Sightsong

自縄自縛日記

高畑勲『かぐや姫の物語』

2014-01-02 21:23:45 | 関西

高畑勲『かぐや姫の物語』(2013年)を観る。

墨の線による淡い色彩のアニメが、男鹿和雄の背景美術と見事に融け合っていて、見事。仰天、驚愕。ハイテクかつアナログ、大変な地点にまで来ているのではないか。

これは倫理の物語であり、また、ケガレ論でもあるようにも思えた。かぐや姫は、ケガレとの境界を行き来し、その上で、ケガレの境界を引きなおし、そこに豊饒な生命をあらためて見出していくことになる。

●参照
高畑勲『じゃりん子チエ』(1981年)
男鹿和雄展、『第二楽章 沖縄から「ウミガメと少年」』


科学映像館が公開する映像の数々

2014-01-02 09:44:00 | アート・映画

科学映像館」では、その名の通りの科学映画にとどまらず、産業、祭祀、社会、歴史など様々な分野の貴重な映像を配信している。

これまでのレビューが、サイト更新に伴いリンク切れになっていたりもしたので、すべて修正した。(※ 2014/1/2再修正)

沖縄・琉球弧
『粟国島侵攻』、『海兵隊の作戦行動』(沖縄戦)
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『石垣島川平のマユンガナシ』(石垣島の祭祀)
熱帯林の映像(沖縄の着生植物やマングローブなど)
『与論島の十五夜祭』(南九州に伝わる祭のひとつ)

原子力
『黎明』、『福島の原子力』(福島原発)
『目でみる福島第一原子力発電所』(福島原発) 
『原子力発電の夜明け』(東海第一原発)

産業
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
『ビール誕生』(ビールの製造)

動物
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)

美術
『雪舟』
『廣重』

アジア
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
『チビ丸の北支従軍 支那事変』(プロパガンダ戦争アニメ)
『チャトハンとハイ』(ハカス共和国の喉歌と箏)
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)

日本各地
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
『小島駅』(徳島本線の駅、8ミリ)
戦前の北海道関係映画
山田典吾『死線を越えて 賀川豊彦物語』

科学映像館 >> リンク


降旗康男『居酒屋兆治』

2014-01-02 01:52:27 | 北海道

久しぶりに、降旗康男『居酒屋兆治』(1983年)を観る。(何しろ高倉健なので・・・。)

20年ぶりくらい前には大原麗子くらいしか意識していなかったが、ちあきなおみ、伊佐山ひろ子、細野晴臣、佐藤慶など脇役が超豪華。

それはともかく、固定化しまくったジェンダー、バルネラビリティへの願望、暴発することがわかっている抑制、場末感など、もうやりたい放題。妄想を正直に形にした映画という意味では傑作か(笑)。

●降旗康男
降旗康男『地獄の掟に明日はない』(1966年)
降旗康男『あ・うん』(1989年)
張芸謀・降旗康男『単騎、千里を走る。』(2006年)
降旗康男『あなたへ』(2012年)


ロラン・バルト『中国旅行ノート』、ミケランジェロ・アントニオーニ『中国』

2014-01-01 22:03:48 | 中国・台湾

ロラン・バルト『中国旅行ノート』(ちくま学芸文庫、原著1974年)を読む。

バルトが1974年に中国を旅したときに記したメモであり、そのほとんどは思いつきや印象で占められている。いまの眼でみると、このフラグメントのクラスターは、ほとんどtwitterである。ヒトサマに見せるほど練られてはいない。したがって、バルトならではの魔術性はないものの、それでも、これらのクラスターは、中国版『表徴の帝国』に発展しえたのではないかと感じられる。

面白いことに、バルトは、旅の間、歴史や文化の吸収をするわけではなく、ほとんど人の挙動を観察していた。言説の隙間にあるものを抽出しようとしての呟きが、このノートとなったわけである。

1974年、文化大革命の後期。旅で何度も中国側に示されたことは、林彪と孔子に対する批判(批林批孔)であった。既に1971年、林彪は毛沢東に対するクーデターを企て、モンゴルで墜落死している。彼が呼び込もうとした魔の資本主義、そして孔子の旧弊に対する批判であり、いま振り返ってみれば、権力争いの歴史とイデオロギーの変遷しか見えてこない。

バルトは、繰り返されるステレオタイプの常套句にウンザリしつつ、そのような言説がブロックとして発せられる中国論を生み出そうとしていたようにみえる。それがどのような形になったのか、わからないが。

ノートには、ミケランジェロ・アントニオーニが1972年に撮ったドキュメンタリー『中国』についての言及がある。出来あがりを観た毛沢東と江青の逆鱗に触れ、30年間、陽の目をみることがなかった。そして上意下達のメカニズムが当然のように働き、バルトの耳にも届いた。

「老人: 1972年、1人のイタリア人、名前はアントニオーニ・・・・・・ アントニオーニ・・・・・・ アントニオーニ・・・・・・ イタリア人には中国人に対する友愛があるのだが。アントニオーニには裏表がある: 彼は5階建ての家を映したくなかった。彼はあばら家となった博物館(子供への教育のために保存されたもの)を撮影した; アントニオーニは撮影のために土まみれになった! 中国人を中傷している。」

おそらく、この老人の悪態自体が既に常套句と化しているものなのだろう。ただ、Youtubeにアップされている映画を観ると、毛沢東と江青が不快に思ったこともむべなるかなと思える。

>> Michelangelo Antonioni "Cina"

ここでは、北京をはじめ、河南省、蘇州、南京、上海などの風景が映し出されている。当時の王府井や天安門広場の映像など、非常に興味深い。中国との関係の深さに応じて、誰もが古い中国といまも残る中国を見出すに違いない。わたしは「皮膚をなでただけ」ゆえ、それなりである。そして、アントニオーニもそうであった。

当時の中国人たちは、不審な表情でカメラを見つめており、アントニオーニも、己を異物だと自虐的に語っているのである。その挙句に、上海の精製工場について、「大きいだけである」、「ほとんど廃材でつくられている」と、挑発しようとしているのではないかというほどの酷いコメントを付してさえいる。これでは依頼者は怒る。

映画の最後(上海を中心とした第3部)では、もはや、解釈やコメントを放棄して、ひたすらに上海の映像を提示することに努めているようだ。これも面白いと言えないこともない。

ところで、万里の長城において、記念撮影のためにカメラを取り出す人の映像があった。これはライカコピー機の「上海」ではないだろうか。既に江青の肝入りで「紅旗」も存在していたはずだが、そのような超高級機がここに登場するわけはない。


森谷司郎『八甲田山』

2014-01-01 11:17:56 | 東北・中部

森谷司郎『八甲田山』(1977年)を観る。とは言いながら、途中からバカバカしくなって「ながら観」。

1902年、青森。日露戦争(1904年)の直前である。陸軍は、ロシア軍に青森が攻撃されて交通が分断される可能性を想定し、八甲田山での雪中行軍を企画する。あまりにもクレイジーな計画だが、一度決まったことは、上意下達の論理とプライドによって覆すことができない。高倉健も、北大路欣也も、不満を抱えつつ、死を賭して行軍を指揮する。

なぜバカバカしいかと言えば、3時間もの間、どうしようもない軍の論理と日本の論理を見せつけられ、ウンザリするからである。その意味では反戦映画。