岩波文庫は、ラテンアメリカ文学も含め、現代小説にも力を入れているようで大歓迎だ。

若く気位の高いルドヴィークは、共産党の仲間のガールフレンドを狼狽させようと、手紙に、「楽観主義は人民の阿片だ!」「トロツキー万歳!」などと書いた。もちろん若さゆえの軽々しい冗談だったが、そのことが発覚し、ルドヴィークは党に査問され、弁解も受け入れられることなく、党を追放される。かれの行先は炭鉱であった。

絶望と諦めの中で、かれは、イデオロギーや理想とは無関係なところで生きる女性ルツィエと出逢う。ルドヴィークはルツィエに性をもとめ、そのために彼女を失う。ルツィエは犬のように別の町に逃げた。

時が経ち、ルドヴィークは、おのれの人生を狂わせた男の妻ヘレナと出逢う。かれが実行したことは復讐であった。しかし、敵であったはずの男は軽々とイデオロギーを捨て、また、妻も捨てていた。

小説のプロットは斯様に恐ろしいものだ。冷戦時代にあって、東欧の共産主義国家という過酷なポジションや、全体主義の非人間性といった側面が注目されたことはわからなくはない。

しかし、この小説の価値はそのような政治的な背景にあるのではない。登場人物たちの独白がつぎつぎに入れ替わり、かれら・かの女たちそれぞれの声が時間と肉体を超えてお互いに反響するさまが、素晴らしいのである。反響は全体の構成ゆえのものでもあり、またその一方で、ひとつひとつの独白には哲学の襞が描きこまれている。そして、随所で語られるモラヴィア地方の伝統音楽が、作品全体に重なってゆく。洗練と執念とが同居しており、見事という他はない。読みながら感嘆し、唸ってしまう。

ところで、解説によれば、ソ連侵攻前に、この『冗談』がチェコにおいて映画化もされたのだという。映画化されたクンデラ作品は『存在の耐えられない軽さ』だけではなかった。

●参照
ミラン・クンデラ『不滅』