鹿島茂『東京時間旅行』(作品社、2017年)を読む。
長いこと東京を歩き回っていても知らないことだらけであり、この本でへええと教えられることは多い。何しろ資料収集の鬼のような人が書きためたコラム集であり、面白くないわけがない。もっともらしさで包んだ中沢新一『アースダイバー』などとはわけが違うのである(もっとも、掘り進む時代も違うのだけれど)。
丸の内界隈で仕事をしていた頃には、丸の内カードが使えないビルがあって不満を覚えていた。しかし、それは逆に言えば三菱地所がこのあたりをずっとおさえていたからであり、その歴史は明治の軍用地払下げを巡る岩崎と渋沢のたたかいにまで遡る。そしてこの先はというと、常盤橋街区再開発プロジェクトがある。東京駅近辺を歩くだけで縄張り争いが気になりはじめること請け合いである。
カフェの歴史も面白い。
明治末期になって日本にカフェ文化が根を下ろそうとした。洋酒中心のプランタン、当時は入手困難であったコーヒー豆を確保したパウリスタ。しかし、ライオンがエプロン姿の美人女給を入れたあたりから、東京のカフェはエロに牽引される「カフエー」(カフェではない)へと変貌していった。これは実は19世紀末のフランスでの動きと連動していて、ドイツに編入されるアルザスからフランス人が多くパリに流れてきて、お色気サービスを売りにしたブラスリを流行らせた。東京で、正統カフェの担い手たちは、ヘンな色が着いてしまった「カフエー」ではなく、「喫茶店」を開いた。しかしここにもエロが追いかけてきて、その結果、うちは違うという「純喫茶」が登場したのだという。
なるほどなあ。昭和の喫茶店も良いけれど、「原点回帰」に貢献したドトールやスターバックスには感謝しなければならない。
それから、神楽坂がプチ・パリになった理由とはなにか。アンスティチュ・フランセ(東京日仏学院)があるためだけではない。アテネ・フランセは当然としても、東京理科大学、法政大学などにも、フランスとの浅くないかかわりがあった。何よりも川があり、細い路地があった。こうなると曖昧ではあるけれど、やはり街のアイデンティティは歴史の産物だということがよくわかる。