すべて、ライカM4、Zeiss Biogon 35mm F2.0、Fuji 400H
キング牧師通りとマルコムX通り。
すべて、ライカM4、Zeiss Biogon 35mm F2.0、Fuji 400H
水野仁輔『銀座ナイルレストラン物語』(小学館文庫、2013年)を読む。
東銀座にあるナイルレストランは、日本におけるインド料理店のパイオニアであり、鶏肉を目の前でほぐしてくれてご飯やキャベツと混ぜて食べる「ムルギランチ」が有名である。東京のインド料理好き、カレー好きの間で知らぬ者はないだろう。店主のG.M.ナイルさんも有名人で、芸能人の客も多いという。もう15年くらい前、ここで食べていると、SMAPのメンバーが外の行列で律義に待っていて仰天した記憶がある。
本書は、老舗というにとどまらない歴史をまとめていて、とても興味深い。創業者のA.M.ナイル(G.M.ナイルさんの父)は、インド国外にあってインド独立運動を進め、ラス・ビハリ・ボース(中村屋のボース)とも交友があった人物である。ここは評価の分かれるところだと思うのだが、大英帝国への抵抗の過程において、旧日本軍との関係が近かった。そのために、独立前は英国支配下のインドに戻れず、また、独立後もしばらくは、日本軍に協力したということでインドに戻ることができなかった。そのため、敗戦後の日本で食うに困り、日本人の妻の尽力で、日本初のインド料理店を開いたというわけである。
このことをカレー伝来史のなかに位置づけるなら、次のようになる。(小菅桂子『カレーライスの誕生』より)
18世紀、英国にスパイスが上陸。カレーは、上流階級のものとなった。
百年を経て、江戸末期から明治初期にかけて、英国からもうひとつの島国・日本に上陸。
日本では、当初上流階級の食べ物であり、やがて、独自の進化を遂げた。
1927年、新宿中村屋が、ボースのサポートにより、「カリ・ライス」を考案。
1949年、日本ではじめてのインド料理店として、ナイルレストラン創業。
A.M.ナイルは料理などまったくできず、すべて妻が南パキスタンの人たちから教わって考え出したものであるという。したがって、看板メニューのムルギランチを含め、そのはじまりから、実は伝統的なインド料理でも、もちろん日本料理でも、パキスタン料理でもなかったものだったのである。
実際に、ナイルさん父子が戦後はじめてインドに戻ったとき、オールド・デリーではじめてタンドーリ・チキンを出し始めた老舗「モティ・マハール」でも食事をして、その旨さにうなっている。それにもかかわらず、オリジナリティ追求のため、ナイルレストランでタンドーリ・チキンを出すことはしていない。
ところで、わたしも2010年に「モティ・マハール」で夕食を取ったことがある。そのとき、店員が見せてくれたのが、雑誌「Dancyu」での紹介記事だった。今も、日印のつながりがあるのだということができるかもしれない。なお、ここでは酒が飲めず、ナイルレストランではもちろん飲めるという大きな違いがある。
モティ・マハール、オールド・デリー、2010年
もう20年近く前、わたしの通勤列車の同じ時間・同じ車両に、お香の匂いを漂わせた方がいつも乗ってきて、誰だろうと思っていたことがある。その後、ナイルレストランにたまたま食事をしに行ったところ、ご本人が出てきて吃驚した。最古参の「番頭」のRさんだった。そんなわけで、朝の電車では頻繁に雑談をして、また食べに行ったりもした。
本書を読んだら、最近ご無沙汰しているお店に、またムルギランチを食べに行きたくなってしまった。
●参照
小菅桂子『カレーライスの誕生』
尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』(ボースと山中峯太郎)
張芸謀『サンザシの樹の下で』(2010年)を観る。(Youtubeの英語字幕版)
文化大革命の時期。少女は、近くの農村に、伝承を調べに行った。農村のサンザシの樹は、抗日や革命のために力を尽した者たちの血によって、花が白でなく赤になるのだと言われていた。別の要件で来ていた青年は、実は赤いよと当たり前のことを言って少女を笑わせた。少女の父は政治犯として獄中にあり、母は病弱。家族が生きのびていくためには、色恋沙汰で後ろ指を指されるようなことがあってはならない。それでも突き進むふたり。そして、青年が病に倒れる。
初恋といえば、誰にとっても、苦しく、愚かで馬鹿馬鹿しく、しかしそのことしか視えない体験であったに違いない。巨匠は、それらのすべてを、驚くほどストレートに、ロマンチックに、しかも繊細に描いてみせる(個々の場面がフェードアウトする方法も巧い)。これを観る者は、各々の忘れかけた記憶を呼び起されるはずである。
張芸謀の映画に傑作でないものはない。
2010年、中国・杭州
●張芸謀
『紅いコーリャン』(1987年)
『菊豆』(1990年)
『紅夢』(1991年)
『活きる』(1994年)
『上海ルージュ』(1995年)
『初恋のきた道』(1999年)
『HERO』(2002年)
『LOVERS』(2004年)
『単騎、千里を走る。』(2006年)
トニー・ウィリアムスが1960年代末から率いたグループ、ライフタイムのDVD『Montreux Jazz Festival 1971』を見つけた。
Tony Williams (ds)
Arthur Juini Booth (b)
Ted Dunbar (g)
Warren Smith (perc)
Charles Don Alias (perc)
Larry Young aka Khalid Yassin (org)
メンバーも何も書いていないので調べてみると、何だ、Youtubeにアップされているじゃないか。DVDは所詮プライヴェート盤で、Youtubeと同様に画質が悪い。
ただ、演奏は凄い。特に、主役のトニー・ウィリアムスはまだ20代後半であり、当然ながら、後年のように、自分自身のスタイルを再生産する前の段階にある。ドラミングの一叩き、一叩きが超高速であり、正確無比であり、タイコも痛いだろうなというほど強靭であり、しかもそれがずっと続けられる。
オルガンのラリー・ヤングは、相変わらず、でろでろ音を延々と垂れ流す。もちろんそれがカッコ良いわけで、ギター、マリンバとのミクスチャーによって、さながら恍惚空間を創りあげている。
実は、ライフタイムをあまり聴いてこなかった。ラリー・ヤング、ジョン・マクラフリンとのタッグによって従来のジャズから逸脱していったという歴史は認識しているし、最初の盤『Emergency!』も愛聴してはいるのだが、後続の作品については、メンバーの変遷も含め、よく知らないのだ。しかし、40年以上前の音楽に痺れるのだから、もっと探索したいところ。
●参照
マルグリュー・ミラー逝去、チャーネット・モフェット『Acoustic Trio』を聴く
マイルス・デイヴィスの1964年日本ライヴと魔人
ハンク・ジョーンズ
トニー・ウィリアムスのメモ
アメリカへの行き帰りに、ジェームズ・ラブロック『A Rough Ride to the Future』(Allen Lane、2014年)を読む。
著者は「ガイア仮説」の提唱で有名な存在である。地球上の生命と環境とをひとつの生命体のように捉えるヴィジョナリーな説であり、わたしも、大学生になって読んだ『地球生命圏』(1979年)にずいぶん感銘を受けたものである(そのせいで、地球物理の勉強をすることになってしまった)。
前半は、主に、科学者たることについての文章。いまや、誰もが専門馬鹿であり、科学全般を鳥瞰するどころか、他分野のことがまるでわからない人ばかりになってしまっている状況を懸念している(仕方がないのだろうが)。著者が理想とする科学者の姿は、ジェネラリストであり、また、職人でもある。実際に、かつての科学者は実験器具のコンセプトも製作も自分でこなしたのであり、高価格・高性能の機器を買って使うのでは、その問題点に気づかないのだと指摘する。
現在は、大学や大企業などの組織に所属しないと論文さえ受理されにくく、それにより研究のバイアスがかかってしまうことの問題点があるという。それはそれとして、著者のように、個人として研究費を取得することがどれだけ可能なのだろうか。また、その空論は置いておいても、「ピアレビュー」をダメなシステムだとする指摘には、首をかしげざるをえない。たとえば、STAP問題については、組織所属の問題点と、ピアレビューがシステムとして機能していなかった問題点の両方があるわけである。
後半は、気候変動問題や、今後の科学技術のあり方についての論考。よく知られているように、ごく短期的にみれば、地球温暖化のトレンドはフラットにみえる。このことが、くだらぬ懐疑派(denier)たちの跋扈を生んでいるわけだが、著者自身は、かつてはそれと対照的な信仰派(believer)であった。何を信仰していたのかといえば、CO2の増加がごく近い将来にカタストロフを生むという数値計算によるシナリオを、である。
著者は、数値計算に重きを置きすぎていたと率直に誤りを認め、反省している。ここは高く評価すべきところだが、信仰派から懐疑派へと極端な動きをするのではなく、数値計算の限界をこそ再認識したのであった。予測の誤りとしては、他のガスの存在の他に、海流の挙動があったことを挙げている。こうしてみれば、著者自身が、大気と海とが独立せず動く自己制御型のシステム(self-regulating system)たる「ガイア仮説」を自ら再認識したことになる。もちろん、著者が強調するように、気候変動は中長期的な現象であり、短期的なトレンドで論じることは妥当ではない。
懐疑派と信仰派との構図は、日本と欧米とではずいぶん異なる。欧米では、本書でも書かれているように、左翼=信仰、右翼=懐疑であり(単純化しているが)、この背景には、さまざまな利権があることが、ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』(『複雑化する世界、 単純化する欲望―核戦争と破滅に向かう環境世界』という邦題で、2014/7/10に花伝社より刊行)においても痛烈な批判とともに指摘されている。日本においてはその逆であり、そこには、原子力推進とセットとしてCO2削減政策が進められてきたことと、それを否とするリベラルの反応がある。しかし、科学をベースとせず、くだらぬ陰謀論にとらわれていると言わざるを得ない。
このように、著者は、信仰派、懐疑派のいずれか極端な主張をしてしまう愚を説いているわけだが、それは、残念ながら、著者自身についても当てはまってしまう点がある。
ひとつは、原子力への変わらぬ信仰ぶりである(福島では誰も原発事故で死ななかったという、どこかで聞いたような主張を、著者もしてしまっている)。もうひとつは、今後の人間社会は、都市を基盤として、外は過酷な気候であっても建物のなかでは快適に生活できるシンガポール型を指向すべきだという単純思考である。生活も、文化も、食糧も、機能で割り切ることができるようなものではない。もっとも、これは、今後何億年単位での「ガイア」を考える著者ならではのヴィジョナリーな構想によるものかもしれない。
●参照
多田隆治『気候変動を理学する』
米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』
小嶋稔+是永淳+チン-ズウ・イン『地球進化概論』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』
ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
ダニエル・ヤーギン『探求』
ニューヨークのハンバーガーがどれほどのものか、試さなければならない。そんなわけで、チェーン店では食べないことをポリシーとして、いくつか評判の店で食べてみた。情報源は、「Village Voice」誌の「Best Hamburgers」記事と、「Pen」2012/6/1号の「男のニューヨーク特集」(笑)。
◆ P.J.Clarks
フランク・シナトラが常連でいつも同じ席で食べていたという店。カウンターの空き席を見つけ、忙しそうな店員をつかまえて、「キャデラック・バーガー」を注文。名付け親はナット・キング・コールだとか。
期待してかぶりついたが、いや、別に・・・。肉があまり熱くないのがどうも・・・。
◆ Whitmans
場所にちなんだ「East Villi Cheese Steak」を注文。出てきて仰天、肉とチーズが冗談みたいにふんだんに使ってある。しかも熱々。どちらかといえばホットドッグだ。食べ始めると中身がぼろぼろ落ちる。これは旨い。
気に入って、別の日にも立ち寄ってみた。今度はふつうのハンバーガーを注文。ふつうの味だった。卵の黄身が垂れて困った。
◆ Treehaus
宿の近くにあるデリ兼ファーストフード。窓際でさあ食べようとサンドイッチのケースを開くと、朝食にしては大きい。別の日に昼食のバーガーを注文しケースを開くと、輪をかけて冗談みたいに大きい。なんでこんなことをするのか。結局、夜もまったく空腹にならなかった。
この店の2階では「MEN」を供しているようで、興味を抑えきれず、「SUKIYAKIなんたら」を食べてみた。椎茸の煮つけやメンマやチャーシューが入っていて、唐辛子が勝手にかけられている。ちょっと奇怪な気もしたが、これが悪くない。キッチンカウンターにはそば粉とそば打ち台があった。
◆ Katz's Delicatessen
パストラミサンドが名物のようだが、大きな山のようなそれを食べている人びとの姿を見て戦意喪失。チーズバーガーを注文した。
まあ、ふつう。
◆ Corner Bistro
ほどよい大きさ、垂れる肉汁。凝縮感あり。旨い。
◆ 結論
デカすぎる。太った人が多いのも当然だ。パンがことごとくフニャフニャに柔らかく、香ばしく焼くべきである。以上。
アンディ・ウォーホルが活動空間として作った「ファクトリー」のビルは、もう潰されていて存在しない。宿に近いようなので、住所(231 E 47th St)をもとに、それがあったに違いない場所に行ってみた。
近づいてみて思い出した。ジョナス・メカス『ファクトリーの時代』(1999年)において、メカスが思い出の場所を訪れ、散歩する人にそのことを話しかける場面があった。確か、こんな場所だった。戻って調べると、Google Mapのストリートビューでも同じ場所が表示される。
http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/a456dba3c77dfaf80e4fc7d8b206f096
夢の跡は公園と駐車場になり、道端では勤め人たちがホットドッグを買っていた。公園の奥では水が流されていた。
マンハッタンのチェルシーには多くのギャラリーが集中していて、確かに歩くと楽しい。もっとも、最近では地価の高騰もあって、ブルックリンなどに拠点がシフトしつつあるという話も読んだ。
廃された鉄道の高架を再利用した歩道、兼、公園である「ハイ・ライン」を歩いて、たどり着いた。
◆ Anna Zorina Gallery
バーナード・パーリンという20世紀前半のアメリカの画家の作品を展示。第二次世界大戦の負傷兵を描いている。
◆ J. Cacciola Gallery
チャイナ・マークスによる、布とシルクスクリーンによるコミカルな作品群。「フルーツサラダは食べたくない!うんざりだ!チーズバーガーが食べたい!」「ファーストフード食べてたら死ぬよ!フルーツは身体にいいんだよ!食べられてラッキーだと思わないと!」などといったセリフが笑える。
◆ Margaret Thatcher Projects
Venske & Spanleの石による彫刻を展示。ほとんど『家畜人ヤプー』である。
◆ Gagosian Gallery
有名アーティストの作品を揃えた名門のようで、アンゼルム・キーファー、ロバート・ラウシェンバーグ、ジュリアン・シュナーベル、ゲオルグ・バゼリッツらの作品が展示されていた。なかでもキーファーのミクスドメディアによる暗鬱な作品、デュシャンにインスパイアされたかもしれないラウシェンバーグの車輪の作品に目を奪われた。
◆ Mary Boone Gallery
エド・パスケによるキッチュな作品。オバマやビン・ラディンらをモチーフにしている。
◆ Luhring Augustine
あのラリー・クラークの写真。またしても男の○○○ばかり。もういいです。
◆ Andrea Rosen Gallery
マーティン・ドゲヴァルによる写真は、白壁のマチエールと影を捉えており、面白かった。アルフレッド・スティーグリッツの作品もあった。
◆ Metro Pictures
ルイーズ・ローラーによる、「なぞり」作品。既存の芸術作品が線描でパクられている。村上隆まである。なんだこれは。
◆ Marianne Boesky Gallery, Marlborough Chelsea
2か所のギャラリーそれぞれで、デトロイトをテーマにした新旧の作品。スピーカーからは自動車工場の音。
Metroplex Recordsというレーベルのレコードが並べてあるが、これはデトロイトのレーベルか、あるいはヴァーチャルなものか。その上に20世紀初頭の絵が架けてあって愉快。また、クルマに淫するようなリズ・コーエンの写真と変態動画。
◆ Yossi Milo Gallery
セ・ツン・レオン(Sze Tsung Leong)による「Horizon」と題された写真。世界の異なる場所におけるフラットな光景を並べて、その類似性を気づかせるような構成になっている。ギャラリーの係員は、meditationalでeducationalだ、ウユニ塩湖なんて初めて知った、と話していた。
わたしもかなり気に入ったので、カタログを入手。
◆ Driscoll
ジェニファー・パッカーの油彩のマチエールが、和紙のようでなかなか魅力的。
◆ BDG
ピーター・マーテンセンによる一連の奇妙な作品。白シャツのオヤジたちが、いちいち水につかっているものばかり。
◆ Praxis
Lautaroの熱帯的な作品。
◆ Jim Kemner Fine Art
あっ、ゲルハルト・リヒターが道に向けて飾ってあると吃驚して入ったところ、スタンリー・カッセルマンという別の画家による作品だった。だって間違えるでしょう。
◆ Nancy Margolis Gallery
花をモチーフにしたグループ展。印象稀薄。
◆ 303 Gallery
印象稀薄。
◆ Cheim & Read
ジョン・ミッチェルによる木をテーマとした作品群。印象稀薄。
◆ Debuck
ジョン・クレメントによる「大きな輪っか」。どこか道端にでもパブリック・アートとして置けば。
◆ Bruce Silverstein
ブレア・ソウダース。印象稀薄。
◆ Asya Geisberg Gallery
まるでラッセンが描いたような宇宙船の絵とか。印象稀薄。
◆ 新ホイットニー美術館
2015年オープンだそうで、ハイ・ラインの南端に建築中だった。設計はレンゾ・ピアノ。
The Stoneから40分くらい歩いて、Smallsへと移動。(地下鉄の便がよくない場所だし、タクシーは高くて面倒だから乗りたくないのだ。)
フランク・レイシー率いる「Smalls Legacy Band」を観ることが目的だが、まだ前のグループが演奏中で、ピーター・バーンスタインもそのなかにいた。
Frank Lacy (tb)
Stacy Dillard (ts)
Lummie Spann (as)
Josh Evans (tp)
Theo Hill (p)
Ameen Saleem (b)
Kush Abadey (ds)
Smallsは地下にあり、ガヤガヤしている。演奏中もお喋りをしていたり、酔っぱらってミュージシャンに色目を使う女性がいたり、ずっとベタベタしているカップルがいたり。それでも熱心にひとりで聴きにきたとおぼしき人も多く、雰囲気は悪くない。
フランク・レイシーは目ヂカラでグループを統率しているとしか思えないのだが、トロンボーンのソロも大迫力。サイドメンもやたら巧い。これで、オーソドックスなアプローチのジャズを全面的に押し出してくるのだから、本当に気持ちが良い。
●参照
フランク・レイシー『Live at Smalls』http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/c27876acc5e4023c58100dede471b8e5
またしても、イーストヴィレッジのThe Stone。
ジェリ・アレンとテリ・リン・キャリントンとのデュオだと思い込んでいたら、トランペットのイングリッド・ジェンセン、ベース(知らなかったがLinda Ohという中国系マレーシア人のベーシスト)が加わっていた。さらに、途中からはヴォーカルのカーメン・ランディまで。これで15ドルはお得、というか、狭いハコで吃驚するほど豪華な面々。
Geri Allen (p)
Terri Lynn Carington (ds)
Ingrid Jensen (tp)
Linda Oh (b)
Carmen Lundy (vo)
メンバーは全員女性。それに加え、ジェリが昼間に女性向けの「Jazz Camp」を開いていたそうで、その生徒たちが20人くらい詰めかけた(ピアノの向こう側にみんな座ったので、演奏者の背後に若い女性たちの顔が見える)。The Stoneの狭い入口を、ウラワカキ女性たちがアデヤカに笑いながら入っていくところを見ると、何が起きたのかと仰天したぞ。おそらく会場の9割は女性だったのではなかろうか。
曲は、「All of You」といったスタンダードの他はジェリのオリジナルなど。トニー・ウィリアムスにささげた曲(?)も演奏した(『21』に収録されていたが何だったか)。ジェリのピアノは悪くないのだが、もうかつてのような突破力を持ち合わせていないのだろうかという印象を持った。
イングリッド・ジェンセンのトランペットの音色は、綺麗に分割されていて鮮やか。だが、厚みや重みといった要素が感じられない。テリ・リンのドラムス同様、軽くて爽快に飛ばすところに、魅力を見出すべきか。
以前にテリ・リンのプレイを観たのは随分前、2002年の「東京JAZZ」において、ハービー・ハンコックのグループで大きくフィーチャーされていたときだったが、ジャズフェスではプレイの細かなところはわからない。カーメン・ランディに、「テリ・リンはグラミー賞だからねえ」と紹介されて嫌そうな顔をしており何のことか解らなかったが、戻って調べてみると、デューク・エリントンの『Money Jungle』に捧げたアルバムによって受賞していた。
ちょうどニューヨークで「Blue Note Jazz Festival」という一連の企画が組まれていて、2014年6月30日が最終日だった。掉尾を飾るのは、われらがガトー・バルビエリ。
アンソロジー・フィルム・アーカイヴズから急いで歩いて行くと(割と近い)、既に行列ができていた。運良く、ステージの真ん前の席に座ることができた。
Gato Barbieri (ts)
不明 (p, key)
不明 (b)
不明 (ds)
不明 (perc)
さて、時間になると、2階からガトーが降りてきた。黒い帽子、黒い上着、ストライプのパンツ、赤い靴下、フラメンコ柄のマフラー。相変わらず異次元のスターぶりである。しかし、年齢のせいか、スタッフに連れられてゆっくり歩いている。ステージでは椅子によっこらせと座る。
ああ、大丈夫なのかなと心配しながら聴き始めたが、幸い、杞憂だった。吹き始めはゆっくりと、しかし、次第に熱が入って、塩っ辛いガトーの音色が繰り広げられる。「Milonga Triste」などの独特のアルゼンチンの曲に加え、「What a Difference a Day Made」や「Summertime」といったスタンダード。あっさりと切り上げず延々と盛り上げるエンターテイナーぶりである。しかも、時々吹きながらコブシを握ったり、天を指さしたりして。
とにかく大スターのガトーだった。戻るかれに、肩を持たれて緊張した。
●参照
○ガトー・バルビエリの映像『Live from the Latin Quarter』
○ガトー・バルビエリ『In Search of the Mystery』