Sightsong

自縄自縛日記

本郷義明『徐葆光が見た琉球』

2014-01-18 22:29:05 | 沖縄

ポレポレ東中野に足を運び、本郷義明『徐葆光が見た琉球』(2013年)を観た。最終日だった。

かつて琉球王国は、明国と冊封・朝貢関係にあった。すなわち、独立国でありつつ、中国のゆるやかな傘の下にあった。ところが、1609年、薩摩の島津藩による琉球王国への侵攻があった。その後、琉球王国は、明国・清国と日本の両国に帰属することとなった。(日本は、この体制から、さらに1879年の琉球処分以降、琉球王国を沖縄県として暴力的に支配下に置くことになる。)

この映画では、両国帰属の様子を説明している。明国・清国から使者が来るときには、琉球は、日本の支配を悟られないために看板や文書をすべて隠していた(いまのような情報化時代からは想像しがたいことだ)。ところが、明国・清国も、そのことを気付いていたらしいという。それほどに、「天下」概念に基づく支配のかたちがファジーであったということである。

タイトルにある徐葆光(じょ・ほうこう、但し沖縄では「じょ・ほこう」と呼ばれることが多いらしい)は、18世紀の清国の官僚であり、琉球に渡航・滞在した人物である。彼の生涯や、書き残した文書の歴史的な重要性について、徐葆光研究家の�蘯揚華(う・やんふぁ)さん(>> 「�蘯揚華のニイハオおきなわ」)が愉しそうに語る。徐が詠んだ漢詩を、葛飾北斎が目にして『琉球八景』という作品群を残したのだが、そこは琉球をいちども見たことがない悲しさ、雪が積もっている(!)。

この時代の中琉交流が、その後の沖縄文化につながっているようだ。テビチ、ナーベラー、ラフティー、ちいるんこうなどの食文化も、琉球舞踊も、これをルーツとする。那覇のチャイナタウン・久米村も、このときまですたれていたが、また交流によって復活したという。

いちど、首里城で琉球舞踊が演じられるのを観たことがあったが、あれは、清国からの冊封使をもてなすためのものであったのか。なお、もてなしの宴は、最初は崇元寺(>> リンク)、次は首里城で開かれたらしい。崇元寺の中には、立派なガジュマルがあるが、当時はやはりなかったのだろうな。

ところで、中国文化圏には媽祖(まそ)信仰がある。航海の守護神であり、中国沿岸部のみならず、海上交易のネットワークとともに拡がり、東南アジアにも拡がっている。最近では、東京の大久保に媽祖廟が建立されたというニュースがあった(2013/10/13)(>> リンク)。

沖縄や青森の大間にさえも到来していたということだけは知っていたのだが(姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』)、映画によれば、沖縄では媽祖のことを「天妃」と称し、渡来後の中国人が礼拝していた。いま、天妃宮の跡は、天妃小学校(!)に残るという。調べてみると、天妃小学校ホームページの「学校の不思議発見」に、その説明がある。

こんなところからも、琉球が海の王国であったことが実感できるというものだ。面白い。

●参照
上里隆史『海の王国・琉球』
上里隆史『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
伊波普猷『古琉球』
汪暉『世界史のなかの中国』(天下概念)
汪暉『世界史のなかの中国』(2)(天下概念)


旧橋壮カルテット@新宿ピットイン

2014-01-18 07:44:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

ひさびさの新宿ピットイン昼の部(2014/1/17)。

旧橋壮(ts, fl)
増田実裕(p)
カイドー・ユタカ(b)
野村綾乃(ds)

武満徹や変拍子の曲もあったが、演奏はストレートジャズ。

旧橋さんのテナーサックスの音は、固い芯が入った樹脂のようで、音圧が増すたびにこちらをびしびしと叩くのだった。貴重なタイプだというフルートもいい音。


冨山一郎『流着の思想』

2014-01-15 23:16:08 | 沖縄

冨山一郎『流着の思想 「沖縄問題」の系譜学』(インパクト出版会、2013年)を読む。

名指しではないものの、おそらくは、高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(>> リンク)への批判がなされている。それは、ひとつには、そのような「論」を語ることの態度の非対称性に対する苛立ちからきているのではないか。すなわち、如何に真っ当な「論」であっても、それは、当事者とは異なる言葉で、饒舌に語られる。「言葉が異なる」、「身体が異なる」のである。

饒舌に語る者は、「沖縄」という名で呼ばれる沖縄について、その名を所与のものとして語る(歴史を踏まえたものであっても)。「沖縄」という名で呼ばれる沖縄にとっては、それ以前に、名を呼ばれるという暴力的な位相がある。オマエハナニモノダという問いが、既に、法を超えた、戒厳令下におけるような、暴力を孕んでいる。オマエハナニモノダと問われた者は、強迫的な、立ち位置の不断の取得を迫られる。それはアイデンティティということばで簡単に括ることができるようなものではない。

もちろんこのことは、当事者以外は当事者にかかる問題を語る資格がないということではない(そのような対応は自壊するだろう)。しかし、本書でも、それについてのスタンスは明確でないように見える。

オマエハナニモノダという暴力に対して、本書に挙げられているように、伊波普猷は分裂した態度を示した。現在の『古琉球』(>> リンク)のヴァージョンは伊波本人により幾度もの改訂がなされたものであり、例えば、以下の言葉も現在のヴァージョンには存在しないという(冨山一郎『伊波普猷を読むということ―――『古琉球』をめぐって』、『InterCommunication』No.46, 2003 所収)。

「只今申し上げたとほり一致してゐる点を発揮させることはもとより必要なことで御座ゐますが、一致してゐない点を発揮させる事も亦必要かも知れませぬ。」

沖縄も朝鮮も、傷痕を感知しながら、戒厳令下・植民地支配下を生き延びていく。日本による朝鮮統治時代を描いた、金達寿『玄界灘』(青木書店、原著1953年・改稿1962年)を思い出してしまう(>> リンク)。主人公は、日本では朝鮮人であることを隠し、朝鮮では日本人の経営層のもと屈辱的な態度を強いられる、という、屈折した言動を行う。彼は、釜山から下関に渡る際に、こともあろうに日本人になりすまそうと試み、特高により「化け」だと見抜かれてしまう。

暴力は、それが絶えず発生し続ける位相から見出さなければならないということか。

「社会は単純に二つに分割されておらず、また暴力は二つの世界の間においてのみ作動するのではない。こうした二分割の単純化は、暴力を前にした思考の緊縮でしかない。こうした思考の緊縮は、沖縄であれ朝鮮であれ、帝国主義に支配された諸地域を犠牲者として囲い込んでしまい、作動していく暴力(=力)に見いだすべき可能性を押し隠してしまう。思考の緊縮により、死者は再度埋葬されるのである。」

●参照
伊波普猷『古琉球』
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
村井紀『南島イデオロギーの発生』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
金達寿『玄界灘』


大島渚『忘れられた皇軍』

2014-01-13 13:28:08 | 韓国・朝鮮

大島渚によるテレビドキュメンタリー『忘れられた皇軍』(1963年)が、「NNNドキュメント'14」の枠で再放送された。快挙といえる。

日本占領下の朝鮮あるいは日本において徴用された朝鮮人たちは、「天皇の赤子」として、日本軍の一員となった。しかし、敗戦後、戸籍によって国籍を定められた。

このことは、国家が国民をどのように支配し、あるいは排除してきたかを考える上での観点となる。(内海愛子氏、植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』 >> リンク

そして、責任や賠償を論じる前提として<国籍>が置かれ(憲法も、審議段階で、その対象を人から国民へと変更した)、そのために、朝鮮など植民地支配下の住民、強制連行・強制徴用した住民、慰安婦など、そのカテゴリーから外れた(外された)人びとへの戦後の待遇が理不尽なものとなった。(波多野澄雄『国家と歴史』、中公新書、2011年 >> リンク

『忘れられた皇軍』には、自らの窮状とあまりにも不公平な国家の扱いを訴える、在日コリアンの傷痍軍人たちが登場する。日本政府からは、ろくな補償を受けることができず、当時、ならば国籍主義に則り韓国政府に訴えてはどうかと言われたという。しかし、被占領下にあった国の政府がその責任を負うということは、そもそも誤りであった。

カメラは、日本の軍人として負傷し、失明し、顔に火傷の痕が残り、片手を失った人の姿に迫る。まさに、カメラも加害者だという大島渚の言葉通りに迫る。その迫力は今観ても(今観るからこそ)、凄まじいものだ。

映像は何度も問いかける。「日本人たちよ、これでいいのだろうか。わたしたちよ、これでいいのだろうか。」と。もちろん、よくはない。番組に登場した田原総一郎氏が言うように、このドキュメンタリーは、日本人の加害性という歴史と、そこから目を背ける日本人の欺瞞を突くものであった。

なお、『忘れられた皇軍』は、すぐれた番組を対象とした「ギャラクシー賞」(放送批評懇談会)の第一回を受賞している。そして2012年度の受賞作品のひとつは、琉球朝日放送・三上智恵ディレクターによる『標的の村』(>> 映画版テレビ版)であった。50年を経てなお、大きな暴力への視線が求められているのだということができるだろうか。

●大島渚
大島渚『青春の碑』(1964年)
大島渚『アジアの曙』(1964-65年)
大島渚『大東亜戦争』(1968年)
大島渚『新宿泥棒日記』(1969年)
大島渚『少年』(1969年)
大島渚『夏の妹』(1972年)
大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983年)

●NNNドキュメント
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』

2014-01-13 10:08:28 | 思想・文学

ユーロスペースに足を運び、マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』(2012年)を観る。

 

ナチスドイツでユダヤ人を強制収容所・絶滅収容所に移送する責任者であったアドルフ・アイヒマンは、戦後アルゼンチンへ逃亡し、1960年、イスラエル・モサドにより拘束された。自身もユダヤ人であり、フランスの収容所に拘束されていたハンナ・アーレントは、裁判の傍聴を申し出る。

アーレントがそこで観察したアイヒマンは、根源的な悪を抱え持つ人間ではなく、ただの「お役人」であり、上から命令された義務を忠実にこなすだけの「凡庸な悪」であった。それは同時に、アイヒマンが「人間」でなくなっており、「考える」ことをやめた者であることを意味した。そして、それは「全体主義」がもたらした悪なのだとした。

雑誌に寄稿したアーレントの文章に対し、アイヒマン擁護だとの激しいバッシングが起きた。歴史的な犯罪、巨悪は有無を言わさず裁くべきであり、それに加担しないアーレントの存在は許し難いものなのだった。(しかも、アーレントは、ナチスとユダヤ人犠牲者との間に立って「取引」をしたユダヤ人リーダーたちへの非難さえしていた。「全体主義」によるモラルの崩壊が加害側だけでなく被害側にも及んだ結果だとして。)

よくできた映画であり、ドラマとしてまったく飽きることがない(マルティン・ハイデッガーと恋仲にあったとは知らなかった)。しかし、この映画を、「地味なテーマに対するドラマ性」、「感動的なアーレントの演説」、あるいは映画のコピーにあるような「真実」などということばでのみ評価してはならない。というのは、「凡庸な悪」とは、戦争責任についてだけ適用されるのでなく、現在も生き続ける大きなテーマであるからだ。

戦争において、組織的にそのような位置におかれ、戦争遂行の指導や、下手人として虐殺を行ったとして、その者は免罪されるのか? それは否である。それでは、かけがえのない価値を棄てようとする動きに対する市民の声・抵抗を押しつぶし、まるで戒厳令のもと、環境破壊や基地建設を強行する下手人たちについてはどうか?

ウクライナにおいて、デモ隊が、機動隊に向けられるための鏡を持ち込んでいるという。また沖縄の高江や普天間においても、相手の名前を覚えて呼び掛けると、その者からは暴力性が薄れることがあるという。これはまさに、自ら「考える人間」であることを取り戻させようとする方法ではないのか。そのような点で、アーレントの考えは現代的であると言うことができる。

柄谷行人の責任論を思い出してしまう。

人の行動や考えに、その人の自由は反映されないのか―――そうではない。その時々刻々の存在のなかで、人は自由である義務をまぬがれない。たとえば、日本軍に徴兵されていることと、率先して虐殺に手を染めることとはイコールではない。認識に基づき、その自由度を「括弧に入れる」、すなわち、態度変更を私たちは身に付けなければならない。ここに責任が発生する。(柄谷行人『倫理21』) 

●参照
仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』(アーレントが非難したハイデッガーの講演録)
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
芝健介『ホロコースト』
高橋哲哉『記憶のエチカ』(アーレント論)
アラン・レネ『夜と霧』
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
プリーモ・レーヴィ『休戦』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)
徐京植『ディアスポラ紀行』
飯田道子『ナチスと映画』


ウォン・カーウァイ『恋する惑星』

2014-01-12 08:50:20 | 香港

ウォン・カーウァイ『恋する惑星』(1994年)を観る。(VHSが105円だった。)

香港の街での恋愛物語。いや、物語というよりもフラグメント集。

アンビエントのモノも音も敢えて取り込むカメラと、たたみかけるように現実に追いつこうとする演出からは、ライヴ感と疾走感が吹き出してくる。確かにこれは素晴らしい。

それにしても、フェイ・ウォンが冗談のように可愛い。彼女がテレサ・テンの傑作『淡淡幽情』に捧げたアルバム『マイ・フェイヴァリット(菲靡靡之音)』は、どう背伸びしてもテレサの域には達していないと思いしまいこんでいたのだが、また聴いてみないと。

●参照
ウォン・カーウァイ『楽園の疵 終極版』(1994年/2008年)
ウォン・カーウァイ『グランド・マスター』(2012年)


鈴木則文『少林寺拳法』

2014-01-11 22:36:16 | 中国・四国

鈴木則文『少林寺拳法』(1975年)を観る。

少林寺拳法とは、中国の少林拳とは異なり、満州から引き揚げてきた日本人・宗道臣(※)が創始した武術である。異なるとは言っても、宗は、中国河南省の崇山少林寺出身者に教えを乞うており、それに他の武術の要素を組み合わせたものであるようだ。(実はさっきはじめて知った。)

この映画も、実在の宗の生涯をモデルとしている。もっとも、宗が千葉真一のような濃いキャラであったかどうかわからないが。

宗は、敗戦後、大阪の闇市で警察に目をつけられ、香川県多度津町へと渡り、道場を開く。よそ者であるにも関わらず、宗は地元に受け容れられ、どんどん若者を入門させ一大勢力となっていく。そして地元ヤクザとの抗争。

やはり鈴木則文ならではの面白さ最優先主義、すべてにおいて過剰。誠直也(アカレンジャーにしか見えない)の右手を人形みたいに切り落とさせたり、安岡力也の局部を鋏で断ち切ったり、最後にとどめをさされる男が口から吐く血を煮こごりのようなコロイドにしてみたり。

そして、悪人がうそぶきながらガラッとふすまを開けたところ、暗闇の中に千葉真一の顔が浮かび上がる場面なんて、待ってましたと言いたくなってしまう。(この場面で、千葉真一が「少林寺拳法が無頼の徒なら、お前たちは何だ」と、絞り出すような低い声で威嚇するところだけ、何故か覚えていた。)

ところで、いろいろ検索していて発見した。中国の崇山少林寺の近くに、「少林拳とサッカーを融合させて教えるサッカースクールを2017年までに建設する計画」があるという。もろに『少林サッカー』の影響らしい。記事には、まさに映画を地でいく写真があって、笑うというより仰天した。そのうちワールドカップやオリンピックでセンセーションを巻き起こしたりして。チャウ・シンチーが監督とかやったりして。

「中国“少林サッカー”専門校建設へ 成績向上に期待」(スポニチ、2013/8/10)

そういえば、何年か前、杭州だか寧波だかの空港の売店で、崇山少林寺の写真集を発見して立ち読みした。その中には、超人としか思えない人たちが紹介されていた。中でも、男が自分の局部に紐を通し、その紐で重たい石を引きずって歩くという写真があった。驚愕してすぐに頁を閉じたが、強烈すぎて忘れられない。おそるべし崇山少林寺。

※実は、一筋縄ではいかない側面が大きいようである。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/geography/gaihouzu/newsletter2/pdf/n2_s2_3.pdf
http://budo.sence-net.com/siryou/
http://budo.sence-net.com/siryou/shiryou6.pdf

●参照
鈴木則文『ドカベン』(1977年)
鈴木則文『忍者武芸貼 百地三太夫』(1980年)
鈴木則文『文学賞殺人事件 大いなる助走』(1989年)


大島渚『大東亜戦争』

2014-01-11 12:02:15 | アート・映画

大島渚によるテレビ作品『大東亜戦争』(1968年)を観る。

岸信介の揮毫によるタイトル画面からはじまり、日本人の戦死者数で締めくくられるこのドキュメンタリーは、冒頭に以下の但し書きが付くように、当時の日本という文脈の時空間を提示する。

「このフィルムは、すべて大東亜戦争当時、撮影されたものである。/言葉、音、音楽もすべて当時、日本人によって録音されたものである。/外国から購入したフィルムも、すべて当時の日本人の言葉でつづった。/これは、私たち日本人の体験としての大東亜戦争の記録である。」

この映像からは、既に開戦当初から、戦死した軍人を「英霊」と呼んでいたことがわかる。そして、それは、「玉砕」や「神風」と同じ位置に置かれ、すべて、侵略戦争を覆い隠す大きな物語の構築と強化に活用され、回収されていった。

もちろん、そのような独特なことばだけではない。大本営発表やニュース映像において、ことばも音楽も人々の姿も、徹底的にコード化されていた。学徒出陣も、南瓜の増産奨励も、皇民化教育も、戦地の日本軍と米英軍の挙動も、すべてが「英霊」「玉砕」「神風」と地続きなのだった。(ジョホールバルからの攻撃によるシンガポール攻略後の、山下大将のいかにも勇ましく立派な動きと、英国軍パーシバル中将のおどおどした動きとの違いは、驚くほど対照的に選択・提示されている。)

すなわち、この映像は、誤れり奇怪な「物語」「コード」を外部から眺めた、すぐれた作品となっているのである。情報操作と多くの者による物語の共有のありよう、そしてその無惨な結果を感じ取ることなく、「物語」「コード」内部のことばを未だに使っている者がいるとは、信じ難いことだ。

●参照
大島渚『青春の碑』(1964年)
大島渚『アジアの曙』(1964-65年)
大島渚『新宿泥棒日記』(1969年)
大島渚『少年』(1969年)
大島渚『夏の妹』(1972年)
大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983年)
中野聡『東南アジア占領と日本人』
後藤乾一『近代日本と東南アジア』


仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』

2014-01-10 07:19:00 | 思想・文学

仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書、2009年)を読む。ハンナ・アーレントに関する入門書である。

アーレントは、全体主義が生成するメカニズムを説いた。際立って異なっている「他者」との対比によって自らのアイデンティティを確認することが、平板な全体主義を生んでしまう。ナチスドイツのアドルフ・アイヒマンすら、いつそれが「私」であってもおかしくない「凡庸な悪」として描いている。

その思考の延長として、アーレントは「活動」を重視した。その前提には「複数性」があった。動物的に堕した人間本性ではなく、よそ行きの姿をまとい、言語活動によって多様な他者との意見交換を常に行うべきであるというものであり、それは画一的な全体主義への批判の裏返しでもあった。

当然、「複数性」は、すぐにわかりやすいオルタナティブの提示に逃げることがない。また、現在の経済社会のような討論なき利益集団・社会関係の固定は、「複数性」に反することとなり、「疎外」も生むことになる。あるべき姿は、緊張感のあるかたちでの市民の政治参加でもあり、それを通じてコミュニケーションの技法・知識が習得されていく。人が「公的な領域」に登場せず、動物的にプライベートな空間にのみ閉じこもることへの批判でもある。

確かにこうして見れば、高橋哲哉氏が指摘するように(『記憶のエチカ』)、アーレントはこのような「活動」を行いうる文化圏の人間をのみ視野に入れていたように思えてならない。また、声なき者の存在をどのように考えていたのかという疑問も出てくる。「公的領域」ばかりを重視することのあやうさがある。

共感に基づく政治」批判は興味深い。これが均質的な声となり、逆に、共感しない者を悪・不純物とみなす。そして、現代では、際立って異なる悪を想定した思考様式が跋扈している。感情を歪に前面に押し出す政治や報道も、そして、陰謀論も、あちこちに巣食っている。

「複数性」は、また、当事者のみを重視することも否定する。当事者への共感が全体主義につながってしまい、傍観者としての見方を消してしまうというわけである。

面白い入門書である。とはいえ、手っ取り早い入門書は逃げていくのも早い。本書を読みながらいろいろ思うところがあったが、きっとそれも遠からず消えてしまう。ごつごつとした言葉と格闘し、その過程において自分の言葉として獲得していかなければ無意味に違いない。 


高畠通敏『地方の王国』 かつての新潟、千葉、北海道、鹿児島、徳島、滋賀

2014-01-08 07:38:49 | 政治

高畠通敏『地方の王国』(講談社学術文庫、原著1986年)を読む。

なぜ「王国」かといえば、それぞれの地方においてボスが登場し、オカネや人情を通じた独特な基盤を築きあげてきたからだ。

新潟では、田中角栄と越山会が、あまりにも露骨・直接的な利益誘導型の政治手法を繰り広げ、一時代を築いた。

千葉では、やはり田中角栄的な「ハマコー」が権勢を誇った(ハマコーの地元・木更津の工業化や埋立について記録した、井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』についても言及されている)。もとより漁業で食べている地域ゆえ、どこかに出かければオカネを渡すという習慣があり、風変わりな金権政治が成立したのだという。

北海道は、農業の成り立ちや自由化圧力などを理由として、伝統的に社会党王国であった。本書では、その状況も変わりつつあることを示した。

鹿児島も北海道と同様に「低開発地帯」であったが、北海道とは対照的に、保守王国であった。

徳島では、田中vs.三木、あるいは後藤田vs.三木の「戦争」が政治を左右した。

滋賀では、他府県に吸い取られる琵琶湖の水利権や環境問題を背景に、武村正義が「新時代」の知事として登場した。ただ、それも、地方を中心とした政治というよりは、国政をにらんでのものであった。

すでに著者は鬼籍に入っているが、巻末には、五十嵐暁郎氏により、各地域での「その後」が簡潔にまとめてある。

新潟では、田中真紀子時代とその終焉があった。米どころとして重要なTPP問題に対するベクトルは定かでない。

千葉では不安定な政治が続いているが、三番瀬などの問題に取り組んだ堂本知事という新風があった。森田知事はパフォーマンス重視であり、政策が明らかでない。

北海道では、「中川ブランド」や鈴木宗男の勢いの浮き沈みがあった。また本書には言及がないが、現在のTPPへの反対や政権支持率をみても、地域特性は依然としてあるのだなと思う。

鹿児島は農業と観光(新幹線開通)で売りだそうとしているため、選出議員はTPPに反対している。ただ、現政権の動向との整合性が問われているという。

徳島では、第十堰改築反対の住民投票(>> リンク)が、県政に新たな歴史を刻んだ。

滋賀からは、かつての宇野、山下、武村のような強力で安定した政治家が消えた。嘉田知事の「卒原発」の動きも、成果をあげるには至らなかった。

こうしてみると、TPP問題、環境問題、福祉問題、地方議会の旧態依然ぶり、そして衆議院の小選挙区導入による保守強化といった課題・難題がみえてくるようだ。地方の実状を見ずに、国政のみで日本のかたちを捉えることは無意味だということがわかる。


鈴木則文『文学賞殺人事件 大いなる助走』

2014-01-07 07:37:07 | アート・映画

鈴木則文『文学賞殺人事件 大いなる助走』(1989年)を観る。

わたしが間違っておりました。傑作でした。

筒井康隆による原作『大いなる助走』(1979年)は、中学時代に出逢い、爆笑しながら何度も読んだものである。それだけに、映画化され、テレビで山城新伍(文芸誌編集長の役で登場)が宣伝している姿を観ると、幻滅するだろうと思い込んでしまって、これまで近づかないでいたのだ。

物語は、同人誌での文学活動を生きがいとする人たちのカリカチュア化した姿。興味を持って参加した男(佐藤浩市)は、自分が属する会社の内幕を暴露した小説を書いて、会社をクビになる。ところが作品は中央の文芸誌に掲載され、さらには直本賞(笑)の候補にさえなってしまう。受賞するためにあらゆる手を講じるが、落選。怒りに狂い、男は選考委員を次々に殺していく。

この小説が出たとき、地方の同人誌で活動する人たちは勿論、中央の文壇の作家や編集者たちも、きっと不快に思ったに違いない(確か、松本清張が出版社に怒鳴りこんできたとか)。映画もしかりだが、ここまで鈴木則文によって徹底的にアホっぽく描かれれば、怒る気にはならないだろうね。

それにしても奇人・変人・ダメ人間を演じる役者たちがことごとく芸達者。小松方正、由利徹、天本英世、梅津栄(佐藤浩市を熱っぽく視る顔!)、山城新伍、石橋蓮司。しかし、作家になる前に役者を目指していた筒井康隆の演技は、自意識ばかりが目立っていまひとつ。

●参照
鈴木則文『ドカベン』(1977年)
鈴木則文『忍者武芸貼 百地三太夫』(1980年)


重田園江『ミシェル・フーコー』

2014-01-05 09:33:09 | 思想・文学

重田園江『ミシェル・フーコー ―近代を裏から読む』(ちくま新書、2011年)を読む。

これは普通の概説書ではない。第一に、フーコーの生涯や思想・著作をざっと追ったものではなく、むしろ、『監獄の誕生』(1975年)(>> リンク)へのラヴレターである。第二に、同書を中心として、フーコーの思想を著者自身のことばで説こうとしたものであり、これは情報の整理・再提示などよりも何倍もの思考と労力を必要とするに違いない。それゆえ、フーコーの晦渋かつ長いテキストを苦しみながら読んだあとであれば、本書の楽しみは倍増する。

偉大なる素人のフーコーは、「ものの見え方」に根本的な異議申し立てを行った。この「ものの見え方」こそが知の体系なのであり、既存の「ものの見え方」に依拠するアプローチでないことが、フーコーを、いわゆる専門家ではなく、偉大な素人なさしめたのだった。そして、「ものの見え方」が突き崩されていき、立脚点を失うことが、フーコーを読むことの醍醐味であることも、本書のメッセージである。

『監獄の誕生』において示されたのは、近代国家の規律型統治が、何も法制度や上からの権力体系の整備が進んだことによるのではなく、どんなミクロな単位においてもトポロジカルな権力関係を生み出すようなあり方によって成立していることだった。本書が説くように、「監獄」自体が機能しているのではない。むしろ「監獄」による犯罪抑止・犯罪者矯正は失敗したシステムなのであり、それだからこそ、すべての人間のすべての活動がグレーゾーンに入り、「上から」でない統治が成立する。著者曰く、「みみっちい工夫」の集積体である。

著者は、考えをさらに展開し、権力と政治を「究極の状況や非常時における最悪の事態」を参照点としてとらえることを、幼稚なものとみなす。陰謀論もしかりである。わたしはこの指摘に半分は反発を覚えつつも(なぜなら常に最悪の状況が見え隠れし、それへの抵抗が最悪の事態を回避するものであるから)、また半分は納得する。したり顔で、主体も具体的なプロセスも曖昧なままに陰謀論が語られることは、よくあることだからである。

「こうした見方が、国家と政治と権力を「大人」のやり方で解読する試みを妨げてきたのではないか。政治が生み出す究極の姿として例外状態やむき出しの生があることを認めるにしても、なぜそこを出発点に政治を語らねばならないのか。むしろ日常性の側から、通常状態における政治と権力の側から思考し、日常から非常時へと接近してゆくべきではないのか。」

●参照
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(1961年)
ミシェル・フーコー『知の考古学』(1969年)
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(1975年)
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(1970年代)
ジル・ドゥルーズ『フーコー』(1986年)
桜井哲夫『フーコー 知と権力』
ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)


『Coyote』のカサヴェテス特集

2014-01-04 09:12:44 | 北米

『Coyote』(No.50、Winter 2014)が、「カサヴェテスへの旅」と題し、ジョン・カサヴェテス特集を組んでいる。

最近のジーナ・ローランズやシーナ・カッセル(『ラヴ・ストリームス』でジーナと離婚する男を演じた)への取材、それから、1989年にカサヴェテスが亡くなった直後のピーター・フォークやベン・ギャザラへのインタビュー。カサヴェテス本人の声を含め、読んでいると、またカサヴェテス映画の揺さぶりがあらわれてくる。

「私に言わせれば、偉大な映画なんてない。ただ束の間心に触れてくる何かがあるだけだ。」

たぶん、かつて『Switch』誌がカサヴェテス特集号を組んだあとの影響は小さくなかった(本誌への再録記事もある)。これもまた波のひとつになるか?

●参照
ジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』(1974年)
ジョン・カサヴェテス『グロリア』(1980年)
ジョン・カサヴェテス『ラヴ・ストリームス』(1984年)
ACT SEIGEI-THEATERのカサヴェテス映画祭


鈴木則文『ドカベン』

2014-01-03 01:01:35 | スポーツ

鈴木則文『ドカベン』(1977年)を観る。

山田、岩鬼、殿馬を実写で再現するのだから仕方ないのかもしれないが、これはスラップスティック・ギャグと言うべきか。ハチャメチャを堂々と押し出してくる勢いで、もう爽快にさえなってくる。当時、これがいったいどのような評判だったのか気になる。

永島敏行を売りにしようとしたためか、明訓高校のエースピッチャーは里中ではなく、「長島」。夏子はんがマッハ文朱、殿馬が川谷拓三という配役も笑う前に脱力。そして原作者・水島新司が演じる徳川監督は、むしろヨロヨロの岩田鉄五郎。

いや~、この突き抜け方は何というか・・・。

●参照
鈴木則文『忍者武芸貼 百地三太夫』


ジョニー・トー(20) 『城市特警』

2014-01-02 22:47:57 | 香港

ジョニー・トー『城市特警』(1998年)を観る(VHS)。かなり初期のトー作品。

香港警察のウォン警部(レイ・チーホン)は、指が痙攣して銃が撃てなくなり、もう警察を辞めようかと思っていた。辞表を出そうとした矢先に、親友の警部が殺される。捜査に乗り出すと、それは警察内部の者も関与したロシアとの麻薬取引だった。

矢継ぎ早にアクションとギャグを繰り出してくる一級のアクション。残酷な描写において工夫しようとしていることはよくわかるが、まだ、トーならではのスタイリッシュな演出はさほどみられない。

「らしい」ところがあるとすれば、カメラ好き。盗撮する男の使うカメラはキヤノンT-90である。この後、『フルタイム・キラー』ではペンタックスZ-1P、『PTU』のインタビュー映像ではツァイスイコン・ホロゴンウルトラワイド、『イエスタデイ、ワンスモア』では何かの二眼レフ、『エグザイル/絆』ではコンタレックス・ブルズアイ、『文雀』ではバルナックライカとローライ二眼レフ、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』ではポラロイドSX-70といった具合。

レイ・チーホンは『男たちの挽歌』に登場する裏切り者か、悪くない。

●ジョニー・トー作品
『名探偵ゴッド・アイ』(2013)
『ドラッグ・ウォー 毒戦』(2013)
『高海抜の恋』(2012)
『奪命金』(2011)
『アクシデント』(2009)※製作
『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(2009)
『スリ』(2008)
『僕は君のために蝶になる』(2008)
『MAD探偵』(2007)
『エグザイル/絆』(2006)
『エレクション 死の報復』(2006)
『エレクション』(2005)
『ブレイキング・ニュース』(2004)
『柔道龍虎房』(2004)
『PTU』(2003)
『ターンレフト・ターンライト』(2003)
『スー・チー in ミスター・パーフェクト』(2003)※製作
『デッドエンド/暗戦リターンズ』(2001)
『フルタイム・キラー』(2001)
『暗戦/デッドエンド』(1999)
『ザ・ミッション 非情の掟』(1999)