Sightsong

自縄自縛日記

「ますたに」のラーメンとカップ麺

2015-03-24 07:06:33 | 食べ物飲み物

日本橋にずいぶん昔からあるラーメン屋「ますたに」。向かい側にある洋食屋「たいめいけん」の行列にひるんだらこちらである(値段が高いという理由もある)。なお、「ますたに」の行列にもひるんだら、その先には「九州じゃんがら」がある。

先日久しぶりに足を運んで、一口目を食べたときに「これだこれだ」と味を再確認する。鶏ガラ出汁で、味が濃く脂もたくさん入っているのだが、しつこくないし、食べたあとで不自然に喉が渇くこともない。いつ食べても旨い。トッピングの海苔がスープに溶けやすいのもいい。京都のラーメンでは、「第一旭」、「新福菜館」と並ぶ名店である(実はほかに知らない)。

そんなわけで、コンビニで「ますたに」のカップ麺を見つけ、食べてみた。

感想。まったく似ていない(笑)。日清食品は、以前になんばの「千とせ」のカップうどんも出していたが、これも全然似ておらず普通のカップうどんだった。近づけるのがパッケージだけでは駄目である。

●カップ麺
博多の「濃麻呂」と、「一風堂」のカップ麺
「屯ちん」のラーメンとカップ麺
旨いハノイ(「フォー24」)
なんばの、「千とせ」の、「肉吸」の、カップ
なんばの「千とせ」のカップ、その2


ビョーク『Volta』、『Biophilia』

2015-03-23 23:09:21 | ポップス

前々からビョークを聴いてきた人ならば1作ずつ受け止め、玩味してゆっくりと自分の評価を形作っていくところだろうが、わたしの場合は、駆け足で順に聴いている。それゆえなのかどうか、『Volta』(2007年)に至り、少しウンザリしてきた。そのあとの『Biophilia』(2011年)もまた同様。

手作り感が姿を消し、湧き上がるものも希薄になり、その一方でイビツに壮大な世界を示されると、ちょっと引いてしまうのだ。歌声の個性もこれでは台無しだ(・・・言い過ぎか)。せっかくの旨い食材をごてごてとした贅沢な料理にされたような気分。

気分を変えようと、レイクシア・ベンジャミンのノリノリジャズをかけたところ、実にホッとしてしまった。

最新作はどうだろうね。

●参照
ビョーク『Gling-Glo』、『Debut』
ビョーク『Post』、『Homogenic』
ビョーク『Vespertine』、『Medulla』


福冨博カルテット@新宿ピットイン

2015-03-23 17:28:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

久しぶりに気が向いて、新宿ピットイン昼の部(2015/3/23)。

福冨博(g)
佐藤浩一(p)
安田幸司(b)
則武諒(ds)

予備知識なしで観たのだが、オリジナル曲がこなれていてリラックスできた。

それからピアノの佐藤浩一さん。いろいろなアイデアを余裕で開陳していて鮮やかだった。


ビョーク『Vespertine』、『Medulla』

2015-03-22 23:23:47 | ポップス

なおもビョークの旧作を順番に聴く。

■ 『Vespertine』(2001年)

ジーナ・パーキンスのハープが大きくフィーチャーされている。ストリングス中心の撥ねるような擦れるようなサウンドの中で、ビョークはやたらと内向的な詩を唄う。これに電子音がびよんびよんと加わると聴き疲れしてしまうが、ハーモニカだけのインストルメンタルが挿入されて救われる。

■ 『Medulla』(2004年)

一転して、コーラスなどの「声」が幾重にも重なって、しかしビョークの声はどこにあっても変わらず個性的。「Oceania」で雲が開けたような印象を覚え、目が醒める。

●参照
ビョーク『Gling-Glo』、『Debut』
ビョーク『Post』、『Homogenic』


ネイト・ウーリー『Battle Pieces』

2015-03-22 08:02:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

ネイト・ウーリー『Battle Pieces』(Relative Pitch、2014年)を聴く。

Nate Wooley (tp)
Ingrid Laubrock (sax)
Matt Moran (vib)
Sylvie Courvosier (p)

一聴して物足りなく感じるが、コンサートホールに身を置いたつもりになって改めて聴いてみるとさまざまなイメージが湧いてくる。

4人のプレイヤーによる集団即興というよりも、演劇のようにそれぞれの出番を明確化し、個々の楽器の音色をじっくり聴かせるものになっている。空中に緊張感をもって留め置かれているようなウーリーのトランペットも、間と響きを助長するマット・モランのヴァイブも耳から異様な雰囲気のまま侵入してくる。そのように聴く者が固唾を呑むなかで、イングリッド・ラウブロックのサックスの音色もすごく浮かび上がってきている。

●参照
イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone
イングリッド・ラウブロック『Zurich Concert』
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』
トム・レイニー『Obbligato』(ラウブロック参加)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(ラウブロック参加)


ミシェル・ドネダ『Everybody Digs Michel Doneda』

2015-03-21 07:49:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

ミシェル・ドネダ『Everybody Digs Michel Doneda』(Relative Pitch、2013年)を聴く。

Michel Doneda (ss)

ジャズファンならばジャケットを見てニヤリとするだろう。いうまでもなく、『Everybody Digs Bill Evans』のパクリである。そしてここに寄せられているエヴァン・パーカー、ジョン・ブッチャー、デイヴ・リーブマンらの賛辞もまた楽しい。

これはドネダのソプラノ・サックスによる完全ソロである。この人のサックスは、文字通り、誰にも似ていない。擦音のなかから浮かび上がっては消える響きと息遣い。それはそのまま、霧と靄の向こう側に見え隠れする草、樹々、生物、無機物、幻影を体現したものとなっている。

息を潜めてドネダの発する音を聴ていると、こちらの息とドネダの息とがときに重なり合うのを感じる。それがドネダを聴くということである。

●参照
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』(1994年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)


『山田實が見た戦後沖縄』

2015-03-21 06:56:40 | 沖縄

『山田實が見た戦後沖縄』(琉球新報社、2012年)を読む。

山田實さんは1918年10月生まれだというから現在96歳。那覇に生まれ、関東軍に召集されて満州で敗戦を迎え、2年間も極寒のシベリアに抑留。引き揚げ後沖縄に戻り、写真機店を開き、自身も多くの写真を残している。まさに戦後の沖縄を見続け、記録し続けた人であるといえる。

山田さんの写真には、飾らない人たちの日々の感情が写し出されている。漁を終えて海から上がってきたお爺さん、得意そうな子ども、遊びに夢中でカメラが眼に入らない子ども、カボチャを両手と頭で運ぶ女性、瀬長亀次郎。どれも良い写真ばかりだ。

沖縄における写真文化の受容と発展についても書かれていて、興味深い。木村伊兵衛、土門拳、濱谷浩、東松照明らが与えた影響。岡本太郎が無神経に風葬の写真を公開した顛末(わたしも岡本太郎のふるまいについての悪評を一度ならず聞いた)。怒れる青年・伊志嶺隆の写真が、本人の言動とは違って「静かな詩情」をたたえていたこと。米兵に、安いペトリカメラがたくさん売れたこと。

先日(2014年12月)、山田さんの写真群が東京都写真美術館に収蔵されるとの報道があった(>> リンク)。展示は未定だというが、写美が再オープンしたらすぐにでも観たいものだ。

●参照
平良孝七『沖縄カンカラ三線』
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
比嘉豊光『赤いゴーヤー』
比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』
伊志嶺隆『島の陰、光の海』
東松照明『光る風―沖縄』
豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明
豊里友行『沖縄1999-2010 改訂増版』
『LP』の豊里友行特集
仲里効『フォトネシア』
沖縄・プリズム1872-2008
「琉球絵画展」、「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」、「赤嶺正則 風景画小品展」
高良勉『魂振り』


ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』

2015-03-21 00:18:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(MIM、2013年)を聴く。

Peter Evans (tp, piccolo tp)
Sam Pluta (live electronics)
Ron Stabinsky (p, prepared p)
Tom Blancarte (b)
Jim Black (ds, perc)

一聴、いつものピーター・エヴァンスに比べて、ドライに(ドゥルーズ=ガタリ的に)既存の数列を放棄した感が希薄。むしろ逆に、グループの有機的なつながりが求められているように聴こえる。特にエレクトロニクスとの共存が見事だ。

しかしそれはそれとして、室内楽的なジャズへのパロディではないのかという気もしてきた。時に、それまでの紐帯をかなぐり捨てて豹変する瞬間がある。この意図的な錯乱は、オーネット・コールマンのプライムタイムのようでもあり、わからなくなる。罠にはまっているのかと考えると愉快。

●参照
ピーター・エヴァンス『Ghosts』
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』
『Rocket Science』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』
MOPDtK『Forty Fort』
MOPDtK『The Coimbra Concert』
MOPDtK『Blue』


ビョーク『Post』、『Homogenic』

2015-03-20 07:20:03 | ポップス

ビョークの新譜が話題の中、遅れてきたわたしは古い盤を順番に聴いている(笑)。

『Post』(1995年)

人里離れた山での生活を唄った「Hyper-Ballad」や、オーケストラをバックにコミカルに唄った「It's so Quiet」などがいい。

惹かれるのは歌詞を反芻しながらの歌世界だけではなく、ビョークのコブシ、鳴らす喉、叫び。いちいち発声に癖があって、たとえば「mountain」という単語なんて出てくるたびに「来た来た」と思ってしまう。

『Homogenic』(1997年)

前作よりもスピード感とか一体感とかいったようなものが出てきたのかな。ただ、バラエティと手作り感がある分『Post』が好みだ。

「Alarm Call」は、山における達観と警告。前作での「Hyper-Ballad」が閉ざされた幸福を唄っていたのとは表裏一体だなという印象をもったのだがどうか。

●参照
ビョーク『Gling-Glo』、『Debut』


アンドリュー・ディアンジェロ『Morthana with Pride』

2015-03-20 00:12:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンドリュー・ディアンジェロ『Morthana with Pride』(doubt music、2004年)を聴く。

Andrew d'Angelo (as, bcl, bs)
Anders Hana (g, effects)
Morten J. Olsen (drum kit)
Mike Pride (voice, effects, screaming, drum kit)

ノイズと絶叫の渦巻く雷雲の中を、ディアンジェロがビキビキの音を発して全力疾走する。こうなると暴力的なのか美しいのか判別しかねる臨界点を超えている。身体の有機的なつながりが分断されるほどの動きである。すなわち、走る暗黒舞踏か、走る「貞子」か、走る天使か。

実際に演奏に立ち会ったなら、脳内を豪雨が降り、積もった何かを洗い流すに違いない。

●参照
エド・シュラー『The Force』


Ideal Bread『Beating the Teens / Songs of Steve Lacy』

2015-03-19 00:26:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

関西への行き帰りに、ずっと、Ideal Bread『Beating the Teens / Songs of Steve Lacy』(Cuneiform Records、2014年)を聴く。

Josh Sinton (bs)
Kirk Knuffke (cor)
Adam Hopkins (b)
Tomas Fujiwara (ds)

タイトルの通り、スティーヴ・レイシー集。しかもサックスは、当然ながらレイシーのソプラノとは全く違う重さを持つジョシュ・シントンのバリトン。

レイシーのストイックな変態性のようなものはない。シントンとほかの3人は、無理に盛り上がるでもなく、敢えてヘンな音を出して緊張感を持続させようとするでもなく、ひたすら何かのプロセスを続ける。ずっと付き合っていると、泥の中に潜ってじっとしているような気がしてくる。あるいは、苔の上に横たわって木々と空を呆然と視ているような。ヘンな感じ。


南喜一『ガマの闘争』

2015-03-19 00:10:09 | 関東

平井玄『彗星的思考』において言及されていた南喜一という人物に興味が湧いて、『ガマの闘争』(蒼洋社、1980年)を読む。

南喜一、1893年生まれ。18歳で上京し、苦労して事業を始め、成功させる。30歳のとき(1923年)、関東大震災時の「亀戸事件」において、弟を官憲に虐殺される。デマに煽られた一般市民が多数の朝鮮人・中国人を中心に殺したときと同時期に、官憲は、それに乗じて社会主義者・労働運動指導者たちも殺したのだった(藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七』)。南喜一の筆は、このときの様子を生々しく描いている。

そのことがあってから、南は労働運動に身を投じ、出来たばかりの日本共産党に入党する。しかし1928年の三・一五大検挙により入獄。平井氏は獄中での脱党を「転向」と書くが、実際のところ、思想的な転向ではなく、党の組織を見限っての行動であったようだ。

その後の八面六臂の活動がすさまじい。遊郭のあった玉ノ井において、多数の娼婦たちが田舎から騙して連れてこられ、劣悪な条件で働かされているのを知るや、彼女たちを助け出したり、労働条件の改善を求めて大奮闘。獄中にいたときからはじめた再生紙の「研究」(たいへん素朴で一途なものだが)を生かし、陸軍の援助を得て、国策パルプ工業を設立。ヤクルトの事業も手掛けているし、本書には言及されていないものの、合気道養神館の設立にも手を貸したらしい。「性豪」としても有名。何なんだ。

しかしここまでの怪人となると、左も右もなく、転向も非転向もない。国策も社会運動もこの人の中では普通につながっていたのだろうね。いまの薄っぺらな何某とはたいへんな違いだ。


Farmers by Nature『Love and Ghosts』

2015-03-17 07:36:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェラルド・クリーヴァー、ウィリアム・パーカー、クレイグ・テイボーンによるグループ「Farmers by Nature」による2枚組『Love and Ghosts』(AUM Fidelity、2011年)を聴く。

Gerald Cleaver (ds, perc)
William Parker (b)
Craig Taborn (p)

フォーマットだけで言えば「普通のピアノトリオ」である。また、スタイルで言えば「旧来型のフリージャズ」であるかもしれない。しかし、というべきか、それとは関係なく、というべきか、この演奏は素晴らしく、聴き手を鼓舞する力と慰撫する力の両方を持っている。

音楽全体をドライヴするのはウィリアム・パーカーのベース。強靭にして柔軟、強度には硬いものと柔らかいものとがある。まさにラオウとトキの同体である(『北斗の拳』)。これにテイボーンとクリーヴァーが加わり、巧妙で緊密な織物のように、あるいは嵐のように、有機体音楽が創り上げられていく。

今年(2015年7月)に来日するパーカーはどんな音楽を見せてくれるのか、これから楽しみである。

●参照(ウィリアム・パーカー)
アレン/ドレイク/ジョーダン/パーカー/シルヴァ『The All-Star Game』
ウィリアム・パーカー『... and William Danced』
ウェイン・ホーヴィッツ+ブッチ・モリス+ウィリアム・パーカー『Some Order, Long Understood』
ダニエル・カーター『The Dream』、ウィリアム・パーカー『Fractured Dimensions』
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』
ウィリアム・パーカー『Luc's Lantern』
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色
ジョー・ヘンダーソン+KANKAWA『JAZZ TIME II』、ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』
アンダース・ガーノルド『Live at Glenn Miller Cafe』
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』


金時鐘『朝鮮と日本に生きる』

2015-03-15 08:27:35 | 韓国・朝鮮

金時鐘『朝鮮と日本に生きるー済州島から猪飼野へ』(岩波新書、2015年)を読む。

おそらく金時鐘さんのはじめての回想記だろう。これまで、わたしを含め多くの者にとって、金さんの体験は、テレビドキュメンタリーなどで断片的に聞いてきただけにとどまっていた。それだけに、ここに、体験と内省とが本来の「ことば」で記されていることの意義は大きい。

併合下韓国での「皇国少年」にとって、1945年8月の解放とは、まさに世界がひっくり返るような、また自らに恥を突き付けてくるものであった。世界は欺瞞と暴力とに満ちていた。しかし、解放後も、権力が、日本からアメリカと(断罪されたはずの)日本に姿を変えただけで、また新たな欺瞞と暴力とが繰り広げられたのだった。

朝鮮の信託統治案が破談となり、アメリカの意向による南だけでの国家設立。済州島において、金さんは自己決定できる祖国を求めて運動に身を投じた。1948年、アメリカの方針に沿った済州島民の大虐殺事件(済州島四・三事件)から奇跡的に逃れ、金さんは文字通り「命からがら」大阪へと密航する。金さんによれば、四・三事件の犠牲者は公式の3万人をはるかに超え、5万人を下らないはずだという。そして、大阪では朝鮮戦争への米軍の出撃を阻止せんと行動し(吹田事件)、詩を書き続ける。

このようなものを抱え持った「金時鐘の詩」が、ピュアでなめらかであるはずはない。金さんの作品に触れた人なら実感できることだが、その詩は、岩がごろごろした原野のようであり、そこには凝視せざるを得ない内臓が散乱し、読む者が平然と立ち歩くことを許さない。それはまさに、「皇国少年」のときから詩に興味を持ち、解放から今にいたるまで徹底的な内省を続けてきた氏の内臓そのものであるからだろう。

日本の歌について、金さんは次のように記している。

「それは抒情の問題とも兼ね合っていることですが、これほどやさしい歌に恵まれて暮らしている人たちが、どうして戦争を讃え、あれほど無慈悲なことができたのだろうと。歌とはもともと、そのようにも己を顧みることのない情感だったのだろうかと。戦いの合間には、特に日暮れや夜中ともなれば兵隊さんも家族を思い、故郷を偲んで唄いなれた「抒情歌」を口ずさんでもいたはずです。それでいながら他者、侵される側の悲しみには一片の思いすら至りませんでした。」

●参照
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
文京洙『済州島四・三事件』
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」


ジャン・ミシェル・ピルク+フランソワ・ムタン+アリ・ホーニグ『Threedom』

2015-03-13 06:34:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジャン・ミシェル・ピルク+フランソワ・ムタン+アリ・ホーニグ『Threedom』(Motema、2011年)を聴く。

Jean-Michel Pilc (p)
Francouis Moutin (b)
Ari Hoenig (ds)

3分程度の短い演奏を中心に18曲。「A Foggy Day」、「Giant Steps」、「Afro Blue」、「Smile」(チャップリン!)などの有名曲も何曲も演っているが、オリジナル曲と同様に、雰囲気の一角をチラ見せしては次の曲に進む感じ。その感覚が何故なのかといえば、安心できるコード進行やイディオムなどのクリシェに依らないからか。

ピルクのピアノはえらく緻密で、サイバー空間のようだ。ホーニグのドラムスは、それと対照的に放漫に聞こえるところも、メロディに沿ってタイコで歌うようなところもあり、面白い。