『けーし風』第85号(2014.12、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2015/1/24、神保町区民館)。参加者は8人。
特集は「2014 沖縄の選択 ―県知事選をふり返る」。2014年11月に翁長・新沖縄県知事が誕生した選挙を経て、辺野古新基地の建設強行、日本政府の新知事への異常な冷遇などが目立っている、そんな状況の中で。
以下のような話題。
○沖縄の反基地運動は、長い期間を経て、小さい種がつながってきている実感がある。
○翁長知事に対する評価。もともと仲井眞陣営の保守派であった人である。那覇市長時代の政治に対する厳しい評価もある。「本土」の保守とは明らかに異なるという見方と(沖縄戦の体験)、辺野古新基地の建設強行に対する積極的な関与が(今のところ)見られないことへの懸念と。
○「オール沖縄」という統合の方法はこれまで成功してきているが、その継続についての懸念。
○翁長知事は「イデオロギーよりアイデンティティ」を標榜してきた。「イデオロギー」とは、従来、保守が革新を揶揄・批判するために使われてきた言葉でもある。おそらく、翁長知事はそのことに意識的であり、保革を超えるために使ったのでもあった。
○運動において、「議論と実践と」を往還することが沖縄の特徴でもあるだろう。
○「普天間の返還」と「辺野古新基地建設」とは別個の問題であるはずだが、96年のSACO合意以降、パッケージで進められてきた。しかし、その直前の橋本首相の発言は「普天間の返還」であったはずで、そこからSACO合意までの間に狡猾に組み込まれたものではないか。なお、「本土」のメディアは無自覚に「普天間移設問題」と称するが、沖縄では、問題の構造を理解した上で、(共通言語という理由より)「普天間移設」という言葉を使っているようだ。
○翁長知事の公約に、高江の問題を入れたことについて(高江公約要請アクション)。もとより辺野古の問題を「ワンイシュー」とする合意があったゆえに、高江の問題をことさらに入れようとすることに対する「同調圧力」的な批判があったのではないか。このことも、運動の内部にある問題を示している。
○沖縄財界の「辺野古反対」への転換は、有力な諸企業グループが、もともと保守派のなかでも翁長派であったことによる政治的な現象でもあった。
○八重山においては、仲井眞知事票のほうが多かった。ここで見られる日本ナショナリズムについて。