カウボーイ&エイリアン
2011年/アメリカ
エイリアン弱体化問題
総合 30点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
1873年のアリゾナ州、とある街を牛耳る実業家のウッドロウ・ダラーハイド大佐の実の息子であるパーシーはいわゆるバカ息子で、他方両親を失ったネイティヴアメリカンを養子として引き取っていたのであるが、そのナット・コロラドは片腕として優秀だった。主人公のジェイク・ロネガンは仲間を裏切り、強奪した金貨を独り占めして女と共に逃げようとした矢先にエイリアンに襲われた。当初、敵対していたダラーハイドとロネガンはエイリアンにさらわれた街の住人たちを救うためにタッグを組むのであるが、ロネガンが裏切った仲間たちと遭遇してしまう。さらにはネイティヴアメリカンのアパッチ族に拉致されたりもするのであるが、最終的にはエイリアンを倒すことで共闘することになる。
このようにストーリーを追っていけば極めて真っ当な西部劇のように思える。確かに過去の西部劇の名作を研究しただけのことはある。本作がアメリカでヒットした理由は、敵対していた者たちが同じ目的のために団結するという馴染み深い物語のためであろうが、ここにエイリアンを絡ませた途端に物語が浅くなってしまった。例えば、ダラーハイドがナット・コロラドを養子にした経緯は語りだけで済ませてしまっているし、ジェイク・ロネガンと仲間たちの関係も深く描かれることはないため、仲間を裏切った理由も分らない。エラは異星人であるが、何故襲われて、どのような経緯で地球にやって来たのか分らないために、ラストで自ら自爆する想いが伝わってこない。
一番不可思議なことはエイリアンが弱過ぎることである。ジェイク・ロネガンが手術台のような場所に寝かされていて、気がついて脱出しようとした時に、何故かエイリアンは一人しかいなくて、更に台から逃げようとした際に、何故かジェイクの左腕に武器が装着されてしまうという‘ご都合主義’は一体何なのであろうか? 地球に来ていたエイリアンたちはいわゆる‘第一陣’であるのだから、最初の母船が爆破されても次々と襲ってくるエイリアンたちに襲われて、カウボーイたちは皆殺しの憂き目に会うはずなのであるが、ラストがハッピーエンドになることには無理がある。
『世界侵略:ロサンゼルス決戦』(ジョナサン・リーベスマン監督)にも感じたことであるが、エイリアンの弱体化はストーリー展開の上でも深刻な問題になっていると思う。
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犯罪を目にしてしまって注意出来る人は本当に奇特な人だと思う。「電車内など公共の
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抱いている人が一定数おり、怒りを“爆発”させる機会をうかがっている人が起こすケースが
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懸垂をしたり、逆上がりしていた酔っ払いの6人の男たちを注意した男性乗客が彼らに頭を
叩かれた事件があったのだが、全員大阪府警の警官であった上に、2人は生活経済課所属
であり本来なら酔っ払いを注意する立場にいるのだから呆れる。しかし叩かれたと訴えたと
してもどうせ警察内で事件はもみ消されてしまうのだから、踏んだり蹴ったりでしかない。