青いパパイヤの香り
1993年/フランス=ベトナム
男女の微妙な‘構図’について
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
本作は冒頭のシーンによって観客に観方を示唆している。家事手伝いの使用人として雇われた先の家を探している、主人公で10歳の少女のムイが画面奥の左から姿をみせて、少しずつ正面に近づいてくる。彼女が歩いている通りが「ファン・チャウ・トアン通り」であることが明かされ、ムイは雇われた先の家の扉をノックする。カットが変わりムイが家に通される室内はドリーによる長い移動撮影で描かれるのであるが、このように本作は奥行きと横長を存分に使い、さらに次男で中学生のラムが指で戯れる蟻のアップや、あるいはムイが指で戯れるパパイヤの種のアップなどの‘構図’によって微妙な人間関係を描くことになる。
クライマックスは10年後、不況でムイが隙を出され、長男のチェンの友人で新進作曲家のクェンの家で働くことになった時である。クェンのベッドを整えていた際に、枕の下から転がり出てきた口紅をムイが鏡を見ながら自分の唇にさしている。視線を感じてムイが振り向くと、奥からクェンが見ていた。慌ててムイは家の中に隠れ、クェンが彼女の後を追う。ここで不可思議なシーンが現れる。開いた扉の横に隠れているムイの真横にクェンが立っているように見えるのであるが、お互い気がつかない。やがてムイがクェンの前に飛び出してきて見つかることになるのであるが、それまで窓などを利用して正確に奥行きを描いてきたにも関わらず、ここで奥行きの正確さが崩れてしまうということは、演出ミスというよりも、お互いに好意を持っていながら気持ちを表に出さないムイとクェンの微妙な‘立ち位置’を表していると見做すべきであろう。クェンの髪の毛を触れるほどそばに居ることが出来たクェンの恋人はいち早く2人の関係に気づき去ってしまう。このように物語ることを極力排して流麗なカメラワークで描かれるものこそ映画と呼ばれなければならない。
マニフェスト違反は小沢氏が先…岡田氏が皮肉(読売新聞) - goo ニュース
「ガソリン税の減税はマニフェストで金額の大きいタマ(施策)だったが、これを『国民の声』と
言ってやめたのは当時の小沢幹事長だ」と22日の記者会見で言った岡田克也副総理は
どうやら消費税増税を正当化したかったようなのだが、逆にマニフェストの破棄を認めて
しまったことになるだろう。ガソリン税の減税を“金額の大きいタマ(施策)”と岡田は言って
いるが、消費税増税の方が明らかに“金額の大きいタマ(施策)”であることは間違いなく、
特に低所得者にとっての経済の逼迫は、岡田のような金持ちには理解できないのであろう。