【ぼちぼちクライミング&読書】

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「日本近代史」坂野潤治

2024年10月15日 17時47分49秒 | 読書(幕末/明治)


「日本近代史」坂野潤治

P20
唯一の解決策は、「攘夷」か「開国」かの問題を棚上げにして、「尊王」か「佐幕」かに選択肢を絞り込むことであった。そうなれば薩摩と長州は「尊王倒幕」で手を握ることができる。

P31
お由羅の方は、自分が産んだ久光を藩主とするために斉彬の排斥につとめ、藩内保守派の調所広郷らがそれを支えた。

P250
李鴻章の主張を読めば、それは理にかなったものであった。(中略)
「朝鮮の独立」を目的とした戦争の講和条約で日本が清国領土の遼東半島の割譲を要求するのは筋違いであること、日本が戦争中に占領もしていない台湾の割譲を清国に求めるのは、さらに筋違いであること、独立国間の戦争での賠償金は、日本がこの戦争で実際に使った1億5000万円に限るべきで、3億円の要求には根拠がないことなどを李鴻章は主張したのである。

P444
2011年3月11日は、日中戦争が勃発した1937年7月7日の方に近く見える。

【ネット上の紹介】
この国が最も激しく揺れ動いた一八五七(安政四)年から一九三七(昭和一二)年までの八〇年間。近代日本の劇的な歩みを、「改革」「革命」「建設」「運用」「再編」「危機」という六つの時代に区分し、通観する―。はたして日本の近代とは何だったのか。わずか数十年の間にめざましい「近代化」を実現しながら、やがて「崩壊」へと突き進まざるをえなかった根本原因はどこにあるのか。史料を精緻に読み解くことで、図式的な理解を超えて、近代史をダイナミックに捉えなおす。
第1章 改革―1857‐1863
第2章 革命―1863‐1871
第3章 建設―1871‐1880
第4章 運用―1880‐1893
第5章 再編―1894‐1924
第6章 危機―1925‐1937


客家と日本

2024年10月11日 10時21分38秒 | お出かけ

企画展「客家と日本」







「戦跡巡礼」中津攸子

2024年10月07日 07時20分11秒 | 読書(戦争/引き揚げ/ 抑留)

「戦跡巡礼」中津攸子
 
読み返し
 
P28
旧満州から多くの人が引き揚げて来た時、七三一部隊の人が何の苦労もなく、証拠隠滅のため頑丈な建物を破壊し、無事に帰国したことが釈然としないのだ。
 
石井部隊長について
P29
戦後、新宿の若松町で陸軍の建物を旅館とし、女郎屋を営み、昭和34年に喉頭がんで死んだという。

P59
「日本人に良い人が二人います」
と聞かされ、いくらなんでも少なすぎると思った時、
「一人は柳宗悦先生で、(中略)もう一人は李方子様です。(後略)
 
P123
長崎には「長崎原爆死没者追悼平和記念館」「長崎原爆資料館」などがあるが、私は、永井隆博士の住んでいた「如己堂(にょこどう)」をまず訪ねた。

P180
日露戦争の時の連合艦隊司令官、神将とか聖将などと称えられながら戦死でない東郷平八郎は靖国神社に祀られていない。
 
【ネット上の紹介】
1章 大陸・巡礼(秋天の悲しきまでに白き雲
二〇三高地さざんか揺らす風
乃木坂の思はぬ蟇に逢ひにけり
秋風の僅か流るる盧溝橋
伏牛の辺より白蝶翔ちにけり ほか)
2章 太平洋諸島・巡礼(拳強く握る真夏の真珠湾
バンザイ岬海上に湧く雲の峰
夏草やモンテンルパの観世音
水牢をのぞき込みたる暑さかな
逝く夏やB29の滑走路 ほか)
3章 東京・広島・長崎・巡礼(飛行雲夏草の果て暮れ残る
小舟漕ぐ人新樹光あふれゐて
亡き父の真意に気付く今日の花
灯消し正座して聞く花火音
蜻蛉や水草揺るるままにゐて ほか)
4章 特攻兵士・巡礼(天炎えて特攻の碑の影深し
白雲の映るがわびし夏の川
海に向く特攻の碑や寒雀
人間魚雷錆びひとひらの山桜
逃げ水や霞ケ浦に浮く帆船)
5章 沖縄・巡礼(海原の沖へ沖へと白き蝶
秋の空墓石声なく群がりて
激戦の跡紫のすみれ草
獅子を誘ふに似て黄水仙
とかげの子瞬時石垣に隠れたる ほか)
6章 戦後・巡礼(藁馬に水を供へる敗戦日
一枚を文庫にはさむ渓紅葉
消防車幾台通る雪の夜半
色なき風白衣の人の会釈して
若夏や江田島に寄る波の音 ほか)

「密航のち洗濯」宋恵媛/望月優大

2024年10月02日 11時14分00秒 | 読書(ノンフィクション)
「密航のち洗濯 ときどき作家」宋恵媛/望月優大

2024年 講談社本田靖春ノンフィクション賞受賞

P112・・・8月15日正午に玉音放送、夜7時には安在鴻による特別放送
「わが朝鮮は連合軍によって独立が保証されています。それから、日本人に危害を加えるようなことは絶対につつしんで下さい。朝鮮にいる百数十万の日本人の生命財産をみなさんの手で保護して下さい。同胞のみなさん!日本には引き揚げなければならない五百万のわが同胞がいることを深く静かにお考え下さい。――」

P142
入管の収容所は針尾から同じ長崎の大村に移転した。劣悪な待遇、日韓外交の失敗による長期収容、収容所内のイデオロギー対立で知られた大村収容所だ。大村収容所は、大村海軍廠の跡地に設置された。

P190
敗戦時、朝鮮北部には約27万の在朝日本人がいた。(南部には約50万人)ソ連軍による進駐ののち、「38度線」は早々に封鎖される。軍関係などで8月中に南部京城(現・ソウル)や釜山に到達した者もいたし、満鉄や満州国の関係者で朝鮮から満洲に再び戻った者もいたが、満洲避難民の多くは38度線以北の各地に収容され、極寒の越冬を経験した。

【ネット上の紹介】
1946年夏。朝鮮から日本へ、男は「密航」で海を渡った。日本人から朝鮮人へ、女は裕福な家を捨てて男と結婚した。貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。蔚山、釜山、山口、東京―洗濯屋の「その後」を知る子どもたちへのインタビューと、わずかに残された文書群を手がかりに、100年を超える家族の歴史をたどる。
密航1946
第1章 植民地の子ども(朝鮮 1911‐24
日本 1924‐44
朝鮮 1944‐46)
送還 1946
第2章 洗濯屋の家族(尹紫遠 ユンジャウォン
大津登志子 おおつとしこ
泰玄 テヒョン たいげん
逸己 いつこ イルギ)

「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子

2024年09月28日 08時22分43秒 | 読書(昭和史/平成史)


「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子

読み返し。

P104
日本側が早く不平等条約を廃止してくださいと言い続けたとき、列強が「それでは商法、民法を編纂してくださいというのは、ある意味、正統な言い分ではあったわけですね。

P185
1902年に満洲から撤兵しますよといったのに、ロシアは撤兵しない。中国と約束したはずの撤兵期限をなかなか守らないという事態を見て、イギリスは日本に同盟を提案するのです。

P204
日清戦争は帝国主義時代の代理戦争でしたが、日露戦争もやはり代理戦争です。ロシアに財政的援助を与えるのがドイツ・フランス、日本に財政的援助を与えるのがイギリス・アメリカです。

P211
ロシアが黒竜江省、吉林省、遼寧省という3つの省を占領していたことで排除されていた国々が平等に満洲に入れるようになった。(中略)「さあ、帝国主義のみなさん、いらっしゃい」と中国東北部を開いた。これが日露戦争でした。

P441
魚雷は高度100メートルぐらいで飛ぶ飛行機から落とされると、ガーッと60メートルくらい、海面から沈む。(中略)
真珠湾は水深12メートルの浅い湾でした。戦艦は水面から船底まで7メートルあれば停泊させられますから、ここに停泊させるのは合理的です。


【ネット上の紹介】
膨大な犠牲と反省を重ねながら、明治以来、四つの対外戦争を戦った日本。指導者、軍人、官僚、そして一般市民はそれぞれに国家の未来を思いなお参戦やむなしの判断を下した。その論理を支えたものは何だったのか。鋭い質疑応答と縦横無尽に繰り出す史料が行き交う中高生への5日間の集中講義を通して、過去の戦争を現実の緊張感のなかで生き、考える日本近現代史。小林秀雄賞受賞。
序章 日本近現代史を考える
1章 日清戦争―「侵略・被侵略」では見えてこないもの
2章 日露戦争―朝鮮か満州か、それが問題
3章 第一次世界大戦―日本が抱いた主観的な挫折
4章 満州事変と日中戦争―日本切腹、中国介錯論
5章 太平洋戦争―戦死者の死に場所を教えられなかった国


「消費される階級」酒井順子

2024年09月23日 13時06分23秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「消費される階級」酒井順子

P2
2006年の流行語大賞においては、「格差社会」の他にも「下層社会」「下流社会」「貧困率」といった言葉もノミネートされています。「豊かになるもならないも自己責任」といった考え方の流布によって経済的な上下差が著しくなり、階級が固定化されたのがこの頃である模様。

P41
韓国ドラマにおいては、日本のドラマよりもずっと、一重まぶたの俳優、それも特に女性俳優が重用されていました。

P206
オリンピックや万博といった大規模イベントは、懐メロ歌手のコンサートのように見えます。

P263
表面的な格差や差別は、今後も減少し続けるであろう日本。そうしてできたつるつるした世の中は歩きやすいだろうけれど、滑って転んでしまう人もいるに違いありません。つるっとした世では、段差の多い世よりずっと、立つ時も歩く時も力が必要となるに違いなく、そんな世に向けて、今はせっせと筋力を鍛えるしかないのでしょう。

【ネット上の紹介】
序列、区別、差別。表かえ、姿を変えた「凸凹」は世らは消の中のあちこちに。あの人より、上か、下か。日本人の階級意識をあぶり出す21の視点。
男高女低神話のゆらぎ
五十代からの「楢山」探し
まぶた差別と日韓問題
“親ガチャ”と“子ガチャ”
東大礼賛と低学歴信仰
『ドラえもん』が表す子供社会格差
「有名になる」価値の今昔事情
「ひとり」でいることの権利とリスク
おたくが先達、“好く力”格差
バカ差別が許される理由
ミヤコとアズマ、永遠のすれ違い
「かっこいい」、「ダサい」、「センスいい」
超高齢化時代のおばあさん格差
姫になりたい女の子と、姫として生まれた女の子
デジタル下層民として生きる
男性アイドルは無常の風の中に
世代で異なる、斜陽日本の眺め方
反ルッキズム時代の容姿磨き
モテなくていいけど、出会いたい
稼ぐ女と、使う女
遅ればせながらの金融教育


「よみがえる昭和天皇」辺見じゅん/保阪正康

2024年09月20日 07時39分56秒 | 読書(昭和史/平成史)


「よみがえる昭和天皇 御製で読み解く87年」辺見じゅん/保阪正康

読み返し。

P31
貞明皇后は旧名を九条節子といって、公家の最高の家柄である五摂家のひとつ、九条家の出身です。
(中略)
一方、香淳皇后は皇族である久邇宮家の正室のお嬢さんで(中略)結婚当初は貞明皇后も気に入っていたのですが、そのうち溝ができていく。

P73
平成8年になって、今上天皇と美智子皇后がどうしても、翌年の宮中歌会始の召人に齋藤史さんを招きたいと仰ったそうです。

P94
8月14日の御前会議では、ポツダム宣言受諾を最後まで反対した陸相の阿南惟幾が、天皇にとりすがるように泣いたそうです。それを天皇はやさしく「阿南もういい、お前の気持ちは分かった。だが私には国体を守る自信があるのだ」と諭されました。阿南陸相はその場を辞すると自分の官邸に帰り自害します。

P150
香淳皇后が美智子妃をあまりお気に召していなかったことは、当時から知られていました。

P220
昭和五十四年にA級戦犯の靖国合祀が公になりましたが、昭和五十年を最後に昭和天皇は参拝されていません。この合祀について天皇はかなり不快感を持っておられた。
しかし、その後も歴代内閣は参拝を続けた。

【ネット上の紹介】
昭和天皇が遺した一万首とされる御製には、戦乱から繁栄へと変化を遂げた時代の色が、そして波瀾に満ちた天皇自身の人生が投影されている。昭和史に精通した作家と歌人が、百七十首余を徹底討論。昭和天皇の新たな実像が浮かび上がる。
[目次]
第1章 若き摂政宮の時代―大正年間;第2章 軍部の台頭―昭和初年代;第3章 いくさの時代へ―昭和十年代から敗戦まで;第4章 主権回復への道のり―昭和二十年代;第5章 高度成長と皇太子のご成婚―昭和三十~四十年代;第6章 大いなる昭和の終焉―昭和五十~六十年代


「彼方此方の空に粗茶一服」松村栄子

2024年09月17日 08時06分29秒 | 読書(小説/日本)


「彼方此方の空に粗茶一服」松村栄子

シリーズ最新刊で、最終刊。

P168
それよりも、一見控えめなこの嫁が時折見せる大胆さには瞠目すべきものがると、公子はあらためて佐保の顔をまじまじと見た。

P192
「争いごとはよくないことですが、それでもひとには闘わなければならないときもあります。命がかかっているときと名誉がかかっているときです。命がかかっているときには手段を選ばず、どんなずるいことをしてでも勝っていき残らなければなりません」中略)
「しかし、名誉がかかっている闘いは、フェアでなくては意味がありません。(後略)」

第六章「今出川家御息女の段」が特におもしろくて、即読み返した。
このシリーズは終了らしいが、スピンオフでまた描いてほしい。

今年もんくなしのベスト。
楽しめた。

【ネット上の紹介】
東京・本所の一角で、弓道、剣道、茶道を伝える〈坂東巴流〉。紆余曲折ののち、家元をつぐ決意をした長男・友衛遊馬の周りには、一癖も二癖もある面々があふれていて--。将来に不安を覚える遊馬の恋人・佐保が出会った呉服屋に隠された「秘密」、遊馬の一番弟子・伊織が直面したある事件、遊馬の京都時代の友人・翠と哲哉のなかなか進まない恋模様、留学した遊馬の弟子・珠樹のイギリス生活、友衛家の三代にわたる嫁姑関係、カンナと幸麿の娘・希の小学校サバイバル術、そして三十代になった遊馬の日々。巧みに織りなされる人間関係の機微と、茶の湯をはじめとする日本文化の奥深さに凛と姿勢が正される、読後感あたたかな7篇の人情譚。


「知らなかった、ぼくらの戦争」アーサー・ビナード/編著

2024年09月14日 12時25分37秒 | 読書(昭和史/平成史)

「知らなかった、ぼくらの戦争」アーサー・ビナード/編著

読み返し。
太平洋戦争を生き延びた人たちを訪ねてインタビュー。
 
P21
1941年12月の時点で、米軍はすでにレーダーを開発していたので、日本艦隊の動きをとらえ、特別な地位にいた一部の人間は、事前に把握できていたはずだ。「人的ミスによって現場への情報伝達が遅れた」というエクスキューズは、あまりに白々しく響き、(後略)

P86
軍隊の現場にはね、「星の数より飯の数」という言葉があります。つまり、偉そうに肩に星がついていて位が上でも、若くて経験のないヤツは現場ではなんの役にも立たん。

P39
米軍による日本への爆撃の指揮官だったカーチス・ルメイ大将って、いまだに許す気持ちになれないな。日本側にはもはや反撃する能力がないと、アイツはだれよりもわかっていて、それなのにドシドシ焼夷弾を落としまくって、日本中の都市を火の海にして、無差別殺戮を繰り返したんだ。とんでもない馬鹿野郎だと、俺は思っているよ。

P105
敵は大和の左舷ばかりを集中して攻撃したから、転覆するのは早かったです。

P111
日本の防衛省は現在、多数の駆逐艦を展開させているが、そうとは呼ばずに「護衛艦」というネーミングを利用している。

P154
沖縄戦で心に刻んだ最大の教訓は「軍隊は民間人を守らない」ということです。

P204
18回のミッションには広島と長崎の原爆投下も含まれ、それ以外に訓練のためだけに30の都市に9発の長崎型模擬原爆「パンプキン」を落としていたという事実が記されていたのです。つまり331の通常のミッションとは別に18の特別の作戦任務があったことを証明するもので、これまで人目に触れることがなかったのです。


【ネット上の紹介】
いつまで知らないでいるつもり!? アメリカ出身の詩人アーサー・ビナード氏(1967年生まれ)が、日本人の太平洋戦争体験者たちを訪ね歩き、戦争の実態と、個人が争いから゛生き延びる知恵゛を探ります。登場する語り手は、真珠湾攻撃に参加したゼロ戦の元パイロット、「毒ガス島」で働いた元女子学徒、戦後GHQで働いた元事務員など、実にさまざま。日本人以上に日本社会に詳しいビナード氏が、自身の受けたアメリカの教育とも照らし合わせながら戦争に対する考察を深めます。日本民間放送連盟賞・2016年番組部門[ラジオ報道番組]最優秀賞を受賞した、文化放送「アーサー・ビナード『探しています』」を採録して再構成した書籍です。「『平和』って、無知のままでいること?」 「『戦後』って、いつの戦争のあと?」
第1章 「パールハーバー」と「真珠湾」と「真実」(マリは蹴りたしマリはなし(栗原澪子)
「空母は何隻いたのか?」(原田要) ほか)
第2章 黙って待っていたのでは、だれも教えてくれない(まだあげ初めし前髪の乙女たちは毒ガス島で働いていた(岡田黎子)
「君は狭間という日本語を知っているか」(飯田進) ほか)
第3章 初めて目にする「日本」(「外地」は一瞬にして「外国」となった(ちばてつや)
「日本という国が本当にあった!」(宮良作) ほか)
第4章 「終戦」は本当にあった?(八月十五日は引っ越しの日?(三遊亭金馬)
ストロボをいっぺんに何万個も(大岩孝平) ほか)
第5章 一億総英会話時代(GHQは東京日比谷で朝鮮戦争の業務を遂行(篠原栄子)
公園はすべてを見てきた(小坂哲瑯) ほか)
 

「チンチン電車と女学生」堀川惠子/小笠原信之

2024年09月10日 08時29分11秒 | 読書(昭和史/平成史)


「チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ」堀川惠子/小笠原信之

読み返し。

P10
被爆した70両のチンチン電車に乗務していた運転士・車掌の7割ほどが14歳から17歳の少女たちだった、という事実だ。

P117
隣の呉市が日本海軍の4大拠点の1つで海軍の町だったのに対し、広島市は陸軍の町だった。

P119
連合軍が本土に上陸して日本が2つに分断されるケースを想定し、鈴鹿山系で日本本土を東西に2分、第1総軍と第2総軍を置いたのである。

P126
中国の抗日都市・重慶に対する日本海軍航空隊の無差別爆撃は、1939年春から41年秋まで続いた。そして、218回の集中豪雨的な空襲により、1万1889人の重慶市民を死に追いやっている。この死者数を米軍の戦略爆撃による日本人死者数と比べると、広島、長崎、東京に次ぐものであり、同じく1万1000人台の死者を出した愛知、兵庫、大阪の空襲に匹敵する。



【ネット上の紹介】
原爆が炸裂したあの日も、チンチン電車は広島の街を走っていた。運転士と車掌の多くは14~17歳の女学生たち。兵隊に取られた男たちの代わりを務めていたのだ。本書は、彼女らが通った「幻の女学校」の存在を明らかにし、徹底した取材で、少女たちの青春と、8月6日のヒロシマを記録する。

[目次]
第1章 「幻の女学校」との出会い
第2章 広島電鉄家政女学校開校
第3章 女学生運転士の誕生
第4章 青春の日々
第5章 軍都・広島とチンチン電車
第6章 八月六日、午前八時十五分
第7章 地獄絵のなかを
第8章 復旧電車が走る
第9章 女学生たちの六〇


「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」堀川惠子

2024年09月06日 08時33分32秒 | 読書(昭和史/平成史)


「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」堀川惠子

読み返し。

P252
遺体の処理作業が一気に進められた背景には、真夏の炎天下、死体の腐敗が進むと伝染病が蔓延するため早急な対応が迫られたという事情もあったし、特殊爆弾の惨状を放置すると、本土決戦に向けた国民の士気にかかわるという背景もあった。

P273・・・動かなかった海軍兵学校
日本の将来を担う海軍エリートの卵に、放射能にまみれた現場で危険を冒させるわけにはいかない、(後略)

P283
原爆が投下される前、広島市の戸籍簿はすべて疎開させていたため無事だった。



【ネット上の紹介】
広島の平和記念公園にある原爆供養塔には、七万人もの被爆者の遺骨がひっそりとまつられている。戦前、この一帯には市内有数の繁華街が広がっていた。ここで長年にわたって遺骨を守り、遺族探しを続けてきた「ヒロシマの大母さん」と呼ばれる女性がいた。彼女が病に倒れた後、著者はある決意をする―。氏名や住所がわかっていながらなぜ無縁仏とされたのか?はじめて明かされる、もうひとつのヒロシマの物語。本格ノンフィクション!
[目次]
第1章 慰霊の場
第2章 佐伯敏子の足跡
第3章 運命の日
第4章 原爆供養塔とともに
第5章 残された遺骨
第6章 納骨名簿の謎
第7章 二つの名前
第8章 生きていた“死者”
第9章 魂は故郷に


「名画と読むイエス・キリストの物語」中野京子

2024年09月02日 08時17分40秒 | 読書(宗教)
 

「名画と読むイエス・キリストの物語」中野京子

読み返し。

P20
古代ユダヤでは、男子は13歳、女子は12歳になると、一人前の成人とみなされた。したがって多くは十代半ばまでに結婚した。大工のヨセフと婚約者のマリアも、おそらく13歳から15歳の間だったと思われる。

『受胎告知』フラ・アンジェリコ

P58
イエスは洞窟の中で、40日間、断食と祈りを続けた。
40は聖なる数であり、何かを為すための準備期間として必要な数とされていた。モーセもエリヤも40日間荒野にこもったし、ノアの洪水も40日続き、人が母の胎内にいるのは40週と考えられた。イエスで言えば、復活後40日間この世にとどまっていた。エルサレムの滅亡は、イエスの死の40日後である。

P69
後にイエスはシモンに、ペテロ(岩の意)という名を与える。岩の上に教会を建て、「天国の鍵」を預けよう、と約束もした。

P70
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は、聖ペテロの聖堂という意味だ。絵画においては、十字架に釘で打ち付けられる白髪の老人姿でよく描かれる。

P177
イエスの処刑に、ローマ人たる自分は無関係だ、責任はおまえたちユダヤ人で取れ、と突き放したのだが、雪崩をうって突き進む群衆は、なんら恐れもためらいもなく、「その血は、我らと我らの子孫に帰すべし」と、歴史におけるユダヤ人観を決定づける答えを返すのだった。

P200
キリスト教における最重要の祝日といえば、復活祭(=イースター)。なぜならこの祭は、イエスが予言どおり復活したのを寿ぐ日、即ち、イエスが人間から神になった記念日だからだ。

【ネット上の紹介】
ドラマティックなイエス・キリストの物語画は、独創的な表現に満ちた傑作・名作のオンパレード。イエスのおおまかな生涯を知った上で西洋名画を楽しみたい―そう願う人のための、これは手引書である。
[目次]
幼子イエス;洗礼;荒野の修行;伝道;奇蹟;女たち;使徒たち;エルサレム;最後の晩餐;ゲッセマネ;裁判;磔刑;復活

「中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇」中野京子

2024年08月29日 07時08分12秒 | 読書(宗教)


「中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇」中野京子

読み返し。

P110
2008年、何とヴァチカンが新時代のため「七つの大罪」を発表した。
「遺伝子組み換え」
「人体実験」
「環境汚染」
「社会的不公正」
「貧困を起こすこと」
「淫らなまでに金持ちになること」
「麻薬」

P127
ガリラヤのナザレと町に住むマリアのもとに、ある日突然、大天使ガブリエルがあらわれ、「おめでとう(=アヴェ)と呼びかけた(これが歌に聞く「アヴェ・マリア」)。

P174
何しろ12人のうち11人までが北部ガリラヤ地方出身者なのに、ユダのみ南部ユダヤ地方カリオテ村の人間なのだ(したがって彼は「イスカリオテ(=カリオテの人)のユダ)と呼ばれる)。

【ネット上の紹介】
せっかく絵を味わいたいと思っているのに、宗教画だからと敬して遠ざけるのでは、あまりにもったいない。本書は、もっと宗教画を楽しみたい人、名画を通して聖書や歴史や画家について知りたいと思う人のための一冊です。[目次]
旧約聖書の章(鼻はやめて指に―ミケランジェロ『アダムの創造』;知恵と引き換えの死―クラナハ『楽園』/マザッチョ『楽園追放』;人類初の殺人者―ブレイク『アダムとイヴによって見つけられたアベルの肉体』/コルモン『カイン』;天までとどけ―ブリューゲル『バベルの塔』;神様は謎かけばかり―レンブラント『イサクの犠牲』/カラヴァッジョ『イサクの犠牲』 ほか);新約聖書の章(おめでとう、と言われても…―ダ・ヴィンチ『受胎告知』/ロセッティ『見よ、われは主のはしためなり』;誰も気づかない―ブリューゲル『ベツレヘムの人口調査』;有名人と記念撮影―アルトドルファー『東方三博士の礼拝』/ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』;洗礼と生首―フランチェスカ『キリストの洗礼』/クリムト『ユーディット2/サロメ』;弟子たち―カラヴァッジョ『聖マタイの召命』 ほか)


「梅原猛、日本仏教をゆく」梅原猛

2024年08月24日 12時14分57秒 | 読書(宗教)

朝日文庫<br> 梅原猛、日本仏教をゆく 
「梅原猛、日本仏教をゆく」梅原猛

読み返し。

P90
空也が京都の都に現れたのは36歳のころであったが、人々は彼を市聖(いちのひじり)とよんだ。

P150
明治初年の廃仏毀釈において僧侶の妻帯が勧められ、さらに戦後、日本の僧はすべて肉食妻帯をするようになった。このような僧が、釈迦の定めた戒律を厳しく守る東南アジアなどの小乗仏教の僧からは、それでも僧かといわれるのはもっともであろう。

P175
イエスなくしてパウロはないが、パウロなくして今日のキリスト教はなかった。新約聖書にしても、そのもっとも重要な部分は四つのイエス伝と多くのパウロの手紙である。
 親鸞は東国で布教したが、その弟子はせいぜい数百にすぎなかった。しかし蓮如が死んだとき、浄土真宗の信者は数万、数十万に及んだ。(中略)
親鸞をイエス=キリストにたとえれば、蓮如はパウロにあたる。


【ネット上の紹介】
日本人はなぜ仏教に惹かれるのか?聖徳太子、空海、親鸞、日蓮から西行、千利休、一休、良寛、宮沢賢治まで。42人の仏教者に日本人の心の歴史を探った、著者ならではの力作。週刊朝日百科「仏教を歩く」好評連載の単行本化。
1 仏教の伝来
2 神と仏の融合
3 仏教の革命
4 仏教と芸術
5 禅の展開
6 近代の仏教者


広重展

2024年08月22日 07時10分51秒 | お出かけ

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