「14歳〈フォーティーン〉満州開拓村からの帰還」澤地久枝
満州での敗戦体験、引き揚げ記録。
澤地久枝さんは昭和5年9月3日生まれ。
昭和19年(1944)から昭和20年(1945)年にかけて、14歳であった。
敗戦から16歳寸前まで、2年間の記録である。
P11
戦争が終聞いた瞬間、「ああ、神風は吹かなかった」と真面目に思った。
P115
(半藤一利氏の文章からの引用)
敗北を予見したドイツ海軍デーニッツは、降伏の4ヶ月前から、水上艦艇の全部を、東部ドイツからの難民と将兵を西へ移送するために投入した。「ソ連軍の蹂躙から守るためである」と。(日本の参謀本部の対応とえらい違い、である。関東軍が真っ先に引き揚げて開拓民を置き去りにした)
P165-166
2.26事件のあと、内閣は農業移民を国策として決定した。その後、20年間に100万戸、一世帯当たり5人として500万人の移民を送りだす方針を決めている。「昭和」の時代を考えるとき、少女は「満州国」と「開拓団」の問題を考えずにいられない。
P170
「日僑俘」の「僑」は「かりずまいの」の意味。
【ネット上の紹介】
「昭和」を見つめ、一貫して戦争や国家を問うてきた著者の原点となったのは、一九四五年、十四歳での敗戦体験だった。家族と渡った満州・吉林。敗戦後の難民生活は一年に及ぶ。「棄民」ともいうべき壮絶な日々、そして一家での日本への引き揚げ…。十四歳という多感な少女が軍国少女となり、日に日に戦争に巻き込まれていく様を、自身の記憶と膨大な資料から丁寧に回顧し綴る。
[目次]
十四歳の少女
秘密
王道楽土
戸籍騰本
学徒動員・無炊飯
水曲柳開拓団
八月十五日・敗戦
いやな記憶
蟄居の日々
内戦下
旧陸軍兵舎
日本へ