MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『老人と海』の「呪い」について

2021-05-26 00:59:19 | Weblog

 久しぶりに映画『老人と海』(ジョン・スタージェス監督 1958年)を観て、外ロケでマカジキが海から飛び跳ねるシーンとブルースクリーンを使用したマカジキと格闘する主人公の老人を演じるスペンサー・トレイシーの船上でのスタジオ撮影の画質の落差が激しかったことが印象に残るような感じだった。
 ところでそもそも『老人と海』という作品は何を言いたいのかよく分からなかったので、原作を読んでみたものの、映画は原作を忠実に映画化したもので、結局よく分からないのであるが、個人的にはある小説を連想してしまった。
 その前にヘミングウェイの『老人と海』を簡単に紹介してみたいと思う。主人公はサンチャゴという年老いた漁師で、マノーリンという少年が懐いているのだが、村人たちには「サラオ」と呼ばれて漁師としては終わった人と見なされている。それでも引退した同期たちを尻目に毎日漁に出ており、両親に禁じられていてもマノーリンが色々と身の周りの面倒を見ているのである。
 魚が一匹も釣れないまま85日目を迎えた時、ついにサンチャゴの竿にも彼が乗船している小船よりも大きなマカジキが釣れたのだが、帰りに何度も血を嗅ぎつけたサメに襲われ、カジキの肉はほぼ食べられてしまい、他の漁師たちや旅行客でさえ見たことがない巨大な骨だけを小船の側面に結わえたまま戻ってきたのである。
 名作とされる作品には多様な解釈が可能であるという特徴があるということを前提に、個人的には映画を見終わった時に、これはトルストイの『人にはどれほどの土地がいるか』なのではないかと思った。

 『人にはどれほどの土地がいるか』という寓話は有名なので説明は不要だと思うが、簡単に内容を紹介しておきたい。
 主人公はパホームという農場を営む男で、彼の妻には姉がおり、姉の旦那は街の商人で、どちらが良い暮らしをしているか口論になったと聞いたパホームは土地さえ自分のものになったら何も言うことはないと漏らしたことを悪魔が聞いてしまったのである。
 そんな時、女性の地主が土地を売りに出すという話を聞く。パホームが飼っている馬や牝牛が彼女の土地を荒らしてしまっており、いつも罰金を払っていたために貯金に加えて息子を作男として売り(!)義兄にも借金をしてとりあえず前金を用意して、土地を買うのである。
 ところが今度はパホームが所有する土地を他の農民たちが荒らしだして裁判沙汰になってしまうのであるが、そんな時に、他の農民たちが移住しようとしているという噂を聞く。たまたま家に泊めた農民がサバラという街では欲しいだけ土地がもらえると教えられて、自身で確かめてから家族でそこへ引っ越すことにした。
 そこの土地は肥沃で今までの生活の十倍良くなり三年過ごしたのだが、さらに良い土地があるという話を無心に来た商人から聞き、その土地を所有するバシキール人を訪ねる。
 パホームはバシキール人の村長に直談判して千ルーブルで一日歩いた分の土地をもらえるという約束をし、パホームは一日中歩いて広大な土地を手に入れたのだが、パホームは走り終わった直後に口から血を流して死んだのである。
 このように見てみると獲物は逃したものの生き残れた『老人と海』と希望の土地を獲得したものの本人が死んでしまった『人にはどれほどの土地がいるか』は対照的な話なのである(因みに『人にはどれほどの土地がいるか』は1886年に発表され、英訳されたのがいつかは分からないが、ヘミングウェイが読んでいた可能性はある)。実際にサンチャゴは獲物をサメに食べられている時に遠出をしたことを後悔しており、欲張ったことを二人とも後悔することになるのである。
 しかしここで指摘したいことは教訓のようなことではない。サンチャゴが村人から呼ばれている「サラオ」というあだ名は「不運の権化(the worst form of unlucky)」という意味で、問題なのは欲というよりも運の方なのである。実際にパホームも限界手前で終わっていたら亡くなることはなかったわけで、運をテーマにしているが故に、『老人と海』は分かりにくいのだと思う次第である。
 実は本題はここからで、「運」をテーマに『老人と海』書いたヘミングウェイはその後『老人と海』で1954年10月にノーベル文学賞を受賞したのであるが、同年の12月にヘミングウェイと妻のメアリーはコンゴ共和国行きの飛行機で移動中に低空飛行で飛行機が電線と衝突して墜落し怪我を負うのである。翌朝、ヘミングウェイと妻は救助にきた飛行機に乗って病院に向かうはずだったのだが、離陸した瞬間に飛行機が炎上して火傷を負うのである。結果的に二人とも奇跡的に死なずに済んだのである。
 しかしその後はこれまでの怪我による後遺症で鬱状態になり1961年7月に散弾銃で自殺してしまうのである。これではまるで幸運と思っていたものが不運と化し、不運と思っていたものが幸運と化すような運命に弄ばれることに耐えきれずに自死したようにしか見えないのであるが、最終的には遺伝による鉄過剰症(ヘモクロマトーシス)による情緒不安定と診断されている。
 そうなると個人としての「運」はどうしようもないとしても、家族に遺産を残せただけでもパホームはマシだったように見えないだろうか?
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/bunshun/nation/bunshun-45236


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