Sightsong

自縄自縛日記

旨いテヘラン

2015-12-25 07:50:30 | 中東・アフリカ

イラン出身のAさんによると、食事文化は家の中が中心だというのだが、それでもわたしにはとても旨いペルシア料理ばかりだった。

■ Nayeb Restaurant

いろいろな種類のケバブがジューシーで旨い。焼きトマトを潰して、肉やサフランライスと一緒に食べるとさらに旨い。オリーブの和え物も最高だった。満腹になってしまい、夕食を抜いた。

■ Hani

お盆を持って好きなものを注文していき、レーンのゴールでまとめて支払う方式。ものすごく賑わっていた。

つい海老、鮭、ほうれん草と鶏肉のスープと頼んでしまい、またしても満腹、夕食抜き。

■ Alvand Pizza

時間がなかったのでクイックランチ。サンドイッチを注文すると、キャンディのように紙にくるくると巻かれたものが出てきた。中にはケバブとチキン。

●参照
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世


フランソワ・トリュフォー『夜霧の恋人たち』

2015-12-25 07:21:14 | ヨーロッパ

ドバイからの帰国便で、フランソワ・トリュフォー『夜霧の恋人たち』(1968年)を観る。

軍を除隊になったダメ男。ホテルで働くがクビになり、その原因を作った探偵会社に雇ってもらうがまったく冴えない。潜入した靴屋では依頼人の妻のことが好きになり、結局は探偵を辞めてしまう。次に修理業者となり、以前からの恋人が敢えてテレビの修理を依頼してくれたために、その恋が成就する。公園でふたりで座っていると、ストーカーのような男が近づいてきて不安爆発。

若者の目の前のことしか見えない有様が支離滅裂なコメディとして昇華、色恋でさらに視野が狭くなったりして、じつに巧い。感情移入してしまう観客も少なくなかったに違いない。

わたしはトリュフォーの作品を熱心に観てきたわけでもないので知らなかったのだが、ジャン・ピエール・レオを主役とするダメ男もの「アントワーヌ・ドワネルの冒険」は『大人は判ってくれない』から連なり、その後結婚したり離婚したりというシリーズになっているのだった。ちょっと追いかけてみたいところ。

『大人は判ってくれない』(1959年)
『アントワーヌとコレット/二十歳の恋』(1962年)
『夜霧の恋人たち』(1968年)
『家庭』(1970年)
『逃げ去る恋』(1979年)

●参照
フランソワ・トリュフォー『映画に愛をこめて アメリカの夜』


スーパーマーケットのダレイオス1世

2015-12-24 22:52:38 | 中東・アフリカ

どこの国の街に行っても、市場やスーパーマーケットは楽しい。そんなわけで、テヘランでも空いた時間にスーパーマーケットを覗いた。ちょうど冬至のお祭りを迎え、スイカやザクロが飾り付けてあった。

さすがに一揃いの産業がある国だけあって、飲食品も裏を見るとイラン製。広くて見て歩くのにも時間がかかる。一角にお土産物コーナーがあったので、安物のダレイオス1世を入手した。アケメネス朝ペルシアの王である。これでペルセポリスの夢でも見るか。

ハーフェズだろうか?

キットカットそっくり

ダレイオス1世

Nikon P7800

●参照
イランの空

 

 


桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』

2015-12-24 21:01:45 | 中東・アフリカ

桜井啓子編『イスラーム圏で働くー暮らしとビジネスのヒント』(岩波新書、2015年)、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン 群れない社会の社交的なひとびと』(平凡社新書、2015年)。

前者には、商社、事業会社、旅行会社などの日本企業に所属し、中東や東南アジアのイスラーム圏で暮らしたり働いたりした方々のコラムが集められている。岩波新書にしては珍しく高踏的ではない。しかし、「知」は研究やジャーナリズムにのみあると見なしてしまうのは恥ずかしいほどの大間違いである(同様に、世俗はバックパッカーにこそ見えるという思い込みも世の中にあるね)。

後者は、アジア経済研究所の研究者が、イランのアパレル業界の研究成果を紹介してくれるもの。これもまた面白く、イランに行く途中で読んだら妙に参考になった。実際に、個人の押しが強い社会のように思えて、すっかりイランが好きになってしまった。


トム・ピアソンのソロピアノ

2015-12-18 08:25:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

トム・ピアソンのソロピアノ盤、『Tom Pierson II』(Auteur、1992年)と『Unchained Melody』(Auteur、1995-96年)。

Tom Pierson (p)

この人のピアノは誰にも似ていない。レニー・トリスターノ?、ジョン・ルイス?、ビル・エヴァンス?、などと思い出してみても。スタンダードを演奏していても徹底的な自己スタイルである。

手探りするように和音を組み立て、確信犯的に積み重ねていくという印象。

●参照
トム・ピアソン『Left/』


グレッグ・イーガン『ゼンデギ』

2015-12-17 07:05:37 | 中東・アフリカ

グレッグ・イーガン『ゼンデギ』(ハヤカワ文庫、原著2010年)を読む。

本作は、イランにおいて明らかな不正選挙を指摘されたアフマディネジャド大統領再選の直後に完成した作品であり、民主化を求める運動が高まっている様子を描いている。その中で出会ったオーストラリア人・マーティンは、イラン人と結婚し、ふたりの間に息子が生まれる。しかし妻は交通事故で亡くなり、マーティン自身も病で死を意識せざるを得ない。残される息子のため、あるいは死んだ後の自分自身のため、マーティンは、IT研究者に、「ゼンデギ」というネット上の仮想社会にマーティン自身を作り上げてほしいと依頼する。

本作の舞台のほとんどはテヘランであり、「ゼンデギ」はペルシャ語で「life」を意味するという。人間のネット上のコピーを、完全な脳内マッピング以外の方法で行うことがミソであるようだ。

しかし、ネトゲが人生の一部となっていくことなど、いかにもありふれている。肉体からネット空間に存在を移行させていくことについても、イーガン自身の『ディアスポラ』のほうがはるかに斬新で過激だった。 


小泉定弘『都電荒川線 The Arakawa Line』

2015-12-16 07:33:03 | 関東

小泉定弘『都電荒川線 The Arakawa Line』(1987年)を古本屋で見つけた。東京に密着して活動した写真家である。出版社が書かれていないが、これも私家版なのだろうか。

都電荒川線にはいちどしか乗ったことがないのでよくわからないのだが、表紙の色は車体の色だという。まさに地元愛だ。

1986-87年に、三ノ輪から早稲田までの沿線で撮られた写真群である。モノクロ写真は渋く、昔からの東京の住宅地や商店街の人間臭さもあって、凝視してしまう魅力に満ちている。鉄道を入れると、どうしてもパースペクティヴのような視線に絡めとられてしまいそうなものだが、ここでは、行きかう人やそっぽを向く人、カメラに気づく人と気づかない人などが焼き付けられており、ユーモラスでもある。新庚申塚の駅で、おそらくはホームに向かってくる電車をじっと見る人たちのスナップなんて最高である。

すべてコンパクトカメラで撮られたものだとある。確かに、後ボケの乱れなどを見るとそのような気がする。

氏は定期的に荒川区で写真展を開いておられるはずで、わたしは、今年(2015年)に『漁師町浦安の生活と風景』によってはじめて意識した。来春にも何か展示があればぜひ足を運びたいところ。

●参照
小泉定弘写真展『漁師町浦安の生活と風景』


ソニー・シモンズ『Mixolydis』

2015-12-15 01:05:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

ソニー・シモンズ『Mixolydis』(Marge、2001年)を聴く。

Sonny Simmons (as, English horn)
Eddie Henderson (tp)
John Hicks (p)
Curtis Lundy (b)
Victor Lewis (ds)

何ということもないのかもしれないが、最良のメンバーではないか。エディ・ヘンダーソンは知的で端正なトランペットを吹き、ジョン・ヒックスはいつものように熱くコードを重ねていく。このような面々が演奏するというだけで嬉しくなるというものだ。

2006年にヒックスが亡くなったとき、まだ64歳だった。わたしがいちどだけ観たのは1999年頃か、そんなにすぐに亡くなるとは想像するわけもなかった。

シモンズのサックスは、依然として良いのか何なのかよくわからない。音はふんづまって上滑りし、あまり冴えているとは言えないソロ。それでも、やはり聴くだけで満たされてしまうのはなぜだろう。

●参照
ソニー・シモンズ


テザード・ムーン『Triangle』

2015-12-13 23:43:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

テザード・ムーンは、どう考えようとも不世出のピアノトリオだった。なぜか以前すべてのテザード・ムーンのCDを手放してしまったのだが、廉価盤が再発されていて、また聴きたくなって、『Triangle』(King Records、1991年)を手に入れた。

Tethered Moon:
Masabumi "Poo" Kikuchi 菊地雅章 (p)
Gary Peacock (b)
Paul Motian (ds)

メンバー的にも時期的にも、テザード・ムーンがキース・ジャレットのスタンダーズを意識していたことは間違いないように思われる。菊地雅章が、キースの『Bye Bye Blackbird』を聴いて、その前の絢爛豪華なピアノ・プレイからシンプルなものへと移行しようとする姿に感銘を受けたのだとか、菊地雅章のプレイを聴きにきたキースがぼそりと褒めて帰ったのだとか、そのような逸話を読んだ記憶がある。

ポール・モチアンのドラムスは、キースとであろうと、ビル・エヴァンスとであろうと、菊地雅章とであろうと、焼き鈍した柔らかい鋼のスプリングのように伸び縮みする。そしてここでは、菊地雅章のピアノもまた、柔軟に、思索的に、伸び縮みする。ふたつの伸縮する音楽生物に、都度チャンスを見出してはブリッジを架けるのが、ゲイリー・ピーコックのベースか。

テザード・ムーンの演奏を2回、南青山のBody & Soulとサントリーホールで観る機会があった(サントリーホールでの演奏はジミヘン集としてCD化もされた。また聴きたいものだ)。Body & Soulでのこと。モチアンが興に乗りすぎて、自分のドラムソロを引っ張って叩きすぎてしまった。直後に、ピーコックが苦笑いして指で×印を出した。しかし、それも大きな伸び縮みの中にある一コマに過ぎなかった。

オリジナルの名曲「Little Abi」も、スタンダードの「The Song Is You」も、オーネット・コールマンの「Turnaround」も、本当に素晴らしい。吐きそうになるくらい素晴らしい。聴いても聴いても汲み取れないものがある。

●参照
菊地雅章『エンド・フォー・ザ・ビギニング』(1973年)
菊地雅章『ヘアピン・サーカス』(1972年)
菊地雅章+エルヴィン・ジョーンズ『Hollow Out』(1972年)
菊地雅章『ダンシング・ミスト~菊地雅章イン・コンサート』(1970年)
菊地雅章『POO-SUN』(1970年)
菊地雅章『再確認そして発展』(1970年)
『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』


イングリッド・ラウブロック『ubatuba』

2015-12-13 10:16:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

イングリッド・ラウブロックの新バンド「ubatuba」のお披露目ライヴをCornelia Street Cafeで観て、それに先立って吹きこまれた新譜『ubatuba』(Firehouse 12、2014年)を楽しみに入手し、何度も聴いている。

Ingrid Laubrock (ts, as)
Tim Berne (as)
Ben Gerstein (tb)
Dan Peck (tuba)
Tom Rainey (ds)

・・・なのだが、どうも相手が鬱蒼とした沼のようで、適当なレビューなどできない感覚。

一騎当千のプレイヤーたちが創り出すプレイグラウンドである。変人ベン・ガースティンのトロンボーンとダン・ペックのトロンボーンとが、その時空間のあちこちにおいて焦燥感にも似た場のエネルギーを励起させ、他者のプレイの隙間を与える。トム・レイニーのドラムスは散発的に爆ぜる爆竹。決して緊密なアンサンブルではなく、それがまた魅力的である。

バンドの目玉はラウブロックとティム・バーンとのサックスふたりの饗宴だろう。ふたりの個性の違いは如実にあらわれていて、それがまた鼓膜と脳を刺激する。ラウブロックは周囲のアトモスフェアを取り込んでいく懐の深い感覚、バーンはあちこちに猛禽類の爪を食い込ませて獰猛に前進する感覚。

このプレイグラウンドからまた意気統合した「うた」が生まれるとしたら、それもまた楽しみなのだ。 

●イングリッド・ラウブロック
イングリッド・ラウブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
ヴィンセント・チャンシー+ジョシュ・シントン+イングリッド・ラウブロック@Arts for Art(2015年)
アンドリュー・ドルーリー+ラウブロック+クラウス+シーブルック@Arts for Art(2015年)
イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
ネイト・ウーリー『Battle Pieces』(2014年)
アンドリュー・ドルーリー『Content Provider』(2014年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
トム・レイニー『Obbligato』(2013年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、2012年)
イングリッド・ラウブロック『Who Is It?』(1997年)


ギオルギ・シェンゲラヤ『放浪の画家ピロスマニ』

2015-12-13 00:33:16 | 北アジア・中央アジア

岩波ホールに足を運び、ギオルギ・シェンゲラヤ『放浪の画家ピロスマニ』(1969年)を観る。

19世紀後半から20世紀初頭までを生きたグルジアの画家、ニコ・ピロスマニの伝記映画である(慣れないのでジョージアとは呼びたくない)。

衝動で幼馴染に接吻したために家を出て、まったく商売に不向きで乳製品の店はうまくいかず、ちょっとしたことで傷ついて結婚を破談にして、絵ばかりを本能のように描いていた男。外からの毀誉褒貶でさらに傷つき、内にこもって世捨て人のようになってしまう。本当に聖人のような人だったのだろうね。

それにしても、グルジアの石や木でできた家、狭い坂道、広場での宴会、そして何よりもピロスマニの絵に魅せられる。いつかこの国に行くこともあるだろうか。

●参照
はらだたけひで『放浪の聖画家 ピロスマニ』
フィローノフ、マレーヴィチ、ピロスマニ 『青春のロシア・アヴァンギャルド』
ニキータ・ミハルコフ版『12人の怒れる男』


飽きもせずに蒲田の東屋慶名

2015-12-12 23:35:40 | 関東

久しぶりに蒲田だということで、地元のNさんと、ベトナム料理の「ミレイ」と「ティティ」を覗いたところ、どういうわけか両方とも大盛況満員。『孤独のグルメ』のネタになったためかもしれぬ。(蒲田には東南アジア出身者が多い。)

そんなわけで、比較的新しい沖縄料理の「東屋慶名」に突入した。何しろ名前が渋い。いまはうるま市、むかしの石川市。嘉手苅林昌は「屋慶名クワデサー」を歌っているし、闘牛場もあった。(いや、それしか知らない。)

Nさんによれば、東京の沖縄料理店でチキンの丸焼きを供するところは珍しいという。沖縄からアルゼンチンに移民した人々が持ち帰ってきた食文化である。食べたことがないので、沖縄で有名な「ブエノチキン」などと比較することができないのだが、大蒜味がしっかり擦り込まれていてとても旨かった。

高野秀行『移民の宴』によれば、鶴見の沖縄コミュニティには、ブラジルに移民に出て戻ってきた家の人々も多く、沖縄とブラジルの食文化が混淆しているという。ならばアルゼンチンのチキンは鶴見ではどうなのだろう。なかなか足を運ぶ機会がないのだが。

●参照
飽きもせずに蒲田の鳥万と喜来楽
蒲田の鳥万、直立猿人
蒲田の喜来楽、かぶら屋(、山城、上弦の月、沖縄)
蒲田のニーハオとエクステンション・チューブ
「東京の沖縄料理店」と蒲田の「和鉄」


クリストファー・マッカリー『ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション』

2015-12-12 08:24:58 | アート・映画

香港から日本に戻る途中の機内で、クリストファー・マッカリー『ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション』(2015年)を観る。

舞台はリトアニア、ロンドン、パリ、ウィーン、カサブランカなど。何も考えないつもりだったのに色々とゴチャゴチャしていて、もう少し単純にしてほしい。せっかく『アウトロー』というアホアホ映画を撮った人なのだし。ウィーンでオーストリア首相が狙撃されそうになる場面は、明らかに、アルフレッド・ヒッチコック『知りすぎていた男』の引用なのだが、もっと楽譜の進行とあわせてじっくり見せないと効果なし。

トム・クルーズがロンドンのレコ屋で工作員と接触するときの暗号は面白かった。「サックスは?」「コルトレーン。」「ピアノは?」「モンク。」そして、渡されたLPにより指令が再生される。

そういえばシリーズの第4作を観ていない。

●参照
クリストファー・マッカリー『アウトロー』
『ミッション:インポッシブル』の3本


旨いサウジアラビア その3

2015-12-11 14:38:05 | 中東・アフリカ

たぶんサウジアラビアに来たのは6回目で、そんなに食べ歩く環境でもないため、似たようなものばかり。

■ フードコート

モールのフードコートはいつも賑わっていて、マックやサブウェイも人気。食べたいものを指定してプラ容器に入れてもらう店も多い。中華料理で適当なものを指定したら、微妙な味だった。

■ ABOU KAMAL(シリア料理)

前回入ったらカメムシが野菜の中に登場して仰天したところだが、安くて旨い。ホモス(ひよこ豆のペースト)に肉をあわせたものが、なかなかいけた。

■ Golden Dragon(中華料理)

日本料理はとても少ないが、中華料理も多くはない。それでも麻婆豆腐だの炒め物だのを口に入れると安心してしまう。辛くても一緒に飲むのはノンアルコールビール。「Moussy」が有名で、バドワイザーのノンアルコール版も出回っている。


ホテルで、ノンアルコールのバドワイザー

■ 名前のわからないインド料理

多くのインド人も出稼ぎに来ているため、インド料理店がある。空いた時間にさっとカレーを食べるつもりが、出ようとしたらお祈りの時間に重なってしまった。こうなると店から出ることが許されず、足止めに遭ってしまう。フライトに遅れるかと冷や冷やした。

●参照
旨いサウジアラビア
旨いサウジアラビア その2