Sightsong

自縄自縛日記

ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン

2018-10-19 00:45:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

横濱エアジンにおいて、ロジャー・ターナー、喜多直毅、齋藤徹のトリオ(2018/10/18)。

Roger Turner (ds)
Naoki Kita 喜多直毅 (vln)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)

ぎりぎりに着いてみると会場は満員ソールドアウト。予約しておいてよかった。不況はどこに行った。

同じ場所でのライヴ(ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo))以来、ほぼ1年ぶりである。おそらく4年連続5回目の共演ということになる。前回はカラフルな展開で、それが演劇的でもあった。今回はというと、目に見える(耳に聴こえる?)展開の多彩さではなく、むしろシンプルな中での連続的な変化が目立っていた。紐帯が強くなったということかもしれない。

外からは車の音や酔っ払いの叫び声が聴こえる。その環境音と混じるようにして、テツさんの弦の音、続いてふたりの注意深く静かな音が放出されてきた。そこからは、じわじわと変化し、グラデーションが付けられてゆき、少しでも気を散らすのが勿体ない。

発散する音の展開があれば、ロジャーさんはスティックの動きを横方向に思い切り拡張する。また大小ふたつのシンバルを近づけ、その間をスティックで叩く。その周波数は曲面がじつになだらかに尖っていて、それが増幅される。

サウンド全体は、周波数プロファイルを選りすぐった綺麗な抑制から、騒乱まで、気が付くと高速でシフトしていた。

セカンドセットは、ざわめきから音を浮上させてきた先とは異なり、最初から既に音が浮上してしまっている。ここでロジャーさんが見事なブラシを見せる。触るか触らぬかという微妙な間合いでの摩擦であり、こうなると叩くという言葉が乱暴に思えてくる。喜多さんとテツさんふたりの弦は、ふたつの独立した流れではあるが、絡み合い、重なり合って、無限にも思える波の形を創り続ける。ここにロジャーさんの美しい火花が散らされる。

ロジャーさんの音のレンジは実に幅広い。喜多さんのヴァイオリンは心の震えのようでもあり、一筆書きのようでもある。ときには風になる。そしてテツさん独特の叢の山々。3人が密やかに無限のグラデーションを提示し、その中で、眼が醒めるようなパルスをもってロジャーさんが参加する。

このセットはやや短く終わったが、変化が集中しており、満足させられた。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、7Artisans 12mmF2.8

●ロジャー・ターナー
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
ロジャー・ターナー+広瀬淳二+内橋和久@公園通りクラシックス(2017年)
ロジャー・ターナー+今井和雄@Bar Isshee(2017年)
蓮見令麻@新宿ピットイン(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
ドネダ+ラッセル+ターナー『The Cigar That Talks』(2009年)
フィル・ミントン+ロジャー・ターナー『drainage』(1998、2002年)

●喜多直毅
ファドも計画@in F(2018年)
齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
喜多直毅+マクイーン時田深山@松本弦楽器(2017年)
黒田京子+喜多直毅@中野Sweet Rain(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
喜多直毅クアルテット@求道会館(2017年)
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅+田中信正『Contigo en La Distancia』(2016年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)

●齋藤徹
かみむら泰一+齋藤徹@喫茶茶会記(2018年)
永武幹子+齋藤徹@本八幡cooljojo(JazzTokyo)(2018年)

かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
川島誠+齋藤徹@バーバー富士(JazzTokyo)(2018年)
齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』(2005年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+沢井一恵『八重山游行』(1996年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 


原田依幸+川下直広『東京挽歌』

2018-10-18 00:45:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

原田依幸+川下直広『東京挽歌』(off note、2017年)を聴く。

Yoriyuki Harada 原田依幸 (p)
Naohiro Kawashita 川下直広 (ts)

バラードを吹く川下さんとは違う。全体として太い音とともに倍音成分やノイズが攻めてくるというよりも、いくつもの倍音成分やノイズそれぞれが生命を持ち、それぞれがヴィブラートという形で震えているようである。「蠢」という字は春に虫虫と書くが、ここでは春でなくても多くの生命が蠢いている。

ここに原田依幸のピアノが重たくばしんと斬り込んでくる。覚悟というのか、斬り込むと決めたらとにかく斬り込む。ふと、『鬼龍院花子の生涯』において仲代達矢がかっと目を見開いて走る場面を思い出した。

2曲目の「東京挽歌」で、途中、おもむろに居住まいを正すようにして原田さんがイントロを弾き始め、川下さんが「夢は夜ひらく」を吹く。痺れる、見事。

そしてこのつげ忠男の素晴らしい酒場の絵。中に誰が座っているのだろうね。

●原田依幸
原田依幸+後藤篤@なってるハウス(2017年)
生活向上委員会2016+ドン・モイエ@座・高円寺2(2016年)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)
原田依幸+鈴木勲『六日のあやめ』、『一刀両断』(1995、2009年)
くにおんジャズ(2008年)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)
生活向上委員会大管弦楽団『This Is Music Is This?』(1979年)
『生活向上委員会ニューヨーク支部』(1975年) 

●川下直広
波多江崇行+川下直広+小山彰太(Parhelic Circles)@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2018年)
川下直広カルテット@なってるハウス(2017年)
波多江崇行+川下直広+小山彰太『Parhelic Circles』(2017年)
川下直広@ナベサン(2016年)
川下直広カルテット@なってるハウス(2016年)
渡辺勝+川下直広@なってるハウス(2015年)
川下直広『Only You』(2006年)
川下直広『漂浪者の肖像』(2005年)
川下直広+山崎弘一『I Guess Everything Reminds You of Something』(1997年)
『RAdIO』(1996, 99年)
『RAdIO』カセットテープ版(1994年)
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』(1988年) 


ジョー・モリス+マット・マネリ『[soul search]』

2018-10-17 23:21:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョー・モリス+マット・マネリ『[soul search]』(AUM Fidelity、1999年)を聴く。

Joe Morris (g)
Mat Maneri (vln)

延々と太いシングルトーンを中心に即興を行うギタリストとして、ジョー・モリスはかなりユニークな人ではないかと思う(つい、どジャズながらタル・ファーロウを思い出してしまう)。ここでも終始そのようなプレイを繰り広げている。このスタイルに固執することにより、見かけの盛り上がりや変化を棄てているわけだが、それにより得られている強度の方が大きい。

こうしてデュオを聴いてみると、細かな音を積み重ねてゆき、目の前のドラマ性を棄てているようなマット・マネリと共通するところもあるのかな、と思ったりして。

●ジョー・モリス
ジョー・モリス@スーパーデラックス(2015年)
ジョー・モリス+ヤスミン・アザイエズ@Arts for Art(2015年)
イロウピング・ウィズ・ザ・サン『Counteract This Turmoil Like Trees And Birds』(2015年)
『Plymouth』(2014年)(モリス参加)
ジョー・モリス『solos bimhuis』(2013-14年)
ジョー・モリス+アグスティ・フェルナンデス+ネイト・ウーリー『From the Discrete to the Particular』(2011年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)
ジョー・モリス w/ DKVトリオ『deep telling』(1998年)

●マット・マネリ
チェス・スミス『The Bell』(2015年)
イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
ルシアン・バン『Songs From Afar』(2014年)
ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(2014年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、12年)


ウォルフガング・ムースピール『Where the River Goes』

2018-10-16 23:42:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウォルフガング・ムースピール『Where the River Goes』(ECM、2018年)を聴く。

Wolfgang Muthspiel (g)
Ambrose Akinmusire (tp)
Brad Mehldau (p)
Larry Grenadier (b)
Eric Harland (ds)

前作の『Rising Grace』からドラムスが変わっただけである。だがサウンドの印象は格段に良い。

リズムやスピードを柔軟に変更し、それによって生まれる時空間が、雲の切れ間の光を思わせる。その例えでいうと、ウォルフガング・ムースピールが雲、アンブローズ・アキンムシーレが日差し。サウンドは気持ちよく溶け合っている。またブラッド・メルドーは過剰な美に流れることなく抑制しているようであり、それがまた良い。

●ウォルフガング・ムースピール
ウォルフガング・ムースピール『Rising Grace』
(2016年)


翠川敬基『犬の細道』

2018-10-16 23:13:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

翠川敬基『犬の細道』(ファラオ企画、1992年)を読む。

飼犬や家族をめぐる悲喜こもごものエッセイである。気の抜き方とか、声の強弱の付け方とか、やたらと面白い。

レジェンドとも呼ぶべきチェロ奏者だが、そういえば、わたしが存在を知ったのはエッセイによってだった。1989年頃、サンデー毎日か週刊朝日に翠川さんの連載が掲載されていて、すぐに腹をこわして苦労するという話が書かれていた、確か。大人の世界もそうなのだなと元気づけられた、確か。

この本にはお腹がゆるいことは書かれていなかった。

●翠川敬基
ファドも計画@in F(2018年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
1999年、井上敬三(1999年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
富樫雅彦『かなたからの声』(1978年)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)
富樫雅彦『風の遺した物語』(1975年)


「アジアにめざめたら」@東京国立近代美術館

2018-10-16 22:07:18 | アート・映画

東京国立近代美術館で「アジアにめざめたら」展。

韓国、台湾、中国、東南アジア、日本における1960年代以降のアートが展示されている。

もちろんここには政治的な抑圧に対する表現も、直接的な抵抗も生々しくあらわれている。インドでの1970年代のインディラ・ガンディーによる強権政治。フィリピンにおける1972-81年のマルコス独裁。韓国における長い軍政。第二次天安門事件。1965年のインドネシアにおけるスハルトのクーデター。過去の話だと線を引くことができないためになおさら今でも生々しい。そういった背景を切り離して作品として評価、という言説はバカバカしくナンセンスである。

イ・スンテク(韓国)は燃えたキャンバスを川に浮かべたり、石を縛ったその部分をえぐらせたりと、土俗的でもあり、神がかってもいて印象的。イ・ガンソ(韓国)は、ギャラリー内を酒場にするアクションを行い、佇まいが整った場をいきなり猥雑なものにしており、面白い。

アマンダ・ヘン(シンガポール)は、1人2言語政策(英語、中国語)により存在を問われる<私>を、自分の顔に文字を描くことで表現している。日本において日本語(それも標準語)を強制されることをアートにしたものと言えばなんだろう。タン・ダウ(シンガポール)は、張子の犀の周囲に崔印のボトルをぐるりぐるりと配しており、その清潔な商品感とグロテスクさの共存がいまだにインパクトを持っている。

木版画という表現手段も興味深い。1950年代のシンガポールにおける木版画運動は、魯迅が1930年代に抗日運動の媒体として育てた木刻運動をそのルーツとするのだという。1980年の光州事件を版画としたホン・ソンダムの作品群もまた力強い。かれは逃亡生活においてスプーンも道具として使い、直接的な抵抗を行った(「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie『民衆/美術―版画と社会運動』@福岡アジア美術館)。それだけではない。魯迅やケーテ・コルヴィッツへの共鳴を介して、沖縄、韓国、中国がつながっている(『沖縄でコルヴィッツと出会う』 コルヴィッツ、沖縄、北京、杭州、ソウル、光州)。このような視線は重要だ。

沖縄については、大阪のプレイという集団が、南大東島においてトロッコを人力で動かし一周するというプロジェクトを行っている(1974年)。もちろん糖業を通じた日本による収奪のリプレイである。それは苦痛のリプレイでもあり、山城知佳子の「アーサ女」などと通じるところを感じもした。時代も視線のヴェクトルも異なるのだけれど。


ウィリアム・パーカー@スーパーデラックス

2018-10-16 07:37:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

日本で1日限りのウィリアム・パーカーのソロを観るために、六本木のスーパーデラックスに足を運んだ(2018/10/15)。

William Parker (b, 尺八)
Michiyo Yagi 八木美知依 (17絃ベース箏)

オープニングアクトの八木美知依ソロを経て、巨匠ウィリアム・パーカーが登場。

はじめは左手を弦の上でぐるりぐるりと返し側面や甲も当てながら、右手で弾いた。弦の1本1本が別の音として迫ってきて、低音はびりびりと震える。

やがて「ランディ・ウェストン!」と叫び、「There's a rainbow in the ghetto ...」と歌いながら弾いた。そこから、パーカーの個人史としてのジャズ史を提示しながらのプレイとなった。

1978年のこと。パーカーが車に乗ったミンガスと話をしたことをきっかけに、ホワイトハウスで催されたジャズの集いに出た。ミンガスがいて、オーネット・コールマンもいた。特にカーター大統領はセシル・テイラー(「CT」って呼ぶんだな)のプレイに感激して、「bush」(冗談かどうかわからない)の中に突入していったという。白昼夢的な話なのか事実なのか、周りの誰もわからなかったのだが(英語の聴き取りがまずかったのかと思って居合わせたエリザベス・ミラーさんに確認すると、さあわからないと笑顔で)、帰宅して調べると確かにそれはあった。(>> リンク

この後のアルコは絶品で、弦と弓との接点が点や点の集合体ではなく面なのだった。また、ソニー・ロリンズが電話でデイヴィッド・S・ウェアの死を知らせてきたんだという話の後のピチカートは、実にロリンズ的なフレーズに満ちていて、「St. Thomas」を思わせもするものだった。パーカーはこんなことさえもするのだ。

そして、ビリー・ヒギンズの家でアンドリュー・ヒルに会い、また一緒にArtists House(オーネット・コールマンのロフト)に行くとクリス・アンダーソン、クリフ・ジョーダン、ウィルバー・ウェアがいた。そんな毎日。ウェアのもとを訪ねると何やら言われてビールを持って出直した。ウェアと一緒にクラブに行くとそこにはサニー・マレイ(シンバルを大仰に両手で鳴らす真似で笑った)。トミー・フラナガンも登場。ウェアは「Play what you feel」と言ってくれたんだ、と、パーカー。

話の間には毎回異なる指弾きを聴かせてくれて、また話。たまらない。

1975年にドン・チェリーに会い、Five Spotに行くとフランク・ロウやエド・ブラックウェル。セシル・テイラーとは1981年から92年までの11年間共演した。そしてまた、パーシー・ヒース、ミルト・ヒントン、アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、みんな会ったよ、と。

最後に、弦は光や生命であり、弓はプリズムなんだよ、と説明して、アルコで演奏を行った(「Cathedral of Light」という曲らしい)。それは実に繊細なもので、確かに光がプリズムの中で屈折し揺れ動くさまを幻視した。

休憩を挟んで、八木さんとのデュオ。ここでは箏がはじけ破裂することもあり、その強度でパーカーと拮抗した。パーカーは尺八も吹いた。

終わってから、何年か前にニューヨークで買った大きなカードにサインを頂戴した。ジェフ・シュランガーの「FREEMAN (William Parker Solo)」という絵であり(この人の作品はいくつもCDのジャケットになっている)、2013年10月9日にThe Stoneにおいて演奏中に描かれた作品だとある。昨2017年に、ニューヨークの公園でパーカーがクーパー・ムーアやスティーヴ・スウェルと共演したときにもサインをもらった。今回はその横に、お茶目な印とともに名前を書いてくれた。

●ウィリアム・パーカー
ダニエル・カーター+ウィリアム・パーカー+マシュー・シップ『Seraphic Light』(JazzTokyo)(2017年)
スティーヴ・スウェル・トリオ@Children's Magical Garden(2017年)
ウィリアム・パーカー+クーパー・ムーア@Children's Magical Garden(2017年)
スティーヴ・スウェル『Soul Travelers』(2016年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
イロウピング・ウィズ・ザ・サン『Counteract This Turmoil Like Trees And Birds』(2015年)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、2013年)
ウィリアム・パーカー『Live in Wroclove』(2012年)
ウィリアム・パーカー『Essence of Ellington / Live in Milano』(2012年)
Farmers by Nature『Love and Ghosts』(2011年)
ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』(2010年)
DJスプーキー+マシュー・シップの映像(2009年)
アンダース・ガーノルド『Live at Glenn Miller Cafe』(2008年)
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』(2008年)
ウィリアム・パーカー『Alphaville Suite』(2007年)
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集(2007年)
ロブ・ブラウン『Crown Trunk Root Funk』(2007年)
ダニエル・カーター『The Dream』、ウィリアム・パーカー『Fractured Dimensions』(2006、2003年)
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』(2005年)
ウィリアム・パーカー『Luc's Lantern』(2005年)
By Any Means『Live at Crescendo』、チャールズ・ゲイル『Kingdom Come』(1994、2007年)
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色(1994、2004年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』(2001年)
ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』(2000年)
アレン/ドレイク/ジョーダン/パーカー/シルヴァ『The All-Star Game』(2000年)
ウィリアム・パーカー『... and William Danced』(2000年)
ザ・フィール・トリオ『Looking (Berlin Version)』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
ウェイン・ホーヴィッツ+ブッチ・モリス+ウィリアム・パーカー『Some Order, Long Understood』(1982年)
『生活向上委員会ニューヨーク支部』(1975年) 

●八木美知依
ユーラシアンオペラ東京2018(Incredible sound vision of Eurasia in Tokyo)@スーパーデラックス(2018年)
WHOトリオ@新宿ピットイン(2015年)
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク@新宿ピットイン(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)


クレイグ・ペデルセン+エリザベス・ミラー+吉本裕美子+照内央晴@高円寺グッドマン

2018-10-15 01:12:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

高円寺グッドマン(2018/10/14)。

Craig Pedersen (tp)
Elizabeth Miller (cl)
Yumiko Yoshimoto 吉本裕美子 (g, daxophone)
Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)

グッドマンがほぼ満員になった(7人)。

■ 照内央晴+クレイグ・ペデルセン

この日、クレイグさんはトランペットを鳴らした。というのは、息遣いやピストンの駆動音に絞って増幅するのでなく、また、楽器の解体ということでもないという意味である。その中でもトランペット音を包むように倍音を発した。一方の照内さんは、呼応してなのか、ダイナミックレンジをさほど広く取ることはせず、微妙な濃淡によって攻めた。途中で鍵盤を弾くのを止め、足のペダルのみでピアノを(静かな)パーカッションのように使う時間が印象的だった。

■ 吉本裕美子+エリザベス・ミラー

ハンス・ライヒェルと内橋和久を除けば、ダクソフォンの音を聴くのははじめてである。内橋さんのそれがアジアの歌声であったり激しいアタックであったりするのに対して、吉本さんのダクソフォンはハスキーな声のようであり、ときに唸りだったり老人の声であったり、またよくわからぬ霊の声であったりもした。エリザベスさんのクラリネットが、その声明の流れとはまた別の流れを作り出す。ふたつの流れが絡まり合う快感がある。

■ 全員

組み合わせを変えてデュオになったり、全員になったりすることによる音楽。各々リズムもグルーヴも異なるのだが、それらが重なって奇妙なうなりとなっている。その中でも別々の流れのリンクとして機能したのは照内さんのピアノであり、和音を提供し、リズムを主導して動かしもした。ピアノとトランペットのデュオになった時間では、そのように時間の流れを変えようとする照内さんに、クレイグさんも並走してゆく面白さがあった。

驚かされたのは、また先とは異なるダクソフォンの声である。いきなりアビー・リンカーンのごとき叫びでサウンドに裂け目を入れるかと思えば、別のときには胎児の呼吸となった。ここにはクラリネットが追従した。そして間をおいて、ダクソフォンはようやく昼間の言葉を話しはじめた。クラリネットは魅力的な倍音を発し、トランペットは風を表現する。

悪夢のようにトランペットとクラリネットが同じフレーズを繰り返し、照内さんは玩具によって別の声を出し始める(それまでピアノのみが人間の声でなかった)。やがて収束に向かうが終わらない。照内さんの新たな旋律に、吉本さんとクレイグさんが応じた。最後はピアノとギターとが大きな揺らぎを生じさせた。

ヒエラルキー皆無のコミュニティ音楽。終わったあとに照内さんとも話したことだが、この日の音楽もそうだったと言うことができる。

Fuji X-E2、7Artisans12mmF2.8、XF60mmF2.4

●クレイグ・ペデルセン、エリザベス・ミラー
クレイグ・ペデルセン+中村としまる、エリザベス・ミラー+広瀬淳二@Ftarri(2018年)
クレイグ・ペデルセン+エリザベス・ミラー+徳永将豪+増渕顕史+中村ゆい@Ftarri(2017年)
クレイグ・ペデルセン+中村としまる@Ftarri(2017年)
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
クレイグ・ペデルセン、エリザベス・ミラーの3枚(2016-17年) 

●照内央晴
照内央晴+川島誠@山猫軒(2018年)
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2018年)
『終わりなき歌 石内矢巳 花詩集III』@阿佐ヶ谷ヴィオロン(2018年)
Cool Meeting vol.1@cooljojo(2018年)
Wavebender、照内央晴+松本ちはや@なってるハウス(2018年)
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)
ネッド・マックガウエン即興セッション@神保町試聴室(2017年)
照内央晴・松本ちはや《哀しみさえも星となりて》 CD発売記念コンサートツアー Final(JazzTokyo)(2017年)
照内央晴+松本ちはや、VOBトリオ@なってるハウス(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)


シャイ・マエストロ『The Dream Thief』

2018-10-13 09:31:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

シャイ・マエストロ『The Dream Thief』(ECM、2018年)を聴く。

Shai Maestro (p)
Jorge Roeder (b)
Ofri Nehemya (ds)

シャイ・マエストロのライヴを観ればわかることだが、あくまで冷静でありながらも、ピアノの響きや旋律がもたらした結果がなんなのかを考え、すぐ次に活かしていくプロセスを隠そうとしない。ここでも予定と即興とのどちらがどちらでもいいような領域にあるとさえ思える。曲想はクラシカルでもあり、フォーク的でもあり、そしてこのプロセスがジャズ。あたりまえか。

白眉はホルヘ・レーダーのベースとハモり抜きつ抜かれつし、終始悦びのテンションを保っている「New River, Nwe Water」。しばらくしてお馴染みのテーマが浮かび上がる「These Foolish Things」も良い。

こんなに完成度が高くて動悸動悸させられて、この人はフォーマット的な冒険をしなくても良いのではないか。いやピアノソロももっと聴きたい。

●シャイ・マエストロ
シャイ・マエストロ『The Stone Skipper』(2016年)
カミラ・メザ+シャイ・マエストロ@新宿ピットイン(2016年)
マーク・ジュリアナ@Cotton Club(2016年)
シャイ・マエストロ@Body & Soul(2015年)
マーク・ジュリアナ『Family First』(2015年)


浅川マキ『Stranger's Touch』

2018-10-13 08:02:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

浅川マキ『Stranger's Touch』(東芝EMI、1989年)。

浅川マキ (vo)
本多俊之 (as, ss, key, p) (4, 6,7,10)
下山淳 (g) (5)
奈良敏博 (b) (5)
野島健太郎 (key) (5)
池畑潤二 (ds) (5)
山下洋輔 (p) (1)
川端民生 (b) (1)
近藤等則 (tp, toys) (1,2)
山内テツ (g) (2)
Bobby Watson (b) (6,7)
Tony Maiden (g) (6)
Andre Fischer (ds) (6)
Tristan Honsinger (cello) (3)
原田芳雄 (語り) (2,3)

最近中古盤で見つけた。LPが出されなかった作品であり、過去作品の再録と編集を中心としたものだからとも思い、今まで聴いていなかった(1曲だけ『Darkness I』に収録されている)。

しかし、実は単なるコンピレーションでないことが、浅川マキ世界を濃密に示すものとなっていることに気が付かされた。彼女の語りが随所に入っていることもその要素のひとつである。それに、暗がりでこっそり踊るようなトリスタン・ホンジンガーのチェロに、原田芳雄と浅川マキの語りが重ね合わせられて、ここまでイメージがふくらむものとは思いもしなかった。

本多俊之のサックスも時代と分かち難いものなのだな。

●浅川マキ
浅川マキ『Maki Asakawa』
浅川マキの新旧オフィシャル本
『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』
『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』
浅川マキが亡くなった(2010年)
浅川マキ DARKNESS完結
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演、2002年)
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』(1998年)
<浅川マキに逢う>ライブ&上映会@西荻窪CLOPCLOP(1993年、2017年)
『浅川マキを観る vol.3』@国分寺giee(1988年、2017年)
『山崎幹夫撮影による浅川マキ文芸座ル・ピリエ大晦日ライヴ映像セレクション』(1987-92年、2017年)
浅川マキ『アメリカの夜』(1986年)
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』(1985年)
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
浅川マキ『スキャンダル京大西部講堂1982』(1982年)
浅川マキ『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏家たちのOKをもらった』(1980年)
オルトフォンのカートリッジに交換した(『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』、1980年)
浅川マキ『灯ともし頃』(1975年)
『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ(1973年)
宮澤昭『野百合』(浅川マキのゼロアワー・シリーズ)
トリスタン・ホンジンガー『From the Broken World』(浅川マキのゼロアワー・シリーズ)


クレイグ・ペデルセン+中村としまる、エリザベス・ミラー+広瀬淳二@Ftarri

2018-10-13 06:35:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarri(2018/10/12)。

Craig Pedersen (tp)
Elizabeth Miller (amplified cl)
Toshimaru Nakamura 中村としまる (no-input mixing board)
Junji Hirose 広瀬淳二 (ts)

昨年来のクレイグ・ペデルセンとエリザベス・ミラーの来日である。カナダ名物のメープルシロップをいただいた。

■ クレイグ・ペデルセン+中村としまる

クレイグさんは昨年よりも表現が一方向に収束し、その意味では少し過激になったようにも思える。トランペットで息遣いのみを増幅するのだが、その息遣い自体はピストンの動きによってマイクの前に既に加工され増幅されている。ピストンを指で下から上へと押さえるのもユニークだ。途中でマウスピースを外して息を吹き込み、また別のマウスピースに付け替えもした。外して直接吹くと痛いってピーター・エヴァンスは言っていたけど、と訊くと、彼はアクティヴにプレイするからそりゃ痛いだろう、でも自分も常に痛いんだ、と。

その横で、中村さんは爆走などはしないが、ときに奇妙な音の棘があらぬ方向から突き出てきて驚かされる。静かな胎動はエレクトロニクスの息遣いなのかもしれない。しかし何かが提示されるときの加速度が速く、静かであっても周囲にマーキングをしていく。

クレイグさんも参加した、ロスコ―・ミッチェルのモントリオール・トロント・アート・オーケストラによる『Ride the Wind』も聴かないと。

■ エリザベス・ミラー+広瀬淳二

広瀬さんのプレイはとても新鮮で、頬や唇の動きであそこまでの奇妙な音を出し続けられるのかと驚いた。途中からヴァイブレイターをサックスやその横の発泡スチロール、またマウスピースにも当てた。(唇を震わせてしまい、こそばゆかったのか笑っていた)

エリザベスさんはクラリネット、机上の小道具(エレクトロニクス、ファン、磁石、マテリアルとしてのCDなど)、またクラリネットに戻って手前半分のみ、そしてまた完全形のクラリネット。

ふたりとも静かな音を繰り出し続けた。その音が、おのおのの触る楽器の近傍3センチメートル以内に限定されているように感じられた。

Fuji X-E2、7Artisans 12mmF2.8、XF60mmF2.4

●クレイグ・ペデルセン、エリザベス・ミラー
クレイグ・ペデルセン+エリザベス・ミラー+徳永将豪+増渕顕史+中村ゆい@Ftarri(2017年)
クレイグ・ペデルセン+中村としまる@Ftarri(2017年)
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
クレイグ・ペデルセン、エリザベス・ミラーの3枚(2016-17年) 

●中村としまる
フタリのさとがえり@Ftarri(2018年)
竹下勇馬+中村としまる『Occurrence, Differentiation』(2017年)
クレイグ・ペデルセン+中村としまる@Ftarri(2017年)
広瀬淳二+中村としまる+ダレン・ムーア@Ftarri(2017年)
Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO(2017年)
中村としまる+沼田順『The First Album』(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)
『OTOOTO』(2015、17年)
山内桂+中村としまる『浴湯人』(2012年)
中村としまる+ジョン・ブッチャー『Dusted Machinery』(2009年)

●広瀬淳二
広瀬淳二『No-Instrument Air Noise』(2017年)
ブライアン・アレン+広瀬淳二+ダレン・ムーア@Ftarri(2018年)
ロジャー・ターナー+広瀬淳二+内橋和久@公園通りクラシックス(2017年)
クリス・ピッツィオコス+吉田達也+広瀬淳二+JOJO広重+スガダイロー@秋葉原GOODMAN(2017年)
広瀬淳二+今井和雄@なってるハウス(2017年)
広瀬淳二+中村としまる+ダレン・ムーア@Ftarri(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
広瀬淳二『SSI-5』(2014年)
広瀬淳二+大沼志朗@七針(2012年)
広瀬淳二『the elements』(2009-10年)


デューイ・レッドマン『Tarik』

2018-10-12 00:31:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

デューイ・レッドマン『Tarik』(BYG Records、1969年)。2001年にイタリアのGet Backから出された再発盤レコードである。

Dewey Redman (ts, musette)
Malachi Favors (b)
Ed Blackwell (ds)

どうだ参ったかのサックストリオ。何が参ったかと言えばこの3人それぞれが参ったか。

とは言えいきなり冒頭はミュゼット。このよれるラインの横で、エド・ブラックウェルがお祭りのごときタイコを叩き、マラカイ・フェイヴァースは謎なテンポで低音を差し込んでくる。そして2曲目、待ってました、デューイ・レッドマンのテナー。太くて、エッジが丸くて、旋律の境界線が溶け合っている。たまに声も吹き込む。そこから最後まで、3人はそのまま続く(笑)。

素晴らしい味わい。誰もこんなの出来ないだろう。

●デューイ・レッドマン
エド・シュラー『The Force』(1994年)
エド・ブラックウェル『Walls-Bridges』 旧盤と新盤(1992年)
鈴木志郎康『隠喩の手』(1990年)
デューイ・レッドマン『Live』(1986年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 再見(1985年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(1985年)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)
キース・ジャレット『Eyes of the Heart』(1976年)
キース・ジャレットのインパルス盤(1975-76年)
オーネット・コールマン『Ornette at 12』(1968年)
スペイン市民戦争がいまにつながる


バンキー・グリーン『Testifyin' Time』

2018-10-11 22:54:06 | アヴァンギャルド・ジャズ

バンキー・グリーン『Testifyin' Time』(Argo、1965年)。オリジナル盤である(違ったかもしれないが確かめなくてもよい)。

Bunky Green (as)
James Meyer (ts)
Walter Strickland (tp)
William Wallace (p)
Cleaveland Eaton (b)
Marshall Thompson (ds)

いや何が飛び抜けているわけでもない。バンキー・グリーンだって特に運指が速くもないし、音色が艶やかなわけでもない(どちらかといえば薄墨を流したような感じだ)。しかしそれが良いのだ。どジャズの快感はこんなところにある。

「My Ship」や、アルトがワンホーンになっての「On Green Dolphin Street」で、ゆったりと気持ちよさそうに吹くグリーン。こんな風に演奏できたらいいだろうな、と思うのは、アーニー・ヘンリーと同じ。


スティーヴ・キューン『Jazz Middelheim 2015』

2018-10-11 08:21:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

スティーヴ・キューン『Jazz Middelheim 2015』(Jazz Time、2015年)を聴く。

Steve Kuhn (p)
Steve Swallow (b)
Joey Barron (ds)

昔からさほどスティーヴ・キューンを熱心に聴いてきたわけでもないし、これを聴いても色気が抜けてずいぶんさっぱりしたものだが、悪くない。しかし何よりスティーヴ・スワロウである。エレベをブーン、ブーンと伸ばすところに果てしない官能がある。その点は、キューンがスワロウ、ピート・ラロッカと組んだ『Three Waves』(1966年)よりも爛熟している。

2017年に来日中止になったトリオである。やはり観てみたいな。

●スティーヴ・キューン
ジェイムスズー『Fool』(2016年)
アート・ファーマー『Sing Me Softly of the Blues』(1966年)

●スティーヴ・スワロウ
カーラ・ブレイ『Andando el Tiempo』(2015年)
カーラ・ブレイ+アンディ・シェパード+スティーヴ・スワロウ『Trios』(2012年)
チャーリー・ヘイデンLMO『Time/Life』(2011、15年)
スティーヴ・スワロウ『Into the Woodwork』(2011年)
ケニー・ホイーラー『One of Many』(2006年)
ポール・モチアン『Flight of the Blue Jay』(1996年)
日野元彦『Sailing Stone』(1991年)
ゲイリー・バートンのカーラ・ブレイ集『Dreams So Real』(1975年)
アート・ファーマー『Sing Me Softly of the Blues』(1966年)
ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(1962-63年)

●ジョーイ・バロン
ヤコブ・ブロ『Streams』(2015年)
ジョン・ゾーン『Spy vs. Spy』(1988年)


吉田隆一ソロ@T-BONE

2018-10-10 00:02:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

先日大阪のSさんからいきなり吉田隆一さんの音源をいただいた(たまたま隣に座ってライヴを観ていたのだ)。これが大阪T-BONEでのバリトンサックス完全ソロ(2018/9/23)。勝手に売りさえしなければ良いというご本人のお墨付き音源である。ありがとうございます。

Ryuichi Yoshida 吉田隆一 (bs)

そんなわけで3度繰り返し聴いてみた。なるほど。って、全然なるほどではない。これは何をやっているのだろうという3曲。

1曲目。意外にも音の流れがなめらかである(わたしの印象はもっとゴツゴツした感じ)。それだけに低音に下りてきたときはうまく着地したかのような快感がある。やがて倍音がゆっくりと様々な形であらわれる。裏声のような高音が出て消えて、同時に鼓膜が痒くなるような低音、間をうねる中音。3つの山だけでもない。耳をどれに貼りつければ良いのか、全部を同時に追いかけてゆくとこちらが周波数の間であちらこちらに漂うようだ。このゆったりとしたペースが他の楽器との共演時にも出てきたなら、また面白い展開になるかもしれないなと思った。

2曲目。タンポでリズムを取り始め、一転して小刻みな音塊が次々に飛び出てくる。タンギングとタンポの運指と息の吹き込みと声の吹き込みがちょっとずれたりシンクロしたりして、複雑な流れが出来ている。なんだか吉田氏が叫びながら脚だけで奇妙なダンスを踊っているようである。(もの凄くエネルギーを消費するのではないのだろうか。)

3曲目。ゆったりと始まるのだが、ずいぶんと強く息を吹き込んでいる。こうなると管は変に共鳴するのだろうか。それとも口蓋から喉までの空間も楽器の一部として使っているということなのか。まるで残響やうなりやハウリングのような音が付いてきて、それと声とが重なって、世界の終わりみたいである。バリトンのアイラーか。ひとしきりの叫びが沈静化し、ヴィブラートとともに、低音で「We Shall Overcome」のメロディとなった。

なんでも対バンのアクセル・ドゥナーも、吉田氏が吹いているところを凝視していたらしい。

●吉田隆一
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2018年)
藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン(2018年)
MoGoToYoYo@新宿ピットイン(2017年)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)
『blacksheep 2』(2011年)
吉田隆一+石田幹雄『霞』(2009年)