勝手に敬愛している写真家、北井一夫さんの写真展『ドイツ表現派1920年代の旅』(ギャラリー冬青)に足を運んだ。トークショーをやるというので、それにあわせたのだ。相変わらず、大写真家なのにまったく偉ぶらない北井さんがいた。
この写真群は、『アサヒカメラ』において、1979年に連載されたものの、読者からの不評により中断、その後ほぼ封印されていたものだ。三里塚や農村の人々を撮っていた北井一夫がなぜ建築を、というギャップが主な理由だった、と今では分析されている。北井さん自身も、これは中途半端な建築写真なのかスナップなのか、などと問われて答えることができなかったという。
いまの目で見ると、どれも紛うことなき北井一夫の写真だ。合計4ヶ月の旅の間使っていたのはライカM4とM5、レンズは50mmと35mmのズミルックス、ただしほとんどはM5と35mmの組み合わせだったそうだ(本人に訊くと、「面倒くさいから」ということだが)。あまり人物を撮っているわけではないので、開放付近よりは絞っているはずで、そのためかズミルックス独特の靄がかかったような雰囲気はない。そういえば、一昨年『フナバシストーリー』の写真展のとき、持参したM3を見せたらそれで私を撮ってくれたり、北井さんのM5をいきなり手渡して触らせてくれたりしたことを思い出した。その、「偉大なM5」がどんな感触だったか、舞い上がったのでぜんぜん覚えていない。
「ドイツ表現派の建築」という概念は曖昧で、必ずしもそれとわかる様式があるわけではないという。しかし、2つの世界大戦の間にあって、またナチス支配前夜にあって、花開いていた「わけのわからない個性」のある建築はとても魅力的である。
この撮影には、すべて、当時ウィーン在住だった田中長徳さんが案内役と通訳を兼ねて同行していたそうで、聴客のはずがトークショーにも急遽引っぱり込まれていた。楽しかったがひどい貧乏旅行だったこと(北井さんは毛布のようなコートに軍手といういでたちで、わんさといる娼婦が一度も声をかけなかったとか、一度などダブルベッドに2人で寝たとか)、東欧の凄まじい監視体制、北井さんのアナーキーな撮影のエネルギー(監視されているかもしれないのにアポなしで団地の他人の部屋を訪れ、撮影させてもらったとか、ここは東ドイツだぞ怖くないのか、と言われて平然としていた、とか)、最初はすべて夜の光景にしようとしたが寒くて断念したこと、など、面白すぎる話がぽんぽん出てくる。
同時に発売された写真集を買った。印刷は相当に贅沢をしたということで、オリジナルプリントと比べるものではないが、確かに素晴らしい。デジタルとはまったく異なる情報量が豊富であり、凝視を続けたくなるものなのだ。
米国では、大学紛争を撮った『抵抗』の写真集出版が進んでいるようだ。理由はというと、『Provoke』以前にブレ・ボケ・アレを前面に出していることを評価している、ということだ。ここにきて、北井一夫の再評価の機運か、と思わせるものがある。
せっかくなので、1978年に浦安町(当時)の依頼で撮られ、全戸に無料配布された『境川の人々』に署名をいただいた。田中長徳さんが寄ってきて、表紙の黄ばみ具合が良いですねなどと笑っていた。私の近所とはいえ、配布当時には住んでいなかった。浦安のうどん屋さんなど、持っている人に譲ってくれと頼んだが願い叶わず、結局古本市場で入手したものだ。
この写真群も、35mmズミルックスを使って撮られている。小さく完結しない空間の切り取り、光の滲みと共鳴する優しさのようなものがあって、また見覚えのある風景だということもあって、もっとも愛着のある写真集だ。次はこれを、現在の印刷技術で再版してほしいとおもう。
ところで、『抵抗』と『ドイツ表現派』が北井さんにとっての鬼子的な存在であったとして、作品集のDVDに収録されていない『英雄伝説 アントニオ猪木』はどうなのかと訊いてみると、もちろん自信のある作品だとおもっているが、肖像権だとか面倒くさいからほっといているということだった。
『境川の人々』のオリジナルプリントは、8月3日~10日、浦安フラワー通りのギャラリー「どんぐりころころ」で展示される予定であり、実物を目にするのが楽しみだ。(>> リンク)
『境川の人々』より
●参考 団地の写真 (北井一夫『80年代フナバシストーリー』のこと)