少年時代鞆へ農作業のてごをしに行く(≒手伝いに行く)のが楽しみだった。福山城下町にはない二つ目信号が見られたし、言葉や文化が全然違っているのが面白かったのである。
下町育ちの私は平(ひら)の男の会話を聞いて「なんであの人らは喧嘩しよーん?」と大人に尋ねたものだった。「喧嘩はしょーらん。普通にしゃべっとんじゃ」との地元のおっさんの説明に周囲はニヤニヤするばかり、決して怒られることはなかった。
言葉は確かに荒いが、根は優しい(実はシャイな)住民が多かったと記憶する。戦前から戦後の数年間は漁業で栄えた土地柄のため(鉄鋼団地で働く)元漁師は魚の味にはとりわけうるさく幼い私に多大な影響を及ぼした。私が料理に目覚めた原点は鞆だと言ってもよいかもしれない。
下町育ちの私は平(ひら)の男の会話を聞いて「なんであの人らは喧嘩しよーん?」と大人に尋ねたものだった。「喧嘩はしょーらん。普通にしゃべっとんじゃ」との地元のおっさんの説明に周囲はニヤニヤするばかり、決して怒られることはなかった。
言葉は確かに荒いが、根は優しい(実はシャイな)住民が多かったと記憶する。戦前から戦後の数年間は漁業で栄えた土地柄のため(鉄鋼団地で働く)元漁師は魚の味にはとりわけうるさく幼い私に多大な影響を及ぼした。私が料理に目覚めた原点は鞆だと言ってもよいかもしれない。