その1に続き(って半年も経っていますが)、新潟のローカル線思い出話をもう1つ。
新潟の行き止まりローカル線に赤谷線と言うのがありました(1984年に廃止)。新発田から山中に分け入り、東赤谷と言うところまで走っていました。そこを訪ねたときのこと。
列車に乗り込もうとする数少ない乗客で、地元民でなさそうなのは自分ひとりでした。廃線が発表になるよりずっと前の話で、当時は昨今ほどローカル線を乗って訪ねる人は多くなかったのです。何かのきっかけで運転士さんが「どこから来たの?」と。「神奈川県の横浜です」と答えると「はぁ~そんな遠くからわざわざ!それじゃ特等席に乗ってくかい?」運転室の助士席へのご招待でした。
あの車両は何だったんだろう、キハ20系だったのか、わざわざ助士席と言ったのだからキハ58系だったんじゃないかな…夕暮れ時の列車、薄暗くなってゆく景色を前方に見ながらの乗車でした。確か終点の東赤谷にはまだ駅員が居て、「乗っけたの見つかると怒られっから」と到着間際に客席へ移動した気がします。でも他のお客さんがチクったら一緒なんですけどね(笑)。帰りは客席で、暗くなってしまった中を新発田へ折り返しました。遠くからわざわざ乗りに来たファンに悪さするヤツはいない、そう信じて貰えた時代でした。
その後クルマで東赤谷周辺を訪ねたことがあったのですが、元々が鉱山の鉱石輸送のため開設された路線であることが頷けるほど山が近く、「先行きない」ことが理解できたものでした。
新潟の行き止まりローカル線に赤谷線と言うのがありました(1984年に廃止)。新発田から山中に分け入り、東赤谷と言うところまで走っていました。そこを訪ねたときのこと。
列車に乗り込もうとする数少ない乗客で、地元民でなさそうなのは自分ひとりでした。廃線が発表になるよりずっと前の話で、当時は昨今ほどローカル線を乗って訪ねる人は多くなかったのです。何かのきっかけで運転士さんが「どこから来たの?」と。「神奈川県の横浜です」と答えると「はぁ~そんな遠くからわざわざ!それじゃ特等席に乗ってくかい?」運転室の助士席へのご招待でした。
あの車両は何だったんだろう、キハ20系だったのか、わざわざ助士席と言ったのだからキハ58系だったんじゃないかな…夕暮れ時の列車、薄暗くなってゆく景色を前方に見ながらの乗車でした。確か終点の東赤谷にはまだ駅員が居て、「乗っけたの見つかると怒られっから」と到着間際に客席へ移動した気がします。でも他のお客さんがチクったら一緒なんですけどね(笑)。帰りは客席で、暗くなってしまった中を新発田へ折り返しました。遠くからわざわざ乗りに来たファンに悪さするヤツはいない、そう信じて貰えた時代でした。
その後クルマで東赤谷周辺を訪ねたことがあったのですが、元々が鉱山の鉱石輸送のため開設された路線であることが頷けるほど山が近く、「先行きない」ことが理解できたものでした。