野添憲治『開拓農民の記録 日本農業史の光と影』(現代教養文庫、原著1976年)を読む。
日本の「開拓政策」とは、社会的弱者を手段として使い潰す「棄民政策」に他ならなかった。本書にぎっしりと収められている事例を読んでいくとそう考えざるを得ない。
それは近代以降ばかりではない。江戸幕府による開拓(武蔵野など)には、コメの増産のほかに江戸に集まってくる浮浪者の処分という意味もあった。明治に入ってからは、その処分の対象が、国策によって仕事を失った士族となった。その政策が成功したかどうかは見方による。船橋の小金牧(いまの船橋市の二和や三咲あたり)では、明治~大正に移住してきたうちの1割程度しか土着していない。しかし、入植者の想いや苦労はともかく、土地は開拓されて残った。
政府軍に抵抗した会津藩の者は下北半島に、また仙台藩の者は北海道に集団移住した。新政府のかれらに対する保護は当然冷淡なものであり、移住先の土地も農業に適していないことが多かったという。それも、「国有未開拓地処分法」のもと特定の重臣・華族・豪商に無償で払い下げた広大な土地に小作人として追いやった(敗戦後の農地改革ではじめて壁が消えた)。
台湾、樺太、朝鮮、満州などへの植民地開拓は明治末期から進められていたが、第一次世界大戦後のインフレ、米騒動、関東大震災による恐慌などにより在村での生活が不可能となった人たちが、さらに流民となってそれらの地に向かった。北海道(松前)もまたそうであった。それもうまくはいかなかった。士族でなくても農業経験のない者が、いきなり知らぬ場所に赴き、しかも農業には不適な土地をあてがわれて、成功するわけはない。だがその本質は、救済や保障などではなく、難民を取り除くことによる社会不安対策、それと農業増産政策であった。これは昭和に入って本格化する満州や内地の開拓にも共通していた。
犠牲になったのは社会的弱者たる開拓民ばかりではない。満州では現地の中国人から土地を奪い、不便を強いて、権力構造を作り上げた(たとえば、澤地久枝『14歳 満州開拓村からの帰還』)。そのために抗日運動が激化し、開拓者たちも危険にさらされた。そして敗戦により、ソ連軍から命からがら逃げて帰国し、こんどは国内での開拓に身を投じざるを得なくなる。たとえば、鎌田慧『六ヶ所村の記録』では、そのようにして六ヶ所村に二度目の開拓に入ってきた人たちの歴史を追っている。また本書では触れられていないが、成田・三里塚もそのような地であった。罹災者、失業者、復員軍人、引揚者をどのように扱うかという政策である。
では内地でうまく事が解決したのかと言えば、そうではなかった。戦後の経済政策・農業政策の転換によって、たとえば、それまで開拓中心であったはずが農地の改善に方針が変えられ、道路もろくにできないケースがあった。あるいは、三里塚ではいきなり空港を作るから立ち去るようにとの酷い決定をくだされた。また、やはり本書では言及されていないが、石炭の採掘をやめるというエネルギー政策の転換によって、1960年前後から多数の炭鉱労働者が離職せざるを得なくなった。かれらの多くがまた中南米などを目指すことになる(上野英信『出ニッポン記』)。中には、満州、内地、中南米と流れていった人もいる。すなわち、明らかに、国策上の処理による「棄民」ということだ。
「開拓」という文字は、1974年の一般農政への移行によって消えた。しかし、いまも共通して流れるものを見出すことは難しくはない。要は、「昔からそうだった」のである。
●移民
上野英信『眉屋私記』(中南米)
上野英信『出ニッポン記』(中南米)
『上野英信展 闇の声をきざむ』(中南米)
高野秀行『移民の宴』(ブラジル)
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(台湾)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(日系移民)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー
●満蒙開拓
『開拓者たち』
工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』
澤地久枝『14歳 満州開拓村からの帰還』
澤地久枝『もうひとつの満洲』 楊靖宇という人の足跡
●六ケ所村
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
●アイヌ
『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」』
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
●三里塚
代島治彦『三里塚のイカロス』(2017年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
宇沢弘文『「成田」とは何か』(1992年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
福田克彦『映画作りとむらへの道』(1973年)
小川紳介『三里塚 辺田』(1973年)
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)