コミュニティって言うと最初に連想するのは地域。そして職域。あとは趣味やボランティアなど共通項を持った人々の集まり、連携だろうか。その定義からし直さなければならない本書は実に面倒くさい本だった。学者先生がたが理屈をこねくり回している「ろくろ本」と斬り捨ててしまおうかな?
学者先生がたも己の知識を披露する(「xxの言うところの…」と言う表現が結構多くてイラッとさせられる)ために本書をまとめたわけではあるまい。東日本大震災以降「崩壊した」あるいは「実はそもそもなかったことが露見した」(←この表現は厳しいが鋭い指摘ではないか)コミュニティに代わる、新たなコミュニティを模索しているのだが明確な結論は出ているように読み取れない。そんなものは(未だ)存在しないのかもしれない。
そもそもコミュニティって何なのさ?と言う基礎的な疑問に立ち返り、その上でコミュニティって人々の生活に、あるいは人生において必要なものなの?と考えるきっかけにはなるがたぶん学者先生方にも判らないのだ。コミュニティって漠然とした意識の共有だけでは不十分で、明確な定義づけや誓約書的な共同体への覚悟の意思表示が必要なものなのだろうか?少なくとも自分はこれまで考えたことなかったし、今後も改めて考えたり自覚しようとは思わないのだけれど。
2017年6月7日 通勤電車にて読了
学者先生がたも己の知識を披露する(「xxの言うところの…」と言う表現が結構多くてイラッとさせられる)ために本書をまとめたわけではあるまい。東日本大震災以降「崩壊した」あるいは「実はそもそもなかったことが露見した」(←この表現は厳しいが鋭い指摘ではないか)コミュニティに代わる、新たなコミュニティを模索しているのだが明確な結論は出ているように読み取れない。そんなものは(未だ)存在しないのかもしれない。
そもそもコミュニティって何なのさ?と言う基礎的な疑問に立ち返り、その上でコミュニティって人々の生活に、あるいは人生において必要なものなの?と考えるきっかけにはなるがたぶん学者先生方にも判らないのだ。コミュニティって漠然とした意識の共有だけでは不十分で、明確な定義づけや誓約書的な共同体への覚悟の意思表示が必要なものなのだろうか?少なくとも自分はこれまで考えたことなかったし、今後も改めて考えたり自覚しようとは思わないのだけれど。
2017年6月7日 通勤電車にて読了