播磨のジャズのフリー・ペーパー『Voyage』誌が、ネイティブ・サンの特集を組んでいる。先日ディスクユニオンで入手してきた。
目玉の「峰厚介&本田珠也 Jazz砲談!」。面白いのは、ネイティブ・サンのフュージョン・サウンドが何も時代の流行だから市場に乗せるかたちでセッティングされたものではなく、本田竹広の欲望のもとに生み出された音楽だったという指摘である。また、本田さんの意識にあったのはフュージョンだけでなくソウルミュージックでもあったのだ、という峰さんの発言もある。それゆえに、バンドの音が天才・本田竹広の指向性によって変わってきて、峰さんも脱退したということである。
先日、偶然にも初作の『ネイティブ・サン』(1976年)を聴いて、新鮮でもありカッコよくもあった。気持ちが向いて、最近また3作品を入手した(フュージョンのLPは安いものだ)。
『Savanna Hot-Line』(1979年)は初作の雰囲気を受け継いでいる。続くアメリカでのライヴ盤『Coast to Coast』(1980年)には福村博のトロンボーンが加わっており、またバンドとしても勢いがあってノリノリでもあり、『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)を思わせるところがある。ちょっと置いて『Gumbo』(1984年)は、ずいぶん洗練されている一方、サウンドが後で作りこまれている印象がある。ドラムスのセシル・モンローの音もいまひとつナマのものではない。峰さんのいうのはこのようなことかな。
『Voyage』には「本田竹広&峰厚介ネイティブ・サン前後の重要作」と題した1頁のディスクガイドがある。これがまた面白い。峰さんがネイティブ・サン以前からジャズ追究のフュージョン・サウンドを手掛けていたこと、本田竹広のソウルフルな音がネイティブ・サンとつながっていることが実感できる。
●本田竹広
本田竹広『BOOGIE-BOGA-BOO』(1995年)
本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)
『ネイティブ・サン』(1978年)
本田竹広『This Is Honda』(1972年)
本田竹広『I Love You』(1971年)
本田竹広『The Trio』(1970年)