Sightsong

自縄自縛日記

浦安魚市場(13) 鰹の竜田揚げ

2008-05-06 12:26:33 | 関東

昨夜、NHKの『きょうの料理』を見ていたら、鰹の竜田揚げが猛烈に旨そうにみえた。それで今朝、はり切って浦安魚市場に行き、「泉銀」で鰹を調達した。「内閣総理大臣賞」を受賞したということだったが、よく確認しなかったので、何がどのように賞なのかよくわからない。

記憶で、このように作った。

1、塩をふり、浸透圧で水分を出す。
2、醤油大さじ2、酒大さじ2、すりおろした生姜と大蒜を加えた漬け汁を作る。
3、1を2に漬け込み、水分が出たところに漬け汁をしみこませる。
4、片栗粉をつけて揚げる。

さくさくして味もしっかりついていて、とても旨かった。しかし、ツマからは、片栗粉をつけ過ぎだと怒られた。漬け汁をもう少し切ってから粉をつければよかった。

あとでNHKのレシピ(→リンク)を確認したら、酒大さじ2よりも、酒とみりんそれぞれ大さじ1のほうがよかったらしい。また、砂糖も入れなかった。


西葛西の行船公園・自然動物園

2008-05-05 23:46:13 | 関東

幕張の「9条世界会議」に行くことあたわず、それでは木更津に盤洲干潟を見に行こうかと思ったが、ヨシ原の残された小櫃川河口まで子どもを連れて行くのはとても大変なので、やめた。

それで、近場の西葛西にある動物園「行船公園・自然動物園」まで家族でずんごろずんごろと遊びに行った。ここは江戸川区が管理しているため無料であり、小ぶりながら、いろいろな動物がいる。特にプレーリードッグは、飼育を始めた数年前には結構話題になった。普段、動物を見ることがない幼児もあちこち指差しては何やら叫んでいた。

東京の東側や市川・浦安あたりに、ほかに安心して子どもを遊ばせられる公園があればいいのだが、実のところどこも今ひとつだ。公園についての最大の不満は、我が物顔で球技をしたり、犬を放したり、自転車をすっ飛ばしたり、という蛮行を許している点だ。モラルに期待できないので、そのような条件を満たす公園は、結局は有料の新宿御苑や、船橋市のアンデルセン公園なんかになってしまう。平気な人もいるのだろうが、やはり、子どもが駆け出すのをはらはらしないで見ていられるのは大事だと思うのだ。

行船公園・自然動物園は無料だが、自転車規制なんかもあって、わりに良いあり方だと感じる。プレーリードッグのほかにも、レッサーパンダ、ワラビー、クモザル、ハナグマ、羊、イグアナなんかがいて楽しい。


コンデジで撮って適当にくっつけた


浦安魚市場(12) アカガレイ、鯛の子、竹炭と竹酢液

2008-05-04 20:47:16 | 関東

連休という感覚なく、浦安魚市場に行く。「えびの桑田」は、以前から取り壊していて、改装かと思っていたが市場から姿を消してしまった。良いお店だったので残念だが、行徳店は健在なのだろうか。野菜の「みずほの村市場」は、つくばから週末だけやってきている。ニラらしさを主張しているニラを買った。

夕食のおかずを何にしようかと悩みつつ何周もする。きんきは高いので断念した。それで結局、「泉銀」で、北海道のアカガレイと、国産の鯛の子を調達した。ロックバンド「漁港」の森田釣竿さんのお店だ。花かつおパックをおまけしてもらった。

大きな口が特徴的なアカガレイは、鱗とワタを「鯨太郎」さんに取ってもらった。家の料理本に従って、両面をグリルでこんがり焼いてから、酒、みりん、醤油を煮立てて、落し蓋をして煮付けた。旨かったが、柔らかくて身が崩れてしまった。幼児にも食べさせるので、骨をとるのに苦労した。今度は唐揚なんかが良いかもしれないとおもった。

鯛の子は、ちょうど産卵期なのか立派なものだった(鯛そのものは、産卵期を過ぎると味が落ちるというが)。これはだし汁、みりん、醤油で煮付けた。切ったところがはぜたようになって、さらりとした味だった。

浦安魚市場では、毎月第一日曜日に、竹炭と竹酢液を売っている。話したところ、「浦安炭焼同好会」が八千代市あたりで作っている。窯は自作し、最高で600度くらいになるそうだ。(なお、金属の加熱炉や焼き物の炉なんかでは千数百度にはなる。)

竹酢液、以前に薄めたもので鼻を洗うとアレルギー鼻炎に効いた。今回のは手作りで精製していないので飲めないようだが、洗うくらいいいだろうと思うことにする。消臭や園芸にも使えるとある。100倍以上に薄めないと使えない原液なので、当分使いでがありそうだ。妙に楽しみだったりして。


ジャズ的写真集(2) 中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』

2008-05-03 23:59:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

中平穂積氏といえば、新宿「DIG」「DUG」のマスターにして写真家。いまは別の場所に統合されているが、私がよく行ったのは、新宿三丁目のモアビル4階にあった頃だ。「DUG」のウェブサイト(→リンク)で調べてみると、1987年から2000年の間だったようだ。「DIG」が最初にできたのが1961年、この写真集『JAZZ GIANTS 1961-2002』(東京キララ社・三一書房、2002年)も、そこから始まるということになる。

ここには、あまりにも貴重な記録にちがいない写真が収められている。1961年、アート・ブレイキー初来日。1964年、マイルス・デイヴィス初来日。1966年、ニューポートでのコルトレーン。「DIG」でビリヤードに興じるアンソニー・ブラクストン。晩年の宮沢昭や富樫雅彦。日本でツアーバスに乗るセシル・テイラー。1980年代のメールス・ジャズ・フェスティヴァル。ひょっとしたら、マッコイ・タイナーやスティーヴ・レイシーの演奏時には、私も同じ場に居合わせた可能性もある。

1961年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでは、中平氏は8ミリ(ニコンのスーパー8、コダクローム)でコルトレーンの姿を記録しているが、これが世界唯一のコルトレーンのカラー映像のようだ。70年代に、どこからかききつけたアーチー・シェップに見せるため、新宿二丁目のスナックにフィルムと映写機を持っていったところ、シェップはボロボロと泣いて「涙で何も見えなかったから、もう一度やってくれ」と言ったという、感動してしまうエピソードがある(高平哲郎編『新宿DIGDUG物語』、東京キララ社・三一書房、2004年)。

これでも、中平氏は、バド・パウエルやアルバート・アイラーなどの巨人を撮ることができなかったと悔やんでいるのである。以前、アラーキーの写真展で、膨大な作品群の中に中平氏の姿が記録されているのを見つけたことがある。そのアラーキーは、「中平さんの写真は人に頼まれて撮っていないからいいんですよ」と言っていたらしい。そのとおりに、猛烈なジャズ・ファンの撮った記録だという目でみれば、そのときの興奮や思いを追体験できるような気にさせられる。そういえば、「DUG」の入口脇には、ライヴのスナップ写真がピン止めしてあり、ここに収められている写真のポストカードが売られていたが、いまはどうなのだろう。

日本で撮られた写真が多いから、チック・コリアとヒノテル、スタン・ゲッツと日野元彦などといった国際セッションもある。山下洋輔は、この写真集を評し、「メジャーリーグとの交流試合はジャズではとっくに始まっていたことをあらためて伝える」と書いている(『アサヒカメラ』2003年4月号)。

いちジャズ・ファンとしては、自分もこのように、富樫雅彦、エルヴィン・ジョーンズ、スティーヴ・レイシーなど既に鬼籍に入った偉大な音楽家たちの姿を撮っておくべきだった、などと思ってしまう。


アンソニー・ブラクストン(再来日熱望!)


宮沢昭(結局、直接聴くことができなかった)


ローランド・ハナ 広角の使い方がうまい


スティーヴ・レイシー


山下洋輔絶賛の「Jazz Mobile, Brooklyn」

「DUG」では、いくつも印象的なライヴを聴いた。壁にはマイルス・デイヴィスの直筆の絵が飾ってあった。そしていつも、中平氏は後ろから椅子に乗って写真を撮影していた。たかだか10年か20年か前の話なのに、思い出すとそのころのもろもろの記憶と結びついて身動きが取れなくなってしまうのだった。

ハンニバル・マーヴィン・ピーターソンやダスコ・ゴイコビッチの初来日時は熱心なファンでとても盛り上がった。リー・コニッツが来たときに、ゲストとして何曲か参加したケイコ・リーをはじめて聴いた。ダニエル・ユメールのシンバルを多用するドラミングには感激した。しかし、カーメン・マクレエが弾き語りをした1973年のライヴCDを聴くと、ここにも居たかったものだなあと思う。


ダスコ・ゴイコビッチ『After Hours』(Enja)


リー・コニッツ『Motion』(Verve)


ヨアヒム・キューン+ダニエル・ユメール+JF.ジェニー・クラーク『Triple Entente』(PolyGram)


カーメン・マクレエ『Live at the DUG』(JVC) 1973年に聴けた人が羨ましい

jazu

これからの備忘録

2008-05-03 10:52:31 | もろもろ

また例によってどれだけ足を運べるかわからないが。

●細江英公『ガウディへの賛歌』 @ときの忘れもの 5/9-17, 20-31 >>リンク >>行けなかった
77-78年、84年のヴィンテージプリント。

●細江英公『胡蝶の夢 舞踏家・大野一雄』 @写大ギャラリー 4/9-6/8 >>リンク
大野一雄は、むかし『天道地道』を観た。色気に期待。

●北井一夫『表現派 ドイツ』 @ギャラリー冬青 7月 >>リンク
三里塚のあとで当時評判が芳しくなかったそうだが、奇妙な建築の写真群はいいと思う(DVD『北井一夫全集2』に収録されている)。

●森山大道『レトロスペクティヴ1965-2005/ハワイ』 @東京都写真美術館 5/13-6/29 >>リンク >>感想
ハワイの陽射は森山作品では白だが、モノクロプリントでどのように焼いたか。

●土田ヒロミ『土田ヒロミのニッポン』 @銀座ニコンサロン 4/30-5/13 >>リンク >>感想
「俗神」、「砂を数える」など。

●ヴォルフガング・ティルマンス『Lichter』 @ワコウ・ワークス・オブ・アート 4/10-5/24 >>リンク >>行けなかった
ここは随分前のゲルハルト・リヒターから訪れていない。

●リー・フリードランダー『桜狩』 @ラットホール・ギャラリー 4/11-6/1 >>リンク >>行けなかった
「この世のものとは思えない、まばゆいほどの天上の光の下で, 繊細な枝や幹がからみあい、それはまた、淫らですらあった」と語っている。

●姜泰煥×高橋悠治×田中泯 @下北沢アレイホール 5/28 >>リンク >>感想
姜泰煥のアルトサックスは、最近では、以前の循環奏法によるロングトーンと異なってきているようだ。

●池谷薫『蟻の兵隊』 @ポレポレ東中野 5/24-30 >>リンク >>行けなかった
中国山西省の残留日本軍。これまでなかなか観る機会がなかった。

●『8ミリフィルム映画祭 2008春』 @neoneo坐 5/17, 18, 22-25 >>リンク >>行けなかった
生のにじみのような8ミリ。

●坂田雅子『花はどこへ行った』 @岩波ホール 6/14-7/4 >>リンク >>感想
枯葉剤の問題は風化していない。ジャン・ユンカーマンが協力している。

●マーク・フランシス、ニック・フランシス『おいしいコーヒーの真実』 @渋谷アップリンク 5/31- >>リンク >>感想
エチオピアのコーヒー農家の様子、ひいては国際流通構造を垣間見るために。

●我部政男『沖縄近現代史と「本土化」/「国民化」政策』 @早稲田大学琉球・沖縄研究所 5/23 >>リンク >>行けなかった
ことば、教育、イデオロギーなどの側面から注目したい。

●ジョージ・ルイス『A Power Stronger Than Itself: The AACM and American Experimental Music』(University Of Chicago Press) >>リンク >>読書中
フリージャズ、アヴァンギャルドの歴史から外せないシカゴAACMについての690頁の大著。延び延びになっていたが遂に出たようだ。早速注文した。


団地の写真

2008-05-01 23:45:52 | 写真

『週刊エコノミスト』(2008/5/13号、特集・排出権バブル、毎日新聞社)に登場しました。

高円寺に行ったついでに、「GALLERY 45-8」を覗いた。石本馨『団地巡礼 日本の生んだ奇跡の住宅様式』を展示していた。

日本全国の団地の写真を撮り集めている写真家であり、ギャラリーの壁中に貼ってあるそれらの記録には、あまり人の気配がない。それどころか、有名な、岩手県・松尾鉱山(硫黄鉱山跡)の団地廃墟の記録も、広めのスペースが割かれている。転がされた、壊れたマネキンが否応なく死のイメージを喚起していて、あまり楽しいものではない。また、ギャラリー内に置かれたソファーのカバーも団地写真のコラージュであり、かなり偏執した印象。標本的、百科事典的といえるだろうか。

また、奥の一角では、服部マミ『高度経済成長・団地』という映像を流し続けていた。コーナーを鏡にして、その3面に、8ミリから加工した映像を投影している。あえて団地という構造の表層的な気持ち悪さを顕在化させているわけであり、面白くてフィルムの質感は嬉しいが、感覚的には馴染めない。フジカZC-1000を使っているそうだ。

団地の写真といえば、北井一夫『80年代フナバシストーリー』(冬青社、2006年)だろう。もともと『フナバシストーリー』として出されていた写真群を、ギャラリー冬青での個展とあわせて再プリントしたものである。

80年代の団地には、狭いとか仮住まいだとかの悪いイメージがあったそうだが、私は田舎の子どもだったので、テレビでみた都会の住まい、といった感覚でしかない。そのころ北井一夫さんは、船橋に住んで、ライカを持って近所の団地を散歩し続けた。たとえ仮住まいであっても、そこで育った子どもたちには団地が故郷だったのだ、とする優しい眼を向けている。

「団地に育った子は、故郷がない。」
と、よく言われる。
しかし、その子供たちは、団地に幼児体験の記憶を持っている。そして、故郷を語る歳になった。
砂場、鉄棒、ジャングルジム、ブランコ、すべり台のある団地の公園。集まって、チ・ヨ・コ・レ・エ・トとかの遊びをした階段、手摺、踊り場、戸口。水遊びをした1階の水道の蛇口。並木のむこうに見え隠れする団地の夜景。高く聳えていた給水塔。古びたエレベーター。高層からの眺め。団地にあるそれぞれの眺めは、団地に育った子供たちの故郷のイメージになる。

ズミルックス35mmF1.4で撮られた、滲みのある像がたまらなくいい。この同じレンズが欲しい。誰かくれないだろうか(くれるわけがない)。

今回観た展示と比べるべきものではないかもしれないが、心のささくれを拡大されるものより、自分にはこのような写真が近くにあってほしいと思うのだった。

ギャラリー冬青に、2006年にこの写真群を観に足を運んだ。北井さんも居て、私がちょうど持っていたライカM4とズミクロン50mmF2で写真を撮ったら、逆にそのカメラで私のポートレートを撮ってくれた。私だけの北井作品、被写体がいまいちなのが悲しいが、プリントして大切に持っている。