Sightsong

自縄自縛日記

高瀬アキ『Oriental Express』

2016-04-08 07:50:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

高瀬アキ『Oriental Express』(Omagatoki、1994年)を聴く。

Issei Igarashi 五十嵐一生 (tp)
Eiichi Hayashi 林栄一 (as, ss)
Hiroaki Katayama 片山広明 (ts, bs)
Hiroshi Itaya 板谷博 (tb)
Shota Koyama 小山彰太 (ds)
Nobuyoshi Ino 井野信義 (b)
Aki Takase 高瀬アキ (p)

どうだ参ったかというほどの当時のオールスターメンバー。しかも、全員がどや顔で得意技をプレイしているようで嬉しくなる。なんで今まで聴かなかったのだろう。

「So Long Eric」から「Goodbye Porkpie Hat」への長いミンガス・メドレーはいきなり美味しいところを見せつけられて愉しい。故・板谷博のトロンボーンはこんなに滑らかで艶やかだったか。高瀬アキのオリジナル「In and Out」では賑々しく盛り上がってゆきマーチ風に終わる。急転して、アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハの「Point」では、ガサガサした有象無象の中から浮かび上がってくる高瀬アキのブルースが素晴らしくいい。そしてまたオリジナル「Open the Door」。林栄一のキキキキキというアルトは主役でも環境音でもある。最後の「Oriental Express」では、中央線集団のにおいがプンプン漂うのだった。

●参照
アンサンブル・ゾネ『飛ぶ教室は 今』(2015年)(高瀬アキ参加)
高瀬アキ『St. Louis Blues』(2001年)


OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』

2016-04-07 23:42:38 | 北海道

OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(Chikar Studio、2016年)を聴く。

OKI (vo, tonkori, mukkuri, cacho guitar, DX100, perc)
Futoshi Ikabe 居壁太 (vo, tonkori)
Takashi Numazawa 沼澤尚 (ds)
Takashi "Jo" Nakajo 中條卓 (b)
Hakase Sun (key)
Marcos Suzano (pandeiro, caxixi)
Keiichi Tanaka タナカ慶一 (perc, wind board)
Manaw Kano (perc)

野太く荒々しいOKIの声で、北海道や樺太のアイヌの唄が発せられる。それだけでなく、囁く声も、仲間とハモる声も、また2つの違う唄を同時に歌う曲もある。

これに併行して、弦が共鳴しながら割れてもいるトンコリの音、また、ムックリの音。キーボードもドラムスも非常に効果的で、ときに疾走する。

いま創られ再生されるアイヌの音楽はモダンでもあり、ルーツ的でもあり、新旧の混交ぶりが素晴らしい。待った甲斐があった。

●参照
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)


デューク・エリントン『Piano in the Foreground』

2016-04-06 22:59:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

デューク・エリントン『Piano in the Foreground』(Columbia、1957、1961年)を聴く。

Duke Ellington (p)
Aaron Bell (b)
Jimmy Wood (b)
Sam Woodyard (ds)

何てことないようなリラックスした演奏に聴こえもするのだが、ちょっとヴォリュームを上げて聴いてみるとやはりエリントン。鍵盤を渾身の力で叩こうと、小さな音で撫でようと、そんなことは全て平然の範囲内のように思える。この迫力はどこから来ているのだろう。

「Fontainebleau Forest」も「Lotus Blossom」も、『Live at the Whitney』などと同様に、渋谷毅さんのレファレンスのひとつに違いないと思い込んでいるのだが、エリントンはエリントン、渋谷毅は渋谷毅。ところで、「Summertime」のアレンジのジャングルぶりが異様すぎる。これは誰かが演奏において参照しているのだろうか。

●参照
デューク・エリントン『Live at the Whitney』(1972年)
デューク・エリントンとテリ・リン・キャリントンの『Money Jungle』(1962、2013年)
デューク・エリントン『Hi-Fi Ellington Uptown』(1951-52年)
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)


カミラ・メザ『Traces』

2016-04-05 23:46:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

カミラ・メザ『Traces』(Sunnyside、2015年)を聴く。

Camila Meza (vo, g)
Shai Maestro (p, rhodes, Wurlitzer Mellotron, pump organ, ampli-celeste)
Matt Penman (b)
Kendrick Scott (ds)
Bashiri Johnson (perc)
Jody Redhage (cello)
Sachal Vasandani (vo)

ライアン・ケベール&カタルシス『Into the Zone』において、たゆたうようなヴォイスを披露していたカミラ・メザのリーダー作。

チリ・サンティアゴにルーツを持つ歌手であり、ここでも、英語とスペイン語で歌う。やはり気持ちのいい滑らかな声質で、年齢や性差を無視しているようだ。彼女が声を発すると、空気感というのか、空間の広がりというのか、ちょっとこちらが呆けて(惚けて?)しまうような感覚がある。しかも同じようなテイストのあるギターを自ら弾きながら。

サイドにはシャイ・マエストロやケンドリック・スコットが参加しており、ときおり感嘆するソロを取る。

6曲目の「Luchin」は、彼女と同じサンティアゴ出身の歌手ビクトル・ハラの手による曲である(ハラはピノチェトのクーデター時に殺された)。ここではメザはギターを静かに弾きながら囁くように歌い、すばらしい抒情性をみせる。スペイン語の歌詞を調べてみると、自然や目の前の日常を歌ったものであるらしい。

●参照
ライアン・ケベール&カタルシス『Into the Zone』(2014年)
マーク・ジュリアナ@Cotton Club(2016年)(シャイ・マエストロ参加)
シャイ・マエストロ@Body & Soul(2015年)
マーク・ジュリアナ『Family First』(2015年)(シャイ・マエストロ参加)
テレンス・ブランチャード『Magnetic』(2013年)(ケンドリック・スコット参加)


カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』

2016-04-04 22:47:26 | 北米

カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』(新潮文庫、原著1946年)を読む。

アメリカ南部の田舎町。12歳の少女フランキーは、短髪で肘は汚れてがりがり、背が不安になるくらいの勢いで伸びていて、ガサツ。子どもの癖に(子どもだからというべきか)、自分の存在意義を見出すためにエキセントリックな言動を繰り返している。そして、自分の街を出ていくのだという妄想に憑りつかれ、現実性がまったくないにも関わらず、自分の想いに執着する。

フランキーは、もはや自分の土地からは解き放たれたのだと思い望み、街をうろつく。そうすると、まったく無縁であった大人たちと、突然、精神の「関係」が生まれることになる。過ぎ去る時間と、それに対する無力感のようなものがもたらす人間の変化が描かれる。

このあたりの転換は見事であり、(わたしは女子であった経験を持たないが)共感し、わかる、わかると言いたくなってしまう。


Swing MASA@山谷労働者福祉会館

2016-04-04 21:46:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

並木さんにお誘いいただいて、山谷労働者福祉会館に足を運び、Swing MASAのライヴを観る(2016/4/3)。

山谷は日雇い労働者の街であり、2、3千円の宿が多い(最近では外国人旅行者もよく泊まるそうだ)。会館の場所がよくわからず、周辺を何周かしてしまった。泪橋も近く、会館のとなりには「あしたのジョーの街」と書かれた古い看板があった。

Swing MASA (as)

建物の2階に上がってみると部屋には布団が積み上げられている。既にMASAさんがリハーサルをしていたのだが、実はてっきり男性だろうと思い込んでいて驚いた次第。

本番が始まってみると、MASAさんのアルトが突然強度を増す。なんでも「東京のギター奏者3人に声をかけたがみんな予定が埋まっていた」とのこと、iphoneに打ち込んだ伴奏や、それ抜きでのソロ演奏を行った。曲は「Don't Kill」といったMASAさんのオリジナルの他に、セロニアス・モンクの「Ruby, My Dear」や、マル・ウォルドロンの「Soul Eyes」、そして「上を向いて歩こう」では客が一緒に歌いもした。

MASAさんは、NYでジャズ修行をしていてリッキー・フォードに師事し、フォードがバンドに入っていたこともあってマル・ウォルドロンとも接し、またレジー・ワークマンの勧めでニュー・スクールに入ったりもしている。それでこそのマルの曲だったわけだ。

鋭くもあり、情もあって、ひとりで足踏みをしながら吹くMASAさんの音もたたずまいも好きになってしまった。MASAさんはいろいろな活動もされていて、そのことはあらためて紹介させていただきたい。

終わってから、並木さんと南千住の「駅前市場」でビールと旨い料理。千住界隈も入谷界隈も実は開拓したいと思っている。

Nikon P7800


白石雪妃+類家心平@KAKULULU

2016-04-04 07:35:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

類家心平『UNDA』(T5 Jazz Records、2015年)がなかなか素敵なサウンドで、マイルス・デイヴィスの「Maiysha」(『Get Up With It』)をカバーしていて本家よりもカッコいいありさまである。このRS5pb(Ruike Shinpei 5 piece band)を生で聴いてみたいところだ。

カバーを書いた書家の白石雪妃さんの「UNDA」展において書とトランペットとのパフォーマンスを行うと聞いて、東池袋のKAKULULUに足を運んだ(2016/4/3)。

Setsuhi Shiraishi 白石雪妃 (書)
Shinpei Ruike 類家心平 (tp, effecter)

白石さんは、ファーストセットでは黒い紙に金と墨で、セカンドセットでは床に広げた大きな白い紙に薄墨と金と濃い墨で、次々に字ならぬ形を展開していく。それは素人目にも見事な筆さばきだった。 

「UNDA」とはラテン語で「波」の意味だという。類家さんが左頬を膨らませながら放出するトランペットの音には、まさに書道のように濃淡のある波動のような印象を覚えた。

Nikon P7800

 

●参照
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
板橋文夫『みるくゆ』(2015年) 
森山・板橋クインテット『STRAIGHTEDGE』(2014年)


大西順子トリオ@新宿ピットイン

2016-04-03 08:36:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットインにて、いよいよジャズシーンに本格復帰した大西順子を観る(2016/4/2)。

Junko Onishi 大西順子 (p)
Yosuke Inoue 井上陽介 (b)
Akira Yamada 山田玲 (ds)

何しろこうして彼女のライヴを観るのは20年ぶりくらいではなかろうか。そのときは、共演した岡淳さんを「オカマ・コト」、故・日野元彦さんを「トコちゃん」とふざけて紹介していた記憶があるが、今回も共演のふたりをネタにするスタイルは変わらなかった。ああ、懐かしいな。

いきなり「Night's Shadow」。ジェリ・アレン『The Nurturer』でも冒頭に演奏される曲である。そのアルバムでも、大西さんの『Piano Quintet Suite』でも、トランペットの故マーカス・ベルグレイヴが参加しており、作曲はベルグレイヴと同じデトロイト出身のエリ・ファウンテンだという。デトロイト色なのか、ベルグレイヴ色なのか、ジェリ・アレン色なのかわからないが、もはや大西順子色である。

この曲を含め、低音を入れたブロック・コードを繰り出し、イケイケとなれば煌びやかな音で盛り上げる。ただ、大西順子のトレードマークとなったそのようなアプローチだけではなく、ラグタイムのようなスタイルもあったりして、まさに彼女が師事した故ジャキ・バイアードの心が生きているのだなと感じた。

いま菊池成孔プロデュースによる大西順子の新譜制作が進められているようで、そこに収められたいかにも複雑な曲も演奏した(「Tea Time 1」では、ピアノとベースとが5拍子、ドラムスが4拍子)。それが面白いのかどうか、正直言ってわからないのだが、硬軟取り混ぜた演奏は飽きることがなかった。また、24歳だという山田玲のドラムスはアタックが強くビシバシ決めていた。


ペーター・ブロッツマン+フレッド・ホプキンス+ラシッド・アリ『Songlines』

2016-04-02 09:38:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

ペーター・ブロッツマン+フレッド・ホプキンス+ラシッド・アリ『Songlines』(FMP、1991年)を聴く。

Peter Brotzmann (tarogato, as, ts)
Fred Hopkins (b)
Rashid Ali (ds)

ラシッド・アリのドラムス、フレッド・ホプキンスのベースに続いて、おもむろにペーター・ブロッツマンが入ってくる。「ヌウェー」というか、「ンヲー」というか、濁った音のビブラートの奔流なのである。ときには「ブギョー」という叫び。いつも同じなのではあるが、濁りと歪みとを吐き出した途端に、ブロッツマンだけが展開できるブルースとなる。

ここで組んだメンバーはみんな向いている先が異なるようで、それがまたいい。この三者が絡むことの快感といったらない。どの楽器に耳を貼り付けても、他の二者が別のあり様で近づいてくる。

ホプキンスのベースは中音域で上品に倍音を聴かせてくれる。デイヴィッド・マレイとともに来日したとき、わたしはひどい風邪で駆けつけられず、その後亡くなった。

また、アリのドラムスは、ジョン・コルトレーンの最後のグループでも、アリス・コルトレーンのグループでも、「Prima Materia」などでも、もちろんここでも、うねりのたくりながら、爆竹を鳴らしながら、昇竜のように天に向かい続ける。この人も、実際のプレイを観ることができず、数年前に鬼籍に入ってしまった。

●参照
ブロッツ&サブ@新宿ピットイン(2015年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
『BROTZM/FMPのレコードジャケット 1969-1989』
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(ブロッツマン参加)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(ブロッツマン参加)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』
ペーター・ブロッツマン
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(ブロッツマン参加)
マッコイ・タイナーのサックス・カルテット(デイヴィッド・マレイ『Special Quartet』、1990年)(ホプキンス参加)
デイヴィッド・マレイの映像『Live at the Village Vanguard』(1986年)(ホプキンス参加)
ヘンリー・スレッギル(9) 1978年のエアー(ホプキンス参加)
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75(ホプキンス参加)
”カラパルーシャ”・モーリス・マッキンタイアー『Forces and Feelings』(1970年)(ホプキンス参加)
ラシッド・アリ+ペーター・コヴァルト+アシフ・ツアハー『Deals, Ideas & Ideals』(2000年)
プリマ・マテリア『Peace on Earth』、ルイ・ベロジナス『Tiresias』(1994、2008年)(アリ参加)
ジェフ・パルマー『Island Universe』(1994年)(アリ参加)
アリス・コルトレーン『Universal Consciousness』、『Lord of Lords』(1971、1972年)(アリ参加)
アリス・コルトレーン『Huntington Ashram Monastery』、『World Galaxy』(1969、1972年)(アリ参加)
ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ(1967、1972年)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(1965年、1995年)(アリ参加)


梅津和時+トム・コラ『Abandon』

2016-04-02 07:54:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

梅津和時+トム・コラ『Abandon』(Umiushi Records、1987年)を聴く。

Kazutoki Umezu 梅津和時 (as)
Tom Cora (cello)

横田庄一郎『チェロと宮沢賢治』を読んだらなんだかチェロが聴きたくなって、中古棚にあったこれを買った。

梅津和時のサックスには艶も情けもあってとても好きである。しかし今は、何しろトム・コラの素晴らしいチェロ演奏で鼓膜がひたすら共振する。ドライな音を自在に操っていて、奇妙な明るさと奇妙な哀しさが共存している魅力がある。人生はお祭りだという意味での祝祭感も、トリスタン・ホンジンガーに負けていない。とにかく、聴いている間は気持ちが浮き立ち、また、なにやら悲喜こもごもを思い出してしまうのだ。

生前にライヴを体感したかったな。


坂田明+今井和雄+瀬尾高志@Bar Isshee

2016-04-02 00:21:06 | アヴァンギャルド・ジャズ

千駄木のBar Issheeに足を運び、坂田明+今井和雄+瀬尾高志という驚くようなトリオ。

Akira Sakata 坂田明 (as, cl, voice, bell)
Kazuo Imai 今井和雄 (g)
Takashi Seo 瀬尾高志 (b)

今井さんのアコースティックギターは驚くほど多彩であり、知的できらびやかなラインも、両手でのタッピングも、左手を連続的に動かしながらの周波数の微妙な変化も、破裂音も、鎖や木の板を利用した音もあった。

一方、瀬尾さんのコントラバスは、絶えざるエネルギーのインプットと、重く引き締まってカラフルな音色がとても印象的なものだった。

瀬尾さんと今井さんとがサウンドを下から横から擾乱する。そして坂田さんの意外なほど美しい音のサックスとクラリネットとが、全体を駆動しつつ丸めているようでもあった。聴いていると、奇妙に覚醒してきて、まるで第三の目が開いたかのような錯覚を抱いた。

●参照
ジョー・モリス@スーパーデラックス(2015年)(坂田明参加)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)(坂田明参加)
見上げてごらん夜の星を(坂田明『ひまわり』、2006年)
浅川マキ『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏家たちのOKをもらった』(1980年)(坂田明参加)
浅川マキ『Maki Asakawa』(主に1970年代)(坂田明参加)
今井和雄 デレク・ベイリーを語る@sound cafe dzumi(2015年)
今井和雄、2009年5月、入谷
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
バール・フィリップス@歌舞伎町ナルシス(2012年)(今井和雄とのデュオ盤)
板橋文夫『みるくゆ』(2015年)(瀬尾高志参加)
寺田町+板橋文夫+瀬尾高志『Dum Spiro Spero』(2014年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)(瀬尾高志参加)
齋藤徹、2009年5月、東中野(瀬尾高志参加)


「JazzTokyo」のNY特集(2016/4/1)

2016-04-01 23:21:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

「JazzTokyo」のNY特集(2016/4/1)。

■ シスコ・ブラッドリーのコラム

翻訳・寄稿させていただきました。

今回はクレイグ・テイボーンに絞り、メテ・ラスムセン、チェス・スミスとのトリオ、そして「Farmers by Nature」。

■ 蓮見令麻さんのコラム「ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま」

第2回 ダン・ワイス Sixteen:ドラマーのための組曲

「ブルックリン・シーン」という視点、ダン・ワイスというドラマーのユニークさについて。 

●参照
「JazzTokyo」のNY特集(2016/1/31)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/12/27)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/11/21)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/10/12)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/8/30)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/7/26)
Farmers by Nature『Love and Ghosts』(2011年) 
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(2013年)


横田庄一郎『チェロと宮沢賢治』

2016-04-01 06:47:55 | 東北・中部

横田庄一郎『チェロと宮沢賢治 ゴーシュ余聞』(岩波現代文庫、原著1998年)を読む。

宮沢賢治の童話は魅力に満ちていて、また、底知れぬわけのわからなさもある。読んでいる間に想像力を飛翔させるというよりも、いつの間にか脳のある部分にそれらの断片が貼りついていて、思いがけず奇妙な情景が浮かんでくる力を持った作品が多い。「わびさび」とは対極にある世界だとはよく言ったものだ。

「セロひきのゴーシュ」もそのような童話である。町の映画館でチェロ(セロ)を弾く係のゴーシュは、頑張っているのにどうも腕前がいまひとつで、楽長にいじめられては悔し涙を流している。そんなゴーシュが住む水車小屋に、三毛猫や、かっこうや、狸や、野ねずみがやってきては、かれのチェロにああだこうだとけちをつける。動物たちをあしらい、あるいは納得しながら練習していたゴーシュは、いつの間にか腕をあげていた。

シンプルに、素人の観点を取り入れてこその音楽だとか、多様なものを包み込んでこそ音楽が豊かになるのだとかいった解釈も可能である。またそれ以上に、ひとつひとつの表現がなんともいえず楽しく、読んでいると酩酊しそうになる。

「「えいこんなばかなことしていたらおれは鳥になってしまうんじゃないか。」
とゴーシュはいきなりピタリとセロをやめました。
 するとかっこうはどしんと頭をたたかれたようにふらふらっとしてそれからまたさっきのように、「かっこう かっこう かっこう かっかっ かっ かっ か。」と言ってやめました。」

『チェロと宮沢賢治』を読むと、「セロひきのゴーシュ」は、賢治の深いチェロ愛があったから生まれた作品だということがわかる。賢治はかなり上等なチェロを手に入れて、当時少なかった独習本で練習したり、東京に出て行って教わろうとした。それは大変な熱意だったのだが、腕前のほうは、最初のゴーシュと同じようにいまひとつであったようだ。しかし、その一方で、音楽への愛情と、音楽からインスピレーションを得て言葉を紡ぎだす能力とがあった。レコードコンサートをやりながら、その場で想像したものを滔々と話したりもしている。農民の中にあろうとしながらそれが叶わなかったことの疎外感や絶望も含め、そのようであったから、賢治の作品が残されている。

賢治が使ったチェロは補修・整備され、花巻市の宮沢賢治記念館にある。ヨーヨー・マも弾いたのだという。いつか実際に観てみたい。

●参照
ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」
6輌編成で彼岸と此岸とを行き来する銀河鉄道 畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』
小森陽一『ことばの力 平和の力』
吉本隆明のざっくり感