ソフィアの夜明け
2009年/ブルガリア
物語が停滞する理由
総合
60点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
この作品の成り立ち方を理解していなければ、途中で面食らってしまうであろう。
舞台はブルガリアの首都ソフィア。木彫師を生業としている38歳の主人公のイツォはドラッグ中毒を克服すべくメタドン治療を続けている。恋人ニキの誕生日の晩、レストランに出かけるが、ニキに興味を持てないイツォは彼女にそっけない態度をとって喧嘩別れになってしまう。その帰り道、観光客のトルコ人一家がネオナチの集団に襲われている現場に遭遇し、スキンヘッドの17歳の弟であるゲオルギの姿を見つける。助けに入って怪我をしたイツォはその一家の娘のウシュルと親しくなるのであるが、ネオナチ集団に暴行されて重傷を負った彼女の父親は、彼女の母親共々、助けてもらったにも関わらずイツォを好きになれない。ウシュルの母親が娘の携帯電話に送られてきたメールを見て、娘がイツォと密かに会っていることを知り、予定を一日早めて病院から退院してしまったために、イツォとウシュルは逢えなくなってしまう。ソフィアを後にしようとしている途中でウシュルの家族が乗っている車は車道に飛び出してきたゲオルギを轢きそうになる。
ここまでは丁寧に物語が描かれていたのであるが、ここから不可思議な展開を見せる。この後の物語の展開を勘案するならば、自分たちを襲ったネオナチの集団の一人であるゲオルギを見つけたウシュルはイツォに携帯電話で連絡をして、そこから、実はイツォとゲオルギが兄弟であることをウシュルが知るというようなものだが、そのようになることはない。イツォが家にダンボールを運ぼうとしている老人を手伝い、一緒に老人が住む家を訪れた時に懐かしさを感じ、老人の家の中の棚に並べてあるものに興味を示す。それは当然イツォが芸術に関心を示すヒントになるはずなのであるが、結局それが何かは明かされないままである。
敷かれてあった伏線が全く生かされない理由は主人公のイツォを演じていたフリスト・フリストフが撮影の途中で急死してしまったためなのであるが、さすがに『Dr.パルナサスの鏡』(テリー・ギリアム監督 2009年)のように撮影途中の主人公の急死で却ってカルト映画に化けてしまうようなことはなく、現代のブルガリアの社会を辛辣に描くつもりが、中途半端なファンタジー映画に堕ちてしまっていることは隠しようがない。
キャンディーズ、AKBに初音ミク…社会学者がアイドル進化論(産経新聞) - goo ニュース
太田省一の『アイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで』をたまたま読んでいた
のであるが、アイドルが抱える未熟さと自意識との対立軸というものがよく分からなかった。
そもそも進化論の始まりが1969年の夏の甲子園を沸かせた青森県の三沢高校のエース
だった太田幸司なのがピンとこなかった。アイドルの定義がはっきりとしていないと思う。
アイドルが進化しているというよりも、寧ろアイドルを見ているファンの視線が変化している
ように感じる。“楽しさ”と“若さ”の提供の上手さがアイドルとしての才能であり、それを今
最も正確に把握している人物はアイドル本人ではなくて秋元康などの“仕掛け人”の方だと
思う。戦後の復興期のようなアイドルとして太田は美空ひばりを挙げているが、美空ひばり
は最初から完成されていたからこそ驚きをもって世間に迎えられたはずであり“非実力派”
とは言えず、美空ひばりが“頑張る”姿勢を見せたのは晩年になってからなのである。