少し前に同じ著者の「安土往還記」を読みその流れで読んだが、似たような題名だが内容は全く異なる。
「嵯峨本」(角倉本、光悦本)をご存知だろうか。単なる印刷物(本)ではなく、随一の書(本阿弥光悦)を随一の装丁(俵屋宗達)で纏め上げたものだそうで、その取りまとめを行った角倉素庵、この3人それぞれの独白的懐古を場面転換させながら本の完成に至るまでを縒りあげた作品。
創作活動には狂気がつきものなのか。常人ならざる行動が普通に思える情熱と、現実世界のしがらみや制約とのせめぎあいはもどかしく、うーん連中はもはや「人ならざるもの」なのかと思ってしまったほど。「嵯峨本」で
画像検索すれば彼らの遺した作品の一端を見ることができる。知らずに観ても「ふーん」だが、事実か否かこうした作品を読むと簡単に通り過ぎてしまえなくなる。
2019年1月6日 DL7便(ロスアンゼルス→羽田)機中にて読了
「嵯峨本」(角倉本、光悦本)をご存知だろうか。単なる印刷物(本)ではなく、随一の書(本阿弥光悦)を随一の装丁(俵屋宗達)で纏め上げたものだそうで、その取りまとめを行った角倉素庵、この3人それぞれの独白的懐古を場面転換させながら本の完成に至るまでを縒りあげた作品。
創作活動には狂気がつきものなのか。常人ならざる行動が普通に思える情熱と、現実世界のしがらみや制約とのせめぎあいはもどかしく、うーん連中はもはや「人ならざるもの」なのかと思ってしまったほど。「嵯峨本」で
画像検索すれば彼らの遺した作品の一端を見ることができる。知らずに観ても「ふーん」だが、事実か否かこうした作品を読むと簡単に通り過ぎてしまえなくなる。
2019年1月6日 DL7便(ロスアンゼルス→羽田)機中にて読了