Sightsong

自縄自縛日記

ジャッキー・マクリーン『Let Freedom Ring』

2010-12-12 08:54:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジャッキー・マクリーン『Let Freedom Ring』(Blue Note、1962年)は有名ではあるが、代表作のように捉えられることは多くない。しかし、マクリーンの声としか言いようのないアルトサックスも、時に迸り出る情熱のようなものもあって、好きな盤である。何度聴いたかわからない。


みみずのようだが、旧ブルーノート東京で貰ったマクリーンのサインである。

この作品に賭けたマクリーンの想いは、珍しく本人が書いたライナーノートで感じ取ることができる。モンク、バード、ディズ、ローチ、ミンガス、バド、マイルス、ブレイキーら先輩たちへのリスペクトを述べつつ、彼らの切り拓いてきた文字通り新しい音楽・ジャズのことを考える。そして50年代後半の袋小路を経て辿り着くのは、他ならぬ個性であり、エモーションであり、自分の肉声であった。批判に晒されながらも風の中を立ち続けるオーネット・コールマンへの共感もあった。チャールス・ミンガスは、いつも、「ジャッキー、おまえにはおまえの音がある。なら、なんでお前自身のアイデアを探さないんだ?」と言っていたという。

そして、ビリー・ホリデイの晩年の声について、「かつての声の影に過ぎなかった」「彼女の歌声は失われ、唯一の表現手段としてエモーションが残った」とも綴っている。これは少なからず感動的な独白だ。

「I feel that emotion has taken an important step in expression on the horn. Emotion has always been present, but today it has a new importance. Towards the end of Lady Day's career, her voice was just a shadow of what it had been, yet she still put a song over; her singing voice was gone, leaving emotion her only tool of expression.」

ビリー・ホリデイがかつて歌っていた「Left Alone」は記録が残されていない。歌伴を務めていたマル・ウォルドロンのピアノとともに肉声であるかのようにマクリーンがアルトサックスで吹いた演奏が有名であり、ジャズ好きで聴いたことのない者はいない。このエモーションは1960年、ビリーの亡くなった翌年である。


1995年、新宿ピットインでマルにサインを貰った。オウム真理教が新宿で毒物を撒くというデマが流れた日だった。

そして『Let Freedom Ring』のタイトル、「自由の鐘を鳴らせ」は、キング牧師が黒人の公民権を求めて何度も使っていたフレーズであった。演説「I have a dream」は『Let Freedom Ring』吹き込みの翌年、まさに社会もマクリーンの個人史も大きな奔流のなかにあった。だからといって、この盤を歴史のなかに封じ込めるべきではない。

聴いて印象的な点は、これまでの殻を打ち破るかのようにハイトーンを果敢に使うこと。そして、マクリーンの個性としか言いようのないアルトサックスの声もエモーションも嫌というほど詰め込まれていること。なかでも好きな演奏は、バド・パウエルの曲「I'll Keep Loving You」であり、感情を迸らせるアタックも、切ない終わり方も、他人には真似ができない世界だろう。この曲は、他には、バドの『Jazz Giant』におけるピアノソロしか聴いたことがないのだが、調べてみると、バリー・ハリスやマルグリュー・ミラーの演奏も聴くことができそうだ(失望したらイヤだな)。

ところで3曲目の「Rene」は、息子ルネ・マクリーンに捧げた曲であり、このころアルトを勉強していたという。偉大な親父とはまた違った個性があって好きなサックス奏者だが、最近は何をしているんだろう。確か村上春樹のエッセイでも、マクリーンの田舎で、タクシー運転手とルネのことを話すエピソードがあった。

●参照
ジャッキー・マクリーンのブルージーな盤
マル・ウォルドロン最後の録音 デイヴィッド・マレイとのデュオ『Silence』


名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会

2010-12-11 10:19:31 | 環境・自然

ジュゴン保護キャンペーンセンター主催の『名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会』に参加してきた(2010/12/5、港区立勤労福祉会館)。

先日名古屋で開かれた生物多様性条約のCOP10については、国間の利益配分ばかりが取り上げられ、結局何だったのかについては注目されていない印象が強い。それは大メディアの力不足に他ならない。一時期、大浦湾のジュゴンについてまるでペット扱いで追いかけた日テレ『NEWS ZERO』も然りだ。

このセミナーでは、ジュゴンについて、COP10、さらにIUCNの「ジュゴン保護国際会議」についての報告がなされた(蜷川事務局長)。

名古屋議定書(ABS議定書)がマスコミの注目の対象であった。大枠決めであり、日本ではおそらく2012年通常国会で批准される。
○2年後のCOP11(ニューデリー)に向けて、ジュゴン保護のための闘いがはじまったと考えてよい。
○COP10の愛知ターゲットに対応して、日本政府の素案として、「藻場・干潟の保全活動の推進を図る」、「沿岸域においては藻場・干潟の整備」といったものが発表された。これに魂を入れてもらう。
ジュゴン保護に関する3度目のIUCN決議(2008年10月)は圧倒的多数で勧告が採択されたものだが、日本政府は棄権した。
ボン条約(移動性野生動物の保全に関する条約)による「ジュゴン保護覚え書き」への署名は、2008年時点の12カ国から18カ国へと増えた。また、ジュゴン保護国際会議(「ジュゴン保護覚え書き」第1回署名国会議、2010/10/4-6、アブダビ)には、生息国48カ国のうち29カ国が参加した。なお生息国には、ジュゴンが通過する国も含まれる。
○ジュゴン保護国際会議に日本政府は参加しなかった。「国内法整備を要求されるから」という理由であったが、覚え書きには「法的拘束力はない」ものと明記されており、口実にすぎない。第2回会議には、国益に合うなら参加するものとしており、後ろ向きの姿勢である。
○ジュゴン保護国際会議では、国際先住民ネット(IIFB)が「辺野古・大浦湾での軍事基地建設とそれが生物多様性に与える影響について憂慮する」との声明を出した(なおIIFBの発言力は国並みに認められている)。
○また、CBDアライアンスは「日本は里山・里海イニシアチブを推進しているが・・・沖縄ではアメリカ軍のために生態系の貴重な場所を破壊し・・・見て見ぬふりをしている」と批判した。
○沖縄のジュゴンは北部東海岸(大浦湾など)を中心に数十頭が生きていると言われていたが、現在ではさらに少なくなっている。公共事業を原因とする赤土流出で海草藻場が壊滅したこと、魚網で窒息死すること(酸素呼吸のため)、といった原因がある。沖縄西岸の古宇利島でも来ているとの言説は、問題を曖昧にするものだ。
○辺野古の新基地建設がなされれば藻場が壊滅する。環境アセスメントは、これまで「準備書」への知事意見が出された(2009/10)ところまで進んだ。それを踏まえた「評価書」がいつ出るかは、先日の沖縄知事選後の様子を見て決められていくだろう。しかしそう簡単には行かないだろう。
○名護市の稲嶺市長は、環境アセスメント法違反の「現況調査」を拒否した(2010/11/30)。ジュゴンとその生息地の保全を環境省に要請する陳情もこの12月に名護市議会で採択される。
○2011年春に新日米共同声明が出されるだろうが、普天間問題は解決しない。
○米国の国防総省に対するジュゴン訴訟については、現在、日本の環境アセスメントの結果待ちという段階である(国防総省は日本のアセスを支持する立場)。日本の環境アセスメント法は対象とする範囲が狭く、この結果に対しては異論が出るだろう。なお、ジュゴン保護国際会議では、ジュゴン訴訟の議論はあまり出てこなかった。

以上、ジュゴン訴訟と辺野古アセスの現状を確認できる場だった。忘れないでじろじろと見続けることが重要である。


環境アセスのフロー

●参照
ジュゴンと生きるアジアの国々に学ぶ(2006年)
ジュゴンと共に生きる国々から学ぶ
二度目の辺野古
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見(4)


伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』と中村義洋『ゴールデンスランバー』

2010-12-11 09:04:22 | 東北・中部

伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮文庫、原著2007年)が文庫化されたので早々に読んだ。結構売れているようで、電車の中でも他に読んでいる男を発見。

仙台の街を逃げまくるというだけで面白いのだが、惹かれるのはそこではなく、ドゥルーズ/ガタリ的な逃走線がメインテーマに違いない点だ。主役の青柳が首相暗殺犯にされてしまうとき、その陰謀に加担した親友の森田が青柳に「無様な姿を晒してもいいから、とにかく逃げて、生きろ。人間、生きててなんぼだ。」と告げるそれ、ただ冤罪から逃れるプロットのそれではない。死なないために逃げるのではない。否定的な意味ではなく、単一の地層から、主体性というブラックホールから、樹木から、逃げることが、生きるということに他ならない。自分がこのエンタテインメントから読み取ったものはそれだ。

映画化された中村義洋『ゴールデンスランバー』(2010年)。画面に仙台市内や駅前が出てくると、やっぱりどきどきする。公開前後に、『ゴールデンスランバーサポーターズブック』をどこかで貰った。青柳役の堺雅人は、「表と裏からの"偶然"を描くことで、世の中のとらえ所のなさを描いている」と語っている。一方、テレビ放送時のインタビューでは、「人と人とのつながり」を強調している。後者はリゾーム、逃走線を形成する。「とにかく逃げて、生きろ。」よりも、「とにかく信じて、逃げろ。」なのだ。

思い出したこと。1923年、大杉栄、伊藤野枝とともに、甥の橘宗一少年までが軍部に虐殺された。橘宗一少年の墓は名古屋にあり、長らく軍部に発見されることなく眠っていた。少年の父、橘惚三郎が建立したものだ。墓碑の裏面には、「宗一(八才)ハ再渡日中東京大震災ノサイ大正十二年(一九二三)九月十六日ノ夜大杉榮野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル」とあった。それを近所の人々は知っていた。

大杉栄と伊藤野枝の娘、伊藤ルイの生涯を追った、藤原智子『ルイズその旅立ち』(1997年)で知ったことである。また観たい映画だ。


なんばの、「千とせ」の、「肉吸」の、カップ

2010-12-09 00:53:00 | 関西

夜遅く帰宅、何となく腹が減ってサークルKサンクスに入ったら、なんと、大阪なんばにある「千とせ」の名物「肉吸」のカップが売られていた。スープはゼリー状になっていて、電子レンジで溶かす仕掛け。しかし、去年足を運んだときのオリジナルの写真と比較すると、やっぱり全然違う。当たり前である(笑)。

本当は、卵かけご飯と一緒に食べなければ「千とせ」の王道ではないのだが、面倒なので忘れる。そういえば、卵かけご飯=「TKG」は定着しなかった。当たり前である(笑)。


カップ版


オリジナル版(2009年2月)

●参照
なんばB級グルメ(与太話)


口琴と富士山とスカイツリー

2010-12-05 07:13:06 | もろもろ

昨晩久しぶりに休肝日を決め込んだら、今朝は5時に眼が醒めてしまい。サハ共和国の口琴のCDを聴きながら、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』の続きを読みながら、ツイッターを眺める(何してるんだろう)。ちょうど富士山がよく見えるとの呟きがあり、外に出て南西を眺めると、おお富士山。やや北西に眼をやると、かなり高くなってきたスカイツリーが、船堀のタワーの向こうで朝日を浴びて立っている。

「びっくりするくらい空が青いと、この地続きのどこかで、戦争が起きてるとか、人が死んでるとか、いじめられてる人がいるとか、そういうことが信じられないですね」(伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』)

昔、一人旅でイエメンに行き、10日くらいを過ごして、最後の昼食を取った。フライトまで多少の時間があって、案内してくれた男が、「そのまま寝てていいよ」と話をつけてくれた。壁際を取り囲んでいる座椅子で寝るともなく天井を眺めていると、いま自分の知人もそうでない人も、同じ空の下にいるんだな、と、空を見ているような気になった。感傷的?


『みんなの力で守ろう三番瀬!集い』 船橋側のラムサール条約部分登録の意味とは

2010-12-04 10:20:26 | 環境・自然

「NGO三番瀬のラムサール条約登録を実現する会」が事務局となって開催されたシンポジウム、『みんなの力で守ろう三番瀬!集い』に参加した(2010/11/30、船橋市民文化ホール)。この場所と、千葉県や船橋市が後援していることには理由がある。

三番瀬に関しては、人工干潟の造成や開発、生態系に対する捉え方などを巡って諍いに近い議論がなされてきた。この会は、次回のラムサール条約締約国会議(COP11、2012年)において、船橋側だけでも登録しようとする動きである。

三番瀬は西から浦安、市川、船橋へと広がっている。浦安側については、猫実川河口域の生態系が健全ではなく、また不自然な牡蠣礁が形成されているとの問題点が指摘されている(ただ、これについても賛否両論ある)。市川側については、市川塩浜の垂直護岸により、親水性のなさ(三番瀬に近づけない)、安全性の低さ(危険ゆえ今はフェンスで囲われている)、生態系に与える悪影響などが議論されている。今回のラムサール条約登録の対象は、それらの地域においてなされている開発・保全(人工干潟・覆砂など)などの議論を回避できる船橋側という構図である。

なお、漁業権については、浦安漁協が既に漁業権を完全放棄した(1971年)ため、市川側では南行徳漁協と行徳漁協、船橋側では船橋市漁協が漁業権者となっている。ノリの養殖は「区画漁業権」(海苔ヒビにより場所を占有するため)、アサリ漁業などは「共同漁業権」という形である。ただ、漁業権を個人でなく漁協が代表するように語られることはわかりにくい点ではある。

倉阪秀史氏(千葉大学法経学部)により、「三番瀬をラムサール条約湿地として登録する理由」と題したプレゼンテーションがなされた。三番瀬の円卓会議にずっと関わってきた方である。強調していた点は以下のようなものであった。

(1) ラムサール条約が提唱する「ワイズユース」には漁業が含まれており、すなわち、三番瀬でも漁業者に漁業活動を保証するものである。
(2) 観光やエコツーリズムの観点から、フィッシャーマンズワーフを作るなどの活動があってよい。
(3) 生態系が不健全な場所には、多少砂を入れた方が自然を豊かにする。塩浜護岸の実験では青潮のあとでアサリが出るなどの結果が見られた。自然の反応を確かめながら徐々に自然に手を入れる必要がある。
(4) ブルーシートが立つような場所には人が集まらない。
(5) 市川側を含めた全面登録が望ましいが、合意が得られなければ、船橋側(コア区域)のみでの登録でもよい。
(6) 千葉県は部署横断的に動くべき。
(7) COP11は最大のチャンスである。

(1)については断言に過ぎるのではないか。環境省のパンフレット『ラムサール条約湿地のワイドユース』(2007年3月)にも漁業の事例が書かれているが(宍道湖、厚岸湖・別寒辺牛湿原)、そこで強調されているのは資源管理や流入する水質保全であり、単に漁業が保証されるということではない。(2)(3)については人工干潟を巡る議論への配慮だと解するが、船橋側の直接の論点ではないのではないか。(4)については表現以外の問題がある。

その後のパネリストたちによる指摘・議論を含めて、<三番瀬の保全>だけでなく、<三番瀬を活かしたまちづくり>を目的としてラムサール条約への部分登録を行うという考えには共感できた。しかし、問題は多い。

ところで、シンポジウムが始まる前には、動員のために山本リンダのコンサートが開かれていた。1曲だけ聴くことができた。『仮面ライダー』に出ていた山本リンダを突然観るという奇妙な感覚。

●三番瀬
船橋の居酒屋「三番瀬」
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
日韓NGO湿地フォーラム
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会


18年ぶりくらいの「荻窪の味 三ちゃん」

2010-12-04 00:55:53 | 関東

編集者のSさんに誘われていた、「荻窪の味 三ちゃん」。学生時代に合気道の練習帰りに食べて以来だから、たぶん18年ぶりくらいである。

何も変わっていない。太麺の焼きそばはしみじみ旨い。細麺のラーメンは、技巧を凝らした濃厚な最近の味とは対極にあって、いまや過激に存在している。カウンターの向こうの厨房は、日本の中華料理のストロングスタイルである。

レバニラ炒め。

焼きそば。

干しエビの味がする餃子。

ラーメン。


深沢七郎『言わなければよかったのに日記』、『風流夢譚』

2010-12-02 04:25:20 | 思想・文学

今日も酒を呑んで夜中に起きてしまった。駄目だこりゃ。

いろいろな波が押し寄せてくるようで身動きが取れない今日この頃、三上寛がライヴのMCで深沢七郎のことを喋っていたのを思い出し、『言わなければよかったのに日記』(中公文庫、原著1958年)を読む。

深沢七郎は『楢山節考』しか読んでいなくて、その短編集のなかでも、「アッ今日は変事がある」などと妻の発狂を予感した作品(題名もその後の内容も忘れた)の奇妙な感覚に惹かれていたのだった。そんなわけで、この日記も同じような奇妙な感覚が充満していて少し嬉しい。ヒトトナリは知らないが、ただスットボけて自然体で生きた人ではなく、かなり苦しんだ人なのではないかと想像する。落とし噺のような「ポルカ」集の底知れない残酷さは、きっと自分にも向けられていた筈だ。

ついでに、編集者のSさんに頂いた『風流夢譚』(『中央公論』1960年12月号)を改めて読む。右翼の少年による殺傷事件を引き起こしてしまった作品である。革命や皇室に関する描写はともかく(凄まじいが)、宙ぶらりんであるからこそ恐ろしい夢との距離が素晴らしい。ちくま文庫で深沢七郎作品のアンソロジーが出ているが、きっとこれは収録されていないのだろうね。勿体ない。


船橋の居酒屋「三番瀬」

2010-12-01 07:09:50 | 関東

船橋で三番瀬関連のシンポジウム(2010/11/30)があって、終わったあとに、研究者のTさんの道案内で、居酒屋「三番瀬」に足を運んだ。居酒屋もバーも、勧誘の女の子たちもたくさんの細い「仲通り」沿いにあってまったく目立たない、というより、電気を消して「準備中」の札が出ている。外に出ていた客が大丈夫じゃないかという顔をしたので扉を開けた。大丈夫だった(笑)。

料理の注文は9時過ぎには終えるようなので早々に注文した。この頃は毎日酒を呑まずにはいられない。烏龍茶のTさんを前にしてグビグビがぶがぶと呑む。すみません。

東京湾ゆえ、まずは、すずきの洗い。皮も旨い。

活さば。

さるぼう貝。もう終わったけど半分ならあるよと出してくれた。赤貝のようだ。はじめて食べた。

あじのなめろう。量が多く嬉しい。生姜をのせて食べるが、無くても臭くなく旨い。

いわしの焼き物。頭から骨から全部食べる。

もんごういかの天ぷら。丁寧で柔らかい。

店名の「三番瀬」はハッタリではなかった。料理の注文を早く終えてしまうのがちょっと早いのが難点だが、その分、仲通りを梯子すればもっと愉しいだろうね。このためにわざわざ船橋まで行く価値だってある。

●三番瀬
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
日韓NGO湿地フォーラム
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会