Sightsong

自縄自縛日記

『秘宝感』

2016-04-17 07:50:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

『秘宝感』(Roving Spirits、2010年)。

斉藤良 (ds)
纐纈雅代 (as)
スガダイロー (p)
佐藤えりか (b)
熱海宝子 (秘)

改めて聴いてみても、斉藤良のドスドスシュパシュパとグルーヴ感満点のドラムスも、蛇のように絡みつくスガダイローのピアノも、ブキブキと入ってきて吹きまくる纐纈雅代のアルトも全部いい。熱海宝子 (秘)の喘ぎ声は、再生音源では恥ずかしいので勘弁してほしいのではあるが。

数年前に「昼ピで昼ビ」というキャッチコピーとともに、新宿ピットイン昼の部でライヴをやっていた。いちどだけ観に行った。淫靡でパワフルで、ひたすら愉しかった。そのとき、写真家の加納典明さんが熱海宝子を撮りに来ていて(α7が出る前のソニーのミラーレスだった)、熱海宝子がエロく迫ると「それかよ!」。事件は演奏後に起きた。リーダー・斉藤良さんがメンバー紹介のあとに、「写真!****!!」(沈黙)と・・・。(「加納典明・篠山紀信事件」)

加納さんのブログには、その事件のことは触れられていなかったが、独特の言い回しで「もっと外れて唯我独尊界音をと感じた、イメージに形等無いのだが、何か決定的な客を何らかのフォームで打ち崩すようなタッチが必要だな、客とは全てマゾなる群れでしかない」と書いており、まだまだ尖っているのだなと嬉しくなった。そういえば、昨年、氏が行った三里塚の写真展には、残念ながら行くことができなかった。
http://tenmeikanoh.com/blog/?p=707

秘宝感はいま「休感中」。

●参照
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)
板橋文夫+纐纈雅代+レオナ@Lady Jane(2016年)
纐纈雅代『Band of Eden』(2015年)
纐纈雅代 Band of Eden @新宿ピットイン(2013年)
鈴木勲セッション@新宿ピットイン(2014年)(纐纈雅代参加)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)(纐纈雅代参加)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)(纐纈雅代参加)


細田晴子『カストロとフランコ』

2016-04-16 23:54:30 | 中南米

細田晴子『カストロとフランコー冷戦期外交の舞台裏』(ちくま新書、2016年)を読む。

キューバ革命の立役者にして生きる英雄フィデル・カストロと、スペインの独裁者フランシスコ・フランコ。まったく思想も評価も異なりそうなふたりだが、外交において通じ合うところがあったのだという。

キーワードは愛郷心(ふたりともスペインの北西部をルーツとする)、反米感情、軍人としての感情、独自外交。そう言われてみれば、キューバに住むスペイン系住民は多いし、カストロも家父長的な為政者であったし、キューバ事件やスペイン市民戦争のイメージだけで政治の旗色を決めてしまうことは単純に過ぎるように思える。

それはそれとして、情報がとっ散らかっていて、ダメなまとめ方の典型に見える。「あれもある、これもある」で記述したうえで、かれらは一本筋が通った政治家が好きであったとか、モラルを重視したとかいったことを結論のように提示されると、脱力してしまう。

●参照
太田昌国の世界 その24「ゲバラを21世紀的現実の中に据える」(2014年)
太田昌国の世界 その10「テロリズム再考」(2011年)
『情況』の、「中南米の現在」特集(2010年)
中南米の地殻変動をまとめた『反米大陸』(2007年)
チェ・ゲバラの命日
沢木耕太郎『キャパの十字架』(2013年)
スペイン市民戦争がいまにつながる
ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』(1938年)
ギレルモ・デル・トロ『パンズ・ラビリンス』(2006年)


ジル・スコット『Woman』

2016-04-16 09:11:52 | ポップス

ジル・スコット『Woman』(Blues Babe Records、2015年)を聴く。

というのも飛行機の中でつまみ聴きしてちょっと気に入ったからなのだが、こうしてアルバム単位で通してみると、また魅力を次々に発見する。

ジルの声は少し甘く、少しハスキーで、硬い樹脂のように滑らかでもあって、また特に声量を上げたときにはこもったような響きがある。ノリノリで突き進んでいても、「Jahraymecofasola」のように甘ったるくバラードを歌っていてもドキドキする。

最初はラップ的にはじまり、ション・ヒントンのギターがカッチョいい「Say Thank You」があって、ゴージャスでブルージーな「Back Together」があって、BJ・ザ・シカゴ・キッドとセクシーにハモる「Beautiful Love」でしめくくる。いやイイね~。


高瀬アキ+佐藤允彦@渋谷・公園通りクラシックス

2016-04-15 23:31:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

渋谷の公園通りクラシックスに足を運び、高瀬アキ、佐藤允彦という吃驚するような組み合わせのピアニストふたりのデュオ。

Aki Takase 高瀬アキ (p)
Masahiko Sato 佐藤允彦 (p)

「佐藤さん、何をするんですか。リハーサルもしていないのに」
「リハーサルをしても仕方ないし。これがリハーサルのようなもので」

というわけで、この個性的なピアニストふたりが、お喋りをしてリラックスしながら、思い思いに鍵盤を叩いた。こうして目の当たりにすると、予想以上にそのプレイは対照的だった。高瀬アキは、奔放に、ときに激しく仕掛けていく。佐藤允彦は、まるでその奔流を受けるようにして、理知的に世界を構築していく。高瀬アキは、自らを包むものを破ろうとして弾ける。佐藤允彦は、なにものかを積み上げていく。多数のピンポン玉を使ったプリペアド対決では、高瀬アキは、気の向くままにピアノの中に玉を投げ入れ、弾いてはジャンプさせる。佐藤允彦は、その間も丹念にピンポン玉を並べ、おもむろに、チェンバロのような音色を提示してみせる。

「高瀬さん、ピアノの下に三本のペダルがあるでしょう」
「はい、勿論知っています(笑)。だいたいは右側を中心に使いますよね」(※右側のペダルは音を長く響かせる)
「・・・それは、アクセルをふかす人と、ブレーキを効かせる人と違っていて」
「(苦笑)」

そんなわけで、奔放にアクセルを踏みまくる高瀬アキと、自制しながらじっくりと構成して伽藍を建設する佐藤允彦との違いを体感することができて、とても面白いものだった。ハプニングの意味も、おそらくこのふたりでは違うのだろうなと思ってしまった。

ずっと別々のピアノを入れ替わりながら弾いていたふたりだったが、最後は連弾でしめくくった。随所が刺激的で、愉快極まりない演奏だった。

ところで、高瀬さんが、六本木にあったロマーニッシェス・カフェの話題を出した。わたしも何度か行ったことがある。懐かしいな。積んであってまだ読んでいないが、大木雄高『ロマーニッシェス・カフェ物語』には、ふたりのエッセイが入っているという。

●参照
アンサンブル・ゾネ『飛ぶ教室は 今』(2015年)(高瀬アキ参加)
高瀬アキ『St. Louis Blues』(2001年)
高瀬アキ『Oriental Express』(1994年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
『ASIAN SPIRITS』(1995年)(佐藤允彦参加)
『老人と海』 与那国島の映像(1990年)(佐藤允彦参加)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)(佐藤允彦参加)
アンソニー・ブラクストン『捧げものとしての4つの作品』(1971年)(佐藤允彦参加)


ゲイリー・ピーコック+マリリン・クリスペル『Azure』

2016-04-15 00:11:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

ゲイリー・ピーコック+マリリン・クリスペル『Azure』(ECM、2011年)を聴く。

Marilyn Crispell (p)
Gary Peacock (b)

1年ほど前に、微笑みながら、聴く者を魔の淵に立たせてしまうマリリン・クリスペルのプレイを目の当たりにして以来、平常心で彼女のピアノを聴くことができなくなったのである。この盤も、聴く前から陶然としてしまう有様。この異常な心理状態は何ならむ。

いやしかし、やはり、屈折率の高い宝石を覗き込むような気分にさせられてしまう。うっ、と微妙な間を置いて繰り出してくる、気持ち悪いほど美しく、瞑想的なピアノ。クリスペルは魔の人である。

ピーコックのベースは、弾いて弦と共鳴体の音を響かせるときから、一様ではない色彩を感じさせる。

●参照
マリリン・クリスペル+ルーカス・リゲティ+ミシェル・マカースキー@The Stone(2015年)
「ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記」(2015年)
ルイス・モホロ+マリリン・クリスペル『Sibanye (We Are One)』(2007年)
マリリン・クリスペル+バリー・ガイ+ジェリー・ヘミングウェイ『Cascades』(1993年)
ペーター・ブロッツマン(マリリン・クリスペル参加)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)(マリリン・クリスペル参加)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)(マリリン・クリスペル参加)
テザード・ムーン『Triangle』(1991年)(ゲイリー・ピーコック参加)
キース・ジャレット『Standards Live』(1985年)(ゲイリー・ピーコック参加)
ローウェル・デヴィッドソン(1965年)(ゲイリー・ピーコック参加)


トラヴィス・ラプランテ+ピーター・エヴァンス『Secret Meeting』

2016-04-13 22:56:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

トラヴィス・ラプランテ+ピーター・エヴァンス『Secret Meeting』(NNA、2015年)を聴く。

Travis Laplante (ts)
Peter Evans (tp)

ラプランテのテナーには驚かされた。どれだけ音を割って、どれだけ倍音を放ち、どれだけ長く吹くかというショーケースである。ときに、電子楽器かという音もある。

これに対峙して、エヴァンスも炸裂と運動神経の無数の様態を惜しげもなく提示している。実はこのようなシンプルな追及こそ、エヴァンスの望むところではなかったのかな、なんて思ったりもして。

ヘンな音の響きとヘンな音の響きとの相乗効果で倍倍音。聴いていてくらくらする。その響きの可能性には、まだまだ先があるのではないかと思わせてくれる。

●ピーター・エヴァンス
Pulverize the Sound@The Stone(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
チャン+エヴァンス+ブランカート+ウォルター『CRYPTOCRYSTALLINE』、『Pulverize the Sound』(2013、15年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(2009年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年) 


今西錦司『遊牧論そのほか』

2016-04-13 21:53:04 | 北アジア・中央アジア

今西錦司『遊牧論そのほか』(平凡社ライブラリー、原著1947年)を読む。

今西錦司は、戦中・戦後に、内モンゴルの調査旅行を行った。本書は、その際に、この生態学者が書きつけた思索の記録である。

もっとも、海外踏査が困難であった時代であるから、判断材料は極めて限定されたものだったに違いない(たとえば、著者は、外モンゴルのゴビ砂漠には植生がほとんど無いと書いているが、実際にはそうではない)。社会や文化も含めて、実際に身を置いて思索を重ねた上で出されてきた「理論」である。したがって、正しいかそうでないかというよりも、今西錦司という人の思索過程に付き合うことの味わいに価値がある。

遊牧ということについては、内モンゴルの植生分布や、牛、羊などの家畜の特性から検討を進めている。その結論として、ヒト中心の事情によって、狩猟文化から農耕・定住文化を経たあとに行いはじめたのではなく、動物の群れとしての動きにヒトが合わせていったのだと考えている。このことも単純な「正解」というわけではないようだ。

著者は、大陸において日本の敗戦を経験した。同年の10月に北京で書かれた文章は、さすがである。

「けっきょく敗走である。敗走でしかない。この数年来日本人は何万と進出してきたが、軍はもとより、一般居留民も、日本人は日本人だけの社会をつくろうとした。その社会と現地民の社会とは遊離していた。日本人は安くで配給物をうけとり、日本人はいわゆる治外法権の特権階級として、現地民の社会にまで根をおろす必要を、ほとんど感じないで暮らしていた。この日本人の社会が風に吹かれて動揺するとき、これをとどめる力は、現地民の社会からでてこなければならないということを忘れていた。」
「敗走はけっきょく日本人のつくった、浮き草のような日本人社会そのものの敗走である。」

●参照
2014年8月、ゴビ砂漠
2014年8月、ゴビ砂漠(2)


ロイ・ナサンソン『Nearness and You』

2016-04-13 21:09:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロイ・ナサンソン『Nearness and You』(clean feed、2015年)を聴く。

Roy Nathanson (as, bs, ss, p, vo)
Arturo O'Farrill (p)
Anthony Coleman (p)
Myra Melford (p)
Marc Ribot (g)
Curtis Fowlkes (tb, vo)
Lucy Hollier (tb)

2015年6月、ニューヨーク・The Stoneにおけるナサンソンのレジデンシーの抜粋である。ここではほとんどデュオ集のような形になっているが、実際のところ、The Jazz Passengersなど、もっといろいろな編成での演奏が繰り広げられた模様(>> リンク)。

わたしはマイラ・メルフォード目当てで聴いたのだけれど、彼女だけでなく、この多彩な共演者たちとナサンソンとの会話ぶりがとても愉しい。マーク・リボーの割れた音のギターもいい。アンソニー・コールマンが入ると少し背筋が伸びるような感覚。マイラ・メルフォードは転がり出る音と戯れている。

ナサンソンは、父親がテナーで吹く「The Nearness of You」なんかを聴いて育ったのだという。タイトルはそのもじり。さらに「The Nearness of Ewes」とか「The Nearness of Jews」とか、悪ふざけ満点。それを、まったく力が抜けたなで肩のサックスが彩ってゆく。なんだかロル・コクスヒルの諧謔と脱力ぶりを思い出してしまう。

さらに、ラテン・ピアニストのアルトゥーロ・オファリロが美しく速く弾き、ナサンソンが味わいを込めて吹く「Ida Lupino」にも惹かれる。カーラ・ブレイの曲である。そういえば、本盤のジャケットはカーラの『Songs with Legs』に似ている。もっとも、それに「Ida Lupino」は入っていない。


アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas II』

2016-04-12 07:25:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas II』(Fresh Sound Records、2004年)を聴く。

Tony Malaby (ts)
Loren Stillman (as)
Jacob Sacks (p, celeste, Wurlitzer)
Craig Taborn (p, celeste, Wurlitzer)
Kenny Wollesen (ds)
Jeff Davis (ds)
Eivind Opsvik (b)

オプスヴィークの『Overseas III』(2007年)、『Overseas IV』(2011年)もそれぞれ傑作だったが、本盤もまた別の魅力を持った作品であり、『III』『IV』に至る発展途上のサウンドなどではない。何しろ、クレイグ・テイボーンが参加しているのである。「Maritime Safety」においてテイボーンが弾くハモンドオルガンのカッコよさといったら、悶絶しそうになるほどだ。

シリーズの共通点は、ジェイコブ・サックスや、いつも枯れていてかつ豊潤なテナーを吹くトニー・マラビーらが参加していること(矛盾しているようだが、それがマラビーの不思議)。そして、旅の不安と高揚とを思わせる作曲である。オプスヴィークの温かいベースも好きなのだが、かれの作曲も特筆ものではないか。

こうして『IV』から遡って聴いていて、すべて素敵なアルバムだと実感する。初作も聴いてみたいし、ぜひ『V』も吹き込んでほしいと思う。

●アイヴィン・オプスヴィーク
アイヴィン・オプスヴィーク Overseas@Seeds(2015年)
ネイト・ウーリー『(Dance to) The Early Music』(2015年)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas IV』(2011年)
ネイト・ウーリー『(Put Your) Hands Together』(2011年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas III』(2007年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、12年)


エヴァン・パーカー@稲毛Candy

2016-04-10 22:58:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

張り切って、3日続けてエヴァン・パーカーのパフォーマンス。今日は稲毛のCandyである。会場には30人ほどがぎっしり。

わたしにとっては、パーカーのギグを目の当たりにするのが10回目。世田谷美術館でのソロを観て驚愕したのが、20年前の1996年である。

Evan Parker (ss, ts)

ファーストセット、ソプラノサックス。これは時間との競争なのだろうか、息を呑んで追い詰められ、ひたすらに見つめる。高音中心から、音風景を次々に変貌させてゆき、右手の指でタンポをブハブハと叩くサウンドも、泡立つような音もあった。

セカンドセットその1、テナーサックス。ソプラノと異なり、ブロウ間の間合いと息継ぎがあり、重力を感じる。フレーズらしきものもある。マルチフォニックも、それにより内奥を引っ掻きえぐるような濁った音も素晴らしかった。

セカンドセットその2、ソプラノサックス。向こう側まで透徹するような、目が覚めるような、鳥の歌声。聴いているこちらが置いていかれそうな感覚があった。やがて音が小さくなり、スローダウンして、音を打ち切った。

今日も唯一無二の音を体感した。

●エヴァン・パーカー
エヴァン・パーカー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2016年)
エヴァン・パーカー@スーパーデラックス(2016年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)


レイラ・ハサウェイ『Live』

2016-04-10 11:43:06 | ポップス

レイラ・ハサウェイ『Live』(Agate、2015年)を聴く。

Lalah Hathaway (vo)
Errol Cooney (g)
Jairus "J.Mo" Mozee (g)
Eric "Pikfunk" Smith (b)
Stacey Lamont Sydnor (perc)
Lynette Williams (key)
Bobby Sparks II (key, org)
Michael Aaberg (key, org)
Robert Glasper (key)
Brian Collier (ds)
Eric Seats (ds)
Jason Morales, Dennis "DC" Clark, Vula Malinga (vo)
DJ Spark (DJ)

もとよりレイラのことはダニー・ハサウェイの娘だということしか知らず、昨年ハーレムのアポロ劇場に観に行こうかなと思ったり(他のギグを優先した)、ブルーノート東京に行こうかとも思ったり(恋人たちのどうのこうのというキャンペーンで、面倒でやめた)。まあ、ダニー・ハサウェイだってそんなに聴いているわけでもない。要するにソウルとかR&Bとかはあまり知らない。

ところが、テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』ではその方面のヴォーカリストばかりを集めていて、とても面白かった。そんなわけで、このあたりを指針に聴いていこうと思っているのだが、中でもレイラの声は、低く、印象的だった。

ライヴ録音を集めた本盤も、ジャズ寄りのアレンジと編成で、素晴らしくいい。深く、低く、含みのあるレイラの声にとても惹かれる。仮にライヴに行ったとしたらレイラひとりを凝視するのだろうね。

「lean on me」ではロバート・グラスパーをフィーチャーしていて、かれのキーボードがサウンドに入ってくるとまたカッコいい。ジャズで聴いているから斜に構えて視てしまうのだ。(そういえば、ジョシュア・レッドマンが唯一いいなと思ったのは、ミシェル・ンデゲオチェロのアルバムにおいてだった。)

●参照
テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』(2015年)
ロバート・グラスパー@Billboard Live Tokyo(2015年)


屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』

2016-04-10 09:12:10 | 沖縄

屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす 記憶をいかに継承するか』(世織書房、2009年)を読む。

屋嘉比氏(故人)は、季刊『けーし風』の編集委員でもあった。いま定期的にその読者会に出て勉強していると、そこで共有してきた視線や言説の多くが、まさに本書において思考されていることがわかる。鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』においては、屋嘉比氏の活動を「沖縄戦の思想化」として分類している。偉大なリアルタイムの思考者であったのだなと思う。

このことは、もちろん、氏の思考過程が古びて手垢がついたものになったということを意味するものではない。むしろ逆で、読んでいると、そのように考えるのかと、のけぞってしまうことが少なくない。ぜひ多くの人に読んで欲しい本である。

当事者性とはなにか。沖縄戦の体験者たちは、その体験の実相に対する誤った改竄圧力があるたびに、その記憶を呼び起こし、発信しはじめ、共有を続けてきた(「軍隊は住民を守らない」も、「命どぅ宝」も)。国家が選別し与える歴史とは異なり、大衆の歴史は、そのような形で形成されてきた。たとえば、「集団自決」に関し、ことを「軍命」の有無のみによって判断しようとする策動は、後者に対する攻撃であった。

それでは、沖縄戦の体験者が次第に少なくなる中で、戦後世代はいかに当事者性をとらえ、記憶を共有していくべきか。著者はここで「分有」ということばを用いる。当事者の体験や記憶は、そのすべてが特異点であり独立である。中には、国家の物語に回収されてしまうものも少なくない(住民にとって強制死に他ならぬものを、「崇高に生命を国家に捧げた」ことにされてしまうなど)。非体験者は、ここで多くの体験を「分有」することによって、実相とはかけ離れた記憶の継承に陥らぬようにしなければならない。

その複眼的な視野には、時間や地域の境界線を超えることも含まれる。沖縄戦を、「日本」の中で、また戦前・戦中・戦後という分類で捉えることを前提としてはならないということだ。著者は、沖縄戦を、戦後の東アジアにおける冷戦体制化における熱戦の起点としても捉えようとする(1945年の沖縄戦、1947年の台湾二・二八事件、1948年の済州島四・三事件、1950年からの朝鮮戦争、・・・)。そしてまた、沖縄戦とそのあと、「戦場」と「占領」と「復興」とが混在し、同時進行していたという指摘がある。このことは、沖縄現代史と現代そのものにおいて非常に大事な視点であるように思える。それがいまもすべて沖縄に存在し、進行しているのだから。

「戦場、占領、復興として時系列に単線的にとらえる視角は占領者の視線であって、むしろ沖縄のような地上戦の地や被占領地では、戦場/占領/復興が重層的に混在し同時並行的に進展していたととらえる被支配者や被占領者の視点が重要だと言うことである。そのことは、前述したように戦後東アジアの国々の関係でも、「戦場」「占領」「復興」の関係が、相互連関して重層的に複合し同時並行的に展開していることと重なり合っている。さらに、それは本文でふれたように、沖縄の女性たちにとって、沖縄戦の戦闘がようやく終わってもアメリカ軍占領下にまた”新たな戦争”が始まった、という証言とも符合するものである。そのことは韓国の女性たちにとっても同様であり、帝国日本の植民地主義が終わった後も、戦後の済州島四・三事件、朝鮮戦争と続く”新たな戦争”によって、女性たちに対するアメリカ軍の軍事占領下での性暴力が多発した事実がそのことを如実に示している。」

●参照
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』(2010年)
鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』(2011年)


エヴァン・パーカー+高橋悠治@ホール・エッグファーム

2016-04-10 00:19:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

深谷のホール・エッグファームまで遠征し、連日のエヴァン・パーカー(2016/4/9)。(ところで、湘南新宿ラインは深谷の1駅前で車両を切り離す。よくわからず車両間をうろうろと移動したが、前回も同じ行動を取ったような記憶が)

Evan Parker (ss, ts)
Yuji Takahashi 高橋悠治 (p)

ファーストセット(エヴァン・パーカー)。ソプラノサックスの循環呼吸による20分以上のソロ。高音にまずは耳を奪われるが、右手による低音のリズムにもスピードにもさまざまなパターンがあることに気づかされる。パーカーが作り出す強弱のうねりにより、音風景のフェーズが明確に変わっていく。低音も高音も鼓膜をびりびりと刺激する。

ファーストセット(高橋悠治)。猫のようにしなやかに現れ、ピアノの前に素早く座った氏は、演奏でも驚くべきしなやかさを見せる。さきに慣性があって、演奏と肉体がそれに追随していくようなのだ。不定形で、広い時空の中において落ちていく水滴のように、一音と和音が響く。終わったかどうかのところで拍手が起き、氏は不満にも見える表情を見せ、次のピースも弾いた。はじまりも終わりもなく、その意味で時間を超えているものだった。

セカンドセット(デュオ)、その1。パーカーは、最初に、「高橋さんと共演できることの名誉、ここにいることの誇らしさ」を口にした。テナーサックスでは、ソプラノと違い、間があって、重力を感じる。しかしひとつひとつの音の波が微分されている。パーカーの波と高橋悠治の波が重なり、一瞬の間とずれがあってもまた回復していった。

その2。パーカーはソプラノに持ち替え、高音のトリルによる宇宙を形成する。高橋さんも高音と低音とのひたすらに長いうねりを生成させ、ときに轟音のカーテンさえも見せた。

その3、ふたたびテナー。破裂音も擦れる音も、囁く音もある。ふたりがそれぞれ独自にサウンドを展開し、シンクロしてゆく。高橋さんは、エフェクターのように、あまりにも柔軟に、パーカーにまとわりつくピアノを弾いた。

後半では、高橋さんがパーカーを捉え、スリリング極まりない瞬間がいくつもあった。思わず涙が出てしまった。

終わってから、パーカーにサインをいただいた。『True Live Walnuts』ではコルトレーンの「Naima」が聴こえてきて心が動かされたんだと言ったところ、パーカーははにかむように笑って「ときどきやるんだよ」と。昨年、NYでシルヴィー・クルボアジェらと吹き込んだ録音を聴くのが楽しみだと伝えた(Intaktレーベルから出る予定)。

Nikon P7800

●エヴァン・パーカー
エヴァン・パーカー@スーパーデラックス(2016年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)

●高橋悠治
ジョン・ブッチャー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2015年)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2008年)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)(2008年)
『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』(2000年)


マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』

2016-04-09 10:13:42 | 北海道

マレウレウ『cikapuni』(Chikar Studio、2016年)を聴く。

MAREWREW:
Rekpo
Kawamura Hisae
Mayun Kiki
Rim Rim

マレウレウは、アイヌの伝統歌ウポポを歌う女性コーラスグループ。このアルバムは、2010年に出したアルバムの曲を中心に再録したものだということだ。わたしは去年マレウレウの存在を知ったばかりなので、こうして聴くチャンスが増えるのはとても嬉しい。

彼女たちは、自ら同じリズムでの手拍子を取りながら、シンプルでいて複雑なコーラスを聴かせてくれる。ひとりが基底音となりながら、別の者が他の文脈を持ち込んできて、その複層的な歌を展開する。歌詞はまったく解らないながら、朦朧とする。

『もっといて、ひっそりね。』(Chikar Studio、2012年)は、この4人に加え、OKIがトンコリやムックリの演奏も行い、よりカラフルな音楽だった。歌は、舟漕ぎとか、再会とか、雪解けとか、鯨やシャチとか、物語性が具体的で、聴いていると想像が膨らんでいく。

プリミティヴで聴いているとどこかに連れていかれる『cikapuni』と、親しみやすい『もっといて、ひっそりね。』のどちらも好きである。

●参照
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(2016年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
新大久保のアイヌ料理店「ハルコロ」
上原善広『被差別のグルメ』
モンゴルの口琴 


エヴァン・パーカー@スーパーデラックス

2016-04-09 08:05:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

昨年に続きエヴァン・パーカーの来日。六本木のスーパーデラックスに足を運んだ(2016/4/8)。大阪や金沢でのパフォーマンスの評判をSNSで見て、期待が高まっていた。

Evan Parker (ss, ts)
Joel Ryan (sample and signal processing)
Mari Kimura 木村まり (vln)
Ko Ishikawa 石川高 (笙)

ファーストセット(エヴァン・パーカー+ジョエル・ライアン)。パーカーがややかすれた音でソプラノの循環呼吸奏法をはじめる。やがてジョエル・ライアンが参入、過ぎ去ったばかりの、あるいはリアルタイムのパーカーの音を用いて別の存在を産み出す。パーカーはふたりとなり、3人となり、分身したパーカーたちがまるで天使のように飛翔し、ハコは鳥小屋となった。分身はさまざまな声を生み出し、また、電気的なイマージュとも化し、オーヴァーヒートさえもした。

セカンドセット、その1(石川高+ジョエル・ライアン)。石川高の笙が透き通ったオルガンのように美しい音を発し、同時に、ライアンがニューエイジかと言いたくなるようなアウラをハコ全体に発生させる。何がどの音か、それは隙間でわかる。

セカンドセット、その2(木村まり+ジョエル・ライアン)。木村まりのヴァイオリンは遊ぶように、咳でもするように短い擦音を発し、ライアンがそれを受けて、時にハウルも生成。木村まりは驚いた顔を見せるが、ふたりとも明らかに愉しんでいる。死を予感させるようなヴァイオリンの旋律も印象的だった。

サードセット(カルテット)。パーカーはテナーで参加し、ソプラノとは違い重力を感じさせる微分的な音は、木村まりのヴァイオリンと驚くほどの親和性を示した。かれらの音が途絶えた時どきに、その残響の中で、ライアンと石川高の存在がまた浮かび上がる。やがて全員による音の波濤が来る。それは荒々しく、ハコを震わせるほどの轟音でありながら、まったく濁っておらず、やはり残響に石川高の立ちのぼるあまりにも美しい音。

サードセット、アンコール(カルテット)。パーカーはソプラノに持ち替えた。木村まりのヴァイオリンが、ドアがきしみながら開くような音を発し、パーカー、石川高、ライアンが透明な多数の層を積み重ねてゆく。そして会場が音に呑まれてきたとたんに演奏が終わった。

パーカーのギグを観るのはこれで8回目だが、これまでに体験したことのない鮮烈なセッションだった。ライアンをキーマンとした、地下空間との共犯的な音の群れでもあった。

●エヴァン・パーカー
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)