MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ウホッホ探険隊』 100点

2011-05-03 21:33:04 | goo映画レビュー

ウホッホ探険隊

1986年/日本

ネタバレ

その後の‘家族ゲーム’

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 「父さんの舟が怪しい」と小学生の次郎に言われた時、「何にもしてないのになあ」と吐露した後、あるいは「心配?」と妊娠を示唆させる愛人の良子の問いに思わず‘ウホッホ’と咳をしてしまう主人公の榎本和也は嘘がつけない性格のようで、単身赴任先にいる愛人の存在を妻の榎本登起子に告白してしまってから家族と別れるまでの‘優しい離婚’が描かれているように見えるが、監督の根岸吉太郎と脚本の森田芳光が共に最も油が乗っていた頃の作品らしく平凡な物語を逸脱するほどの抜群の冴えを見せる。
 例えば飛行機に関して注意を払って見てみる。家族4人で公園に遊びに行った時にリモコンの飛行機を飛ばし、その後カヌーに乗った父親が紙飛行機を子供たちが乗っているカヌーに向けて飛ばす。本物のジャンボジェット機とラジコンの飛行機が並んで飛んでいるシーンを経て、紙飛行機は次郎を探しに公園に来た登起子に向けて投げられる。ジャンボジェット機は勿論、ラジコンの飛行機さえ操作できなくても紙飛行機ならば登起子にも飛ばせる。
 例えば野球に関して注意を払って見てみる。登起子は横浜大洋ホエールズの選手である景浦選手の予告ホームランをテレビで観戦するしかなく、太郎と次郎のキャッチボールも見ているしかないのであるが、子供たちがミットを取って素手でキャッチボールをしてくれるならば登起子も参加できる。
 ジャンボジェット機やプロ野球が理想の家族像であり、ラジコンの飛行機やミットを使うキャッチボールが理想にはほど遠くても懸命に理想の振りをする真面目な家族像であるならば、紙飛行機や素手によるキャッチボールは気楽な家族像と言えるであろう。1983年に『家族ゲーム』で形骸化した家族像を描いた森田芳光は1986年の『ウホッホ探検隊』においては逆に理想など追いかけずに、例え離婚したとしてもそのような形骸化した家族をゲームとしてありのままに楽しもうと問いかけているように見える。ラストで妻に「きれいだよ」と言った後に思わず榎本和也が‘ウホッホ’と咳をしてしまったのは勿論冗談であろう。


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政治的な放射能の危険度

2011-05-03 17:31:05 | Weblog

小佐古参与が抗議の辞意 子供の被曝基準「容認できぬ」(朝日新聞) - goo ニュース
首相「原発対応、場当たり的でない」 辞任参与に反論(朝日新聞) - goo ニュース
大竹剛のロンドン万華鏡 放射能の危険性は本当? 英国で議論呼ぶ異説(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

 小佐古敏荘東大大学院教授は放射線安全学などが専門で、東日本大震災発生後の

3月16日に原発事故の助言を政権に求められて菅直人首相が内閣官房参与に任命した

はずなのだから、その放射線安全学の専門家の意見が受け入れられないという任命者の

態度は常識ではありえない。結局菅直人は日本国民の健康被害よりも経済効率を優先

したようにしか見えない。菅直人は「専門家の間の見解の相違から辞任された。大変残念

だが、決して場当たり的な対応ではない」と答弁しているが、国民が知りたいことは何故

小佐古敏荘の見解ではなくて他者の見解を取るのかという理由なのである。菅直人は

いつも否定はするのであるが、具体的に自分の意見を述べようとしない事が致命的である。

しかし世界的には事態は更に深刻で、そもそも放射能は危険なのかどうかという話になって

おり、放射能の危険度というものが結局は各国の核開発を牽制するという政治的で図られ

ているという有様である。どうしてこのように放射能の問題があやふやなのか推測すると、

放射能を浴びた際の健康被害というものには個人差が大きいということは、去年亡くなった

広島と長崎で二重被爆した男性が93歳という長命だったことで証明されている。


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