Sightsong

自縄自縛日記

アラビア湾 a.k.a. ペルシャ湾

2015-12-10 13:15:31 | 中東・アフリカ

サウジアラビア・ダンマンにて、アラビア湾を眺めながら朝食。アラブ側はアラビア湾と呼び、イランではペルシャ湾と呼ぶ。日本や欧米ではペルシャ湾。

蔡國強(ツァイ・グォチャン)は、福建省からペルシャ湾までの海上の道を夢想し、それをドーハに形作った(ドーハの蔡國強「saraab」展)。

●参照
リヤドのゴールド・スーク
リヤドの昼景
2012年11月、リヤドうろうろ
2012年11月、リヤドの朝
リヤドの国立博物館
リヤドのビルと鍵と扉
リヤドの夜景
2014年9月、アラビア砂漠
2014年12月、ジェッダ(1) 旧市街
2014年12月、ジェッダ(2) 木の歩道橋
旨いサウジアラビア
旨いサウジアラビア その2
保坂修司『サウジアラビア』


リヤドのゴールド・スーク

2015-12-10 04:05:16 | 中東・アフリカ

リヤドには「ゴールド・スーク」というマーケットがあって、その名の通り金を売っているのだが、個人的にはまるで興味がない。

ひたすら多いのはお香の店である。当然、お香立ても売っている。裏返してみると、「Made in China」と書いてある。なんとなくひとつ買ってしまったのだが、別にお香を焚くわけでもなく、クリップでも入れて使おうかと妄想。

ところで、時計の店が並ぶ一角に、オリエントの看板を見つけた。セイコーやシチズンでなくオリエントというところが渋い。

●参照
リヤドの昼景
2012年11月、リヤドうろうろ
2012年11月、リヤドの朝
リヤドの国立博物館
リヤドのビルと鍵と扉
リヤドの夜景
2014年9月、アラビア砂漠
2014年12月、ジェッダ(1) 旧市街
2014年12月、ジェッダ(2) 木の歩道橋
旨いサウジアラビア
旨いサウジアラビア その2
保坂修司『サウジアラビア』


揚げバナナ

2015-12-08 14:30:11 | 食べ物飲み物

いまサウジアラビアに居て、先週ジャカルタの空港で食べた揚げバナナのことを思い出している。

衣の下は半分溶けていて、まあそれほど旨いものとも思えなかった。Wikipediaによれば、揚げバナナは、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、ブルネイなどで食べられている。タイ・バンコクの路上では、揚げバナナではなく焼きバナナを多く見かけるのだが、訊いてみると、旨いかどうかは店にもよるし、クレープに挟んだもの、そのままゴロゴロと焼いたものなど色々あるのだという。

揚げバナナに使うバナナは熟する前の青いものだという。『アントニオ猪木自伝』には、家族で移民としてブラジルに行く途中、パナマで途中下船した話があった。猪木氏のおじいさんは、当時まだ日本では珍しかったバナナを買ってきてたくさん食べたところ、毒にやられて亡くなってしまった。では揚げバナナも焼きバナナも、熱で毒が分解されるのだろうか。

どうでもいいようなことではあるが。


溝口睦子『アマテラスの誕生』

2015-12-06 15:02:45 | 思想・文学

溝口睦子『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』(岩波新書、2009年)を、香港までの機内で読了。

アマテラス(天照大神)は、言うまでもなく日本神話における皇祖神・最高神として位置づけられ、特に近代日本において、国家の物語として利用されてきた。しかし、本書によれば、それは最初からの物語とは違っていた。

すなわち、
●もとより、弥生以降の日本において形作られてきた神話は、イザナギ・イザナミ~タカミムスヒ(・スサノオ・アマテラス)~オオクニヌシまでのものであった。いまではタカミムスヒという神はほとんど忘れ去られている。
●一方、4世紀末~5世紀初頭に、高句麗など朝鮮半島の日本(倭国)よりも進んだ地域を介して、北ユーラシアにおける、天の思想が流入してきた。つまり天孫降臨の神話は優れた外来の神話であった。高句麗には倭軍も大敗するなど(広開土王の碑)、倭国にとって朝鮮半島は脅威でもあった。
●すなわち、5~7世紀のヤマト王権の時代において、日本神話は上の二元的なものでもあった。
●もともと、日本開闢の主役・最高神は、タカミムスヒであった。しかし、それはヤマト王権のなかのことであり、国の神話を強化するほどの求心力はなかった。
●タカミムスヒに代わるものとして、地方の神にすぎなかった伊勢のアマテラスが抜擢された。記紀においてはアマテラスとタカミムスヒとはほぼ並列、やがてアマテラスが主役の座を奪っていった。
●それは、7世紀のクーデター(645年)以降、中央集権の律令国家を作ろうとする天智・天武の天皇兄弟の意思であった。

といったところ。非常にエキサイティングな展開であり、日本神話を見る眼から鱗が何枚も落ちたような気分。

●参照
「かのように」と反骨
鶴見俊輔『アメノウズメ伝』
三種の神器 好奇心と無自覚とのバランス
仏になりたがる理由
『大本教 民衆は何を求めたのか』
入江曜子『溥儀』


チコ・フリーマン『Spoken Into Existence』

2015-12-05 07:56:19 | アヴァンギャルド・ジャズ

チコ・フリーマン『Spoken Into Existence』(Jive Music、2015年)を聴く。

Chico Freeman (ts, ss)
Heiri Kanzig (b)
Michael Baker (ds)
Antonio Farao (p)

特に何かが野心的であったり尖っていたりするでもない。特筆すべきことも見当たらない。それにも関わらず、いまだにチコの新作をこのように追い続けている人が、他にもたくさんいることを信じたい。

父親のヴォン・フリーマンと比べるとチコはダメだと言ったのは、スティーヴ・コールマンだったように記憶している。確かに、匂いにむせかえるようなシカゴ・テナーのヴォンに比べると、強烈さは希薄である。若いころはそれでも苛烈なプレイを見せてもいたのだが、いまやどっしりと落ち着いて、手癖と音色とソロの組み立ての個性だけが残っている。聴けばチコとわかる音なのであり、それでいいではないですか(誰に言っている)。

「Seven Steps to Heaven」を録音するのは『Project Terra Nova』(1996年)以来か、どちらもまったく尖っていないが。あとは、5人の娘に捧げた曲など、しっとりしたものである。『The Arrival』(2014年)に続き一緒に演奏しているハイリ・ケンツィヒの柔らかなベースも、このサウンドにはまっている。

●参照
ジョージ・フリーマン+チコ・フリーマン『All in the Family』(2014-15年)
チコ・フリーマン+ハイリ・ケンツィヒ『The Arrival』(2014年)
チコ・フリーマン『Elvin』(2011年)
チコ・フリーマン『The Essence of Silence』(2010年)
最近のチコ・フリーマン(1996, 98, 2001, 2006年)
サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Porttait』(1992年)
チコ・フリーマンの16年(1979, 95年)
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと(1976年)


タナハシ・コーツ『Between The World And Me』

2015-12-04 00:34:19 | 北米

ブルックリンの「Unnameable Books」という洒落た名前の小さな本屋で、タナハシ・コーツ(Ta-Nehisi Coates)の『Between The World And Me』(Spiegel & Grau、2015年)が気になって買っておいた。ジャカルタへの往復の機内で読了した。

まったく予備知識がなかったのだが、今ではアメリカで大評判になっている。どうやらトニ・モリスンの推薦文が効いたものらしい。

本書は、著者のコーツが十代の息子に語る形をとったエッセイである。黒人が黒人であるというだけで、歴史的に、いかに不当な差別の対象となり、人生の幅を狭められ、警官による暴力を受けてきたか。その歴史が、いかに、マジョリティにより都合のいいように語られてきたか。コーツは、その歴史を幼少時から己のものとして身体で覚えてきたために、マルコムXに惹かれ、また語ることを職業として選んできた。

歴史だけではない。コーツが幼い息子と『ハウルの動く城』を観た帰りに、白人の老婦人が、息子を人間としてではなくまるで障害物であるかのようにどけたという逸話が語られている。そのことに反発をみせたところ、相手=マジョリティは、自分たちはレイシストではないという武装をしながらも、生殺与奪の力は自分たちが持っているのだということを明らかに示したのだという。

語るべき者が語らなければならないということである。

●参照
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『ブルース・ピープル』
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『根拠地』 その現代性


ガイ・リッチー『コードネームU.N.C.L.E』、スティーヴン・スピルバーグ『ブリッジ・オブ・スパイ』

2015-12-03 23:56:31 | 北米

手持ちの本を読んでしまい、シンガポールからの帰国便で、東西冷戦時代のスパイ映画を2本。

■ ガイ・リッチー『コードネームU.N.C.L.E』(2015年)

『ナポレオン・ソロ』のリメイク。とはいっても、わたしはオリジナルをまったく観ていないのでノスタルジイも何もない。

アメリカとソ連の腕利きスパイが、原爆を大量生産する技術を開発しようとするナチスの残党を潰す物語である。アクションあり、お色気あり、ユーモアあり、奇怪な人物あり。やたらとバカバカしいが、エンターテインメントはこれでいいのだ。スウェーデン出身のアリシア・ヴィキャンデルが魅力的。

■ スティーヴン・スピルバーグ『ブリッジ・オブ・スパイ』(2015年)

アメリカで捕らえられたソ連のスパイ。大きな憎しみがかれに向けられる。その弁護をする羽目になった弁護士は、かれを敵として扱うのではなく、人権を担保されるべき者として扱うべきだという主張を押し出す。一方、ソ連でもスパイ活動中のアメリカのパイロットが拿捕され、東ドイツでもアメリカの学生が捕らえられる。ソ連、東ドイツ、アメリカという3カ国の思惑が交錯する中で、弁護士は1対2の交換に向けて奮闘する。

登場人物それぞれに明快なキャラクターを持たせ、巧いドラマ作りをしているという印象しか抱くことができない。その挙句に、アメリカの良心を礼賛する構造である。スピルバーグはこんなに二流の人だったっけ。