Sightsong

自縄自縛日記

チャールズ・ヘンリー・フォード『Johnny Minotaur』をアンソロジー・フィルム・アーカイヴズで観る

2014-07-01 21:11:50 | 北米

アンソロジー・フィルム・アーカイヴズジョナス・メカスらが作った組織であり、いちメカス・ファンとしては、何はともあれ入ってみなければならない。ちょうど、修復されたばかりだという、チャールズ・ヘンリー・フォード『Johnny Minotaur』(1971年)を観ることにした。

料金はちょうど10ドル。15分くらい前に着くと、すでに多くの人たちが開場を待っていた。座席は満員。まずは、この映画の修復に3年くらいかけたとか、タブーに挑戦した作品なので怒らないでくれ、といった挨拶があった。

80分ほどの16ミリ映画だが・・・。なんというか、ほとんどの間、少年の○○○ばかりを写している。ストーリーは無いにひとしい。憧れの場所に入って、なぜわたしは○○○を80分も凝視しているのだろう。まあ、クイア映画だとか、ダリやギンズバーグがナレーションに参加しているとか、それらしき意義を言って言えなくもない。

観客はみんな刺激的な場面で楽しんでいるふうを装って笑い(としか思えない)、終了後、拍手する人たちまでいた。スノッブは万国共通である。わたしもあなたもスノッブだ。ああ、あほらし。

ところで、上映中も、何人もの人が(若者に限らない)、ケータイをチェックしていて、かなり鬱陶しい。日本のマナーがいいのか、アメリカのマナーが悪いのか。


国立アメリカ・インディアン博物館

2014-07-01 20:48:32 | 北米

まずは名前に吃驚してしまうが、「ネイティブ・アメリカン」こそが「ポリティカリー・コレクト」ではないのかという議論はあったらしい。また、設立に際しては、ケヴィン・コスナーが『ダンス・ウィズ・ウルヴス』の収益を投じたという。

たとえば、東京の中心部に、これまで抑圧してきた先住民族の歴史をここまで大々的に展示する施設を作るだけのポテンシャルがあるのかと言えば、おそらく無いのだろう。

マンハッタン島の南端にあり、入場無料。17時に閉館し、時間厳守で追い出される。

先住民族としては、アメリカだけでなく、極北や南米までカバーしている。また、先住民族出身の人たちによる現代の作品も展示している。45分くらいしかなかったのだが、なかなか見応えがあり、時間不足だった。先住民族の数はとても多く、勉強不足を恥じてしまう。

ユト族の服(19世紀後半)。結構おしゃれ。

チェロキー族のお面(右:20世紀前半、左:後半)。

メキシコで7月の祭に使用されていた服(1940年)。祭では、かつてのコルテスによるアステカ帝国攻撃の歴史が語られるのだが、なんと、そこでは、モクテスマが生き返り、コルテスが滅ぼされることになっているのだという。

古代ペルーの土瓶。

オノンダガ族のピーター・ジョーンズによる1968年の作品「バナナ」。中が白く外が赤い「リンゴ」と同様の皮肉的な意味合いを想起させるとの解説がある。


MOMA PS1のマリア・ラスニック、コラクリット・アルナーノンチャイ、ジェイムス・リー・バイヤース

2014-07-01 20:11:40 | 北米

MOMA(ニューヨーク近代美術館)には「PS1」という別館があって、おそらくは、国際的に評価が確立していないアーティストの活動を取り上げている。

マンハッタンからイースト・リヴァーを挟んですぐの場所にあり、クイーンボロ橋を歩いていくこともできるらしい(地下鉄を使ったが)。なお、周囲は殺風景で、風情のある地域でもなんでもなかった。

◆ マリア・ラスニック

マリア・ラスニック(Maria Lassnig)はオーストリアの画家であり、今年に入ってから90代半ばで亡くなっている。

身体の内と外とにこだわり、あられもない姿として表現。ときにはそれが怪物のような形にメタモルフォーズし、SF的なデバイスを通じて内外を行き来している。これだけひとつの妄執を見せられると爽快でさえある。会場では本人による短編アニメも4本ほど上映されていて、これがまた愉快。

思いがけず魅入られてしまった。

◆ コラクリット・アルナーノンチャイ

コラクリット・アルナーノンチャイ(Korakrit Arunanondchai)はまだ20代のタイのアーティストで、ここでは、大きなインスタレーションが展示されていた。

3面の壁を白い寺院のデコレーションの絵で覆い、ひとつひとつに、金色を塗ったボディをべちゃりとくっつけて人の形を残している。真ん中には、その過程をとらえた奇妙な映像とマネキン。イヴ・クラインがタイでゴテゴテになったわけである。

◆ ジェイムス・リー・バイヤース

ジェイムス・リー・バイヤース(James Lee Byars)はデトロイト生まれ、97年にカイロで亡くなるまで、京都を含め世界のあちこちに滞在した人である。

手紙、電報、絵葉書といった活動の痕跡をアソートしたり、それを抽象化して形にしたり。コンセプチュアル・アートに分類されるのかもしれないが、そこまで自身と切り離してすっきりさせたものではなく、「しょぼい私」を残しながらのもの。観る者は否応なく感情移入してしまうのではないか。