【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

北海道⑤、登別

2025年02月20日 19時34分58秒 | 北海道2025

●2月20日(木)
朝から登別に移動。
高速バス「白鳥号」8:30分札幌発、約2時間で登別駅前に到着。
路線バスで駅前から登別温泉に向かう。
旅館に荷物を置かせてもらい、クマ牧場に出発。(登別といえばクマ牧場)

ロープウェイで山頂のクマ牧場に向かっているところ。
1車両にもれなくクマが乗っている。


山頂の展望台からクッタラ湖が見える。


クマ牧場のクマ


リスもいる


下山後、地獄谷に移動


遊歩道がある




あたりは硫黄の匂いが立ちこめている。
温泉が湧くはずだ。


本日のお宿、「花鐘亭はなや」(朝食+夕食)。
本当は、2泊54,400円だけど、クーポン8,160円利用で46,240円。
(安いのか高いのか、よく分からない)


北海道④、札幌

2025年02月19日 20時44分53秒 | 北海道2025

●2月19日(水)
今日は朝から一日雪。
山に登ろうと思っていたけど中止。
そこでまず行ったの羊ヶ丘展望台。
クラーク先生の像がある。

羊ヶ丘展望台に行くには、地下鉄東豊線、福住駅からバスに乗る。
kitacaを取得してないけど、ネット情報ではCIカード可能、とある。
ためしにpitapaをタッチすると入場できる。
しかし、下りるときにエラーが出た。
pitapaは後決済なので齟齬が生じる。
駅員さんに「チャージして下さい」と言われる。
(改札近くの精算機で3,000円チャージ)
これで、福住駅から羊ヶ丘展望台へのバスにも対応できた。

この後、福住駅から東豊線、途中で東西線に乗り継いで円山公園駅へ移動。
円山公園駅から円山動物園へバスで移動。
チャージしたpitapaが役だった。


いつも温かい室内のレッサーパンダを見ているけど、
ここのレッサーパンダは雪まみれ。(大丈夫?)


ホッキョクグマは大喜び


ユキヒョウににらまれた


テナガザルは高度な運動能力を誇示していた。
世界レベルのクライマーでさえ、足元にも及ばないと思った。


ライオンは休憩中

アムールトラは迫力十分


再度レッサーパンダ

気がつくと昼食も摂らず6時間近くうろうろしていた。
円山動物園あなどれない。
かなりレベルが高い、と感じた。

閉館する前に「サッポロビール博物館」へ急いで移動。


大賑わい。
試飲コーナーで「サッポロクラシック」とチーズを購入。(400円+100円)

今日は雪だったけど、思った以上に忙しく、充実した1日だった。
ホテルに戻り、旅程後半に備え洗濯をした。
今やっと落ちついたところ。


北海道③、旭川、札幌

2025年02月18日 20時49分34秒 | 北海道2025

●2月18日
再び、旭山動物園へ行ってきた。
ペンギンのパレードは大人気。


エゾタヌキ


オランウータン


シマフクロウ


シンリンオオカミ


エゾシカ


ニホンザル


ペンギン


旭川市博物館へ移動

「ゴールデンカムイ」の世界


【その後】
ホテルに帰って荷物を受け取る。
高速あさひかわ号で札幌に移動。2,500円、約2時間半。
電車で移動も考えたけど、結局、バスにした。(予約不要、⑦番乗り場)


北海道①②、旭川

2025年02月17日 20時05分08秒 | 北海道2025

●2月16日
旭川に来ている。
伊丹11:30JAL114-12:40羽田14:00JAL555-旭川15:40到着、
(直行便がないので、羽田経由になる。旭川に行くだけで1日仕事)
(往復54,190円/JAL)
下の写真は旭川空港。
とても寒い。


左がJR旭川駅、正面が今日から宿泊する「JRイン旭川」。
1階から4階がイオンで、5階以上がホテル。
4階がフードコートなので便利。
(寒いので外に出て外食する気分にならない)


●2月17日
朝起きてすぐ見本林に行った。
ここは三浦綾子さん「氷点」の重要な舞台。

陽子ははうようにして、堤防をよじのぼった。堤防にあがってふり返ると、陽子の足あとが雪の中に続いていた。まっすぐに歩いたつもりなのに、乱れた足あとだと、陽子はふたたび帰ることのない道をふりかえった。(「氷点」より)
ここが、陽子がよじのぼった堤防。


旭山動物園に移動。(年間パス取得:1,400円・・・安い!)
(グッズや食事で元がとれるのかも)


どの動物園より、ほっきょくぐまは元気に活動。


おおかみ


ペンギンの散歩


トナカイ


オランウータン


ペンギン


男山に移動。
氷室冴子さんの「クララ白書」「アグネス白書」に男道がでてくる。
これは「男山」にちなんで「男道」とネーミングした、と思われる。
ヒロイン(しーの)の友人のひとり(マッキー)が旭川出身。
(このマッキーが男道酒造の長女、って設定)
見本林につづいての「聖地巡礼」である。

資料館や売店があり、試飲できる。
(有料と無料のものがある)
私は、両方試飲した。


私の宿泊しているホテルの部屋。
この広さで十分。
清潔だし毎日ベッドメイキングしてくれる。
Wi-Fiも問題なし、アメニティもOK、大浴場もあり。
2泊で27,000円。(素泊まり)
加算:朝食(ビュッフェ)1,800円×2=3,600円。
朝早くから、朝食のために店を探しまわるのは手間なので、追加支払した。

【閑話休題】
旭川でkitacaを取得しようと思っていたけど、旭川ではあまり利用価値がなさそう。
一部のバスでタッチ決済・クレジットカード利用可能。
(空港~旭川は、クレジットカードを使った。750円)
旭山動物園往復は、行きは現金、復路はクレジットカード。(500円)
(対応しているバスと、そうでないバスがある)
男山は、往復とも現金。(330円)
見本林は歩いて往復した。


「史記」(全11巻)横山光輝

2025年02月14日 10時41分04秒 | 読書(台湾/中国)


「史記」(全11巻)横山光輝

読み返し。(再読価値あり)


何人もの兵隊が交代で平王の死体を打ちつづけた。これが「屍に鞭打つ」の語源である。


項羽が剛の人ならば劉邦は柔の人である。



「それは鹿でしょう」
「そなたは」
「……う、馬にございます」
(中略)
「馬鹿」という言葉はこの時生まれた。


これが韓信の「背水の陣」である。


それにしても漢の陣営からなぜ楚の歌が聞こえるのだ。
(中略)
漢軍は、武器を捨てた楚兵は黙って通した。
…これが「四面楚歌」。

【ネット上の紹介】
始皇帝、項羽、劉邦、武帝……。英雄・豪傑たちが次々に登場して、ダイナミックに展開する古代中国の歴史。司馬遷が精根こめて著した世界的な歴史書を、巨匠・横山光輝がコミック化した名作が、文庫版で登場!▼第1話/司馬遷▼第2話/名宰相・管仲▼第3話/驪姫の陰謀▼第4話/漂白の覇者・文公▼第5話/復讐の鬼(前編)(後編)●主な登場人物/司馬遷(第1話)、管仲(第2話)、驪姫(第3話)、文公〔耳子〕(第4話)、伍子胥(第5話)●あらすじ/幼少時から天才の誉れ高かった司馬遷。その才能は誰もが認めるものであったが、漢の官僚となってからは、長く不遇の時代が続いた。しかも彼の才覚がようやく認められつつあった頃、その身に悲劇が起こる。武帝の逆鱗に触れ、男根を切り取られるという屈辱的な刑罰宮刑に処せられてしまったのだ。だが過去の歴史を後世に残さなければならないという、尊敬する父の遺志を継ぐべく、司馬遷は発奮。武帝も刑は与えたものの、彼の才能を高く評価していたので、司馬遷のために「中書令」という新しい役職を作る。司馬遷は、宮廷の書を自由に見ることのできるこの役職をフルに利用し、歴史書の執筆に取り組み、約10年の歳月ののち、全130巻にも及ぶ歴史書を書き上げた。彼が命を懸けて記した一大歴史書「史記」は、こうして完成したのである…(第1話)。●本巻の特徴/中国、前漢の歴史家・司馬遷は、波瀾の半生を経たのち、父・司馬談の遺志を継いで「史記」を完成させた。壮大な物語は、この第1巻から始まる。「司馬遷」、「名宰相・管仲」ほか、全5話を収録。●その他の登場人物/司馬談、武帝、李陵(第1話)、鮑叔、桓公(第2話)、献公(第3話)、恵公[夷吾](第4話)、平王、孫武(第5話)●本巻に登場する故事成語・諺・歴史用語など/封禅の儀式、陰暦、宮刑(第1話)、管鮑の交わり(第2話)、覇者(第4話)、日暮れて遠し、屍に鞭打つ(第5話)


ポンポン山に雪

2025年02月10日 07時26分57秒 | 登山&アウトドア(関西)

ポンポン山に雪が積もっていた。
下の写真は本山寺の鳥居前。
ここから既に積雪があるのは珍しい。





フタユビナマケモノ

2025年02月07日 07時50分17秒 | 動物園

フタユビナマケモノ


アメリカクロクマ


ミナミアメリカオットセイ


クーガー(ピューマ)


アライグマ


アメリカビーバー


ワオキツネザル・・・寒いのでしっぽを身体に巻いている


オーストラリアガマグチヨタカ


「戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗」加藤陽子

2025年02月03日 07時47分28秒 | 読書(昭和史/平成史)


「戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗」加藤陽子

読み返し。
とても良い作品。

日本近代史3つの転換点を取りあげている。
①満州事変とリットン報告書
②日独伊三国同盟
③日米交渉

P50
日本にとって戦後とは、戦前を振り返りつつ考えるための時間そのものだったのではないか、そのような感慨が浮かびます。

P68
日本は、唐との間の7世紀後半の緊張した関係を、日本という新たな国だと主張することによって清算したのです。

P78
倒幕攘夷を唱えていればよかった人たちが、新たに主人となった明治政府で、開国和親を唱えなければならなくなる。(中略)外国人の側には、万国公法という、人間のつきあいの方法を定めた法があるらしい。

P67
白村江の戦いは、7世紀に起きた、もう一つの日中戦争といえそうです。

P136
日英同盟というのは、日本は朝鮮を、イギリスは中国を、ということで両国が勝手に勢力範囲を決めてしまった帝国主義的同盟の見本でした。

P217
日米ガイドラインが防衛する場所とは…
1978年/日本本土(ソ連を太平洋方面に出さない)
1997年/周辺事態(日本の安全、極東における平和に寄与)
2015年/無制限(アジア太平洋地域、これを越えた地域の安全と平和)

P276
ドイツと同盟を結ぶことで、ドイツを牽制しようとしているのです。

P299
アメリカを牽制する同盟でしたが、日本が本当にほしかったものは、仏印蘭印など、宗主国を失った植民地だったわけです。

P311
日清戦争では清に対し「朝鮮の改革を拒絶するのは非文明」といい、日露戦争ではロシアに対し「門戸開放しないのは文明の敵」との言葉を投げつけます。しかも、これらの言葉を創造していたのは、福沢諭吉や吉野作造という、当代一流の知識人だったのです。

P348
近衛文麿は、長男の文隆をアメリカに留学させていた人で、文隆のハイスクール卒業式に出席することを口実とし、(中略)三ヵ月、アメリカを訪れたことがありました。

P371
霞ヶ関の外務省に唯一銅像が建っているのは、陸奥のものなのだそうです。


P411
東京の外務省は、陸海軍の圧力に屈し、出先である大使館がどんなに頑張っても不可能な時間と方法で、ワシントンに電報を送っていたのです。


P428
1944年11月から45年8月まで、マリアナから飛び立った、のべ28,782回の爆撃に対して、日本側が撃墜した数は、50機。その成功率は、なんと0.17%しかありませんでした。

【参考リンク】
アジア歴史資料センター

公文書に見る日米交渉 開戦への経緯

【関連図書】

【ネット上の紹介】
かつて日本は、世界から「どちらを選ぶか」と三度、問われた。より良き道を選べなかったのはなぜか。日本近現代史の最前線。
[目次]
1章 国家が歴史を書くとき、歴史が生まれるとき(「歴史のものさし」で世の中をはかってみる
現代の史料を、過去のデータと照らし合わせて読む
歴史が書かれるとき
歴史の始まりとは)
2章 「選択」するとき、そこでなにが起きているのか―リットン報告書を読む(日本が「世界の道」を提示されるとき
選択肢のかたちはどのようにつくられるか
日本が選ぶとき、為政者はなにを考えていたのか)
3章 軍事同盟とはなにか―二〇日間で結ばれた三国軍事同盟(軍事同盟とはなにか
なぜ、ドイツも日本も急いだのか
「バスに乗り遅れる」から結んだのではない)
4章 日本人が戦争に賭けたのはなぜか―日米交渉の厚み(戦争前夜、敵国同士が交渉の席に着く意味は
史料に残る痕跡
日本はなぜアメリカの制裁を予測できなかったのか
国民は、その道のみを教えられ続けてきた
絶望したから開戦したのではない)
終章 講義の終わりに―敗戦と憲法(講義の終わりに)


ペリカン滑空

2025年01月30日 07時54分56秒 | 動物園

モモイロペリカン

キバタン

ハシビロコウ

レッサーパンダお昼寝

オニオオハシ

コモンマーモセット


MORI アリーナ ビレイヤー認定判定会

2025年01月27日 08時17分52秒 | クライミング(広報)

三重県にあるMORI アリーナ、リードウォールでビレイするには、
認定判定会(つまり検定試験)に合格しないとダメ。
グループで1人資格を持っていたら、クライミング可能だった。
でも本来、合格しないとビレイは出来ない。
いままで、うやむやのうちに利用していたけど、厳しくなってきた。
急に利用を断られることはないと思うけど、今後のことを考えて資格を取得した方が良いかもね。

三重県在住のO君が、予約を入れてくれたので、認定判定会に参加してきた。当日、早起きして朝7時に大阪出発。

9時に会場に着くと、すでに30名以上の方が集合していた。
検定内容は、室内シューズを履いているか(サンダルはダメ)、ハーネスの正しい装着、ロープの末端処理、ロープがキンクしてないか、ほぐしてバケツに入れる作業、ロープをATCやグリグリ等に通してハーネスに正しく装着してるか、それを相互にチェック(ビレイヤーはクライマーのハーネスとロープをチェック)、ビレイグローブの装着、ビレイの立ち位置、ロープ操作、テンションやフォール、ロワーダウンへの対処、クライマーとのやり取り、コミュニケーション、声出し確認が判定される。各項目でひとつでもペケが付くと不合格になる。

ちなみに、《認定判定会案内》は次のとおり。

<日時>2025年1月25日(土)10:00~12:00

<定員>30名(先着お申し込み順)

<受験資格>リードクライミングのビレイに十分なスキル・経験を持つ中学生以上の方

<判定料>1,000円

<登録料>500円(判定の結果、合格となった方)

<持ち物>クライミングシューズ、ハーネス、ビレイデバイス&安全環付カラビナ、ロープ、チョークバッグ(液体チョーク使用不可)
*室内シューズとビレイグローブは必携。事務局から念押しの電話が掛かってきた。

日時:1月25日(土)となっているが、応募者が多かったので日曜日も実施。
私は、ATCとネオックスの両方の検定を受けて、2つとも合格。
『リード認定合格』記載の新しい会員カードを頂いた。

*「登る係」の方、知らない人のビレイでフォールしてくれてありがとう!
*運営スタッフの方々、お疲れさまでした。


「「文藝春秋」にみる平成史」半藤一利

2025年01月24日 08時17分37秒 | 読書(昭和史/平成史)


「「文藝春秋」にみる平成史」半藤一利

P127
私は、ことに防災責任者の述べる言葉に底知れぬむなしさをおぼえ、口を開くのも億劫になった。それは、震災後に出版された「震災豫防調査會報告」という報告書を全く眼にしていないことを知ったからである。
(中略)
私のような素人ですらそれを入手し書架におさめてあるのに、関東大震災についてそれを読まずに語るのは不可解であり、防災責任者は、なにを根拠に地震対策をするのか、と心もとなさを感じたのである。

P129
発火原因について、中村博士は、薬品の落下によるものが44個所もあると指摘している。

P130
江戸時代、江戸の町々はしばしば大火に見舞われ、幕府はその対策に腐心し、結局、最も危険な物は、火事の折に避難する者が家財その他を積んで引出す大八車と断定した。

P305
A級戦犯のなかでも、松岡洋右と白鳥敏夫という二人の外交官の名前が出てくるところで、やはり昭和天皇は、三国同盟に反対していたことがよくわかる。

P308
後任の松平宮司が、どう考えたのか、易々と合祀してしまった。この《易々と》という表現が、いかにも昭和天皇らしい。

P309
鎮霊社は、靖国神社の一角に目立たぬようにひっそりと建ってます。A級戦犯と西郷さんがそこで一緒というのは、意味深ですね。
ところが、昭和53年3月に筑波宮司が急死して、靖国神社の方針はガラリと変わる。7月に松平永芳宮司が就任すると、あっというまに10月の秋の例大祭で、A級戦犯を合祀しています。

【ネット上の紹介】
「昭和史」の半藤一利が平成に挑む。「平和」「自然災害」「IT」。「昭和史」の半藤一利氏が、平成を「三つの言葉」で読み解きます。月刊「文藝春秋」から選び抜いた31篇を全文掲載。将来が不透明な日本で、令和をよりよく生きるヒントを「歴史」に学びます。平成史の決定保存版です。
はじめに 「三つの言葉」で平成を読み解く(半藤一利)
平成元年 天皇崩御 緊迫の官邸(小渕恵三)
平成2年 全告白 悪夢のすべて(金賢姫)
平成3年 本田宗一郎は泣いている(城山三郎)
「大空位」の時代(諸井薫)
平成4年 「日本型経営」が危い(盛田昭夫)
ワープロは日本語を変えたか(井上ひさし)
平成5年 両親が語る新皇太子妃の素顔 娘・雅子が決意した日(小和田恆・優美子)
平成7年 歴史はくり返す(吉村昭)
阪神・淡路大震災 両陛下の十五日間(八木貞二)〔ほか〕


「現代日本外交史」宮城大蔵

2025年01月20日 07時51分09秒 | 読書(昭和史/平成史)


「現代日本外交史」宮城大蔵

冷戦後25年の外交史。

P53
仮に(朝鮮半島で)軍事衝突が発生した場合、北朝鮮が日本の原子力施設や在米軍基地に対して特殊部隊による攻撃を行う可能性も想定された。(中略)この他にも何十万人という難民が朝鮮半島から押し寄せてきた場合、その中に諜報関係者がいないか確認する「スクリーニング」を誰がどのような手続きで行うのか等々、検討すべき項目は膨大であった。

P65
細川は歴代首相の中で初めて、「先の大戦」全般を対象に「侵略戦争」だと認めたのである。

P76
橋本が台湾海峡危機に際して最も神経を使ったのは、万が一の軍事衝突の際、台湾からどうやって邦人を救出するかであった。

P244
安倍はかねてからアーリントン墓地を引き合いに靖国参拝の正当性を訴えていたが、アーリントンに相当するのは靖国ではなく千鳥ヶ淵墓苑ではないかという米側の見解を示唆するものであった。

【ネット上の紹介】
危機の25年をたどり、日本外交のこれからを問う―米ソ冷戦が終わり、日本は経済大国として平和を謳歌すると思われた。だが、1991年の湾岸戦争で状況は一変する。「非自民」の細川政権を皮切りに連立政権の時代に入った日本を、北朝鮮核危機、テロとの戦い、中国台頭による緊張の高まりといった安全保障問題が揺さぶる。さらに経済危機、歴史認識、沖縄米軍基地、北方領土など、冷戦後の25年は危機の連続だった。16政権の苦闘をたどり、日本外交の課題に迫る
第1章 湾岸戦争からカンボジアPKOへ―海部・宮沢政権
第2章 非自民連立政権と朝鮮半島危機―細川・羽田政権
第3章 「自社さ」政権の模索―村山・橋本政権
第4章 「自自公」と安保体制の強化―小渕・森政権
第5章 「風雲児」の外交―小泉純一郎政権
第6章 迷走する自公政権―安倍・福田・麻生政権
第7章 民主党政権の挑戦と挫折―鳩山・菅・野田政権
終章 日本外交のこれから―第二次安倍政権と将来の課題


「もう一つの「幕末史」」半藤一利

2025年01月17日 07時16分47秒 | 読書(幕末/明治)


「もう一つの「幕末史」」半藤一利

P36
およそ日本の歴史で、暴力や殺人そのもので時代の流れが大きく変わった、という事例はほとんどありません。しかし、それに対する恐怖心が歴史を動かしてしまったことは二度あった、と私は考えています。
その一つがこの桜田門外の変、もう一つが昭和の2.26事件。

P44
戊辰戦争とは東北や越後の諸藩に対する侵略戦争にほかなりません。あの時点では間違いなく薩長は“暴力集団”でした。

P47
明治維新とは二重の革命だったのだと考えます。一つは薩長の倒幕による権力奪取。そしてもう一つは、下級武士対殿様、上級武士の身分闘争です。

P73
孝明天皇はまだ36歳の若さでしたから、私はこれは長州が毒殺したのではないか、と見ております。

【ネット上の紹介】
幕末の裏側にある真実に迫る! 勝海舟、河井継之助、坂本龍馬、桂小五郎らが躍動した自己変革力が漲る時代に現代人は何を学ぶべきか。
第1章 維新には「知られざる真実」がある―権力闘争による非情の「改革」
第2章 幕末「心理」戦争―江戸城無血開城までの「西郷×勝」攻防三カ月
第3章 自らを「アヒルの水かき」と揶揄した男―私が勝海舟に惹かれる理由
第4章 圧倒的薩長軍に抗した“ラストサムライ”―河井継之助の「不合理を超える」生き方
第5章 なぜ龍馬はみなに愛され、そして殺されたのか?―「独創性のない」偉大なコーディネーターの素顔に迫る
第6章 「薩長同盟」は“馬関”から始まった―桂小五郎、高杉晋作と坂本龍馬の「理屈抜きの友情」
「幕末史」に学ぶ―長い「あとがき」として


ネオックスとフレイノ

2025年01月14日 17時35分47秒 | クライミングギア&登山装備

最近、ネオックスを使っている。
限りなくATCに近い。
グリグリほど習熟に時間がかからない。

注意点は、降ろす際に技術とグリップ力がいること。
例えば、自分より体重が重く、ロープが新しく、細い場合。
降ろすときに、流れすぎたりする。
そこで登場するのがフレイノ。(ディッセンダー用ブレーキングスパー付カラビナ)
ツノに引っ掛けることで、ゆっくり降ろせる。

上がグリグリ、下がネオックス


【参考】
BELAY WITH NEOX - PETZL | SPORT ¥18,000(税込¥19,800)

フレイノ - PETZL | SPORT  ¥8,500(税込¥9,350)

【蛇足】
私がクライミングを始めたとき、最初に教えてもらったのは「肩がらみ」「腰がらみ」。痛いしシンドイので、先輩に「エイトカン使いましょうよ」と言った。
その後、エイトカンを10年ほど使った。
最後の方は、ちょい掛け、小さい穴を使ったビレイをした。

90年代半ば、ATC登場。
これは便利と思い、すぐ移行した。
その後グリグリが出たが、ロープを繰り出すときに詰まってしまい、
すばやく出せないので挫折した。(私の適応力と努力が足りない)
結局、ATCを30年以上利用した。
もうこれで、クライミング人生OKと思っていた。
そこにネオックスだ。
便利なものには負ける。
フレイノとの併用をお勧めします。

【追加】
*グリグリを何年も使用して、既に慣れている方は、買い替える必要はない、と思う。フレイノに関しても、体重差のある方をビレイする予定のない人は必要ないでしょう。

「近代日本外交史」佐々木雄一

2025年01月12日 07時51分03秒 | 読書(昭和史/平成史)


「近代日本外交史」佐々木雄一

幕末開国から太平洋戦争まで、日本外交の歩み。

P154
近衛(文麿)は1891年、公家のなかでも最高級の名門・近衛家の長男として生まれ、京都帝国大学を卒業した。(中略)近衛の場合、期待を集めていた政治家である父の篤麿が早くに亡くなり、そのときに周囲が疎遠になったことなどから、世の中に対する不信感めいたものをもともと強く持っていた。

P194
1938年1月には中国側との和平交渉を打ち切り、「国民政府を対手とせず」との声明を発した。近衛も外務大臣の広田弘毅も、戦争の拡大を防げなかったのみならず、自らの強硬姿勢によって事態の収束を困難にしていた。


外務省に建立された陸奥宗光像(戦前)

【ネット上の紹介】
1853年にペリーが来航し、日本は開国へと向かう。明治維新後、条約改正や日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て、世界の大国となった。だが1930年代以降、満州事変、日中戦争、太平洋戦争に突入し、悲惨な敗戦に終わる。日本は世界とどう関わってきたのか。破局の道を回避する術はなかったのか。国際秩序との関係を軸に、幕末の開国から太平洋戦争まで、日本外交の歩みをたどる。近年の研究をふまえた最新の通史。
第1章 国際社会への参入
第2章 東アジアと近代日本
第3章 大国の一角へ
第4章 動乱の一九一〇年代
第5章 第一次世界大戦後の世界と日本
第6章 国際社会との対決
終章 近代日本外交の歩み