ランゴ
2011年/アメリカ
完璧過ぎるヒーロー物語
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
ペットとして飼われていたカメレオンは陸生飼育器の中で壊れたマネキンとおもちゃの魚を相手に、自分で物語を創作しながらヒーローを気取っていたのであるが、車に積まれていた飼育器が砂漠の真ん中に落ちてしまったことから、生活が一変する。とりあえず飲料水を探していたところ、車に轢かれたアルマジロに出会う。アルマジロはカメレオンに助けを求めるが、図体の大きなアルマジロをカメレオンは助けることが出来ない。車の往来が無くなる夜まで待つことをアルマジロに提案したカメレオンは、突然何台もの車に轢かれそうになる。気がつくと側には五体満足のアルマジロがいて、「メタファー」、つまりアルマジロが車に轢かれた振りをした理由は、‘人生’は短いことをカメレオンに教える「隠喩」だったことを明かし、急いで街に行くように進言する。
それまで陸生飼育器の中で悠々自適に暮らしていたカメレオンはその場に合わせて変色する仕方を忘れてしまっており、ワシタカの攻撃を上手く避けることができない。
イグアナのビーンズにダートという街まで連れていってもらうと、カメレオンはそこで自分のアイデンティティーを証明する必要にせまられる。‘自分’というものを持っていないカメレオンは、たまたま飲んでいたアルコールの入ったサボテンの瓶に書かれた「Durango」というラベルの‘ランゴ(Rango)’を自分の名前にした(‘Du’は握った時に自分の指で隠してしまっていて見えていなかった)。壊れたマネキンやおもちゃの魚とは違い、自分の言動に反応が帰ってくるために話が膨らみ、いつの間にかランゴは一発の銃弾で7人の敵を倒せる銃の使い手になってしまう。さらに街を襲ってきたタカをたまたま偶然に一発の銃弾で倒してしまったことで本来の実力に見合わない保安官に祭り上げられてしまう。
水泥棒たちとの戦闘シーンは西部劇を超えてスターウォーズやインディ・ジョーンズを彷彿とさせる。
しかしジェークというガラガラヘビの出現で、ランゴは自分が偽者であることを白状させられて、街から去ることになってしまう。
ランゴは高速道路の反対側に行くと、西部の精霊に出逢う。ゴルフカートにたくさんのオスカー像を積んでいるそのカウボーイは明らかにクリント・イーストウッドなのであるが、その『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ監督 1964年)時代の‘名前の無い男(Man with No Name)’は、まさにランゴと同じ境遇で、ランゴに「誰も自分自身の物語から退場することは出来ない(No man can walk out on his own story)」とアドバイスをする。この時、ランゴは自分の好きなように自分自身がなるのではなく、他の人々の期待に応えながら自分自身を作り上げることに思い至り、ようやく自分が思い描いていたヒーローになることができるのである。
‘ヒーロー物語’としては完璧だと思うが、非の打ち所がない分、多少面白みに欠けてしまっている感が拭えず、そこまで凝る必要があったのかどうか分らないが、関西弁の字幕翻訳に違和感があった。
「話し方」で印象が9割変わる!誰でもできる「話しグセ」の修正テクニック(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
私も相手の人柄はほぼその人の話し方で判断できると思うし、対面で話した場合、
「何を言ったか」よりも「どう言ったか」を重視しているが、一旦身についた話し方を矯正
出来るとは思えないし、矯正できないからこそ話し方で判断するのである。例えば、
この記事では「嫌い、嫌い、大嫌い」という言葉が「あなたが大好き」というメッセージに
なるとか、「ありがとうございました!」と笑顔で明るく言う時と、「ありがとうございました…」
と暗い表情でボソボソと言うのとでは、印象が全く変わるということが述べられているが、
短い言葉の場合は話し方を考えながらテクニックを使うことも出来るが、自分の思いを
長々と述べる場合に、話す内容を考えながら話し方を考えることは無理だと思うのである。