特集:モーリス・エンゲル=ルース・オーキン特集
-年/-
映像の瑞々しさを保つことの困難について
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
「もし若きアメリカ人のモーリス・エンゲルが、その素晴らしい『小さな逃亡者』でインディペンデント映画への道を示してくれなかったら、私たちヌーヴェル・ヴァーグは決して生まれなかっただろう。」というフランソワ・トリュフォーの言葉は決して大げさなものではなく、まるでヌーヴェル・ヴァーグの‘新作’のフィルムを、あるいは『大人は判ってくれない』(1959年)の続篇を観るような錯覚に陥ってしまうだろう。
彼らのデビュー作である『小さな逃亡者』は1953年にヴェネツィア国際映画祭において銀獅子賞を受けたものだが、作品冒頭で7歳の主人公のジョーイ・ノートンが地面にしている落書きは馬に乗ったカウボーイであり、ジョーイ自身もガンベルトを腰に巻いている。12歳の彼の兄であるレニーは友人のハリーやチャーリーと共にベースボールに興じており、ジョーイも頼み込んで彼らの仲間に加わるのであるが、結局守備だけさせられただけで、バットを振らせてもらえなかった。彼らの母親が祖母の具合が悪くなったという知らせを受けて、急遽実家に戻ることになり、友人たちとコニー・アイランドへ行くことを約束していたレニーはジョーイと家で留守番をするはめになってしまう。そんな憂さ晴らしのためにレニーは友人たちと企んでジョーイがレニーを誤って銃殺してしまうようないたずらを仕掛ける。レニーが本当に死んだと思い込んだジョーイは母親が家に置いていった6ドルを持って、コニー・アイランドへ逃げていく。
ここからが面白いのであるが、ジョーイはボールを投げて的に当てるゲームをするのであるが、なかなかボールは的に当たらない。ジョーイは買って食べたスイカの皮をちぎったり、綿菓子をぎゅうぎゅうに丸めてボールにして練習した結果、ようやくボールを的に当てることが出来る。さらにジョーイはバッティング・マシーンで練習して14点を獲得する。既にカウボーイ姿の記念写真を撮ってもらっていたジョーイはポニーに乗ろうとするのであるが、所持金が尽きてしまったために、海辺でペプシコーラのビンを集めて小銭を稼ぎ、ジェイの指導でポニーに何度も乗るうちに独りで乗れるようになる。ようやくレニーが迎えにきて母親が家に帰ってくる6時までに2人は家に戻ることになるのであるが、‘逃亡中’にジョーイが学んだことが、ベースボールの投打とカウボーイの乗馬とロープの扱い方と‘コーラ’のビンでお金を稼ぐことで、スティーブン・フォスター作曲の「ケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)」が流れる中、全てアメリカを象徴するものであるというところが興味深い(ラストでジョーイが見ていたテレビドラマは『ローン・レンジャー』だろうか?)
レイ・アシュレーが抜けて、モーリス・エンゲルとルース・オーキンの2人によって撮られることになる第2作『恋人たちとキャンディ』(1956年)も7歳の子供に翻弄される物語である。未亡人のモデルのアンの娘で7歳のペギーもどうやらモデルらしく、冒頭でカメラマンのピーターと共に動物園で写真撮影をしており、家では金魚を飼っている。ある日、アンはペギーに旧友でエンジニアのラリーの存在を明かすのであるが、ペギーの心境は複雑だった。ラリーはペギーに帆掛け舟の模型をプレゼントした後に、セントラル・パークになる現代アートの美術館へ行くのであるが、ペギーは不機嫌なままで、美術館内にある池に帆掛け舟を浮かせて遊びだす。やがてラリーとアンの2人だけで自由の女神や中華街を訪れ、2人の今後を話し合う。ラリーにとっての障害はペギーだけなのであるが、ドライブに連れていってもデパートに連れていって人形を買ってもペギーは不機嫌なままで、結局ラリーとアンも仲たがいしてしまう。ところがラストでラリーが子犬をペギーにプレゼントし、アンを探しに出かけた後に、再び家を訪れるとペギーは友達に会いに行ってしまい、家にいたアンはテレビの上に置いてあった流木のオブジェをベッドに下に隠して、ラリーを出迎えるところで終わるのであるが、‘静物’から‘動物’への流れが、関係の好転を暗示している。
そしてルース・オーキンも抜けてモーリス・エンゲル単独で『結婚式と赤ちゃん』(1958年)を監督することになるのであるが、ここでは4歳半になるトニーは主演ではない。結婚式と赤ちゃんを専門とした写真館を営む35歳でイタリア系のアル・カペッティと30歳のスウェーデン系のビーの関係性が描かれているのであるが、芸人であるケンがトニーの父親であることは分かるもののケン親子とビーの関係性がよく分からない。
いずれアルは映画を撮るという野心を持っており、高額な映画撮影用のカメラを購入してしまうのであるが、ビーは早くアルと結婚したいと思っている。そこへ火事で家を失ったアルの母親が現れ、アルは母親を老人ホームへ預けるのであるが、すぐに飛び出してしまい、夫が眠る墓地に佇んでいるところをアルたちが見つける。不手際で映画撮影用のカメラを壊してしまい、ビーにも見放され落ち込んでいたアルに教会から結婚式の写真撮影の依頼が来る。仕事をする気分になれなかったアルは最初は断るのであるが、結局請け負ったまではいいものの、実際には撮影は全く上手くいかなかった。その直後、アルは公衆電話からビーに電話をするとビーは一緒に考えようと応えて終わる。本作が最後の作品であることを鑑みるならば、これはモーリス・エンゲルのルース・オーキンに対する‘ラヴレター’と見做してもかまわないと思うのだが、3作でモーリス・エンゲルが映画監督のキャリアを終えてしまったということと、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの監督たちがやがてそれぞれ作風を変化させてしまい、デビュー作の頃の映像の生々しさを失ってしまったことは少なからず関連があるように思われる。
バッグに松本死刑囚の著書=信仰継続か、教団絡み十数冊―オウム高橋容疑者・警視庁(時事通信) - goo ニュース
私が予想していたことはことごとく外れてしまった。カルロス・カスタネダや中沢新一の
著書は必要ないから捨てていっただけであって、やはりいまだに麻原彰晃を“グル”として
仰いでいるようだ。その上、わざわざ大型バックを購入して、荷物になるにもかかわらず
計二十数冊をもって行くということは熱心な信者ということになるだろう。防犯カメラに詳しい
とはいっても、実際にどこに身を潜めるかとなるとやはり遠出は難しく、いまは漫画喫茶
ぐらいしかないのだろうけれど、会員にはなれないから個室を使用することも出来ずに
逮捕は時間の問題だったのであるが、店員の指摘にもかかわらず、最初は捜査員が
別人として危うく高橋に逃げられそうになっていた。17年も逃げられた理由が分かった。