埼玉県東松山市の丸木美術館まで足を運び、宮良瑛子展を観る。最終日になんとか間に合った。
宮良瑛子さんは福岡生まれだが、施政権返還直前の沖縄に移住し、沖縄を描きはじめる。その後、韓国の慰安婦や光州事件、アメリカに攻撃される中東など、沖縄以外の抑圧される人びとも、おそらくは想像によって、絵の対象としている。
わたしにとっては、ドキュメンタリー『南北の塔 沖縄のアイヌ兵士』(1985年)において紹介された作品「わが島の土となりしアイヌ兵士に捧ぐ」を目にしただけだが、強い印象が残っており、他の作品も観たいと思っていた。
2階の展示作品は、絵本の原画だった。ひとつは、戦時中、日本軍によって強制的に西表島に疎開させられ、マラリア地獄、その後のソテツ地獄に苦しんだ人びとの物語。もうひとつは、対馬丸事件の8か月前に、対馬丸同様に疎開に向かう民間人多数を乗せた湖南丸が、やはり米軍に撃沈された事件を描いている。しかし、このことは、日本軍によって伏せられ、数十年間も表に出てこなかったという。
1階には、油彩画がまとめて展示されている。沖縄の女性たちは、ことごとく、がっしりした体格、らんらんとした眼を特徴として描かれている。しかも、苦しみ生きている人びとの姿である。日射が強く、まぶしい。光だけでなく、容赦のない自然のエネルギーにより、人びとの皮膚からは水分や有機物が発散し、草木もにおいを発散し、そういった生物の証と、土壌と、自然エネルギーとが強烈な世界を形成している。生きることは苦しむことだと言わんばかりなのだ。
画家にとって、この世界は唯一無二のものであるだろう。その意味で、これらの作品のもつ特性は、「いま、ここに」でしかあり得ない。そして、描かれる対象の脈動は、画家の脈動とシンクロしている。こればかりは、印刷物では体感できない。行ってよかった。
作品のなかには、辺野古の鉄条網(既に撤去)を描いたものや、怒りの声をあげる元慰安婦の人びとを描いたものもある。概念が先走っているのかもしれない。しかし説明画ではない。高良勉さんは、宮良瑛子さんの絵について、古臭さを指摘しつながらも、あらためて時代の証言として発見される厚みと、さらなる抽象への飛翔を観察している(高良勉『魂振り』)。厚いのだ。
ところで、丸木美術館が収蔵する目玉は、丸木夫妻による「原爆の図」である。「水俣の図」、「南京大虐殺の図」、「アウシュビッツの図」も展示されている。人間の形を保っていても、保っていなくても、人間の地獄を描いた作品群である。「入魂」ということばは、これらの作品にこそふさわしいのではないかと思えてくる。また、丸木位里の母・丸木スマ、妹・大道あやの作品も観ることができる。
外に出ると、丸木美術館の横には、「痛恨の碑」がある。関東大震災のあと、官憲と一般市民とが、朝鮮人、中国人、社会主義者たちを虐殺した。上からのデマも、野獣のような故なき憎悪もあった。現在のヘイトスピーチにも重なるこのおぞましい行為は、東京から避難する者たちとともに、埼玉や千葉や栃木といった関東圏に拡がっていった。
碑の裏側には、こう刻まれている。「1923年関東大震災の時 東京から逃れて来た 韓国朝鮮の人々を 前々から住みつき暮していた人々を 虐殺したのであります 埼玉県で約240名 尊い命が失われました このことを忘れないように ここに痛恨の碑をたてました 丸木美術館」
加藤直樹『九月、東京の路上で』によれば、埼玉県も「不逞鮮人」に備えよという通牒を発し、デマにお墨付きを与えたという。同書では、埼玉県内で殺された朝鮮人の数を、200人を超えるとしている。
●参照
『沖縄・43年目のクラス会』、『OKINAWA 1948-49』、『南北の塔 沖縄のアイヌ兵士』
平和祈念資料館、「原爆と戦争展」、宜野湾市立博物館、佐喜真美術館、壺屋焼物博物館、ゆいレール展示館
『魯迅』、丸木位里・丸木俊二人展
過剰が嬉しい 『けとばし山のおてんば画家 大道あや展』
佐喜眞道夫『アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡』
高良勉『魂振り』
加藤直樹『九月、東京の路上で』