Sightsong

自縄自縛日記

鹿島茂『東京時間旅行』

2018-01-21 12:57:02 | 関東

鹿島茂『東京時間旅行』(作品社、2017年)を読む。

長いこと東京を歩き回っていても知らないことだらけであり、この本でへええと教えられることは多い。何しろ資料収集の鬼のような人が書きためたコラム集であり、面白くないわけがない。もっともらしさで包んだ中沢新一『アースダイバー』などとはわけが違うのである(もっとも、掘り進む時代も違うのだけれど)。

丸の内界隈で仕事をしていた頃には、丸の内カードが使えないビルがあって不満を覚えていた。しかし、それは逆に言えば三菱地所がこのあたりをずっとおさえていたからであり、その歴史は明治の軍用地払下げを巡る岩崎と渋沢のたたかいにまで遡る。そしてこの先はというと、常盤橋街区再開発プロジェクトがある。東京駅近辺を歩くだけで縄張り争いが気になりはじめること請け合いである。

カフェの歴史も面白い。

明治末期になって日本にカフェ文化が根を下ろそうとした。洋酒中心のプランタン、当時は入手困難であったコーヒー豆を確保したパウリスタ。しかし、ライオンがエプロン姿の美人女給を入れたあたりから、東京のカフェはエロに牽引される「カフエー」(カフェではない)へと変貌していった。これは実は19世紀末のフランスでの動きと連動していて、ドイツに編入されるアルザスからフランス人が多くパリに流れてきて、お色気サービスを売りにしたブラスリを流行らせた。東京で、正統カフェの担い手たちは、ヘンな色が着いてしまった「カフエー」ではなく、「喫茶店」を開いた。しかしここにもエロが追いかけてきて、その結果、うちは違うという「純喫茶」が登場したのだという。

なるほどなあ。昭和の喫茶店も良いけれど、「原点回帰」に貢献したドトールやスターバックスには感謝しなければならない。

それから、神楽坂がプチ・パリになった理由とはなにか。アンスティチュ・フランセ(東京日仏学院)があるためだけではない。アテネ・フランセは当然としても、東京理科大学、法政大学などにも、フランスとの浅くないかかわりがあった。何よりも川があり、細い路地があった。こうなると曖昧ではあるけれど、やはり街のアイデンティティは歴史の産物だということがよくわかる。


『Ftarri 福袋 2018』

2018-01-21 11:23:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Ftarri 福袋 2018』(meenna、2017年)を聴く。

■ Shuta Hiraki

タイトルは「Optimal Layers」であり、その通り、さまざまな周波数の流れがまるでレイヤーのように積み重ねられていく。『Unicursal』がそうであったように、耳がそれらの複数さで分裂し、勝手に補足するレイヤーを途中変更する側面がある。また、複数の存在によって、別のレイヤーがあるかのように錯覚してしまう(あるかもしれないし、ないかもしれない)。

一方、レイヤーの積み重ね自体は、対照的にパラノイア的であり、崩壊の予感を内包した行動に感じられる。しかしそれが途中で突然断ち切られる。ジェンガが崩れ落ちるカタルシスとは違い、その瞬間に、不思議な時空間がぽっかりとあらわれる。

■ Radio ensembles Aiida

短波ラジオを音源として使ったもののようで、それらがダイレクトに録音され、多重録音もあとでの修正もなされていないとある。ざわめきのゆるやかなうねりと、その中で高周波のラインが人格を持っているかのようによれてゆく面白さがある。

■ Zhu Wenbo

Zhu Wenboさんは北京の自宅でこれを録音している。そのせいか自動車など環境音が入り、その中で、15分もの間、かれは気の向くままに両手を叩く。リズムとか事前の計画とかを無化するかのようなアナーキーさがある。

昨年観客としてのみ逢った人だが、パートナーのZhao Congさんによれば、この6月に再来日するとのことであり、そのときはパフォーマンスを目撃したい。

■ Zhao Cong

そのZhao Congさん。彼女が用意したものは、「light, paper, cloth, fanner, spring, metal box, wod ball, strings, bass guitar, salt and other objects near at hand」。それらの音が増幅されてゆくのだが、一方で、まさに手元での手作業自体もクローズアップされているようであり、音と作業のサイズ感がぐらつく。ミクロなものを愛おしむ感覚がとてもいい。

■ Leo Okagawa

巨大な排気口なのか、延々と続くこと自体がそのアイデンティティのようなゴオオという音。一転して場面は地下空間のようなところに移り、金属の軋む音が聴こえる。貌が外部に隠しようもなく晒される前者と、内に籠るかのような後者とが、まるで垂直構造をなしているようである。

また世界は外部へと移る。暴風のようにも聴こえるし、排気だけでなく吸気や爆音があるようにも聴こえる。そして場面が次々に変わってゆく。先の垂直構造と、力のコントラストとがあったためか、何者かの意思が背後にあるようなサウンド。

●参照
Zhao Cong、すずえり、滝沢朋恵@Ftarri(2018年)
Shuta Hiraki『Unicursal』(2017年)