Sightsong

自縄自縛日記

『"核のゴミ"はどこへ~検証・使用済み核燃料~』

2013-02-11 09:43:04 | 環境・自然

NHKスペシャル枠で放送された『"核のゴミ"はどこへ~検証・使用済み核燃料~』(2013/2/10)を観る。

核燃料サイクルが実現せず、その中で使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)も、技術的な目途が立たず、操業延期を19回も繰り返している。六ヶ所村に住む菊川慶子さんは、東日本大震災よりずっと前から、「遠隔操作で修理を続けているが、処理対象の高レベル放射性廃棄物は廃液のまま置かれている。地震などで電源が止まることへの対策(予備電源等)はなされていない。ひたすら危険な状況だ」との警告を発していた(2009年3月、>> リンク)。要は、ここが詰まっており、もはや使用済み核燃料を抱えられないため、各々の原発において、自ら出した使用済み核燃料を保管している状況であった。わたしもそれは認識していたが、まさか、各原発の同じ建屋内のプールに、あのような無防備な形で置かれているとは、原発事故まで知らなかった。

番組では、現在までの使用済み核燃料は総量1.7万トンだと紹介している。確かに、2010年3月末現在でも総量約1.6万トンであり、54基から年間約1千トンが排出されるペースであったから、稼働停止を含めたこの2年弱で約1年分が増えたことになる(>> リンク)。残りは総量で6千トン程度であり、場所によってはあと2年間で一杯になる。さあ、どうする。


使用済み核燃料の貯蔵量(2010年3月末現在)(「東京新聞」2010/11/28等より作成)

再処理が仮にできたとして、それによりリサイクルされた核燃料を使う計画だった高速増殖炉も、やはり実用化がストップしている。そして、一方、もう使えない高レベル廃棄物は、どこかに最終処分しなければならない。しかし、その場所はない。

番組では、最終処分を行う自治体決定のプロセスを紹介している。それによれば、手を挙げて文献調査を受け容れただけで20億円、次の地上からの調査で70億円、さらに地下での調査、建設と進む。しかし、少なくとも15箇所(公表されていないが、佐賀、鹿児島、長崎、高知、滋賀、福井、青森といった場所)の一部の者が手を挙げるも、すべて、住民の反対によって潰れるか、先に進んでいない。透明性に乏しく、何万年というタイムスケールでの安全性を担保できない前提では、当然のことだと言える。

このうち紹介された地域は、滋賀県の旧・余呉町(現・長浜市)と、長崎県の対馬。対馬では原発事故によりその危険性に気付かされ、ほぼ断念に至っている。逆に言えば、危険だと思わなかったということだ。ここでは、六ヶ所村への見学が9年間で600人にも及んだという。おそらくはどこでも行われている立地工作である。勿論、納得してもらうためであるから、基本的にポジティブな紹介である。番組に登場する対馬の人も、学校や公民館や病院など立派なハコモノに圧倒されて帰ってきたという。わたしも、つい先日、いつも髪を切ってくれる美容師さんが、自分は六ヶ所村の隣で生まれ育ったが、原発を安全だとする教育が徹底しており、事故により批判の声をはじめて聞いて驚いたという話をしてくれて、その温度差にこちらも驚かされた。

他国では、最終処分地が決まっているのはフィンランドとスウェーデンだけだという。番組で紹介された英国とスイスでも苦慮している。日本と大きく違うのは、乾式キャスクを使っていることである。冷却用の電気を使わず、まずは鋼鉄で封じ込め、40-50年間「中間貯蔵」する方法である。日本がプールで貯蔵するのは、使用済み核燃料を直接最終処分するのではなく、再処理後に最終処分する方針だからである。

リスクばかりがありビジネスメリットを見いだせないにも関わらず、再処理を行う方針は撤回されていない。なぜなら、やめてしまうと、国策会社とはいえ民間会社の日本原燃の経営破綻が必至となり、そのマイナスの波及効果が大きいからだ、とされる。また、六ヶ所村に保管されている使用済み核燃料が「資源」から「廃棄物」へと転じ、約束通り各原発に戻そうとしても、それを受け容れる場所はない。

あまりの難題であり、答えはない。しかし、継続は、中長期的なビジョンを決定的に欠いていることは確かである。

番組では、科学部の記者が、「日本の技術力の低下を懸念する米国との関係」についても口にしていた。これは、日本側と提携するGEやWHへの影響のことばかりではないだろう。再処理で生成されるプルトニウムを、核兵器に転用できるということが、米国にとっての日本の核燃料サイクルの大きな意義であった。勿論、NHKはそこまで言及できない。

●参照(原子力)
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』
大島堅一『原発のコスト』
小野善康『エネルギー転換の経済効果』
『これでいいのか福島原発事故報道』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
前田哲男『フクシマと沖縄』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』
纐纈あや『祝の島』


オリヴィエ・アサイヤス『カルロス』

2013-02-10 21:54:36 | ヨーロッパ

オリヴィエ・アサイヤス『カルロス』(2010年)を観る。三部構成、339分にも及ぶ大作である(DVDは付録を含め4枚組)。

カルロスは自ら名付けたコード名。実在のテロリストである。かく言うわたしも、1994年に逮捕された際に、新聞紙面ではじめてその存在を知った。

映画は、まだ20歳そこそこの時期に、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)に参加するところから始まる。指導者は、若造が何を生意気なことをぬかすといった態度で応じたが、カルロスは、有言実行を自らに課し、次第にその世界でのスーパースターと化していった。

なるべく歴史的事実に沿って作ったという謳い文句の通り、さまざまなメンバーやグループが登場する。

パリでは、日本赤軍が起こした銀行襲撃による仲間の釈放要求とハイジャック事件をサポートする(実際には合流するはずが、赤軍メンバーが道に迷って、できなかった)。若松孝二『赤軍-PFLP世界戦争宣言』(1971年)という映画に記録されているように、当時、日本赤軍とPFLPとは協力関係にあった。しかし、カルロスは、OPEC本部襲撃事件において、指令にあった暗殺ではなく身代金を選んだことで、PFLPを追放される。

その後、ドイツ革命細胞のメンバーと結婚し、バスク祖国と自由にも武器を提供する。活動の舞台はヨーロッパと中東である。東欧では、東ドイツ(シュタージ)やハンガリーやルーマニアと相互協力関係を築くが、やがて、危険すぎると疎まれ、ベルリンの壁崩壊(1989年)に象徴される東西冷戦の終結とともに拠点を失うことになる。そして、シリアやレバノンさえにも、彼の居場所はなくなった。

シリアにおいて立ち退き通告をされた際に、仲間(ドイツ革命細胞)が自虐的に言う台詞が印象深い。「お前はもう、historical curiosityになるんだよ!」と。その通り、カルロスはもはや存在意義を失い、逃げるように移住したスーダンでは、民族イスラーム戦線に「phantom」という渾名で呼ばれる有様。そして、シリアやスーダンは西側を向き、手術中に逮捕されたカルロスはフランスへと護送される。現在、終身刑服役中。

カルロスは、チェ・ゲバラを信奉し、まっすぐに社会主義や反帝国主義を希求する男として描かれている。極めて人間的で、女好き・酒好きで、かつ、冷静で冷淡という人物像である。勿論、如何に高邁な理想を掲げたとはいえ、爆弾テロなどによって罪のない人びとを殺したテロリストに過ぎない。

しかし、あえてこのように描いたアサイヤスの目に好感を抱いた。支配の形態や構造的な矛盾を正視することなく、トートロジーのように「テロとの戦い」を標榜する西側のポリシーに対する、アンチテーゼのようにも思えたのだ。

また、カルロスをバックアップした、サダム・フセインやカダフィ大佐の姿を映画に登場させない方針も、成功している。そうしていたなら、オリバー・ストーンが手掛けるような下品なスペクタクルに堕していたところだ。

数十年の移り変わりを見ていると、テロという手法の座る場所が、次第に遷移してきたのだという印象を受ける。それは東西冷戦とその終結という要因だけで語ることができるものではないだろう。

●参照
オリヴィエ・アサイヤス『クリーン』
オリヴィエ・アサイヤス『夏時間の庭』


済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編

2013-02-10 08:59:17 | 韓国・朝鮮

「済州島四・三事件65周年記念連続学習会」の第2回として行われた、「済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編」に足を運んだ(2013/2/9、文京区民センター)。

済州島四・三事件とは、1948年、南北朝鮮の分断に反対した済州島民の蜂起に対し、米国の指示により、韓国警察等が行った島民虐殺事件(白色テロ)である。いま、その済州島の江汀(カンジョン)という村に、海軍基地が作られようとしている。

会場はかなりの人で埋まっていた。100人くらいは来ていたのではないか。在日コリアンの小説家・金石範さんも来場していたとのことだ。

李�促京(リ・リョンギョン、立教大学非常勤講師)さんが、カンジョンの問題を具体的に説明した。

カンジョン村は済州島南部にある小さな村であり、さまざまな絶滅危惧種が棲息する世界自然遺産でもある。

ここに、韓国の海軍基地を建設する話が突然あらわれ(当初は、リゾート地を装っての工作であった)、法的・社会的に異常な手続きであったにも関わらず、2007年にわずか1ヶ月だけで決められてしまった。やがて、海軍と政府関係者のみで工事を強行しはじめ(2010年)、反対者は検察・裁判所に無差別的に罰金を課せられた。地域は分断され、反対派と賛成派は口もきかず、使うコンビニまで別々という状態になっている。

韓国政府は、この海軍基地を、北朝鮮の挑発を抑制し、海上交通路を保護し、機動戦団を収容するのだとしている。しかし、済州島は北朝鮮からもっとも遠く、もとより海上交通を海軍基地が保護するなどという理屈は奇妙で、かつ、調べてみると、機動戦団向けではない基地だという。

つまるところ、これは米国の軍事戦略に沿った基地建設なのだった。既に済州島では海軍のみならず空軍も基地建設を進めている。沖縄と同様、日本軍が「本土死守」のため駐屯していた地であり、戦後も、米国は戦略拠点として重視している。やはり日米安保条約と同様に、韓米相互防衛条約がある。米国は近年東アジア回帰しており、日米韓含めての情勢とみるべきである。

盧武鉉政権では、済州島の「四・三事件」を認めて謝罪し(2003年)、「平和の島」に指定した(2005年)。しかし、李明博政権では一転保守化が進み、朴槿恵大統領も選挙の際に「中断なき海軍基地建設」を公約している。李明博のような強引かつ暴力的な方法はもはや難しい、ならば、新たな「国民統合」の手法とは何か。

そのための上からの動きとして、「基地反対」は「従北」(北朝鮮に従うこと)であり、国の安全保障を妨げるものであり、「四・三事件」は「左派」であるというストーリーを刷りこもうとしている。かつて韓国において「アカ」とみなされることが即「死」を意味するものだったことを考えれば、これは歴史回帰に他ならない。

このことは、日本でもまったく同様なのではないか。沖縄の辺野古や普天間や高江での国家権力の剥き出しの暴力は、ほとんど国民の視線に晒されることはない。東京でのデモにおいても、同じような排外主義的な動きがある。

大メディア(朝鮮日報、中央日報、東亜日報など)も政権の方針に従って論調を変化させている。勿論、済州島という「辺境」の地における暴力事件など報道もされない。「四・三事件」さえ、韓国ではあまり知られているとは言えない。そのため、報道の自由を求めて立ち上げられた新メディアが、「ニュース打破」であり、「ハンギョレ新聞」であった。

―と。

会場では、ゲストとして、東京で働くテキスタイルデザイナーの金志修(キム・ジス)さんも、そこに視線を向けた者としての報告をされた。

まさに、日本や沖縄における状況の相似形だ。保守政治に回帰し、上からの弾圧や排外主義はかつて以上に進められ、大メディアは権力追従以外の役目を果たすことはなく、米国軍事戦略の影が全体に覆いかぶさっている。

○「ニュース打破」の映像 >> リンク

●参照
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『新編「在日」の思想』
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』(詩人は、四・三事件に関わり、大阪に来た)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(鶴橋のコリアンタウン形成史)
鶴橋でホルモン 
野村進『コリアン世界の旅』(済州島と差別)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
『けーし風』沖縄戦教育特集(金東柱による済州島のルポ)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」(李静和は済州島出身)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(練塀のルーツは済州島にある)


大島堅一『原発のコスト』

2013-02-09 06:50:17 | 環境・自然

大島堅一『原発のコスト ― エネルギー転換への視点』(岩波新書、2011年)を読む。

東日本大震災が起きるまで、原発の「安全神話」に疑いの目を向ける人は多くいたが、「原発は安い」ということを疑う人は極めて少なかった(いない、に近かった)。少なくとも、政府発表の発電コストが、議論の大前提として使われていたのは事実である。わたしもそうであり、その数字を使ったこともある。

2010年の『エネルギー白書』によれば、原子力の発電コストは5-6円/kWh。これはLNG火力の7-8円/kWh、大規模水力の8-13円/kWhより安く、従来型エネルギーよりもコスト上優位だという根拠となっていた。勿論、再生可能エネルギーとなると、風力(大規模)10-14円/kWh、地熱8-22円/kWh、太陽光49円/kWhと、コストだけでは勝負にならないことが明示されたものだった。さらには、再生可能エネルギーは出力変動が激しく使いにくい電源であることも相まって、導入が進まなかったわけである。RPS法(2002年)も、さほどの推進力を持たなかった。

ところが、著者によると、原子力の発電コストは、実態を反映したものではない。大震災直後、著者の発言を目にしたときには驚いた。(この段階で、急遽、『これでいいのか福島原発事故報道』(>> リンク)にも反映した。)

本書では、発電に直接要するコストをより実態的な想定に基づいて計算し、さらに、政策コスト(研究開発、立地対策)を加えている。後者を考慮することは確かに必須だ。核燃料サイクルの研究開発も、用地買収やそのための現地工作も、原発そのものが成り立たない類の活動だからである。

それによると、原発の直接発電コストは8.53円/kWh、政策コストは1.72円/kWh、合計10.25円。このコストは、同様に計算された火力(9.91円/kWh)や一般水力(3.91円/kWh)よりも高い。

原発のコストはそれだけではない。事故が起きたときの想定に加え、核燃料の使用後に生じるバックエンドコストも莫大である。政府試算ではバックエンド事業(六ヶ所村の事業も当然含まれる)の総費用は18兆8000億円。しかし著者によれば、実態を反映するなら、それは数倍に跳ね上がるだろうという。今回、上の発電コストに積み上げる示し方はなされていないが(10.25 円/kWhにさらに上乗せ)、確実な試算をすれば、コスト優位は完全に消えてしまうことだろう。

実際に、不確実なバックエンド費用の評価結果は年々上がり続け、1970年代からの30年間に当初想定の10倍以上となっている(山地憲治『原子力の過去・現在・未来―原子力の復権はあるか―』)。

なお、政府公表値(5.3円/kWh)に占めるバックエンド費用は、これまで15%程度とされてきた。その部分が、膨れ上がるということである。仮に5.3円/kWh×15%×数倍だとすれば、2-3円/kWh程度にはなる。5.3円/kWhと比較すべきは、10.25 円/kWh+2-3円/kWh=12-13円/kWhということであり、従来値の2-3倍だということになる。古賀茂明氏は、最近、11-17円/kWhだと発言しているという。

これまでの常識はなんだったのか。あらためて、大変な脱力感を覚える。

●参照(原子力)
小野善康『エネルギー転換の経済効果』
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』
『これでいいのか福島原発事故報道』
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
前田哲男『フクシマと沖縄』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』
纐纈あや『祝の島』


小野善康『エネルギー転換の経済効果』

2013-02-06 15:13:27 | 環境・自然

小野善康『エネルギー転換の経済効果』(岩波ブックレット、2013年)を読む。

日本国内での脱原発と同時に再生可能エネルギー導入を進めた場合、経済への効果はどうなるのか。本当に、原子力発電の低コストというメリット(と信じられている)を棄て、採算性の悪い再生可能エネルギーを進めた結果、経済がさらに沈滞し、消費者は電力料金負担に苦しむことになるのか。

本書の試算によれば、そうではなく、逆にプラスの効果を生み出す。なぜなら、再生可能エネルギー産業が興り、それとオカネを介してつながっている消費財分野も潤うからである。ここでのミソは、好況時ならば既存産業を削ってのシフトとなるが、現在のような不況時では、余っている労働力を活かすために、そのようなマイナスの効果は出てこないという点にある。

従って、問題は、産業内・産業間での活動や体制のシフトがスムーズに進むかどうかということになる。

本書の主張には概ね共感できるものだった。テーマも絞り、よくまとまった本である。今後、再生可能エネルギー推進の説明用資料として使うことができる。

現実問題として、無理筋を通すのではなく、社会的に求められる新規産業を伸ばすことの方が良い筈である。

いくつか疑問点(とうに検討した結果かもしれないので、自分用の備忘録)。

廃炉コストの設定が安すぎることはないか(1,100MW級の大型で600~700億円としている)。ドキュメンタリー番組『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013/1/27放送)(>> リンク)では、ドイツでの前例に倣い、1,000MW級で1基あたり1,000億円を要するとしている。
廃炉に要する期間が短くないか(25年間としている)。上記ドキュメンタリーでは、ドイツにおいて、解体・除染が大変な大型設備については50年間の中間貯蔵を選んでいることを紹介している。
廃炉ビジネスの推進をもっと積極的に評価すべきではないか。
○エネルギー分野の生産活動アップによる他分野への波及効果を、実質GDPと実質消費との直接的な関係から設定している。産業連関分析(逆行列計算)を行えば、もっと間接的な波及効果を見込めるのではないか。
○再生可能エネルギー産業による雇用の創出を、既存産業に傷をつけることなく、失業者から充てることを想定している。実際には、知見やノウハウを持った人材がそれを行うのではないか。

●参照
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』


孫崎享・編『検証 尖閣問題』

2013-02-06 09:52:06 | 中国・台湾

孫崎享・編『検証 尖閣問題』(岩波書店、2012年)を読む。

著者の孫崎享氏には『日本の国境問題』 (>> リンク)という優れた著作があるが、本書も、従来の問題整理の方法や主張を踏襲している。

すなわち、
○尖閣諸島の領有や支配に関する歴史を辿ろうとすると、日本側からも中国側からも実に様々な主張が出てくるのであり、一概にどちらが正しい歴史認識だとは言えない。
○日本の領土を定義するためには、敗戦前後のヤルタ会談、ポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約に立ち戻らなければならない。それらに依拠するなら、連合国側が尖閣諸島を日本の領土と決めているかどうかが重要だが、それは曖昧であった。
○1972年の沖縄施政権返還まで、米国は、尖閣を沖縄の一部だと認識していた。しかし、米中関係を重視していた米国は、返還時、それを敢えて日中間で解決されるべき問題にしてしまった。
○米国の戦略は、日ソ間の北方領土、日韓間の竹島と同様に、尖閣諸島を日中が接近しないための楔として利用するものだった。(オフショア・バランシング
○日中間では、1972年の国交正常化以降、尖閣問題を敢えて「棚上げ」にしている。今後も、日中が衝突して「ルーズ・ルーズ」関係になることなく「ウィン・ウィン」関係を築くため、再度「棚上げ」を合意することが必要。

さらに、新しい知見が示されている。

○最近の日本では、「棚上げ論」が両国の合意ではなく、中国の一方的な主張だとする強弁が目立ってきている。例えば前原議員。(昨年のテレビ番組でも、岡本行夫が同様の発言をしていたが、これも意図的な強弁だと見るべきだろう。)
○中国政府が、尖閣諸島を日本が「盗んだ」と主張していることは、決して過激な表現ではなく、ポツダム宣言にある表現の引用だということを認識する必要がある。
○菅政権は、中国漁船の船長逮捕を、日中漁業協定ではなく、国内法で処理すると表明した。また、石原都知事(当時)の動きを抑えられず、尖閣諸島の国有化を行った野田政権は、胡主席(当時)の面子を潰してしまった。いずれも、これまでの経緯を知らないことによる外交上の大失態であった。
○これに加え、現政権が、宮沢談話・村山談話・河野談話を否定するなら、中国は国交正常化を廃棄し、賠償請求に出る可能性がある(石川好)(!)。

子どもじみた勝ち負けの考えや、幼稚な歴史修正主義や、相手が悪いという煽りなどは廃して、また一からの出直しの時期だということだろう。ところが、大メディアは相変わらずである。ナショナリズムを煽ってもろくなことはない。

●参照
孫崎享『日本の国境問題』
豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』
朝まで生テレビ「国民に"国を守る義務"が有るのか!?」
斎藤貴男『東京を弄んだ男 「空疎な小皇帝」石原慎太郎』
ダイヤモンドと東洋経済の中国特集
国分良成編『中国は、いま』
天児慧『中国・アジア・日本』
『世界』の特集「巨大な隣人・中国とともに生きる」
『情況』の、「現代中国論」特集
堀江則雄『ユーラシア胎動』
L・ヤーコブソン+D・ノックス『中国の新しい対外政策』
2010年12月のシンポジウム「沖縄は、どこへ向かうのか」


琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』

2013-02-05 13:35:06 | 沖縄

琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』(琉球新報社、2012年)を読む。2011年に、「琉球新報」において連載されていた同名のシリーズ記事をまとめたものである。

沖縄に向けられる視線の中で、いまなお残る大きな誤解のひとつは、「基地経済神話」である。「本土」の大手メディアは、米軍基地に関する報道を行う際にも、「バランス」を取るためか、既存のよくある話を入れておかなければまずいのか、それとも言い訳なのか、沖縄は基地がなければやっていけないのだというメッセージを提示し、そのため、敢えて、基地従業員や業者や周辺商店が口にする不安を取り上げることが多い。

基地依存度(県民総所得に占める基地収入の割合)は、25-27%(1955年)、17%(1964年)、「ベトナム・ブーム」で回復して20%(1966-67年)、10%未満(復帰時)と概ね減少を続け、いまでは5%程度だと言われる(『押し付けられた常識を覆す』 >> リンク)。

また、北谷町や那覇新都心(おもろまち)において実現されたように、軍用地が返還されて民間活用したら、雇用や経済波及効果が以前とは比べものにならないほど向上したケースがある。「米軍がいなければ沖縄はやっていけない」のは、半分は、時代遅れの神話に過ぎないのである。

しかし、その一方で、自治体の予算には、米軍関連の補助ががっちりと食いこんでいる。その大きなものが、「島田懇談会事業」であり、また「北部振興策」であった。基地負担と見返りのオカネ、すなわち「アメとムチ」である。本書は、そのあたりの実状を丁寧に検証している。

沖縄県のなかで、歳入総額に占める基地関連収入の割合が20%以上の自治体は、4市町村(恩納村、宜野座村、嘉手納町、金武町)(2009年度)。また、辺野古基地の建設が押し付けられている名護市でも、多い時には約30%にものぼったが、稲嶺市長の就任にともない基地関連費用を市の予算に計上することをやめている。

本書が次々に紹介する事例は、まさにこの構造が如何に自治体財政を歪め、ハコモノなどコストパフォーマンスの低い事業の初期投資のみ行ったことでその運営負担を発生させ、結果的に、成果が得られていないかを、如実に示すものばかりだ。公共工事があっても、本契約は「本土」の企業ばかりであり、県内事業者が得るのは下請けとなっている。オカネを投入しても県内で還流せず「本土」に流れていき、県内の経済波及効果があらわれない「ザル経済」と言われる所以である。

本書は、「基地外住宅」問題にも触れている。米軍人の約4分の1は、基地外に住んでいるという。2009年に在沖米軍が「基地内居住の義務化」を発表してからも、年々増えているのが実態だという。

この件は、2008年2月、基地外に居住する米兵が中学生に暴行をはたらいた事件を契機に、現状が見え始めてきた(その後国会で追及されるまで、政府も、基地を置く自治体の長も把握していなかった)(>> リンク)。2007年の基地外居住者は10,319人であったが、2010年には12,671人と、4年間で22%も増えている。これでは、基地内対策を講じようと、限界がある。

読んでいくと、ひどい実態ばかりである。わたしも含め、「本土」における「琉球新報」の読者は極めて少ないだろう。ぜひご一読されたい。いま必要なのは本書のような具体論であるから。

●参照
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
『あごら』 「沖縄の声」を聞いてください―少女暴行事件に想う―
アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
押しつけられた常識を覆す
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
「名護市へのふるさと納税」という抵抗


纐纈雅代 Band of Eden @新宿ピットイン

2013-02-04 23:26:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

休暇。新宿ピットイン(昼の部)に足を運び、纐纈雅代 Band of Eden を観た。

纐纈雅代 (as, ss)
石田幹雄 (p)
伊藤啓太 (b)
外山明 (ds)

纐纈さんはソプラノサックスから吹きはじめた。最初の浮遊するような感覚から、やがてエンジンがかかり始め、アルトサックスでは気持ちの良い鳴らしっぷり。ベンドも、管全体が不協和的な振動を起こすまで敢えて息を吹き込むのも、聴いていて快感。

迷うことなく強烈な音の数々を繰り出す石田さんのピアノ、奇妙なリズムの外山さんのドラムスも嬉しい。師匠の松風鉱一さんは、外山さんをグループに迎えた最初のライヴで、あまりのヘンなリズムに、ああもう解散だ!と思ったとか(内緒)。

一方でヘタウマな歌なんかもあって、どんな世界を見せてくれるのか、聴くほうの気持ちが定まらなかった(面白かったけど)。このグループの進化が楽しみなような気がする。

●参照
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(纐纈雅代参加)
松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(石田幹雄、外山明参加)
石田幹雄トリオ『ターキッシュ・マンボ』
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(外山明参加)
松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2(外山明参加)


米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』

2013-02-03 20:54:29 | 環境・自然

米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』(弘文堂、2011年)を読む。

主に、地球温暖化に関する取り決めや国際交渉を追った本である。単に結果としての事実を追うのではなく、その背後にある意味や中長期的な現代史における位置付けを考察している点で、実にすぐれている。

世の中でウケの良い環境関連書のひとつは、「○○のウソ」などの陰謀論だ。すべてがそうだとは言わないが、ちょっと読んだだけでもデタラメであることがすぐに判る。下らないねと棄てることができればまだ良い。ところが、社会的な影響力は結構あり(つまり、テレビ的)、鵜呑みにしてしまう人が結構いるようなのだ。わたしも、そういった受け売りを自分の意見であるかのように喋る人に何度も遭遇した。しかも、良心的な市民運動に共感する人に多い。

環境という価値を尊重し、保守的・強権的な旧来権力に抵抗するならば、せめて、まともなものを読んでほしいと思う。ダニエル・ヤーギン『探求』(日本経済新聞出版社、原著2011年)、吉田文和『グリーン・エコノミー 脱原発と温暖化対策の経済学』(中公新書、2011年)、佐和隆光『グリーン資本主義 グローバル「危機」克服の条件』(岩波新書、2009年)、その他、良書をいくつも見つけることはできる。

本書も、もちろん広く読まれるべき本である。2011年の「3・11」後に書かれていることもあり、原子力に対するスタンスも明確である。また、クライメート・ゲート事件という政治的策動についても、しっかりと検証されている(実は、これに端を発した温暖化懐疑論が日本で盛り上がり、そのまま陰謀論化してしまった)。

本書を読むと、温暖化に関する政治的プロセスが、歴史上異色なものであったことがよくわかる。また、これが、東西冷戦の終結という「脅威の空隙」を埋めるように登場してきたこと、英国などの進める気候安全保障論が大きな影響力を持ってきていること、中国の存在を抜きにして国際的な枠組みを構築できないことなどが、納得できる。

地球規模の脅威への予防主義的な対策という理想と、いびつな国際間交渉と、ナイーヴに過ぎた日本の取り組み。そのようなアンバランスな関係のもとでは、ろくでもない言説がいくつも出てくることは仕方がない。本書は、真っ当な視座のひとつとなるものだろう。

●参照
ダニエル・ヤーギン『探求』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
自著


チコ・フリーマン『Elvin』

2013-02-03 16:06:06 | アヴァンギャルド・ジャズ

チコ・フリーマン『Elvin』(JIVE、2011年)を聴く。チコ・フリーマンが、エルヴィン・ジョーンズに捧げたアルバムである。

Chico Freeman (ts)
George Cables (p)
Lonnie Plaxico (b)
Winard Harper (ds)
Joe Lovano (ts) (only 1 and 7)
Martin Fuss (ts, bs, fl) (only 4)

一聴しての最大の印象は、何だか小さくまとまっていて、もはやチコには若い頃のような突破力は望めないのだなということだ。

確かに、端正にコード進行に沿って素晴らしいソロを積みかさねていく様子も、テナーサックスの独自の音色も、チコのものである。それでも、何かチコの真似をするチコのような感覚で、驚きも、鮮烈なヒットもない。もう仕方がないのかな。チコ・ファンとしては聴き続けるのだが。

ドラムスのウィナード・ハーパーも、当たり前のことではあるが、エルヴィンとは似ても似つかない。別に真似をすればいいわけでもないし、エルヴィンに音楽的に近いドラマーを連れてくればいいわけでもないのだろうが、それでは、このトリビュートアルバムは何なのだ。

曲は、意外にも、かつてチコがエルヴィンと共演したものというよりは、ジョン・コルトレーン、ジョー・ヘンダーソン、ウェイン・ショーターといった先達たちの演奏を題材にしている。「Inner Erge」など、曲がジョーヘン臭いので当然チコのテナーもジョーヘンぽく聴こえるが、そのうち、チコならではのソロを展開するのはさすがである。

この中で演奏している「The Pied Piper」は、同名のアルバム『The Pied Piper』(Black Hawk、1984年)で演奏された曲であり、チコと心が浮き立つようなアンサンブルを吹いたジョン・パーセルではなく、マーティン・ファスという別の奏者が代りを務めている。これはオリジナルのほうが断然良いかな。


エルヴィン・ジョーンズにサインをいただいた

『Elvin』には、付録として短いヴィデオが収められている。そこでも、チコが、エルヴィンはコンテンポラリーでのデビュー盤に参加してくれて、昔からの縁があるんだよ、などと語っている。そのアルバムが、『Beyond the Rain』(Contemporary、1977年)である。

これは、実は私の秘かな愛聴盤でもあって、改めて聴いてみると、若いチコの破天荒な勢いも、もちろんエルヴィンの音楽全体を包み込むような破格のドラミングも、ヒルトン・ルイスのモーダルなピアノもすべて素晴らしい。いまのチコと同じことも違うこともよくわかる。

できれば、ここで演奏されている「Two over One」(リチャード・ムハール・エイブラムスの名曲!)、「My One and Only Love」、「Pepe's Samba」あたりを、トリビュート盤でも取り上げてほしかった。と言いつつ、実際にいまの演奏を聴いたら失望するのだろうなという確信がある。


ヒルトン・ルイスにサインをいただいた

●参照
チコ・フリーマン『The Essence of Silence』
最近のチコ・フリーマン
チコ・フリーマンの16年
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Porttait』
エルヴィン・ジョーンズ(1)
エルヴィン・ジョーンズ(2)


マックス・ローチ+アブドゥーラ・イブラヒム『Streams of Consciousness』

2013-02-03 10:15:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

Max Roach (ds)
Abdullah Ibrahim (p)

マックス・ローチ+アブドゥーラ・イブラヒム『Streams of Consciousness』(Piadrum、1977年)。

70年代のローチには、アーチー・シェップ、アンソニー・ブラクストン、セシル・テイラーといった猛者とのデュオ録音がいくつかなされている。この記録もその流れの中にある。

今なお異色な存在に思えるローチのドラミングを、どのように言うべきだろう。偉大なる練習?偉大なるイディオム?偉大なる機械?

ローチとセシル・テイラーとのデュオ2枚組、『Historic Concert』(Soul Note、1979年)では、セシルはマックスのことを「elastic」などと評していた。練習やイディオムや機会とは矛盾するようだが、その通りである。

何にせよ、モダンジャズの根源から生まれた奇怪なパルスの中を、アブドゥーラ・イブラヒム(かつでのダラー・ブランド)の、やはり異色なピアノが己を発散する。ソロによる『African Piano』(ECM、1969年)にも劣らず強度が高い(そして、相変わらずのペラペラな音色)。

●参照
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(『Historic Concert』収録)


梅棹忠夫『東南アジア紀行』

2013-02-02 09:26:31 | 東南アジア

梅棹忠夫『東南アジア紀行』(中公文庫、原著1964年)を読む。

著者が、「大阪市立大学東南アジア学術調査隊」の隊長として東南アジア諸国(タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア)を旅したのは1957-58年。55年も前のことである。国家体制も社会の雰囲気も、当然、既に大きく変っている。しかし、この本には愉しさと多くの発見とがある。

著者は、出会ったひとつひとつを咀嚼し、納得し、あるいは疑問として提示する。例えば言葉。タイ語もインドネシア語も、修飾語が名詞のあとにくる。昔は、日本ではチャオプラヤ川のことを「メナム川」と呼んでいたが(わたしもそう習った)、実はメーナムが川を意味する。ジャワ島のブンガワン・ソロも同様に、ブンガワンが川。従って、「メナム川」も「ブンガワン川」も、「川の川」となり、意味をなさない。知らなかった。

タイは、チャートリーチャルーム・ユコン『象つかい』(>> リンク)で描かれたように、戦前は国土の8割が熱帯林におおわれていた(いまでは3割程度に過ぎない)。本書の時代には、まだまだ過伐採が行きつく前であり、現在よりも遥かに多くの森林が残っていたに違いない。そのタイ北部では、植生を具体的に観察している。熱帯雨林のイメージたる常緑広葉樹ではなく、ほとんどは、モンスーン気候に合った落葉広葉樹林だという。そう言われてみればそうだ。

タイ北部からビルマ(ミャンマー)にかけてのカレン族も山地民として描かれているが、さらに国境を越えた民族として観察されているのがモン族である。わたしは昨年、ベトナム北部で多くのモン族の女性たちや子どもたちを目にした。中国雲南省のミャオ族と同じだということも聞いた。本書を読むと、実は彼らの生活の拡がりは、それだけではないことがわかる。本拠は中国貴州省、そこから、雲南、広西にのび、ベトナム北部、ラオス、タイまで広がってきた。インドシナ半島における山づたいの本格的な移住は、19世紀に行われたが、そのときの原因は、中国南部における反清革命運動たる太平天国の余波が、この山の民を駆って、南へ追いやったのだという。著者は、この拡がりを称して、「奇怪な分散隊形の空中社会」だとする。1000mの等高線で切って、それ以下の部分を地図で消し去ってしまうと、あとに彼らの国があらわれてくるのだというのである。素晴らしい説明術だ。

中国からインドシナ半島へ移動してきたのは、モン族だけではない。広い意味でのタイ族の国は、もともと雲南省にあって、ナンチャオ(何詔)とよばれ、8世紀には唐に比肩する大勢力だった。しかし、13世紀、のクビライの進出により独立国としての歴史を閉じた。しかし、その前から移動ははじまっており、タイやラオスに入った。何年か前、ラオス人が、いやタイに言って会話するだけなら何て事はないと話していたのが記憶にあるが、それは故なきことではなかったのだ。

こんな具合に、カンボジアや、ベトナムの歴史を大局的に解説する。東南アジア史をあまり知らないことを恥じてしまう。

当時の東南アジアと現在の姿は、当然、異なったものだが、なかなかその変化が面白くもある。

バンコクでは、当時、「ATAMIONSEN」というソープランド(昔はトルコ風呂と呼んでいた)があったという。今は、何店舗もの「有馬温泉」があるが、これは健全なるマッサージ店である。

当時は三輪自転車が廃されて三輪バイク(トゥクトゥク)が出てきた時代だったが、今では大気汚染の問題から製造が禁止され、5、6年前と比べると、その姿が目立たなくなってきた。もはや産業遺産である。

ルンピニ公園横の「Wireless Road」は、この頃すでにその名前があった。昔、無線局があった名残なのだという。当時はタクシーで「Wireless Road」と言っても通じなかったというが、今では知らぬ者はない。

大昔の記録だと思わず読んでほしい。特筆すべきは、著者の、簡潔にしてユーモラスな文章である。文章たるもの、こうでなければならない。


モン族のふたり(ベトナム北部、2012年)


オリヴィエ・アサイヤス『夏時間の庭』

2013-02-02 01:22:48 | ヨーロッパ

オリヴィエ・アサイヤス『夏時間の庭』(2008年)を観る。

パリ郊外の田舎に建つ旧い館。老女は、自らの遠くない死を悟り、ひとりの娘(ジュリエット・ビノシュ)とふたりの息子を呼び寄せていた。長女は米国や日本(大丸!)でデザイナーとして働き、長男はフランス国内の経済学者、次男は中国で「Puma」のスニーカーを生産している。それぞれの子どもたちが、森のような広い庭で大はしゃぎ。大人はみんな忙しい。

老女の叔父は有名な画家だった。彼の作品や、付き合いのあった画家たちの作品を、老女は、散逸しないようにして売ってほしいと、子どもたちに頼むのだった。そして、老女はほどなくして突然亡くなる。子どもたちは話し合い、美術品の数々を売ることに決める。

心が落ち着くような里山の自然や、互いを思いやる登場人物たちの良い演技が素晴らしい。ビノシュは本当に味がある女優だなあ。

コローやルドンやドガの作品。丁寧に修復・管理するとは言え、作品のいくつかを引きとったオルセー美術館の人工的な佇まいと、自然光のもとで日常的に接する有りようとの違い。美術品はそれを愛する人間のものだ、と、主張しているのかもしれない。

何より、人と人との間を、カメラ自身が彼ら・彼女らと親密な人間となったように動き回る撮影が素晴らしい。アルフレッド・ヒッチコック『ロープ』のように、幽霊がカメラとなっているのではない。カメラも仲間と化しているのである。

人の関係性が希薄になってしまったからこそ、あえて関係を丁寧に描いているように思える。そうでない社会では、この映画は作られなかっただろう(家族が世界中に散り散りになっているといった現代的なプロットがないとしても)。その意味で、すぐれて現代的な映画だということができるようにも思える。

●参照
オリヴィエ・アサイヤス『クリーン』


アッバス・キアロスタミ『シーリーン』

2013-02-01 01:37:05 | 中東・アフリカ

アッバス・キアロスタミ『シーリーン』(2008年)を観る。

怪作といっても過言でないだろう。

約90分の間、カメラは、映画館でスクリーンを見つめる女性の顔をのみ、捉え続ける。ほとんどはイラン女性なのだろうか、ただ、ジュリエット・ビノシュも居る。

上映されているらしき映画は、12-13世紀のペルシア詩人・ニザーミーの手による作品『ホスローとシーリーン』である。ササン朝ペルシアの王ホスロー二世と、アルメニアの女王シーリーンとの悲恋物語であり、その展開につれ、女性たちは含み笑いをしたり、涙ぐんだり、没入したりとさまざまな表情を見せる。顔とは実に不思議なもので、すべての関係性がそこに凝縮され、共有されている。90分間、まったく厭きることはない。

映画というものが、画面だけでなく、また映画館や暗闇だけでなく、個々の網膜と脳に届き処理されてはじめて成立するのだとすれば、顔は、それらの間に介在する奇妙なインターフェースに違いない(この言葉が、文字通り、そのようにつくられている)。映画を観る顔もまた、映画であるということだ。

DVDには、映画のメイキングフィルムも収録されている。驚くべきことに、観客の女性たちは、実は、映画など観てはいなかった。『ホスローとシーリーン』の物語さえまったく意識していなかった。ライトとカメラが向けられ、自分の存在や記憶をのみ見つめていた、のであった。

映画などそのようなものかもしれない。キアロスタミは蛮勇を持つ哲学者か。

●参照 イラン映画
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
モフセン・マフマルバフ『カンダハール』
サミラ・マフマルバフ『ブラックボード』
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
カマル・タブリーズィー『テヘラン悪ガキ日記』『風の絨毯』
マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』