Sightsong

自縄自縛日記

園子温『気球クラブ、その後』

2015-01-04 09:05:39 | アート・映画

園子温『気球クラブ、その後』(2006年)を観る。

学生時代に「気球クラブ」に集った面々が、5年ぶりに顔を合わせる。中心人物の「村上」が交通事故に遭った、亡くなったとの電話によるものだった。懐かしさから、ふたたび馬鹿騒ぎをはじめる仲間たち。だが、誰もが、それはモラトリアムの終わりであることを認識していた。

ふわふわとした漂流を気球に、それが否応なく断ち切られる事件を時間を重力になぞらえたのだろうね。やるせなさや苦しさといった漠とした気分だけは共有できる映画。ところで、永作博美の顔と演技がどうも過剰で×。


ジャック・ゴールド『脱走戦線』

2015-01-03 01:41:25 | ヨーロッパ

ジャック・ゴールド『脱走戦線』(1987年)を、VHSで観る。

原題は『Escape from Sobibor』、すなわち、『ソビブルからの脱出』である。ソビブルは、アウシュビッツ、トレブリンカ、マイダネクなどと並び、6つの絶滅収容所の1つである。絶滅収容所は強制収容所と異なり、はじめから、ユダヤ人を殺すことを目的として作られた(マイダネクとアウシュビッツは強制収容所を兼ねた)。映画では、収容されるユダヤ人に対し、当初は労働だと偽装している。

ナチスによるソビブルでのユダヤ人への対処は凄惨を極めた。しかし、家族が殺されても、ナチスに従わなければならなかった。脱走した者はすぐに捕らえられたため、囚人たちは、収容者全員(600人)で脱出することを計画する。そのために、示し合わせてSSたちを殺し、鉄条網を突破して森へと走った。見張りのウクライナ兵たちが乱射し、逃げる囚人たちは次々に倒れていったが、300人ほどは森へと逃げ込み、戦後も生き延びた。

芝健介『ホロコースト』によれば、この武装蜂起は1943年10月14日になされ、数十名が地雷原を超えて森に脱出したとある。人数のことはともかく、ユダヤ人がソ連軍捕虜(ルドガー・ハウアーが演じる)と協力して蜂起したことは史実に沿っている。同書によれば、ソビブルにおいてガス室が稼働していた約1年半の間に、約25万名が殺害されている。6室で1日に約1300名の殺害が可能であり、遺体は、長さ50-60m、幅10-15m、深さ5-7mの巨大な穴に遺棄されたという。

もちろん、使命感と義務感でここまで残酷になりうるのかということは想像を遥かにうわまわる。映画ではいかにもサディスト的なSSたちが登場するのだが、やはりアクション映画の閾を超えるものではない。なぜならば、個々の狂に耳を傾けなければならないからであって、それはプロットによって語ることはできないと思えてならない。

『ショアー』を撮ったクロード・ランズマンが、その後、ソビブル絶滅収容所について手がけたドキュメンタリー『ソビブル、1943年10月14日午後4時』を観ると、歴史を物語として語ることの困難さを実感する。

●参照
芝健介『ホロコースト』
飯田道子『ナチスと映画』
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
ジャン・ルノワール『自由への闘い』
アラン・レネ『夜と霧』
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ
プリーモ・レーヴィ『休戦』
高橋哲哉『記憶のエチカ』


ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』

2015-01-02 00:44:56 | 中南米

ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』(1997年)を観る(>> リンク)。 公開当時、映画館でなんども予告編を目にしながら、淫猥な雰囲気にたじろいでしまっていた。

香港に住むゲイの恋人同士、ウィン(レスリー・チャン)とファイ(トニー・レオン)。何かをやり直すために、アルゼンチンへと旅立つ。かれらは常に喧嘩し、嫉妬し、なまの感情をぶつけ合い、そのたびに互いのもとに戻る。やがて、ファイは、厨房の仕事仲間チャンと仲良くなり、それと同時に、ウィンと疎遠になる。チャンはパタゴニアの先を見届けてから台湾へと帰り、ファイはイグアスの滝で淋しさを噛みしめ、そして、台湾経由で香港へと帰る。

これは夜の映画である。浅い被写界深度と微妙に転ぶカラーバランス、そして広角レンズを多用して、覗き見しながら邪魔な存在をすべてこちら側に寄せようとする感覚。かれらは体温と体臭と息を感じる距離で生きている。そして、ピーカンの空の下では、寄る辺ない不安さによろめくように見える。

チャンともウィンとも遭えないファイだが、ファイは、遭おうと思えばいつでも遭えるという確信を、なぜか持っていた。生き物としての棲息域と、広い世界との奇妙な融合がそこにあって、それが旅心を刺激して困る。

●参照
ウォン・カーウァイ『恋する惑星』(1994年)
ウォン・カーウァイ『花様年華』(2000年)
ウォン・カーウァイ『楽園の疵 終極版』(1994/2009年)
ウォン・カーウァイ『グランド・マスター』(2013年)


のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』

2015-01-01 20:09:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

と、いうタイトルのDVDを、出演もしている川下直広氏のヤフオクで買ったはいいものの、観ようと思ったら行方不明になっており、しばらく探索してようやく発見したという2014年。満を持して2時間鑑賞。

川下直広 (ss, ts)
近藤直司 (ts)
吉田哲治 (tp)
不破大輔 (b)
のなか悟空 (ds)
松原隆一郎 (司会)
副島輝人 (プロデューサー)
小黒洋太 (撮影)
1988年12月5日、旧・ピットイン

5人のプレイヤーがひたすらにエネルギーを噴出、としか言いようのない演奏。のなか氏などは叩き続けながら、歯を喰いしばったり叫んだりさえしている。ほとんど大仁田厚である。塩辛のような川下氏のサックスも良い。押しまくる不破氏のベースももちろん良い。観ていると元気が出たような気がする。

暑苦しい(失礼)のはプレイヤーだけではなく、観客席からも阿鼻叫喚。何なんだ、旧ピットインはそんなところだったのか。(なおわたしは移転前のピットインには入ったことがなく、このライヴ当時は田舎の高校生で、そもそも知るわけがない。)

DVDに封入されたのなか氏の解説がとても愉快で、どういうわけか、裏面には1988年の詳細な年表が付いている。それによると、同年7-8月に、サン・ラ・アーケストラがピットインに出演、のなか氏は外で「自作の凱旋カーの上に立ち、長蛇の入店待ちの客に向かって、『サンラをキリストに例えるならば、俺は釈迦だ。釈迦はキリストの説法は聴かない』などとアジ演説をした」そうであり、不興を買ってピットインに出演などできないはずが、副島輝人氏の尽力によりライヴが実現したのだという。(といってもよくわからない。)

ライヴはのなか氏のアフリカ演奏旅行の直前に行われた。確か、アフリカでドラムスを叩いていたら、現地の子どもたちがいとも簡単に難しい技を習得してしまい、凹んだ、といった本人の手記をどこかで読んだ記憶があるが、録音などは残っていないのかな。

●参照
『RAdIO』(川下直広、不破大輔)
高木元輝の最後の歌(不破大輔)


スティーヴ・レイシーのアヴィニヨン

2015-01-01 09:51:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

気が向いて、スティーヴ・レイシーの旧盤『Weal & Woe』(Emanem、1972-73年)を聴いたところ、いやこんな傑作だったかと仰天したのはつい最近のこと。

Steve Lacy (ss)
Steve Potts (as) <The Woe>
Irene Aebi (cello, voice) <The Woe>
Kent Carter (b) <The Woe>
Oliver Johnson (ds) <The Woe>

特に、フランス・アヴィニヨンでのソプラノサックス1本によるソロライヴに少なからず惹かれた(もとのLPはこの部分のみ)。

どちらかというと、余計な装飾を削ぎ落とした核の音のみによる緊張感がレイシーの魅力でもあるのだが、ここでは、音を割ってみたり裏返したりと、吃驚するくらい攻める。聴いていると動悸動悸して眼がいつの間にかカッと開いてしまうようなものだ。レイシーの録音はあまりにも多くて付き合いきれないほどだが、ここまで多様性があるなら、あらためて探検に出てみようかなと思ったりして。

そんなわけで、先日またレコード店のレイシーの棚を眺めていたところ、この続編が出ていたことを知った。2014年の発掘盤『Avignon and After 2 (1972-7)』(Emanem、1972-77年)である。

「2」ということは「1」もあり、調べてみると、それは上のカップリング盤とは異なる。つまり、オリジナルのLP=カップリングCDの前半ではアヴィニヨンでの1972年8月7-8日のライヴ演奏が8曲収録されているのに対し、「1」では、同じライヴでのほかの演奏がさらに4曲、さらに、ベルリンでの1974年のソロ・ライヴまで追加収録されている。知らなかった。

Steve Lacy (ss)

それで「2」はというと、アヴィニヨンでの1972年8月7日がさらに3曲、そして同じアヴィニヨン・1974年、パリ・1975年、エドモントン・1976年、ケルン・1977年のソロ演奏が集められている。拾遺集といったところか。

形の上で特筆すべき点は、その同日のアヴィニヨンにおいて、なんと、ビリー・ストレイホーンの曲を演奏していることだ(「Johnny Come Lately」、「Lush Life」、「UMMG」)。スタンダード「Lush Life」を吹くレイシーなんて想像しにくいのだが、聴いてみると、実はたいして面白いものでもない。CDの解説でも、「These may not be the most profounf performances, but they are very nice to hear.」とばっさり。オリジナルに収録されなかったことには理由がある。

それはそれとして、レイシーのソプラノサックスは何度聴いても確かに「profound」であり、飽きることがない。多くの人が精神性とセットで解釈しようとしたことも納得できる。

●参照
『Point of Departure』のスティーヴ・レイシー特集(『Sands』)
『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』
チャールス・タイラー(『One Fell Swoop』)
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』
『Interpretations of Monk』
レイシーは最後まで前衛だった(『New Jazz Meeting Baden-Baden 2002』)
セシル・テイラー初期作品群
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ
ハリー・コニック・ジュニア+ブランフォード・マルサリス『Occasion』(『Sands』にインスパイアされた演奏)
副島輝人『世界フリージャズ記』
村上春樹 編・訳『セロニアス・モンクのいた風景』(レイシーのモンク論)
中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』