Sightsong

自縄自縛日記

山田實写真展『きよら生まり島―おきなわ』@ニコンプラザ新宿

2018-07-29 11:30:06 | 沖縄

ニコンプラザ新宿にて、昨年(2017年)に亡くなった山田實さんの写真展『きよら生まり島―おきなわ』。

どの写真も素晴らしいことは観る前からわかっているし、実際に観ても、歴史的な一コマが絶妙に切り取られていて感銘を受ける。

山田實という写真家は、(まさにニコンを通じて)オーソライズされた沖縄の写真界を代表する存在であったし、「本土」の写真家を受け入れる窓口的な人でもあった。であるから、たとえば、「水汲みの姉妹」(那覇市安里、1958年)に「軍用地」と書かれた看板が写っていたり、「水浴び」(奥武島、1966年)で少女が使う容器がコカ・コーラの大きな缶であったり、「おとなしく待つ」(豊見城、1966年)において農作業に連れてこられた幼児が「EXPORT STANDARD」と書かれた木箱に入れられていたりと、当時の沖縄の歴史的・社会的な位置づけを「説明」するような写真が少なくない。また構図などについても、ああうまい、というシニカルな見方も可能ではある。

しかしそのような表層的な視線など無化してしまうほどの力がある。「バスを待つ」(南風原、1962年)なんてじわじわくる良さがある。来てよかった。(なお、写真撮影もSNSも自由である。)

会場には垂涎モノのニコンSPが展示されている。ペイントがかなり剥げていて、フェティシズムを激しく喚起する。欲しい。

「バスを待つ」(南風原、1962年)

ニコンSP+35mmF1.8

●山田實
『山田實が見た戦後沖縄』
仲里効『眼は巡歴する』
コザ暴動プロジェクト in 東京


野添憲治『開拓農民の記録』

2018-07-29 09:39:18 | 政治

野添憲治『開拓農民の記録 日本農業史の光と影』(現代教養文庫、原著1976年)を読む。

日本の「開拓政策」とは、社会的弱者を手段として使い潰す「棄民政策」に他ならなかった。本書にぎっしりと収められている事例を読んでいくとそう考えざるを得ない。

それは近代以降ばかりではない。江戸幕府による開拓(武蔵野など)には、コメの増産のほかに江戸に集まってくる浮浪者の処分という意味もあった。明治に入ってからは、その処分の対象が、国策によって仕事を失った士族となった。その政策が成功したかどうかは見方による。船橋の小金牧(いまの船橋市の二和や三咲あたり)では、明治~大正に移住してきたうちの1割程度しか土着していない。しかし、入植者の想いや苦労はともかく、土地は開拓されて残った。

政府軍に抵抗した会津藩の者は下北半島に、また仙台藩の者は北海道に集団移住した。新政府のかれらに対する保護は当然冷淡なものであり、移住先の土地も農業に適していないことが多かったという。それも、「国有未開拓地処分法」のもと特定の重臣・華族・豪商に無償で払い下げた広大な土地に小作人として追いやった(敗戦後の農地改革ではじめて壁が消えた)。

台湾、樺太、朝鮮、満州などへの植民地開拓は明治末期から進められていたが、第一次世界大戦後のインフレ、米騒動、関東大震災による恐慌などにより在村での生活が不可能となった人たちが、さらに流民となってそれらの地に向かった。北海道(松前)もまたそうであった。それもうまくはいかなかった。士族でなくても農業経験のない者が、いきなり知らぬ場所に赴き、しかも農業には不適な土地をあてがわれて、成功するわけはない。だがその本質は、救済や保障などではなく、難民を取り除くことによる社会不安対策、それと農業増産政策であった。これは昭和に入って本格化する満州や内地の開拓にも共通していた。

犠牲になったのは社会的弱者たる開拓民ばかりではない。満州では現地の中国人から土地を奪い、不便を強いて、権力構造を作り上げた(たとえば、澤地久枝『14歳 満州開拓村からの帰還』)。そのために抗日運動が激化し、開拓者たちも危険にさらされた。そして敗戦により、ソ連軍から命からがら逃げて帰国し、こんどは国内での開拓に身を投じざるを得なくなる。たとえば、鎌田慧『六ヶ所村の記録』では、そのようにして六ヶ所村に二度目の開拓に入ってきた人たちの歴史を追っている。また本書では触れられていないが、成田・三里塚もそのような地であった。罹災者、失業者、復員軍人、引揚者をどのように扱うかという政策である。

では内地でうまく事が解決したのかと言えば、そうではなかった。戦後の経済政策・農業政策の転換によって、たとえば、それまで開拓中心であったはずが農地の改善に方針が変えられ、道路もろくにできないケースがあった。あるいは、三里塚ではいきなり空港を作るから立ち去るようにとの酷い決定をくだされた。また、やはり本書では言及されていないが、石炭の採掘をやめるというエネルギー政策の転換によって、1960年前後から多数の炭鉱労働者が離職せざるを得なくなった。かれらの多くがまた中南米などを目指すことになる(上野英信『出ニッポン記』)。中には、満州、内地、中南米と流れていった人もいる。すなわち、明らかに、国策上の処理による「棄民」ということだ。

「開拓」という文字は、1974年の一般農政への移行によって消えた。しかし、いまも共通して流れるものを見出すことは難しくはない。要は、「昔からそうだった」のである。

●移民
上野英信『眉屋私記』(中南米)
上野英信『出ニッポン記』(中南米)
『上野英信展 闇の声をきざむ』(中南米)
高野秀行『移民の宴』(ブラジル)
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(台湾)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(日系移民)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー

●満蒙開拓
『開拓者たち』
工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』
澤地久枝『14歳 満州開拓村からの帰還』
澤地久枝『もうひとつの満洲』 楊靖宇という人の足跡

●六ケ所村
鎌田慧『六ヶ所村の記録』

●アイヌ
『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」』
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』

●三里塚
代島治彦『三里塚のイカロス』(2017年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
宇沢弘文『「成田」とは何か』(1992年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
福田克彦『映画作りとむらへの道』(1973年)
小川紳介『三里塚 辺田』(1973年)
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)


峰厚介『Out of Chaos』

2018-07-29 01:21:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

峰厚介『Out of Chaos』(East Wind、1974年)を聴く。

Kosuke Mine 峰厚介 (ts)
Masabumi Kikuchi 菊地雅章 (p)
Tsutomu Okada 岡田勉 (b)
Motohiko Hino 日野元彦 (ds)

『Voyage』誌のネイティブ・サン特集号にディスクガイドがあって、峰厚介と菊地雅章のデュオ盤『Duo』(1994年)が紹介されていた。久しぶりに思い出した。手放してしまっていま手元にはないが、当時ずいぶん聴いた盤である。そこでは菊地の名曲「Little Abi」が演奏されていた。そんなわけで、あらためてこの『Out of Chaos』を手に取った次第。本盤でもこの曲だけはデュオ、つまり『Duo』は20年を経ての再演なのだった。

記憶の中にある94年の演奏は、もっと想いが強く込められているかのようなものであり、それが過剰だった。その意味では本盤の「Little Abi」の方が好みである。

過剰性ということで言えば、本盤のプーさんもまだそれほど自己の発散が後年ほどではない。しかし冷ややかに熱いような独特の感覚があり鼓膜に引っかかる。峰さんのテナーも後年ほどの癖がまだ放出されておらず、これも悪くない。アルトからテナーに持ち替えたばかりだったという事情もあるのだろうか。

そして岡田勉の固く強い推進力、体内からのマグマがスマートになってドラムスを通過したような日野元彦のドラムス。もうサイドメンは3人とも鬼籍に入ってしまっている。

●峰厚介
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その3)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その2)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その1)
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
峰厚介『Plays Standards』(2008年)
本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
『Voyage』誌のネイティブ・サン特集、『Savanna Hot-Line』、『Coast to Coast』、『Gumbo』(1979-84年)
『ネイティブ・サン』(1978年)
菊地雅章『エンド・フォー・ザ・ビギニング』(1973年)
菊地雅章クインテット『ヘアピン・サーカス』(1972年)
菊地雅章『ダンシング・ミスト~菊地雅章イン・コンサート』(1970年)
菊地雅章『再確認そして発展』(1970年)
菊地雅章『POO-SUN』(1970年)


庄田次郎トリオ@東中野セロニアス

2018-07-29 00:49:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

東中野のセロニアス、土曜日のマチネで庄田次郎トリオ(2018/7/28)。

Jiro Shoda 庄田次郎 (as, tp) 
Yu Kimura 木村由 (dance) 
Maki Hachiya 蜂谷真紀 (vo, p)

木村由さんの踊りにはいつも驚かされるところがある。それはナチュラルな身体の動きを追求したことによるものではない。反対に、腕や脚が付け根から大きく曲がり、それらが身体の中で自律的な生命を持っているかのようにみえる。その一方で、躍るその人は生命のない人形を模倣しているわけでもなく、人間的なアウラをまとっている。その共存の不思議さが迫ってくるのではないかと思えた。このステージ(というか、観るこちらがわと陸続きの場)でも、動きが常に予想とは異なっていた。狐の面をかぶり、ピアノの下をくぐり、椅子の上に立ち奇妙な動きを見せ、またユーモラスにシャボン玉を吹いたりもして、東中野の地霊か妖怪か。

庄田次郎さんは阿部薫や原尞や高木元輝と共演してきた人である。上半身裸で顔にペイントを施し、吠え叫ぶようにサックスとトランペットを吹く。観ていてどうすればよいのかという迫力がある。ときに周囲を睥睨し、ときに寝転がって、それでも吹く。

野蛮のトリックスターと、遊びのトリックスターとがステージ上で異なる動きを見せ続ける。しかしサウンドを駆動するのは蜂谷さんの変幻自在のヴォイスにみえた。音だけではなく、玩具を従え、傘を回転させて奇妙な時空間を創り上げた。

セカンドセットでは、某さんがたまたま現れ、パーカッションを叩いた。ファーストでの広場の逍遥にスピードが付け加わった。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●木村由
宙響舞@楽道庵(2017年)
河合拓始+木村由@神保町試聴室(2016年)


かみむら泰一+齋藤徹@喫茶茶会記

2018-07-29 00:28:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

四谷三丁目の喫茶茶会記にて、かみむら泰一・齋藤徹デュオ(2018/7/27)。

Taiichi Kamimura かみむら泰一 (ts, ss)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)

何度目のデュオ・ライヴになるのだろう。この日のショーロと即興の演奏は、お互いの音が馴染み合ってきてリラックスしたものに聴こえた。

そのことは、冒頭、ピシンギーニャの「カリニョーゾ」においても感じられた。テナーのかすれがコントラバスの弦と妙に「ウマがあう」のだ。もちろん、曲を安心してプレイするだけではない。続く即興ではアウラがじわじわと変化を続け、テナーの息と、弦にかすかに触れるこすれとが一様ではない形で重なった。ピシンギーニャを1曲挟んで、かみむらさんはソプラノに持ち替えた。ここには、コントラバスとソプラノそれぞれが持つ特有の逸脱が出会って、また別の豊かさを生んでいた。

セカンドセットでは、有限空間ならではのサックス表現からはじまった。かみむらさんはソプラノを吹きながら踊るように横方向の運動を続け、発信源の位置と向きとが変わることにより、壁での反射も相まって、驚くほどのサウンドの変化が起きた。テナーに持ち替えると、音の重さが増すからか、揚力が生まれるように思えた。時間の断面でみればそのような有り様、それを振り返ってみれば痕跡が時空間のそこかしこに残されている。

ときどき「A Night in Tunisia」だとか「Begin the Beguine」だとかの断片が見え隠れすることも面白かったのだが、それに呼応してなのか、テツさんが指で弦を強くはじく展開が少なくなかった。このとき、テナーと「はじき」との宙での結合と離散とを幻視した。

変化はなお続く。アベル・フェレイラのショーロ曲では、主旋律の物語、伴奏の物語と、ふたりが語り手の役割をいつの間にか入れ替えていたりした。 そして最後はかみむらさんのオリジナル「Dikeman Blues」。ソプラノは揺れ動くし、ブルースのピチカートもまた良い。この曲で前にも感じたことだが、「Willow Weep for Me」を思わせるフレーズが入る。それに対して、テツさんが「All Blues」のような旋律を弾いた。

次回のデュオ演奏も必ず実現するだろう。そのときは、一転して何か異物が持ち込まれる予感がある。

Nikon P7800

●かみむら泰一
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
かみむら泰一session@喫茶茶会記(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
かみむら泰一『A Girl From Mexico』(2004年)

●齋藤徹
永武幹子+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
川島誠+齋藤徹@バーバー富士(JazzTokyo)(2018年)
齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』(2005年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+沢井一恵『八重山游行』(1996年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 


村上寛@池袋Independence

2018-07-29 00:09:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

池袋のIndependenceに足を運び、レジェンド・村上寛のグループ(2018/7/26)。

Hiroshi Murakami 村上寛 (ds)
Shuji Morita 森田修史 (ts, ss)
Naotaka Kusunoki 楠直孝 (p)
Yutaka Yoshida 吉田豊 (b)

ファーストセットは「Nardis」から。「All Blues」では艶やかなベースソロから粘りつくような楠さんのピアノ。そのスタイルはマッコイ・タイナーを想起させるものだったが、飛び跳ねるように攻め続ける独特さもあった。ここで森田さんがソプラノからテナーに持ち替え、スティーヴィー・ワンダーの「I Can't Help It」。低音に執着し響きをうねうねと残すプレイはソプラノよりも印象的に聴こえた。

続いて、村上さんのオリジナル2曲。御大のドラミングは鋭いのだが、それは決して蒸留し抽出させた綺麗な音によるものではない。むしろ重力を得て、その場のもろもろと結合し、あっさりとは去っていかない音作りである。濃淡もあり素晴らしい。

セカンドセットは楠さんのオリジナルに続き、「Summer Night」、ハンコックの「Toys」。ここでドラムスの強度がさらに高まった。「I Want To Talk About You」では、テナーの独奏によるイントロからテーマに入るとき、そのままの勢いではなくオクターブを下げる按配。これによって甘いコルトレーン的なバラードにはならなかった。最後は森田さんのトリッキーなオリジナル曲。ソロに入るときのピキッという異音も良かった。そして遊び心のあるベースソロ。

つい先日、ジェームス・ブランドン・ルイスが、マル・ウォルドロンとゲイリー・ピーコックの『First Encounter』における村上寛のドラムが素晴らしいと言ってきた。その話を村上さんにしたところ、いやそれは22、3の頃のことで今のプレイとは違うよ、と。とりあえず、JBLがジャマラディーン・タクマ、ルディ・ロイストンと共演した『Days of Freeman』を差し上げた。聴いてくださるかな。

Nikon P7800

●村上寛
峰厚介『Plays Standards』
(2008年)
本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)
『Voyage』誌のネイティブ・サン特集、『Savanna Hot-Line』、『Coast to Coast』、『Gumbo』(1979-84年)
『ネイティブ・サン』(1978年)
菊地雅章『エンド・フォー・ザ・ビギニング』(1973年)
本田竹広『I Love You』(1971年)
菊地雅章『ダンシング・ミスト~菊地雅章イン・コンサート』(1970年)
菊地雅章『再確認そして発展』(1970年)
菊地雅章『POO-SUN』(1970年)