年末年始に、堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』(集英社文庫、原著1968年)を読む。
新宿歌舞伎町のジャズバー「ナルシス」が舞台のひとつである。小説では1936年末か1937年、「角筈二丁目の、女郎屋街にほど近い、小さくて暗いスタンドバー」とある。調べてみると角筈二丁目は現在の西新宿一丁目。『朝日新聞』2001/8/27での先代ママ・川島フヂエさんの追悼記事によると、1938年に伊勢丹裏に開店し3回引っ越したとあるから、時期も場所も少し違っている。
その先代ママだが、小説では「万年女学生」のようだと描かれ、「川島藤江」という名となっている。今の川島ママに先代ママの写真を見せていただいたことがあって、実際にとても綺麗な方なのだった。作品のウラ話なんかも、こんどナルシスに足を運んだら聴いてみたい。
先代ママの追悼記事(朝日新聞2001/8/27)
戦争が進むにつれ、ナルシスに集うインテリや詩人や文化人たちのある者は拘束され獄死、ある者は国粋主義に走り、ある者は精神を追い詰められていく。若者は堀田善衛本人であり、自伝であるだけに、この感覚には鬼気迫るものがある。
「しかも、はじめられた戦争が、まるで自分のもの、ででもあるかのような口振りが見えていた。それは明らかに、十二月九日の夕方にやってきた刑事のことば、「どうだ、やったろう!」と同じものであった。一国民の全体に襲いかかっている戦争を、あたかも自分だけのものであるかのように所有をすることが出来るということが、若者にはなんとしても不思議なことであった。」
「未曾有の大戦争をしている国に生きていて、若者はその時間を、なんだか暇だなあ、と思っていたのであったが、それは暇なのではなくて本当は澱んでいて鈍いのだ、と認識する。また時代とそのなかに在る若者たち自身の姿について、これだけの凝視は到底おれには出来ていなかった、と知った。また左翼にも、いかなる意味でもこうした認識はなかった。」
「それにしても、と男は思うのである。生命までをよこせというなら、それ相応の例を尽くすべきものであろう、と。これでもって天皇陛下万歳で死ねというわけか。それは眺めていて背筋が寒くなるほどの無礼なものであった。」
ナルシスで働く「マドンナ」という女性は、若者と寝るも、かつて全裸で酷い拷問を受けた記憶が蘇って来て、受け入れることができない。左翼の夫が去った家で、毎日煙だらけになって風呂を焚く。奇妙に抒情的な描写である。そして常連が次々に居なくなったナルシスで、マドンナは絶望し、毎日佇む。何とも言えず胸を衝くくだりがある。
「肩まで垂れた髪がはらりと前にあつまって来て窪んだ青白い頬をかくし、従って伏せた眼と寸のつまった鼻と受け口な唇だけしかが見えなくなった。
しかもその顔は男のすぐ眼の前にある。冬の皇帝は突然ブンカ、ブンカ、マーモルモセーメルモを中止して、
「キッスしろよな。人は愛しあって生きて行かなけりゃあなりません」
と言い、それだけ言うとまたブンカ、ブンカをはじめた。
(略) マドンナは、もう完全に絶望しているのであった。頼れるもの、希望を託すべきものがまったくなくなってしまったのである。」
この「冬の皇帝」は田村隆一をモデルにしているそうで、ナルシスのカウンター向こう、目立つところにも、田村隆一の色紙がある。
いまは
どこにも
住んでいないの
隆一
●参照
○新宿という街 「どん底」と「ナルシス」
○歌舞伎町の「ナルシス」、「いまはどこにも住んでいないの」
○堀田善衛『インドで考えたこと』